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甲州御庭番劇帖  作者: 蕃石榴
壱ノ巻-第一章『竜驤戴天』
27/57

#27 戮力 急「上下一心」

時は2031年。

第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。

此処はその天領、甲斐国・甲府藩。


豊かな水と緑を湛えるこの地は今…


その一割を「彼岸」に蝕まれている。

 急 ~上下一心(じょうかいっしん)~


 ─2031年3月13日 17:50頃─


 〔所在不明 石見宗家本拠地〕


 ここはどこかにある屋敷。

 屋敷の中は仄暗く、蝋燭の灯りが広間を照らす。

 縁側の外には彼岸花の畑が地平線まで広がり、空は一面が暗い灰色の雲で覆われている。


 広間の高座に鎮座する男が一人。

 顔には寄る年波からか幾重にも険しい皺が刻まれ、下顎は鉄のギプスとなって顔面の下半分を覆っている。

 床の間に置かれた掛軸や盆栽は全て上下が逆転しており、違棚もまた上下が逆さになっている。

 真ん中には床柱がなく、代わりに箱型の木棺が一つ立てられている。


 男の名は石見當而(いわみとうじ)

 反幕武装組織・石見宗家の家長である。


 ~石見宗家 当主~

石見(いわみ) 當而(とうじ)


 當而は猫を膝の上に乗せて撫でながら、下座に居る医官に向かって口を開く。

「それで…?三而の快癒までには幾つかかるか?と儂は訊いておるのだ。」

「は、はい…ですから、先程申しました通り、三而様については御体の傷は全治四週程度と見積もられます。」

「では何故、戦線復帰は不能だと?」

「それも説明いたしました通り、心身耗弱が大変激しく…御庭番という単語を耳にしただけでも、医官や看護官数人で抑えるのがやっとな程大暴れしてしまう様子で…今の所はどうしようも…」

「それをどうにかするのがお前らの仕事であろう、儂の可愛い三男であるぞ。」

「し、しかし我々は最善を尽くして…」

「よい、よい、言い訳など聞きたくない。」

 慌ててわなわな震える医官に、當而は苛立ちを顕にして立ち上がると、苦無を持ち出し医官に向かって投げつける。


 ドスッ!


「ひぎゃあぁっ!あぁっ!」

 苦無は医官の肩に深く突き刺さり、医官は肩を押さえて悶える。

 すると気怠げな顔の青年が、医官の両肩を捕まえた。

「うっせぇなぁ…父様、こいつ玩具にしていい?」

 當而は青年の問いに、吐き捨てるように返答する。

「そんなクズはくれてやる、好きにせよ。」

 すると青年はニタァッと笑う。

「やったぁ…俺ってさ、お前みたいな面倒くせーのが居ると、死ぬまで泣かせたくなっちゃうんだ♫」


 ~石見宗家 五男 暗殺部隊「落鳥」副隊長~

石見(いわみ) 墺而(おうじ)


 墺而はそう言うと、襖を開けて廊下へ医官を引き摺っていった。


 當而が再びドカッと高座に座ろうとすると、先程立ち上がった際に振り払った猫がシャッと毛を逆立てて威嚇した。

 すると當而は、血走った目を剥き…

 猫を持ち上げると、縁側に投げつけた。

「なめるなよ畜生が…なんだその目は!」

 そして冷たい目つきに変わると、苦無をもう一本取り出し、猫に向かって投げつけた。

「やはり忠誠というものがない、飼うものではないな…猫など。」


 ドスッ!


「っ…」

 苦無が刺さったのは、猫の上に覆い被さった少年の左肩。

 少年は猫を抱えてゆらりと立ち上がる。

 肩までかかる黒髪、長い睫毛、光のない三白眼、人形のように整った顔。

 少年の名は石見幽幻。

 今は亡き石見宗家の長男・石見庚而とその妾の間に生まれた、齢十五の石見の尖兵。


 ~石見宗家 特務兵~

石見(いわみ) 幽幻(ゆうげん)


 幽幻は潰れた低い声で話す。

「御屋形様、先の医官には多少の責があれども、この猫はただ御屋形様の御怒りに触れ怯えてしまっただけ…どうか御容赦を。」

 すると當而は不機嫌そうにため息を吐きながらも、ニタリと嘲笑を顔に浮かべた。

「泥猫が泥猫を庇うか…ククッ、好きにしろ…ただし、次また儂の目についた時は殺す。」

 當而はそう言うと、幽幻の肩から苦無を無理やり引き抜き、傷口をバシンと強く叩いて大笑いした。

 幽幻は少しも声を漏らさず、部屋を後にする。


「まったくもう…バカな子たちねぇ、せっかく父様が場を律してくれてるってのにねっ」

 花魁姿の女性はだらしなく座り、長いパイプをぶらぶらと振りながら呟く。

「あれは妾の血が出て良くないわ、可愛くないのよ。」


 ~石見宗家 四女 盗掘部隊「夜盗虫」隊長~

石見(いわみ) 葛葉(くずは)


 葛葉の隣に座る洋服姿の若い女性は、その様子を見て苦笑いした。

「まあまあ姉様…幽幻はあれでも適合者の器なんだから、一応大事にはしてあげようよ、いつか仕返しされたら怖いよ、ね?」


 ~石見宗家 四女~

石見(いわみ) 蒲公英(たんぽぽ)


 すると幽幻と入れ替わりで、挨拶もそこそこに広間に氿㞑が入ってきた。

 氿㞑の後ろには、黒紫と銀の西洋鎧を着込んだ長身の騎士と、絶えず炎を上げる髑髏頭の岩肌の怪人が連れられている。

「おぉ…魔神どもか、此度の筵の様子はどんなものか?」

 當而が目を細めると、氿㞑は妙に恭しい態度で返答する。

「順調に進んでおりますよ、委細滞りなく…」


「今回は何だっけ?イナゴだったかしら…あれ強いの?」

 パイプの口を吸いながらぼやく葛葉に、氿㞑は目をジロッと向けて言い返す。

「正しくはトノサマバッタです…今回は彼らに『蝗害(こうがい)』を齎して頂こうと思いましてねぇ。」


 ──「蝗害」。

 相変異という特殊な現象を起こす、一部のバッタ類の大量発生により齎される災害のこと。


 通常緑の体色を有すバッタであるが、個体の密度が高い状況下で繁殖が行われると、黒い体色の個体が生まれるようになる。

 この個体は通常の個体と異なり群れを好み、臆病だった性格は凶暴かつ攻撃的なものへ変貌する。


 伸長した翅による移動力は驚くべきもので、異様な羽音を伴う黒い雲は、時に大陸から大陸へと大洋をも渡る。


 その食欲は凄まじく、農作物はもちろんのこと、紙・着物・家屋といった植物性ものは全て食い尽くされる。

 それどころか人や家畜の肉すらも食らい、飢えようものなら躊躇なく共喰いにも走る。


 群れが通った大地は丸裸の荒野と化し、荒野に産み付けられた無数の卵からは、やがて黒いバッタたちが再び孵る。


 黒い雲の行軍は、それまで続いていた戦争を勝敗・優劣に関わらず停止させ、時に政を混乱に陥れ王朝を壊滅させることすらあった。

 明末の農学者は、こう述べている。

「飢餓の主因は三つある。洪水、旱魃、そしてバッタである。」と。


 人々はその魔物とも言うべき昆虫を、恐れ、憎み、邪神の遣いと考えた。──


 ──────


 ─2031年3月13日 18:10頃─


 〔甲府藩 甲府市 東光寺二丁目 甲府市立東尋常中学校 校舎内〕


 思い出した。

 トノサマバッタといえば、ゲッコー師匠が昔に実験をしてみせてくれたことがあった。

 一匹だけで飼っていると、トノサマバッタは普通の緑色のまま…これを「孤独相(こどくそう)」という。

 でもぎゅうぎゅう詰めで飼っていると、トノサマバッタは黒色になる…これを「群生相(ぐんせいそう)」という。


 急いで目白にそのことを伝える。

「目白、思い出しました!昔実験したことがあります!」

「一部の種類のバッタは、群れると見た目が変わって凶暴になるんです!」


 目白は苦々しい表情をする。

「なるほどな…複数の個体が同じ場所に居るってのがトリガーになるなら、学校とワイナリーの筵が合体したことで変化したってことも頷ける。」

「季節外れのトノサマバッタの群れは、大名飛蝗の式神が何かというわけか…初めからこれが狙いだったのか…!」


《ドーン!とデッカい筵を一つ置くよりも、普通サイズの筵を二つ用意して…後からくっつけた方がデッカい筵を作りやすいってこと?変わったことするなぁ…》


「うおおォ〜!ガジッガジガジガジガジィッ!」

 高速で大顎を繰り出しながら、廊下を前進してくる大名飛蝗。

 僕と目白は二人がかりで立ちはだかり、剣で受け流しながら後退していく。


 このスピード、このパワー…さっきよりも数段上だ!

 この怪魔…かなり強くなってる!


「氿㞑の奴、俺たちを放つだけ放って、美味い餌はくれないって思ってたんだ…」

「でもそうじゃなかった!俺たちはようやく気付いたんだ!餌はそこら中にあるんじゃないか〜ッ!」

「腹が空いて空いて堪んねえ!もっとたくさん!もっと遠くへ!」


 ~丙種怪魔~

【大名飛蝗・兇群態(きょうぐんたい)


 ブウウウン!


 大名飛蝗は喚き散らすと、大きな翅を広げて跳び上がり、猛スピードで壁を突き破って校舎の外へ飛んでいく。


「に、逃げた…!?」

「いや、違うだろ…あれは合流しようとしてるんじゃないのか?もう一匹の大名飛蝗と…」

「もう一匹ってことは…それって…!」

「ああ…筵の合体が変態のトリガーになるっていうなら、恋雪の方でも既に同じことが起きていてもおかしくない。」

 バッタの群れは植物を求めて移動する…あの怪魔たちにも同じ習性があるとすれば、大名飛蝗はワイナリーに向かおうとしている可能性がある。


 すると蜜樹さんから、少し慌てた声で通信が入る。

《恋雪ちゃんのことなんだけど…さっきまで善戦してる様子だったけど、たった今通信機からの発信が途絶したわ〜ん…》

《上空視点のカメラからはバッタの群れに遮られて確認できないし、近くのドローンはバッタが絡まって動かせないのよ〜ん…》


「おそらく強さは丙種以上、しかも二匹を恋雪一人に相手させるのは危険だ…急いで恋雪と合流するぞ!」

 どっちが早く筵を解放できるか、なんて競争を持ち掛けられていたけど、今はそんなことを言ってる場合じゃない。


 恋雪さんを助けに行こうと、僕らが踵を返した時…夕闇を落とし込んだ廊下の向こうから、黒い骸骨の怪人が剣を片手に迫ってきていた。

「よぉ!水の剣士!…と、隣に居るのは雷の剣士かぁ?」

 空亡…!なんて間の悪いところで!

「遊ぼーぜ♫さて、どっちにしようかな?それとも、どっちもにしようかな?」

 蜜樹さんによると、筵どうしが繋がって拡大した部分には、逃げ遅れて閉じ込められている人もたくさん居る。

 それに恋雪さんだって向かうに居る…今、倒せるかどうかもわからない空亡に構ってる余裕なんてない。


 考え込む僕に対して、「おい、どーすんだよ?」と焦れったそうに待つ空亡。

 すると目白が僕の肩に手を乗せてきた。

「空亡は特種怪魔…今回任務にあたってる三人の中で段位が一番高いのは俺だ。」

 目白はふっと微笑みかけると、僕の肩をドンと押した。

「ここは俺が引き受けてやる…桜華、恋雪を頼むぞ!」


「はいっ!」

 特種を目白一人に任せるのは不安だけど、そんなことを言ってる場合じゃない。

「来て!イクチ!」

 僕はイクチを召喚すると、すぐさま乗って窓を突き破る。


「おい離脱かよ!シラける真似すんなって!」

 飛び出そうとする僕に空亡が斬り掛かってきたけど、寸前で目白が割り込んで止めてくれた。

「邪魔すんなよ…遊び相手は俺が選ぶんだぞ!」

 不満を述べる空亡に対し、目白は不敵に笑う。

「悪いがそいつは用事があってな…代わりに俺と踊ってくれないか?」


 目指すは東…シャトー酒折ワイナリー。

 待っててください、恋雪さん…!


 ──────


 ─2031年3月13日 18:20頃─


 〔甲府藩 甲府市 善光寺三丁目 上空〕


 編隊を組んで飛行する、無数の黒いバッタたち。


 バチバチという凄まじい羽音。

 地上を見下ろすと、さらに別のバッタの群れがあちこちの建物に群がり、建物がどんどん削れて無くなっていく。

 顔を上げると、向かい側から通りがかった小鳥の群れが、バッタの群れに飲み込まれて消えていく。

《ひえぇ…骨の髄まで一瞬で食べちゃうんだぁ…》

 筵の拡大地域では既に救助活動が始まっているらしいけど、人まで同じ目に遭っていないといいな…


「『鬼術・三十三番』」

「『翡翠に染まり 下界を拒め』」

「『刺蛾ノ繭(いらがのまゆ)』」

 全身に纏う棘状の防御壁。

 バッタの群れの攻撃力は思った以上で、しばらく触れた結果、聖鎧のあちこちに穴が空きそうな程の傷ができてしまった。

 本来ならば大群にはなるべく触れない方がいい、でも…


 この先に居る恋雪さんは、多少なりとも消耗しているはず。

 いくら僕が合流するとはいえ、丙種怪魔が二体揃ってしまうと、連携を取られてより劣勢に立たされる危険がある。


 群れの中を突っ切ると、見えてきたのは一際大きな一匹のバッタ。

 見つけた…大名飛蝗だ!

「『水龍奏術』…『水鞠・波繁吹』!」

 背後から翅目がけて放たれる水鞠。

 大名飛蝗はくるりと身を翻して躱すと、その場に留まったままこちらに振り返った。


「邪魔する気か!御庭番!」

「無論です…行かせるわけにはいきません!」


 ここで頭数を減らして、残る一匹は恋雪さんと二人がかりで対処する。


「ぐァ〜ブエェッ!」

 バッタの群れに混じって、大名飛蝗は黒い汁の塊を僕目がけて吐き出してくる。

「氿㞑から話は聞いてるぞ、お前は竜なんだよなぁ!なのに翼を開かない…いや、開けないんだろ!?だって翼を開いたら…俺たちに食い尽くされちまうもんなぁ!」

 バチバチとぶつかってくるバッタの群れを掻い潜ると、大名飛蝗が拳を作って突っ込んでくる。

「『水鞠・波繁吹』!」

 僕はギリギリでイクチを横に倒して避けると、すぐ後ろを向いて水鞠をさらに八発撃つ。

「『水鞠・槍ヶ竹』!」

 大名飛蝗はすぐに旋回してくる…僕は加えて三本、槍を練り上げて投げつける。

「『水鞠・羽根瓢(はねふくべ)』!」

 さらに水鞠を六個、ブーメランの形に練り上げて放つ。

「突っ込んで!イクチ!」

 そしてイクチの背を掴み、大名飛蝗目がけて猛スピードで突進させる。

《おおお〜!桜華くん大盤振る舞いだ〜!》


「そんなに撃って何になる!全部、見えてるぞ!どんなに速くても…どんなに多くても…全部、全部…!」

 飛んでくる弾に槍にブーメラン、そしてイクチを次々と躱していく大名飛蝗。


「そしてお前も…って、あれ?どこだ?どこへ行った?」

 大名飛蝗は辺りをキョロキョロと見回す。

 どこにも僕の姿が見当たらないようだ。


 それもそのはず。

 なぜなら僕が、大名飛蝗の背中の上に立っているからだ。

「複眼の強み…それは視野の広さと動体視力の高さ。」

 虫取りが好きだったのでよく知っている。

 バッタは後ろから急に飛び掛かっても、すぐに飛んで逃げてしまう。

 小さい頃、いつまで経ってもバッタを捕まえられずに泣いている僕に、夕斎様が教えてくれたのは…ゆっくり近付くというコツ。

「でも逆に、遅いものを捉えるのは苦手…そうでしょう?」

「僕はいたって普通の速さで、イクチから降りて、あなたの背中に飛び乗った。」

「あなたが水鞠やイクチの動きに気を取られていた、そのうちに…」


「う、ウソだ…そんな…」

 呆気に取られて身動きを忘れる大名飛蝗。

「王手です…『二巻読了』!」

「『水月・滝穿直下(りゅうせんちょっか)』!」

 僕は抜刀すると、その後ろ頸に力一杯水桜を突き立てた。


 ──────


 ─2031年3月13日 18:30頃─


 〔甲府藩 甲府市 酒折町 シャトー酒折ワイナリー〕


 ドスッ!


「あ゛ぅっ!」

 カランカランと音を立てて、地面に転がる乾坤圏。

 体のあちこちがジクジクと激しく痛む。

 だって今ボクは…バッタに食べられているから…


 勝てると思ってた。

 あとちょっとでトドメを刺せると思ったところで、バッタは突然黒くなった。

 ツイスターの駆動力は回転を続ければ続ける程青天井に上がっていくけど、一度回転を止めると最初からやり直し。

 なのにボクは、呆気に取られて回転を止めてしまった。


 そこから先はされるがまま。

 スピードにもパワーにもついていけずに、気付けば小さなバッタの群れに聖鎧を食い破られていた。

 下の服もどんどん食べられて、肌が露になったお腹や脚にもバッタが齧り付き始めた。


「い…いだ…っ!」


 痛い…痛い…

 ボク、このまま死ぬのかな…

 夕斎様に、せっかく拾ってもらった命なのに…


 光の一つもない暗い道を、ひとりぼっちでさまよっていた、あの頃を思い出す。

 怪魔に襲われるボクの前に、立ちはだかって守ってくれた、姫様と目白先輩。

 命が尽きかけたボクには、その姿は太陽みたいに眩しくて…だから御庭番に憧れた。


 聖剣に選ばれたボクは、一日でも早く御庭番として認められたくて…

 来る日も来る日も剣を振って、何匹も何匹も敵を倒した。

 姫様と目白先輩と一緒に。


 だから硯桜華が気に食わなかった。

 ただの野狸から御庭番になるために、ボクは必死に努力してきたのに。

 あいつは生きてるだけで賞賛されて、たった一日で当たり前のように御庭番衆に溶け込んだ。

 姫様も目白先輩もあいつの話ばかりするようになって、最新人として可愛がられるのもボクじゃなくてあいつになった。

 だからボクはあいつが心底憎かった。


 あいつは何も悪いことしてないのに。

 ボクが嫌なことしても怒らないのに。


 ボクがあいつに勝ってるところなんて一つもない…心のどこかでそう思ってたから、ボクは勝負を申し込み続けた。

 あいつに勝ちたくて、あいつからボクの居場所を奪い返したくて。


 そんなボクが一番弱くて醜いことに、今更気付いた。

 目白先輩はいっこうに助けに来ない…きっと向こうの筵でも、何か大変なことが起きてるんだ。

 くだらない張り合いにこだわって、任せてもらった仕事もできずに…ボクはこれから食い殺される。


 情けなくて、悔しくて、痛くて、怖くて…

 溢れてくる涙が、顔の傷にしみて痛む。


「う゛ぅっ…やだぁ…いだい…こわい…」

「しにだぐっ…ないっ…」


 いくら泣いても助けは来ない。

 ツンとした嫌な臭いとともに、大名飛蝗の大顎が開きながらボクの顔に近付いてくる。

 あぁ…終わりなんだ…

 キュッと目を瞑る。


 ドカッ!


「ぐええぇ!?」

 次の瞬間、大名飛蝗の大顎に何かがぶつかって、大名飛蝗が大きく吹っ飛ばされた。

 さらに水飛沫が何個も飛んできて、ボクの体にまとわりつくバッタを叩き落としていった。


「す…硯桜華…!」


 ボクの目の前に立っていたのは、ボクの嫌いなあいつだった。


 ──────


 ─2031年3月13日 18:32頃─


 〔甲府藩 甲府市 酒折町 シャトー酒折ワイナリー〕


 恋雪さんは仰向けに倒れ込んだまま、きょとんとした顔で僕を見つめている。

 聖鎧はおろか下の服もボロボロで、肌もあちこちバッタに齧られた痕がついている。

《恋雪ちゃん!ひどい怪我ね〜…待たちゃったわ〜ん…ごめんね…》

 蜜樹さんの言う通り、こんなになるまで待たせてしまった…本当に申し訳ない。


「恋雪さん…立てますか?」

 僕が尋ねると、恋雪さんは眉を下げて、声を張り上げた。

「な、なんでっ…!なんであなたは、ボクに優しくするんスか…!」

「ぼ、ボク!蹴ったり、悪口言ったり、清太を取られたって騒いだり、嫌なこといっぱいしたのに!」

「なんで怒らないんスか…!なんで助けてくれるんスか…!」

 ひどいことをしていた自覚はあったんだ…僕のことを嫌っているなりに、色々思うことがあったんだろう。


 僕は膝を立てて屈む。

「恋雪さん、僕はあなたと知り合ってからまだ二日しか経ってません。」

「何が好きで、何が嫌いとか、まだ何にも知りません。」

「でも恋雪さんも僕も、同じ御庭番衆の仲間です。」

「僕のことが嫌いでもいいんです…それでも僕は恋雪さんに御庭番として認められるように頑張りたいし、恋雪さんが危ない時は助けてあげたい。」


「なんで…?なんでぇ…?」

 ボロボロと涙を溢す恋雪さん。

「言ったでしょう?恋雪さんは仲間だから…それ以上の理由なんていらないです。」

 僕がそう答えてハンカチを差し出すと、恋雪さんは「うん…」と小さく頷いて、涙を拭いながら僕の手を取って立ち上がった。


 恋雪さんはぶるぶると首を横に振り、両手で顔を叩くと、先程とは打って変わって勇ましい顔で僕の方を向いた。

「ありがと…桜華!あの怪魔、一緒に倒そう…!」

「はい!…そうだ恋雪さん、僕に考えがあるんですが…」

「ふぇ?なんスか?」


 僕が恋雪さんに耳打ちしていると、ひっくり返っていた大名飛蝗から突然何かが勢いよく伸びてきた。

 僕はすぐさま水桜を抜き、それを斬り落とす。


「ぎゃあぁっ!なんでわかったあぁ!?」

 腹を抱えて悲鳴を上げる大名飛蝗。

「中学校にいたあなたの仲間が同じことをしてきました…バッタは土の中に産卵するために、腹の先端を伸ばせるんですよね。」

「へ、へぇ〜!そうだったんスか!ボクもさっき急に伸びるあれにやられたんス!桜華は物知りッスね…」


 大名飛蝗は息荒く大顎をガチガチ鳴らし、翅を大きく開き、僕らに向かって飛んでくる。

「痛い!痛い!痛い〜!おのれ御庭番共!この腹の傷はぁ…お前らを骨の髄までしゃぶり尽くして癒してやるよぉ!」


「行きますよ!恋雪さん!」

「わかったッス!」

 僕が水鞠を恋雪さんに貼り付けると、恋雪さんは駆け出し、神威を拾って再び縦に回転し始める。

「わははは!遅いわ!知ってるんだぞ御庭番…その程度の回転じゃ、俺の甲殻は斬れねーよ!」


「それはどうでしょうか…『水龍奏術』!」

 恋雪さんに貼り付けた水鞠の加圧を解除し、一気に水を噴射させる。

 ジェット噴射の勢いに乗って、恋雪さんの回転は一気に加速する!


 恋雪さんの回転は瞬く間に目にも留まらぬ速さとなり、飛んでくる大名飛蝗の顔へと跳ねる。

「『一巻読了』!」

「『烈風剣舞(れっぷうけんぶ)円転(えんてん)』!」


 ギャリリリリリィッ!


 回転する刃は大名飛蝗の眉間に当たり、激しい摩擦音と火花を立て…

「おりゃああああっ!」

 そのまま深く刺さり込み、すれ違い様に胴体を真っ二つに斬り分けた。


【丙種怪魔 大名飛蝗・兇群態】

 ─成敗─


《おおお〜!ブラボ〜!見事な連携プレーよ〜ん!あっぱれ〜♡》


 ──────


 ─2031年3月13日 18:35頃─


 〔甲府藩 甲府市 東光寺二丁目 甲府市立東尋常中学校 校舎内〕


 ギン!ギン!ギイィン!


 廊下に響き渡る、剣と剣がぶつかり合う音。

 通信機はさっきから調子が悪いのか、御袋からの通信が聴こえない。


「おいおいどうしたぁ?息切れしてきてんじゃねーのか?ほら!ほらほら!」

 空亡の剣撃は、俺が受け切れない程重いものじゃない。

 問題なのは…こいつと戦い出してから、妙に強い倦怠感を覚えていることだ。


「はぁ…はぁ…流石は特種ってとこか…」

 本当に息切れしてきた…まずいな…


 俺のソウルは「神姫雷蜂(ブリッツ・ヴィーナス)」、自身の魔力を筋肉に通すことで電気を生み出せる。

 放電による雷撃はもちろん、全身に電流を流すことで移動・攻撃のスピードを加速できる。

 特に後者は重要で、俺の得意とする高速戦闘の生命線となる。


 燃費はそれ程良い訳じゃないが、蜜柑の炎獅子演武ほど悪い訳でもない。

 今の電力消費ペースなら、少なくともあと1時間は魔力が保ったはずだ。

 そのはずが…もう既に、電力を一定に保てないラインまで魔力が減ってしまっている。

 大名飛蝗との戦闘を合わせても、戦闘開始からまだ30分強しか経ってないぞ。


 空亡はふらつく俺の様子を見て、せせら笑いを溢す。

「ヘヘッ、なかなかやるじゃねーか!筆頭以外でもサシでやり合ってここまで粘る奴がいるなんてなぁ…あんまりワクワクさせんじゃねーよ…!」

 この倦怠感、当然ながら単なる疲労な訳がない…こいつの能力か…?


 空亡の苛烈な攻撃は止まらない。

 太刀筋はめちゃくちゃで、まるで心得が無いように見えるが…それが却って攻撃の読みづらさに繋がっている。


 ガキイィン!


 度重なる剣撃の応酬は、俺が剣を水平に構えて空亡の剣を受け止める形で停滞する。

「…残念だな、そろそろダメそうか。」

「じゃあ教えてやる…俺のソウルは『パラサイト・イヴ』。内容は簡単、俺の攻撃に当たった奴はどんどん魔力をムダ遣いするようになって、そのうちヘロヘロの骨抜きになっちまうのさ。」

 こいつ、能力効果を宣誓しやがった…

 魔術には、リスクを負う程リターンが大きくなる「トレードオフの原則」がある。

 自分の能力の内容をペラペラと喋って公開することは、相手に対策を講じさせるデメリットを背負って、能力の作用を高めるメリットを得ることに繋がる。


 そして倦怠感と魔力不足の理由もわかった。

 確かにこれまでの応酬で攻撃は何度か貰ってる。


 空亡は俺を廊下の突き当たりの壁へ蹴飛ばすと、剣の鋒で床をなぞりながら詠唱する。

「『啜り上げろ…魔剣・“渦虫(うずむし)”』」

 始令だ…空亡の剣の刀身は赤黒い炎と電撃を纏い、バチバチと鳴り始めた。


「行くぜ…『ディザストル・スライダー』!」

 空亡は床をこちらに向かって前転跳びし、勢いよく低空を水平に薙ぐ。

 赤黒い斬撃が壁を抉りながら迫ってくる…まずいな、もう避けられないぞ…


 その時、通信が回復したのか、御袋の喧しい声が耳に響いてくる。

《目白〜!大丈夫〜!?今さっき桜華くんと恋雪ちゃんが怪魔を倒したの!筵はこれで二つとも解放よ〜ん!だから目白は無理しないで…》

「そうか…それじゃあ…俺も負けてられないな。」


 一瞬完全に狐へ獣化し、全力で身を屈めて斬撃の下を掻い潜る。

「あん?当たってねぇ…どこ行きやがった?」

「ここだよ…骸骨は見た目通り節穴って訳か?」

 獣化を解いて空亡の足元へスライディングすると、空亡の右手首を霆喘で打って剣を叩き落とす。

「くそっ…もう発電できる魔力なんてほぼ残ってねぇだろ!」

「そうだな…もう残ってねぇよ…」


「お前が教えてくれたから、俺も教えてやる。」

「俺の雷撃には2種類ある。」

「一つは、自分自身の魔力から生み出す、通常の電撃『若雷(ブリッツ)』。」

「もう一つは…相手の魔力から生み出し、その魔力量に応じて威力を増す電撃『伏雷(トゥルエノ)』。」


 空亡の足を蹴り払い、素早く抜刀しながら振り返り…

「『一巻読了』…」

 宙に浮いた空亡の各部を、精一杯の全速力の片手突きで、滅多刺しにしていく。

「『(トゥルエノ)()(デスペラード)』!」

 そして…


「楽しかったぜ…それじゃあな!」


 ドヒュウウゥン!


 全体重を乗せた、金色の電光を放つ最後の一突き。

「うぅっ…ぐあぁっ…!」

 空亡の体は大穴を空け、その場で黒い煙を上げながら消滅していった。


《うわあああ〜!目白〜!す、すごいわ目白…特種を…特種をやっつけちゃったわ〜ん!流石は私の愛息子よ〜ん♡》


 空亡が消滅した場所には、「空亡」と書かれた赤黒い術巻が落ちていた。

 俺が拾い上げようと近付くと…


 次の瞬間、銀の籠手が割り込み、サッと術巻を拾い上げた。

「誰だ…!?」

 見上げるとそこに居るのは、腰に黒紫の太刀を差した、長身の西洋鎧を着込んだ鎧武者。

「お前は…!」

 俺はこいつを知っている…こいつは…!

《目白!気持ちはわかるけど危険よ!お願いだから退いてちょうだい!》


 鎧武者は術巻の銘を見つめ、次に瞬きした瞬間には姿を消していた。


「退くも何も…どっか行きやがったよ…」

 あの異様なバッタの羽音はもう聴こえない…天井に空いた穴から月灯が差す中、俺は鎧武者の居た方向を見つめ、拳をグッと握りしめ続けていた。


【特種怪魔 空亡】

 ─成敗─


 ──────


 ─2031年3月13日 19:00頃─


 〔甲府藩 甲府市 酒折町 シャトー酒折ワイナリー〕


 辺りはすっかり暗くなり、空には満月を少し過ぎた月が浮かぶ。

 僕は目白と恋雪さんと一緒に、ギッシャーに揺られて帰城の途についていた。


《みんなお疲れ様〜!今夜は本当に大変だったわね〜ん…帰って報告したら、即医局へGOよ〜ん!》

「わかってるよ…傷に響くからちょっと音量下げてくれ…」

《そんな〜!良薬は口に苦しって言うじゃな〜い?》

「それは口の話であって耳の話じゃないだろ。」

 目白と蜜樹さんのやり取りにクスッと笑っていると、正面の席に居る恋雪さんが僕の裾を引っ張ってきた。


「その…今日はありがとう…」

「あと、一昨日からいっぱいひどいことして、本当にすみませんでしたっ…!」

 恋雪さんはもじもじしながらも、僕の目を見て感謝を述べると、さらに深々と頭を下げて謝罪を述べてきた。


「いいんですよ、恋雪さん…それよりも、まだ僕のことは嫌いですか?」

 僕が尋ねると、恋雪さんはパッと顔を上げて、慌てて首を横に振った。

「も、もうそんなことないッス!む、むしろ好きになっちゃった…かもッス…」

 恋雪さんは頬を赤らめ、ネックガードに顔を埋めながら、こちらをチラチラ見てくる。

「そ、その…これからあなたのこと、『桜華先輩』って呼んでもいいッスか?」

 え…先輩!?

 隣に座っている目白も、少し驚いた様子だ。


 ぽかんと口を開ける僕に、恋雪さんは不安げな顔をする。

「だ、だめッスか…?」

 僕はすぐに気を取り直し、笑ってみせる。

「いいですよ、恋雪さん。」

 僕がそう許しを告げると、恋雪さんはパァッと目を輝かせ、体を上下に揺らして喜んだ。

「わぁい!やった〜!じゃあこれからよろしくッス!桜華先輩!」

「あ、あとボクのことは『恋雪』って呼び捨てにしていいッスからね!」

「あと、あと!後で棗さんの食堂行きましょ!一緒に清太をい〜っぱい食べるんス!」


「あ、ありがとう恋雪…でもまずは報告と受診ですからね?」

 鼻息荒く矢継ぎ早に捲し立てる恋雪に、目白は本日何回目かもわからないため息を吐くのだった。

「引き続き適度に流せよ、桜華…恋雪は懐いたら懐いたで喧しいからな…」


 図らずして仲直り?を果たした今日。

 傷だらけだけど、廿華やゲッコー師匠に良い報告ができそうな一日になった。


 ──────


 ─2031年3月13日 21:00頃─


 〔所在不明 石見宗家本拠地〕


 蝋燭の灯りが点々と照らす、真っ暗な書斎。

 その中で氿㞑は、空亡の術巻のボタンを押す。

 すると術巻は黒い煙を噴き出し…みるみるうちに、空亡の体が構築されていった。


「ぶぁっ!くそ〜!負けた〜!」

 空亡は不貞腐れた様子で、近くにあるソファーに突っ伏す。


「今回の筵もまた“成功”…順調に進んでますねぇ、このままいけばそう遠くないうちに“道”を開ける時も来るでしょう。」


 椅子に座った氿㞑はフッと笑い、本棚の前に立っている鎧武者の方を向く。


「その時はお願いしますよ?」


「魔神・『虹牙(こうが)』…」


 〔つづく〕


 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

〈tips:聖剣〉

 聖剣No.10

烈風剣(れっぷうけん)・『神威(かむい)』】

 世界の楔となる20本の聖剣の一振で、風の聖剣。

 現在の所持者は狗神恋雪。

 始令は「疾風怒濤・風巻けよ〜」。

 半径50cm程の2枚の乾坤圏で、翡翠色の刀身に動物や昆虫の浮絵が彫られている。

 周囲の空気を巻き込んで旋風を起こす能力があるほか、動植物の言葉を翻訳して所持者に伝える機能を持つ。

 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─


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― 新着の感想 ―
恋雪ちゃん無事に生還できたし、仲良くなれて良かった…! やっぱりお互いの能力を活用した合わせ技は滾りますね!!バトルもので合わせ技が来るとやっぱりテンションが上がる。しかも喧嘩(一方的だけど)していた…
目白くんつよ〜い! 大丈夫?負けフラグとかケガとかしない?って心配したけど、杞憂でなによりだ 蝗害って、文字だけ見るとカッコいいけど、実際はマジの地獄絵図なのよね…昔見た映像を思い出してしまった……
更新ありがとうございます!今回も読み応えが最高だった… やっぱり協力型で、敵を倒していく戦闘いいですね。風は割と炎も電気も、水も相性が良さそうだから恋雪ちゃんが本当に合っているのかも…!しかも恋雪ちゃ…
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