#43 貪婪 序「ウィル・オー・ザ・ウィスプ」
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。
此処はその天領、甲斐国・甲府藩。
豊かな水と緑を湛えるこの地は今…
その一割を「彼岸」に蝕まれている。
序 ~ウィル・オー・ザ・ウィスプ~
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─2031年3月29日 20:00頃─
〔甲府城 楽屋曲輪 能舞台〕
「兄様、あとこれを…」
「…これは…プリン、ですか?」
髪飾りともう一つ、出立前の兄様に預けたもの。
それはゲッコー師匠の作った「飲むプリン」。
出立先での滞在時間がどのくらいになるかわからないと聞き、急いで冷蔵庫から持ち出してきた。
「お邪魔になるようなら持ち帰ります…」
「ううん、ありがとう廿華…大事に持たせてもらいますね。」
「食料なのですから、お腹が空いたらちゃんと食べてくださいねっ。」
「ふふ、わかっていますよ。」
迷惑になるかどうかを考えず慌てて持ってきたものだけど、兄様は受け取ってくれて、笑って私の頭を撫でてきた。
「プリンは魔法の食べ物」
滑稽に聞こえるかもしれないけれど、私や兄様がよく口にする言葉。
今から7年も前のこと。
私はもともと親が居なくて、どこにも身寄りがなくて、怪物と罵られ打ち捨てられていたらしい。
記憶はほとんど無いけれど、骨の髄まで凍えるような冷たさと寂しさだけは覚えている。
たまたま私を見つけたゲッコー師匠に拾われて、硯邸で手当てを受けて…目を覚ました時に、兄様から差し出されたのがプリンだった。
私にとっては初めての「食べ物」だった。
そして私は、飢えるとお腹が鳴ることを知った。
舌に乗せるととろりと溶けて、じんわり染み込んできた甘さにビックリした。
「食は糧」
その言葉とともに、兄様は私にいろんな食べ物を教えてくれて、私は食べるのが大好きになった。
好きな食べ物もいっぱいできたけれど、それでもやっぱり、初めて一緒に食べたプリンは特別だ。
買ってきたり、時には一緒に作ったりして、隣で笑い合いながら。
プリンを食べることが、私たちを家族にしてくれて、私たちを繋いでくれている。
兄様は御庭番になってから、私の知らない場所で傷付くことが増えた。
これから行く先のことも、夕斎様から説明を受けている。
もしかしたら、二度と帰って来ないかもしれない。
だから、髪飾りとプリンを渡した。
それが、兄様をこの世に繋ぎ止めるために、私ができる精一杯の祈り。
兄様…どうか、どうかあなたが、帰り道を見失いませんように…
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─2031年3月29日 21:00頃─
〔黄泉比良坂 参道 彼岸側〕
氿㞑の宣告した解呪条件のタイムリミットまであと三時間。
僕と目白と晶印さんの三人は、道中で出会った黄泉の国の住民・ヒドラさんによって「棺袼街」という場所へ連れられることになった。
ヒドラさんの引率に従い、彼岸の奥へと歩みを進めていく。
濃く立ち込めていた霧はだんだんと晴れていき、所々に金色の雲が浮かぶ赤紫色の空が広がり出した。
よく見渡してみると、地平線の向こうに広がる空は、赤紫の断崖になっていて、岩肌は天まで続いている。
よく見ると真上の空も岩に塞がれた天井になっていて、あちこちに嵌められたステンドグラスの塊のようなものから光が溢れてきている。
死後の世界は天国…じゃなかったっけ?
ここはまるで、地底のような場所だ。
すると徐に目白が話しかけてきた。
「天国は空にあるんじゃないかとか思ってそうな顔してるが、そうとは限らないぞ。」
「そうなんですか?」
「むしろ黄泉の国は昔から、地下世界であるとするのが有力説の一つだ…まあ現世から平行にあるという説もあって、どっちつかずなんだけどな。」
「現世ピーポーの説はいずれも実際とは異なって御座いまする…黄泉比良坂によって現世と地続きに存在するというのは確かで御座いますが、黄泉比良坂および黄泉の国は現世とは全く異なる空間に御座います故…いやはや、死後の世界など知る由もない現世ピーポーが頭絞って頑張って考えたんだなぁと…」
饒舌に語るヒドラさんに、目白は顔を少し顰める。
「さっきから丁寧なフリしてるが、性格の悪さが言葉に滲み出てんぞ。」
晶印さんはまあまあと目白の頭に手を置きながら、ヒドラさんに尋ねる。
「ところで棺袼街ってとこだが…徒歩であとどのくらいかかるんだ?」
「所要時間で御座いますか?このペースですとあと1時間半程で到着いたしマス。」
「おいおいおい!オレたちは急いでんだっつったよなぁ!?そっからどこにあるかもわかんねぇ山まで行くってなったら間に合わねーよ!あと3時間だぞ!」
僕も問いただす。
「あの、ヒドラさん…時計は先程見せましたよね?」
「ええもちろん拝見いたしましたとも!しかして黄泉の国は特に生き急ぐような用事のある場所では御座いませぬ…何せ皆死んでおりますので!故に我々、時間にはかな〜りルーズなのデス。」
「それは困ります!晶印さんの言ったようにもうあと三時間しかありません…何か徒歩より速い移動手段はありませんか?」
「う〜ん…ここは近辺にカッシャーも御座いませんので…そしてワタクシもこれ以上速くは歩けず…」
このままでは埒があかない。
ぶらぶらと頭を揺らすヒドラさんを掴んで持ち上げ、背負い込む。
「ハワワッ!?桜華様、何をなさって…」
慌てふためくヒドラさん。
「それ以上速く歩けないなら僕が背負って走ります…道案内をお願いします、ヒドラさん。」
──────
─2031年3月29日 21:00頃─
〔甲府藩 甲府市 屋形一丁目 祇園寺跡付近〕
暗天に三日月浮かぶ宵の内。
寝息を立て出す街の中。
今、一つの凶星が、落ちる。
ドムッ
どこからともなく夜空に現れた火球は、真っ赤に燃え盛りながら、地面へ向かって急降下する。
着地の瞬間、赤を纏った熱気と暴風が、路地の間を駆け抜ける。
捲れ上がる路面、巻き上がる屋根瓦、方々から立ち昇る火柱。
火球の着弾した地面は大きく罅割れ凹み、その中央には真っ黒な人影が片膝を立てて屈んでいる。
「ハァ…漸くだ…」
「漸くッ…私の出番だ…ッッッ!!」
その背丈は実に2m以上はあり、血のような紅色の炎を全身に纏っている。
人影は立ち上がると雄叫びを上げ、それとともに小さな火球が辺り一面に花火のように飛び散り、あちこちに爆発を起こす。
悲鳴と轟音が響く中、突然ギッシャーが猛火を突き破って現れる。
《対象の推定等級は特種!溢れる魔力が尋常じゃないわ…虹牙を超えるレベルよ!メーターが振り切れてる…!》
ギッシャーから出てきたのは、蜜柑、恋雪、そして国音の、御庭番3人。
炎を纏った怪人は、3人の方を向くと、割れ鐘のような大声で空気を震わせた。
「いいぞ…いいぞ、いいぞ、いいぞッ!」
「爆音!轟音!アゲていこうッ!火祭の時間だァ〜ッ!」
~石見宗家 特務部隊「魔神団」戦闘員 特種怪魔~
【鬼火】
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黄泉比良坂への行軍中、その隙を突く形で奇襲があるかもしれない。
父上の懸念は的中した。
空亡、虹牙、氿㞑…それらに次ぐ、未確認の4体目の特種怪魔。
その姿は真っ黒な人型で、さながら地獄から這い出てきた鬼のようだ。
雰囲気も当然他の怪魔とは全く違う…あの虹牙にすら勝るとも劣らない迫力に、足がすくみそうになる。
ダメだ、気持ちで負けちゃダメだ。
私たちのところまでゆっくり歩み寄り、両腕を広げる怪魔。
「我が名は鬼火…この甲府の一切合切をを灰に帰すべく、ここへ放たれた!」
そう語る鬼火の胸のど真ん中には、大きな穴が空いていて、赤紫色の水晶で埋められ塞がれている。
そしてそのさらに真ん中には…私が持っているのと同じ、割れた赤珊瑚の簪が突き刺さっている。
「それは…どうして…?」
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「赤珊瑚の簪…それを頭に着けてる奴、飯石蜜柑を見つけたから…だからソウカは言霊を使いまくったんだ。」
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石見三而とはまた別に、ハッチくんとソウカちゃんのご両親の家に火をつけた犯人が居る。
そう聞いてはいたけれど、もしかして…
「話は聞いてるぞ御庭番衆…楽しい祭りになりそうだッ!」
鬼火と名乗る怪魔はそう言うと、即座に腕を真正面に伸ばして構え、掌から真っ赤な閃光と光線を放った。
ジュワアァッ…ズドン!
私たちが慌ててその場から飛び退くと、光線は何件もの町屋の壁を焼き貫き、地面に着弾して大爆発を起こした。
《ひょえぇーっ!?なんて威力なの〜!?》
僅か一瞬の間だった…当たったら死んでいただろう。
「ハハハハハッ!よく躱した!賢明な判断じゃあ…ないかッ!」
今度は地面から炎を纏った歪で大きな腕のようなものが何本も生えてきて、恋雪ちゃんに向かって伸びていこうとする。
「あっ…恋雪ちゃん、危険です!避けて!」
恋雪ちゃんはさっきの光線を伏せながらのスライディングで躱したせいで、体勢を立て直すのが少し遅れている。
「うわわっ!?ま、間に合わないッスよーっ!?」
「『繁絃急管・弾けよ“神樂”』!」
ズババババンッ!
次の瞬間、五線の軌跡を描く剣撃が、炎の腕を輪切りにしていく。
「術式はさして複雑じゃないが、一つ一つの術に込められるだけの大量の魔力を注ぎ込んでいる…生半可な防御は却って危険だ、攻撃に触れないことを優先しろ!」
「国音さん…!助かったッス!」
国音さんが助け舟を出してくれた…けれど、国音さんもあまり余裕が無さそうな様子。
威力が高いということは、攻撃を受け流しきれなかった時の反動も大きくなる。
国音さんの剣技でも捌ききれなかったんだ…
「おお!やるなぁ!だがまだまだ序盤…ここでへばってくれるなよッ!」
鬼火は次々に光線を乱射し、後方からはボンボンと爆発音が聴こえる。
私も恋雪ちゃんも躱すのが精一杯で、国音さんが時々神樂を振るって光線の軌道を逸らしてくれている。
このままじゃ足を引っ張ってる…なんとかして私も役に立たなきゃ!
鬼火は正面に向かって狙いをつけずに弾幕を張っている。
あの光線…撃ち出すには掌を構える必要があるみたいだ。
「恋雪ちゃん!私の攻撃に合わせて風を目一杯送ってください!」
「へ?わ、わかったッス!」
両手でラッパの形を作り、口元に当てて息を勢いよく吹く。
『炎獅子演武・火坑咆炎』!
「おりゃーっ!」
そこに合わせて恋雪ちゃんが風を巻き起こし、炎は真っ赤な竜巻へ姿を変えて、火の粉を巻き上げながら鬼火へと向かっていく。
竜巻を見た鬼火は、少しきょとんとした後、一転して高笑いし出した。
「フッ…グワハハハッ!見るからに炎を繰る私に、敢えて炎で挑むか!?面白いッ!」
──────
御庭番衆にはこれまで、特種怪魔として虹牙や氿㞑と接触・交戦してきた経験がある。
それらの経験から推測されたことの一つ…それは、彼等は視覚以外の高度な空間把握能力・防御能力を有する可能性があるということ。
その空間把握能力の正体、それは魔力探知。
魔力を伴う攻撃は、必ず発生の瞬間に大なり小なり魔力の爆発ともいうべき「揺らぎ」を起こす。
それに対し、予め自身の魔力を周囲に展開し、その魔力との間に発生した摩擦を検知する。
それが一般的な魔力探知の原理である。
当然万能な技術ではない。
天然に存在する魔力と敵の攻撃に伴う魔力との区別をつけなければならないし、攻撃を探知したとしても回避・迎撃といった物理的対応が間に合わなければ意味が無い。
虹牙と氿㞑は、いずれも死角からの高速攻撃に正確に対応している。
この事実から、魔神と呼ばれる特種怪魔たちには、高度かつ精密な魔力探知能力および迎撃能力があると看做されたのである。
これまでに確認された特種怪魔は、全て石見宗家に所属する「魔神」と呼ばれる存在。
つまり、この特種怪魔・鬼火もまた、魔神である可能性が高い。
故に、鬼火もまた、高度な魔力探知能力を有すると推測された。
実際に鬼火の魔力探知は高精度である。
しかし運用方法が他の魔神とは異なり、自身の死角への警戒のみ魔力探知に頼っている。
正面から来る攻撃は、肉眼で視認してから対処できるという強い自信があるため。
新藤五国音は、これまでに対処した鬼火の攻撃の律動から、鬼火の癖を察知していた。
故に…
「来い!この程度の火炎の塊…私の胸に抱き止めてやろう!」
大手を広げ、竜巻の正面に立つ鬼火。
ところが竜巻は衝突する直前で解け、そこから飛び出したのは神樂の鋒。
鬼火の猛々しい肉体を一瞬でスラスラと線を描くように斬った後、鬼火の額にグサリと突き刺さった。
鬼火は正面を視覚でしか認識していない。
そこに視認性の悪い火炎旋風を突きつけられれば、当然魔力探知に切り替えるところであるが、即座に切り替えた魔力探知で魔力濃度の高い竜巻の中から国音を見つけ出すのは困難。
対応は間に合わず、攻撃は通る。
魔力探知をしていなかった正面こそが、鬼火にとって最大の死角となったのである。
《ナイスだよ国音く〜ん!即興の合わせ技だったけど、連携が上手くいったわ〜ん♡》
鬼火の額には、剣が刺さった部分からヒビが入り始める。
しかし鬼火は笑っていた。
「フッ…フフフフフハハッ…この程度か…」
「ダメだ、浅かったか…!」
鬼火は高笑いしながら両手で国音の肩を鷲掴みにすると、そのまま巨大な鳥のような姿に変身すると、甲府城の方向へ勢いよく飛び出した。
《ぎょえぇーっ!?国音くんがアブダクションされたぁーっ!?》
「そんな…国音さん!」
「まずい!まずい!まずいッスよ〜!?」
──────
─2031年3月29日 21:30頃─
〔黄泉比良坂 棺袼街〕
地平線の向こうまで広がる彼岸花の畑は、いつの間にか木造の町屋が並ぶ街並みに変わっていた。
空を見ると、上下逆になった街並みが広がっている…天地がわからない、不思議な感覚だ。
軒先にはお祭りのような屋台が並び、嗅いだことのない香ばしい不思議な匂いがあちこちから漂ってくる。
道は空いているようで、半透明の明らかに人ではない何かがひしめき合っていて、ぎゅうぎゅうになっている。
背中に背負ったヒドラさんが話しかけてくる。
「こちらが彼岸から黄泉の国へ続く場所に御座います、棺袼街に御座います〜。」
「良いスメェルがするでしょう?ここは美食の都なのでも御座いますよぉ〜。」
目白はまたため息を吐く。
「急いでるって言ってんだろ、観光に来たわけじゃねぇんだよ…あとその変な英語混ぜる喋り方はどうにかならないのか。」
でもヒドラさんの言う通り、とても香ばしくて美味しそうな匂いが漂ってくる…
匂いにつられて屋台の前に来ると、縦に五個目が連なった山高帽のようなものが店番をしていて、細く骨ばった腕に持った串を僕に向かって差し出してきた。
「たべ…るぅ?おいし…よ…」
煮込んだ卵のようなものが、ほかほかと湯気を上げて串に刺さって…あぁ…
「おいしそう…」
串を手に取り、口へ運ぶ…
バシッ!
口に入れようとした次の瞬間、手に持った串が勢いよく叩き落とされた。
そして手を掴まれ、口に何か冷たいものを突っ込まれる…とろりとした食感と甘味に、ふと我に帰る。
僕の手を掴んでいたのは晶印さん。
「ここの食いモンは口に入れんなよ、腹減ったなら代わりにコレ食っとけ。」
「同じ釜の飯食ったらそこの家族になんのと同じだ…ここの飯食っちまうとこっちの世界のものにされちまうかもしれねぇ。」
晶印さんはふと食欲が湧いて仕方なくなっていた僕の口に、飲むプリンを突っ込んでくれていたのだ。
危なかった…
そこに目白も駆け付け、ひとまず仕切り直してヒドラさんから話を聞こうとしたその時。
ザァッ…
「あい…つ…どこから…きた…?」
「なか…ま…なかま…だ…」
通行者たちの呻き声が聴こえる中、背筋が凍る感覚がして、僕らは思わずその場で固まった。
街路を通り抜けていく、身の毛のよだつ異様な感覚…
この気配…まさか…
居る…!
虹牙が…すぐ近くに…!
〔つづく〕
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〈tips:人物〉
【ヒドラ】
此岸から彼岸へ続く冥道の点検員を自称する、黄泉の国の住民。
オレンジ色のボストンバッグに目や口がついた姿をしており、手足を生やしたり、目を伸ばしたり、自由自在に体を変形させられる。
変なタイミングで英語を挟んだり、「御座います」を多用したりする独特な喋り方が特徴。
所々人間とは異なる価値観を垣間見せ、空気が読めない上に悠長すぎることから、目白には呆れられ気味。
カバンらしく何でも体内に収納できる能力があり、現在は封印状態の水桜を格納させられている。
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