#25 戮力 序「風の聖剣と狗神恋雪」
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。
此処はその天領、甲斐国・甲府藩。
豊かな水と緑を湛えるこの地は今…
その一割を「彼岸」に蝕まれている。
序 ~風の聖剣と狗神恋雪~
僕は硯桜華。
甲府御庭番衆隊員で、藩校に通う中等部七年生。
一昨日は初めて乙種怪魔の討伐任務にあたった。
廿華と雲母くんを食べられてしまい、一時はどうなることかと思ったけど…僕と蜜柑の奮闘の末、どうにか救出に成功した。
怪魔の方はというと…盾の筆頭・晶印さんが、魔術戦の極致・極ノ番を以て叩き潰した。
圧倒的な強さ・豪胆で面倒見の良い人柄・頼れる母親としての一面…一日で晶印さんのいろんな姿を見ることができた。
あれが筆頭…カッコよかったな…
僕がお父様の背を追いかけるその先には、あんな姿があるのだろう。
まだまだ僕は御庭番衆の新参者だけど、いつかはあんな風に強くなって…
そして、お父様に到達するんだ。
──────
─2031年3月13日 07:30頃─
〔甲府城 鍛冶曲輪 音響室〕
鉄の匂いが漂う蔵の中。
仄暗い室内を橙色の灯が照らす。
真っ黒な金床の上に置かれた水桜。
その刃に、小指程の小さな金槌が打ち付けられ、静まり返った部屋に蚊の羽音のような高く細い音が響く。
キイィーン…
水桜の刃に聴診器のようなものを当て、目を閉じ耳を澄ませる国音さん。
しばらくすると目をパチッと開き、水桜を布越しに抱えて鞘に戻すと、丁寧に僕に手渡した。
「うん…いい音だ…♫」
「待たせたな、今回の点検はこれで終わりだ。」
国音さんは筆頭の一角を務めながら、僕たち御庭番の聖剣の検査・修復などを担う特殊な鍛冶職人。
いわゆるメカニックだ。
任務が終わる度、僕たち御庭番は国音さんに聖剣の調子を見てもらっている。
さっきの作業は「玉響」と呼ばれるもので、月一回の聖剣の定期点検時に行われる仕上げの検査。
あの小さな槌は特別なものらしく、あれで叩いた反響音を聴くことで、国音さんは聖剣の「心の声」を聴くことができるらしい…
聖剣は持ち手としか会話ができないけど、玉響をすると国音さんにも聖剣の声が聴こえるのかな?
「御庭番に入ってからもう一週間以上経つのか…早いな、あまりに早い。」
「調子はどうだ?お前を取り巻く環境は目まぐるしく変わっているが、ついて行けず苦しいことはないか?」
国音さんは心配そうな声色で、僕との間に衝立を置いて話す。
国音さんはとても神経質な人で、昔から人と目を合わせて話すのがとても苦手だ。
だからこうして衝立を置いたり、手を前に出したりして、相手からの視線を遮りながら話す。
流石に会議の時はそうもいかなくて、そういう時は必死に我慢して人と目を合わせて話すらしいけど…
僕に思い出してもらえた時は、嬉しさのあまり恥ずかしさを忘れてたらしいけど、その後すぐに今と同じ状態に戻っていた。
10年前から変わらずシャイなままなんだなぁ…
背が高くて仏頂面で、ちょっと怖く見える国音さんだけど、その人柄は甲府藩の家臣団の例に漏れず心優しい。
特に国音さんの場合、御庭番に加入・藩校に編入…といきなり僕の生活環境が大きく変化したことを気に掛けているようで、よく調子は問題ないかと声を掛けてくれる。
自分自身が神経質で、環境変化に弱い性格だからこそ、激動の中にいる僕のことが心配なのだろう。
「正直とっても忙しかったですけど…もう落ち着きましたし、ちょっと疲れましたけど…別に体を壊す程じゃないですよ。」
僕の返答に、国音さんは少しほっとしたのか小さくため息を吐く。
「そうか、ならいいんだ…その、お前はなにかと菫さんの面影が強くてな…どうしても心配になってしまう。」
お母様はとても体が弱く、それでいながら何事も自分から進んでやろうとするし、辛いことは我慢する性格だったそうだ。
髪の色といい、顔立ちといい、振る舞いといい…僕はどうやら母親似らしく、どこへ行っても「菫様を思い出す」と言われる。
国音さんもまた、僕にお母様の姿を重ねているのかな。
「さて、今朝はまだ軽食しかとっていないし、食堂に行くとするか…」
道具を置いて手袋を脱ぎ、戸口へ歩いていく国音さん。
僕が藩校に間に合うよう朝早くから点検に対応してくれていたけど、やっぱりちゃんと朝ごはんを食べてなかったんだ…僕は国音さんに促されて、点検の待ち時間のうちに食堂で朝食を済ませている。
ゴンッ!
「えっ、国音さん!?」
聖剣を腰に差し直す途中、鈍い音がしたので思わず振り返ると、国音さんが額を押さえて屈んでいた。
出入口の戸の高さは、国音さんの身長よりも少し低い…頭をぶつけてしまったみたいだ。
「ぐうぅ…痛い…」
痛そうなところ申し訳ないけど、そんなドジなところも国音さんらしいなと思い出し、僕はクスッと笑ってしまった。
──────
─2031年3月13日 07:40頃─
〔甲府城 鍛冶曲輪〕
国音さんに続いて、建物から外に出た時のこと。
「とりゃあぁっ!」
甲高い声とともに、真横から揃った両足が僕目がけて飛んできた。
「うわあぁっ!?」
突然の攻撃を僕は避けきれず、そのまま押し倒されてしまう。
顔を上げるとそこに居たのは…僕より一回り小さい、頭に大きなリボンをつけた女の子。
頸にはネックガードを巻き、ボウタイが垂れ下がったシャツを着ている。
そして背中には、直径50cm程ある円盤状のバッグを背負っている…何が入ってるんだろう?
「硯桜華〜っ!逃げるな臆病者っ!」
女の子は座り込む僕の前を睨み付け、仁王立ちになって声を上げる。
この子は狗神恋雪さん。
僕が行方不明になっていた十年の間に、御庭番衆に加入した隊員の一人。
年齢は僕より二歳下だけど、御庭番としては先輩にあたるから「さん」付けで呼んでいる。
【狗神 恋雪】
~甲府御庭番衆 隊員~
「ほら!ここに果たし状だってあるんスよ!武士なら正々堂々勝負を受けるッス!」
恋雪さんは「果たし状」と書かれた書状を片手に、僕にずいっと顔を寄せる。
恋雪さんと初めて会ったのはつい昨日のこと。
昼頃に天守広間で顔合わせとなり、挨拶こそ行儀良くしてくれたものの…直後に僕に対して、凄い剣幕で勝負を申し込んできた。
恋雪さんは蜜柑と目白からよく可愛がられてきたらしく、二人にとても懐いている。
それが二週間にわたる江戸研修の間に、見ず知らずの人間が突然御庭番に任命され、しかも二人と親密にしていると聞いたのだ。
恋雪さんからすれば、ぽっと出の何処の馬の骨ともわからない輩が知らないうちに同僚となり、自分から蜜柑と目白を奪っていったわけだから…反感を抱かれても仕方ないとは思う。
とはいえ恋雪さんの追走はなかなかに執拗で、城や藩校のどこに居ても突然乱入してきては、勝負を申し込んでくる。
昨日は学年混合の体育授業で卓球勝負を持ち掛けられたし、食堂では早食い勝負を持ち掛けられた…とにかく僕と勝負したがるのだ。
不毛な諍いは嫌いなので、その度に僕は誤魔化しては躱しを繰り返してきたけど、そうこうしていたら二日目で果たし状を書くまでに発展してしまった。
すると後ろから国音さんの長い腕が伸びてきて、恋雪さんの手から果たし状をすっと取り上げる。
「恋雪…単なる競走の範疇ならまだしも、城内での明確な決闘行為は禁則事項だ。」
国音さんの顔あたりの高さまで持ち上げられた果たし状に、恋雪さんは手を伸ばしながら懸命にぴょんぴょん跳ねる。
「あーっ!せっかく書いたのにーっ!」
国音さんの身長は190cm台後半…届こうはずもない。
──────
─2031年3月13日 08:30頃─
〔徽典館 本館2F 7-1教室〕
「…という具合です。」
蜜柑と目白に事の経緯を話すと、二人は揃って眉を下げた。
「あらら…恋雪ちゃん、桜華くんにやきもちを焼くんじゃないかなとは思ってましたが、まさか果たし合いを申し込むとは…」
苦笑する蜜柑。
「昨日の今日でそこまでエスカレートしてたのか…桜華、他に何か変なことはされてないか?」
目白は呆れたようにため息を吐きながら、僕に問いかけてくる。
「いえ…『風弥様の息子なのに風魔法を使えないとはどういうことッスか!』と怒られはしましたが、それ以外は特に何も。」
僕の返答に目白は、今度は呆れと安堵が混じったようなため息を吐いた。
「あんまり余計なことはしてなくて良かったと言いたかったけど、“言いやがった”な…」
風の筆頭として名を馳せたお父様の息子であるにもかかわらず、僕の能力は「風」ではなく「水」。
皆んな僕が生きていたということに気を取られて忘れがちなのか、それとも敢えて気を遣ってツッコまずにいてくれてるのか…どっちかわからないけど、とうとう指摘されてしまったという感じだ。
小さい頃は確かに普通に風を使えていたんだけど、十年前の甲州事変を境に僕のソウル能力は今の水龍奏術になっている。
十年前の甲州事変では、石見家の群勢が遺物兵器を使って市街地に攻め込み、その際に甲府市街には大量の浄化瘴気が撒き散らされた。
当時甲府市街に居た人々には、顕著に高い割合でソウル使いがみられる。
その多くが、生まれつきではなく後天的にソウル能力を得た人…つまり、魂に変異をきたす浄化瘴気を浴びた影響というわけだ。
仙太や琳寧、天貝先生なんかがそれに当てはまる。
さらに浄化瘴気は、生得のソウル能力にも影響することがある。
もしかしたら僕も、あの時に大量の浄化瘴気に晒された影響で、ソウル能力が変異したのかもしれない。
でも、お父様と同じように風を操れないこと自体は、僕はそこまで気にしていない。
すっかり慣れてしまったというのもあるけど…もともと水遊びが好きな僕にとっては感覚的に扱いやすく、個人的にはカッコいいとも思っている。
お気に入りの能力だ。
…
でも甲府の人々の心の奥底には、「硯風弥の息子ならば風を操れるだろう」という期待があるはずだ。
能力のことはどうしようもないけど、僕は皆んなの期待を裏切っていながら、随分平然としているんじゃないのか。
御庭番に入ったことだってそうだ。
まるで恋雪さんが悪者のような話の流れになっているけど、僕はそれが正しいとは思わない。
確かに四六時中勝負を申し込んでくる恋雪さんの行為は困ったものだけど…その動機は、僕という「異物」が突然御庭番衆の中に居座り出したことにある。
僕の居ない十年の間に加入した御庭番にとっては、僕はこれまで見ず知らずだったはずの赤の他人。
恋雪さんが拒絶反応を示すのも無理はないし、そこまで否定される謂れはどこにもないだろう。
目白は「相手にするな」と言ってくれるけど…僕はそれを口実に逃げているだけで、本当はちゃんと恋雪さんと向き合わなきゃいけないんじゃないのか。
甲府の人々は、優しい人ばかりだ。
そして僕は、その優しさ海の中を、流れに身を任せてぷかぷかと浮かぶだけ。
それじゃまるで…
「…クラゲみたいですね、僕。」
思わず僕は口にしてしまった。
「くらげ…ですか?」
きょとんとする蜜柑。
「お前…また何か一人で考え事してるだろ。」
ジトッと目を細める目白。
どう誤魔化したものかと焦っていたら、直後に天貝先生がHRを始めに教室に入ってきたおかげで、ひとまず会話はお開きになった。
僕は今のままでいいのだろうか。
──────
─2031年3月13日 16:00頃─
〔甲府城 本丸 棗食堂〕
「ほ〜ら桜華くん、あんたの大好きな清太だよっ!」
味噌と砂糖の煮詰まった、甘く香ばしい匂い。
木机の上に差し出されたのは、大皿にドサッと盛られたじゃがいもの煮っ転がし。
これは「せいだのたまじ」。
この時期に出る小ぶりの新じゃがを、味噌や砂糖で煮っ転がした、甲府の郷土料理だ。
芋のほくほくとした食感と素朴な甘さに、味噌と砂糖の濃厚な甘辛さが絡んで、頬っぺたが落ちてしまいそうなくらい美味しい。
「桜華くんといえば清太だもんねぇ〜、ほんとよく食べてたけど、今も好物なんてまあ可愛いことだわ。」
このおばさんは棗さん。
本丸にて甲府藩士たちの胃袋を支える「棗食堂」の主だ。
普段はカツやカレーといった、庶民的で腹持ちの良いメニューの並ぶ定食屋をやっているけど、実は料理ならほとんど何でもできるらしい…
壁に掛けられた賞状の数々が、ただの食堂のおばちゃんに収まらない実力を窺わせる。
「いっぱい食べるんだよ〜?」
【一色 棗】
~甲府城 給仕長~
「こ…こんなに貰っていいんですか?」
思わず伸ばした箸を寸前で止め、棗さんの顔を伺うと、棗さんは腰に手を当て笑った。
「いいに決まってるだろう?あんたはお父さんに似てよく食べる子なんだから、こんなにたくさん作ってやったんだよ!ほらほら遠慮しない!」
それならばと喜んで再び箸を伸ばそうとした次の瞬間、恋雪さんが天井から降ってきた。
「逃げるな硯桜華〜!…って、あーっ!?それよく見たら、清太じゃないッスか!しかもたくさん!なんで独り占めしてるんスかぁ!?」
頭に狸の耳を出し、あんぐりと口を開ける恋雪さん。
しまった、もしかして恋雪さんもこの料理が好物…!?
「ひ、ひどいッスよ!ボクから姫様と目白先輩を奪った挙句、清太まで奪うなんて!あんまりッスよ〜!」
恋雪さんは僕の肩を掴んで、ぐらぐらと揺らしながら喚く。
「そ、そんなこと言われましても…清太に罪はありませんっ!」
違う、反論するのはそこじゃない。
すると調理場から棗さんの声が響いてきた。
「恋雪ちゃんも来たの〜?あんたの分も清太作ってあげるから、待ってなさ〜い!」
すると恋雪さんは抗議をピタリと止め、ムスッとした顔で背筋を正した。
「棗さんに感謝するッス…今回はこれで収めてやるッスよ。」
思わぬところで地雷を踏み抜いてしまったけど、棗さんの鶴の一声のおかげでどうにか事なきを得た。
──────
─2031年3月13日 17:00頃─
〔甲府城 天守広間〕
清太の一悶着から一時間後、僕と恋雪さんは唐突に天守広間に呼び出された。
厚畳には夕斎様とアズマ様、続いて上座には国音さん…晶印さんは十一連勤もしたので今日は休みらしい。
下座には僕と恋雪さんに加え、蜜柑と目白が居る。
そして脇には蜜樹さんが控えている。
夕斎様が口を開く。
「集まってくれたな…早速要件から言おう、筵が発生した。」
すると恋雪さんが手を挙げて小さく跳ねる。
「よーし!それじゃあ早速やっつけに行こうッス!」
すると目白が恋雪の伸ばした腕を軽く引っ張り、窘める。
「こら、ちゃんと話は最後まで聞くんだ。」
夕斎様の話では、今回の案件は市街地で二件同時発生…一つは東光寺二丁目・甲府市立東尋常中学校、もう一つは酒折町のシャトー酒折ワイナリーとのことだ。
いずれの筵もこれまでの筵に比べ小さく、現在のところ域内での怪魔出現は確認されていない。
現場の同心たちからの報告によると、簡易魔力測定による推定脅威度はどちらも丙種。
出動隊員には目白と恋雪さん、そして僕が指名された。
「怪魔は謂わば芽の段階…早期に潰し、被害を最小限に抑えるのだ!」
夕斎様の一声に、一同は「はっ!」と手をつき答える。
そして各々が出動のため部屋を出ていこうとした時、夕斎様は恋雪さんに一言声を掛けた。
「恋雪よ…桜華のことを受け入れきれぬことは承知しておる、だが此度は…」
そう言いかけたところで、恋雪さんは夕斎様の言葉を遮る。
「ボクは硯桜華のことは御庭番としてなーんにも認めてないッス…でも、だからって夕斎様の命令に逆らうわけないッスよ!」
ストレートに認めてないことを明言されるのは、けっこう胸が痛むな…
でも僕との同担に嫌な顔は…してたけど、文句の一つも言わずに引き受けるところには、十二歳と若いながらも御庭番としての分別と責任感がある。
《それじゃあ任務スタート!いっくよ〜ん♫》
蜜樹さんの通信が入電すると同時に、ブルルンと音を立てて発信するギッシャー。
東光寺二丁目の学校に出現した第一の筵には閉じ込められた人は居ない一方、酒折町のワイナリーに出現した第二の筵には十数人が閉じ込められているらしい。
僕らの乗るギッシャーは、まず第二の筵のある場所へと急行する。
恋雪さんは移動中、ずっと頬を膨らませて窓の外を向いたまま喋らなかった。
──────
─2031年3月13日 17:20頃─
〔甲府藩 甲府市 酒折町 シャトー酒折ワイナリー〕
「『鬼術・二十番』」
「『天ノ戸開き 月夜もすがら 静かに拝む 天岩戸を』」
「『岩戸神楽』」
ここは甲府盆地を見渡せる、高台のワイナリー。
青黒い山並みを背に、煉瓦造の三角屋根の建物が出迎える。
甲府藩は言わずと知れたブドウの名産地で、甲州ワインをはじめに多彩なワインが醸造されている。
藩内のワイナリー数は約九十社にも上り、他藩を圧倒して全国一位。
シャトー酒折ワイナリーも、そんな数あるワイナリーの一つだ。
目白の詠唱とともに、筵の壁に大きく開く穴。
筵内の様子は特に外と変わらず、四叉野槌の霧のような不審な物体も見受けられない。
「既に大分日が傾いてきてる…救助要請はすぐそこの建物内部からだ、さっさと助け出すぞ。」
目白の言葉に僕と恋雪さんは黙って頷き、建物へと足を運ぶ。
《んん?三人ともちょっとストーップ!三時の方角から高速接近反応!何か来るわよ〜ん!》
蜜樹さんの通信を受けて真横を向くと、山の斜面を何か黒い影が高速で駆け降りてくる…
すぐに僕らが飛び退くと、黒い影は地面にドンと音を立ててぶつかり、土煙を上げた。
土煙の中から出てきたのは…緑色の巨大なバッタの姿をした怪物。
胸からは三対の人間のような太い腕と脚が伸び、後ろ二対の脚で立っている。
怪物は長く伸びた触角を揺らしながらこちらに振り向くと、黒い瞳をじっと向けて四対の腕をだらんと下ろし、大顎を開いて気怠げに言葉を発した。
「はあぁ…氿㞑からはここに来た侍を襲えって命を受けたけど、襲ったところで餌になるわけじゃないんだよな…」
~丁種怪魔~
【大名飛蝗・青】
「バッタってテキトーに何か草放り込めば食べるんじゃないんスか?」
恋雪さんが上目で首を傾げると、大名飛蝗は恋雪さんの方へ勢いよく振り向き、両手で指を突きつけて猛抗議した。
「はいそこ偏見〜!俺たちにだって餌を選ぶ権利はあるんだよっ!お前らがそこらへんの草じゃなくて野菜を食べるように、俺たちだって稲の葉を食べたいんだよっ!」
「餌の選り好みか…結構知能が高いな、確かに丙種以上はありそうだ。」
冷静に分析する目白に対し、恋雪さんはムキになって言い返す。
「うるさーい!虫ケラごときが餌の文句なんて言うな〜!ぶちのめしてわからせてやるッス!」
恋雪さんはそう言うと、背中のバッグを下ろし、中から翡翠色の円盤を二枚取り出す。
真ん中にはドーナツのように大きな穴があり、刀身には網目の紋様とともに様々な動物や虫が描かれている。
「それは…?」
僕が口に出した疑問に、すぐ目白が答える。
「『烈風剣・“神威”』…中国に伝わる打撃武器・乾坤圏の姿をとる、風の聖剣だ。」
恋雪さんは「隠神忍法帖」と書かれた緑色の術巻を取り出すと、神威の片方の持ち手にあるスロットに入れる。
「『忍風』!」
そして武装の呪文を唱えると、緑色の旋風が全身を覆い、瞬く間に翡翠色の忍び装束のような聖鎧へと変化した。
頸には二本の若草色のマフラーが巻かれ、膝下くらいの長さまで伸びている。
さらに恋雪さんは乾坤圏を斜めに構え…
「『疾風怒濤・風巻けよ“神威”』!」
辺りからビュウビュウと風が巻き起こり、土煙は渦を作りながら、翡翠色に強く発光する乾坤圏へと巻き込まれていく。
〈神威疾走!伊予嵐遁の乾坤圏が、電光石火の忍術で宵闇を駆ける!〉
~烈風剣~
【神威】
じっ…
シャキンッ!
次の瞬間、恋雪さんはクルッと振り返り、左手に持った乾坤圏を僕に向ける。
「えっ?」
思わず間抜けな声を漏らす僕を、恋雪さんはキッと睨んで宣言する。
「硯桜華!勝負するッス!」
ま、また!?
しかも、よりにもよって任務中に!?
「作戦ではボクがこっちの筵を解放して、そっちは向こうの筵を解放する…それなら、どっちが先に早く筵を解放できるか競争するッスよ!」
「御庭番としてボクに認めてもらいたくば、ボクを越してみせろッス!」
「やめろ恋雪、桜華と張り合うな!」
そんな目白の制止もどこ吹く風、恋雪さんは「いくぞ〜!」と元気よく大名飛蝗に飛び掛かっていった。
額に手を当てため息を吐く目白。
僕も困惑しながら見送るしかできない。
《と、とりあえず作戦通りではあるから〜…閉じ込められてる人たち、助けに行くわよ〜ん!》
この時の僕たちは、まだ知らなかった。
異なる場所に現れた、二つの筵と怪魔。
彼らが協奏する、真の恐怖を。
〔つづく〕
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
〈tips:人物〉
【狗神 恋雪】
甲府御庭番衆隊員。
12歳・ホンドタヌキの獣人で、段位は丁位。
甲府御庭番衆の中では最年少の御庭番で、天真爛漫でお転婆な性格から、先輩藩士や甲府の民衆から可愛がられている。
幼い頃に故郷の里が賊の略奪に遭って壊滅したところを甲府藩に保護され、その際に城内に保管されていた風の聖剣と適合した。
保護直後から面倒を見てくれた蜜柑と目白のことは実の姉や兄のように慕っており、二人の幼馴染として突然御庭番衆にやって来た桜華のことを敵視している。
好物はじゃがいもの煮っ転がし。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
ここまで読んでくださりありがとうございます!
よろしければ、ブックマーク・☆評価・感想をいただけますと、執筆の励みになります!
今後ともよろしくお願いいたします(o_ _)o))




