#31 曇天 序「残り香」
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。
此処はその天領、甲斐国・甲府藩。
豊かな水と緑を湛えるこの地は今…
その一割を「彼岸」に蝕まれている。
序 ~残り香~
「大丈夫だ、案ずることはない。」
それが親父の口癖だった。
夜だ。
あの日から。
ずっと夜のまま。
新閃目黒。
かつて硯風弥と共に「風の二大筆頭」として、甲府はおろか全国にその名を轟かせた、伝説の御庭番。
17歳の若さで江戸幕府の若年寄にまで抜擢され、その身一つで消滅の危機に瀕していた新閃家を建て直した、稀代の天才。
硯風弥と同じく、日本に十数人しかいない特位であり、数十件もの特種事案を解決してきた、日本最強級の侍の一人。
親父の凄いところ、それは超人的な「感覚」。
戦闘も、政務も、何事も。
理屈を土台とした上で、最終的には己の感覚で解決する。
武道では、達人たちのあらゆる技能を一瞬にして完全に身に付け、さらに自己流の剣術を編み出し…ただの人間でありながら、竜種である硯風弥と互角の実力を誇った。
政務では、数千にも及ぶ言語を完璧に習得し、国内外の都市から地方までの情勢を事細かに把握しており、その上高い外交力まで有していた…特に知識量はずば抜けていて、あの硯風弥からも頼りにされていたという。
そこまでの類稀なる能力の理由が、全て「天才肌だから」で片付けられる。
新閃目黒とは、そういう人間。
呆れを通り越し、最早不気味である。
硯風弥が「竜神」なら、親父は「神童」。
甲府の人々はそう呼んで、崇め奉った。
溢れんばかりの期待と名声を負った、広く逞しい背中。
息子である俺は、生まれた頃からそれを見ながら育ってきた。
悪霊はおろか、神すら泣いて許しを乞うとさえ噂される、最強の侍…
〜〜〜〜〜〜
「ねえ、ちちうえ。」
「うん?どうした目白。」
「ぼく、どうしたら…ちちうえや、ふうやさんみたいな、かっこいいおさむらいになれるの?」
「うーむ、難しい質問だな…俺も風弥も、ただ夕斎様のために必死に働いているうちに、気付いた時にはこうなっていた故…」
「じゃあ…ちちうえみたいに、すごくつよくなるには、どうすればいいの?」
「強くなる方法か?そうだな…こう…ガッとやって、スッとやって、ヒュッとやるんだ、そしてダーッとやって…あとは感覚でなんとかなる!」
「…わかんない。」
〜〜〜〜〜〜
親父はバカだった。
頭が悪い訳じゃない。
頭の構造が単純なのだ。
「天才」と言えば聞こえは良いが、俗っぽく言い換えれば「感覚バカ」の「ゴリ押し脳筋」の方が適切だろう。
思慮深く要領が良いと聞くが、俺にはとてもそうは見えなかった。
真夏に一緒に出掛けると、炎天下でも水も飲まずに日陰にも入らない…そのうちふらつき出したところで、通りがかった風弥さんによって川へ突き落とされるのが恒例だった。
料理をさせようものなら、短冊切りと笹掻きの違いが理解できず、グリルで魚を口側から立てて焼こうとしたり、湯煎と聞いて湯の中に具材をぶち撒けたり…常軌を逸した芸当をかましては、風弥さんに頭を抱えさせていた。
風弥さんは俺に言っていた。
「目黒はゴールしか見ずに直進するから、その途中で何が起きるかわからない。」
あれは子供の手前、直接悪口を避けていただけで、要するにバカと言いたかったんだろう。
そんな親父のバカさには、3歳くらいの頃に俺自身で気付いた。
なんとなく、感覚的にわかった。
憎いことに、俺は親父譲りの感覚バカで、親父が感覚バカであることを察したのだ。
強さの秘訣も、勉強の仕方も…何を訊いても、何一つ理解できる説明で返ってこない。
だから俺は呆れたし、親父にそういう期待をするのはやめた。
…でも、バカだからといって、親父のことを蔑んでいた訳じゃない。
どこかで大きな事件や強い妖魔が発生して、テレビや新聞が騒いで、皆が不安を口にして…
そういう時に限って親父は家に帰って来なくて、するとある日突然カタがついて、次の日くらいに親父がちょっと疲れた様子で帰って来る。
どうしたのと訊いても、毎度決まって「どうにかしてきた」としか教えてくれなかった。
心配かけたくないのか知らないが、誤魔化すのが下手なんだよ。
小さな俺には途方もなく強大に見えた、魑魅魍魎の数々。
それを何気なしに薙ぎ払い、何事も無かったかのように、いつもと変わらぬ間抜けな面で俺を撫でに来る。
恥ずかし過ぎて直接言ったことはなかったが…そんな姿が、誰よりも格好良く見えたし、憧れだった。
俺のヒーローだった。
…
9年前、あの忌まわしい甲州事変の、その翌年。
風弥さんの断末魔とも云われる大嵐で甚大な被害を受けた石見家は、その後半年以上に渡って活動を止め、信州側へと潰走したのではないかという推測が上がり出した。
そんな中で親父は、石見家の追跡捜査に自ら出向くことを提案した。
相棒である風弥の敵討ちのためか、深手を負いながらも甲府の安寧に身を捧げたかったのか…きっと両方だろう。
親父譲りの勘なのか、俺は説明のつかない不気味さと不安感を覚えた。
それでも俺は親父を引き止めなかった…いや、引き止められなかったの間違いだ。
出立の夜、不安そうに見上げる俺の頭を、いつもより強く撫でてきたことを覚えている。
「大丈夫だ、案ずることはない。」
親父のいつもの口癖が、親父の最期の言葉になった。
消息不明。
調査中に突然通信が途絶して以降、周辺住民からの目撃情報は一切無く、魔力の痕跡すら一つも残っていない。
その後、同行者たちは原因不明の重傷で発見されたが、目を覚ますと揃って捜査については記憶が一つも無いと話した。
何もわからないということだけがわかり、時間だけが過ぎていった。
新閃家の家督は今、夕斎様の担保の下で臨時的に御袋が握っている。
でも、当主の名前は「新閃目黒」のまま…これまで9年間変わっていない。
俺も、御袋も…
時間はあの日の夜から、一秒たりとも進んでいない。
ずっと夜のままだ。
──────
─2031年3月15日 11:20頃─
〔帯那山山頂 桃山組本社殿〕
ふざけんなよ。
今までどこ行ってたんだよ。
御袋がどれだけ…あんたのことを待ってたと思ってんだよ。
「何やってんだよ…親父ッ!!」
数ヶ月前から目撃報告ばかりが相次ぎ、交戦記録の無かった特種怪魔・虹牙。
素顔を見せず、言葉の一つも発さない。
それでも、ひどく懐かしいその匂いに、俺は頭を殴られたような衝撃を覚えた。
そして、もう一つの証拠。
かつて全国に名を馳せた、新閃目黒・我流の剣術。
それは、本来両手握りでの斬撃に特化した太刀を手にしながら、片手握りでレイピアのような刺突を主戦法とするもの。
ここに駆けつけた時、桜華や蜜柑への攻撃手法を見て…改めて確信した。
魔神・虹牙は、新閃目黒だ。
こいつは、親父だ。
虹牙の正体が親父なら、この圧倒的な強さにも説明がつく。
俺は今、日本最強の侍と対峙している。
鍔迫り合いに持ち込んだはいいが、いくら押しても虹牙は1ミリも退く様子を見せない…それどころか、手元が震えてすらいない。
まるで崖を押しているような感覚だ。
一切ビクともしない。
このまま押し合いをしていても、負けは目に見えている。
次の一手に出ないといけない。
両肩に力を込め、腕を通して剣を持つ手へ、電気を流す。
バリバリバリッ!
屋内を一瞬青白く明転させる程の雷撃。
しかし虹牙は一切動じない。
煙の一つすら立てていない。
やっぱり効かねぇ…
理由なら見当がつく。
魔力の力場には“流れ”がある。
自身の周囲に纏った魔力に任意方向の“流れ”を作り出し、接触した魔力による攻撃を受け流す。
この技術を「影送り」という。
通常の魔力防御を“鎧”とするならば、影送りは流動する“水”を身に纏うようなものだ。
それにしてもこいつの影送り…反応が速すぎる。
影送りは通常、相手が魔力を飛ばしてきた時に、それが命中する部位に限定して行う。
高い集中力と魔力操作技術を要するからだ。
いくら影送りの腕に自信のある奴でも、さっきみたいに突然ゼロ距離での魔法攻撃を受けると、普通なら反応が遅れて即被弾する。
それが無いってことは…
こいつ、全身に常時影送りを発動してるってことか…!
雷撃に力を注いだ分、鍔迫り合いにかける力は僅かに弱まる。
虹牙はその隙を見逃さず、一気に剣を押し込んでくる。
押し潰されるような姿勢になり、どんどん下へ下へと押し込められていく。
まずい…このまま膝を曲げでもしたら、姿勢が完全に崩れて無防備になる。
「『炎獅子演武』・『赫池焔林』!」
背後から、フゥーっという息の音と共に、2本の炎の蔦のようなものが地面を這ってきて、俺を避けるように弧を描き、虹牙の足元でとぐろを巻く。
とぐろはやがて真っ赤に光る円となり、何かを焼き焦がすような音を発した。
ジュウゥ〜ッ
虹牙が足元に注意を向ける、その一瞬の隙を俺は見逃さなかった。
「『惑螺雷』!」
鋒で小さく円を描きながら強く突き出すことにより、ドリルのように対象を抉り抜く刺突。
ガガガッ!
鋒は一瞬胴体を捉えた…が、何やら手応えがおかしい。
鋒はすぐに弾かれ、俺と虹牙は互いに剣を構えたまま飛び退いた。
「目白!来てくれたんですね!」
「危ないところをすみません、目白くん!復帰も遅れてしまいましたっ!」
飛び退いた先には、桜華と蜜柑。
二人とも結構なケガをしているが、それを庇いながらゆっくり立ち上がってきた。
「いいんだよ…俺こそ来るのが遅くて悪かった。」
「ちゃんと立てるか?無理はすんなよ。」
さっきは蜜柑の横槍が無きゃ危なかった…が、既に負傷している二人をこれ以上動かすのは避けたい。
「桜華、蜜柑、あいつには…魔神・虹牙には隙が無い。」
「もうわかってると思うが、実力差が圧倒的に開き過ぎてるんだ…今の俺たちに勝ち目は無ぇ。」
悔しいが認めるしかない。
「俺が全力で隙を作る…お前ら二人はその間に、廿華たちをなるべく安全な場所まで連れて行け。」
「そ、それは…目白はどうする気ですか?」
「どうにかする!時間が無ぇんだ、頼むから俺の言う事を聞いてくれ!」
すぐさま桜華が反論するが、まともに諭してやる時間は無い。
虹牙は剣を両手で握り、ゆっくりと鋒を床に下ろす。
「『神命快刀・四巻読了』」
四巻読了だと…!?
二巻読了だけでも術式の処理に4秒以上はかかり、反動も大きい…巻数が増える程、処理にかかる時間・使用者にかかる反動は倍々に増していく。
四巻読了は読了撃の最大出力…まともに使い熟せるのは、ウチの二大筆頭レベルだ。
それを今のたった一瞬…1秒未満で溜めきりやがった…!
どれだけデタラメなんだよ!
次の瞬間、虹牙は片足を大きく踏み出し、剣を大きく突き出した。
─『虹月・宵月颪』─
バムッ!
天井や床が大きく波打ち、周囲の視界が真っ白になる。
凄まじい衝撃と激痛。
飛び散る瓦礫とともに、虹牙の姿はどんどん遠く小さくなっていく。
くそっ…待て…どこへ行くんだ…
どうしていつも…何も教えてくれないんだよ…
親父…
──────
─2031年3月15日 15:00頃─
〔甲府城 二の丸 医局・二の丸病院 病室〕
「…親父ッ!」
一度瞑ってしまった目を、力ずくで見開く。
気が付くと俺は、前と左右をカーテンに覆われた白いベッドの上に居た。
「あっ…」
状況はだいたい察した。
俯く俺の前に、大沢さんがやって来る。
「ようやく気がつきましたか、3時間近く寝ていたんですよ。」
結局俺たちは、虹牙に成す術なく弄ばれる結果に終わった。
虹牙はあの後、黒い術巻と我樹木子の遺骸の破片を回収し、廿華たちには全く目もくれずに姿を消したとのこと。
最初からそれが目的で、俺たちは食って掛かってきたから適当に払い除けただけだったのかもしれない。
八戒さんは胸を中心とした多発骨折の重傷で、命に別状はないものの全治1ヶ月はかかる見込みらしい。
桜華や蜜柑も胸周りにヒビが入ったらしいが、1週間程度で回復できる見通しらしい。
そして俺だが…正面から四巻読了を食らっただけに、二人よりケガは重く、回復にはさらに1週間程かかるらしい。
少しでも肩を動かそうものなら、胸に耐え難い激痛が走る…寝返りを打つのすら辛い…
虹牙の放った最後の一撃は、桃山組本社殿の西側半分を跡形も無く吹き飛ばしたらしい。
それにも関わらず俺たちのケガがこの程度で済んでいるのは、偶然なのか、それとも虹牙の手心だったのか…
隣のベッドには桜華と蜜柑が寝ていたらしいが、姿が見当たらない。
俺より先に目を覚まし、よりケガの重い俺の代わりに報告へ行ってくれたらしい。
あそこで俺が追撃よりも退避を優先していたら、桜華や蜜柑がさらにケガを負うことはなかったんじゃないのか。
そもそも、俺がもっと早く現着できていたら、ここまでの被害にはならなかったんじゃないのか。
後悔の念は尽きない。
「目白くん。目黒さんの件…桜華くんには、まだ伝えていなかったんですね。」
「…はい。」
俺から説明しなければ。
でもどうやって説明すればいい?
痛みを他所に頭を抱える俺の後ろで、雨音はザーザーと強まっていった。
──────
─2031年3月15日 15:30頃─
〔所在不明 石見宗家本拠地〕
石見宗家本拠地の隅にある、真っ暗な書斎の中。
「よくやりました、魔神・虹牙…」
手の形をした歪な植物、ガラス容器の中で淡緑色の液体に浮かぶ謎の肉塊、ガラスドームの中で小さな茸の形をした蛆のような生物…奇怪な品々が並ぶ机の上に、氿㞑は赤黒い木片と黒い術巻を並べる。
「これは素晴らしい…枝葉の隅まで術式が馴染んでいる。」
「存外順調に進むものですねぇ。」
「さあ、この調子で参りましょう…」
「来たる“動乱”…そこへ続く道筋を。」
〔つづく〕
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〈tips:ソウル〉
【soul name】神姫雷蜂
【soul body】新閃 目白
パワー-A
魔力-A
スピード-A
防御力-C
射程距離-B
持続力-D
精密性-C
成長性-A
【soul profile】
甲府藩の前筆頭家老家・新閃家の長男・新閃目白のソウル。
自身の肩部にある筋肉に通した魔力に、電気の性質を付与できる。
シンプルな能力ながら、放電攻撃・電力による身体強化・電磁波を利用した索敵など、非常に高い汎用性を誇る。
発電方法には、自身の魔力を用いた通常の発電(若雷)と、直接触れた相手の魔力を用いた発電(伏雷)の、2通りがある。
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