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甲州御庭番劇帖  作者: 蕃石榴
壱ノ巻-第一章『竜驤戴天』
11/57

#11 拝謁 破「彼岸へ渡る国」

 破 ~彼岸へ渡る国~


 甲府の領地の一割が…死んでいる?

 夕斎様の言葉の意味をすぐ呑み込めず、僕はぽかんとする。


「桜華よ、お前は甲府藩の面積がどれくらいか知っておるか?」

「はい、凡そ4000㎢…ではなかったでしょうか?」

 自分が住んでいる場所の面積というのは普段気にしないことだけれど、昨夜たまたまゲッコー師匠が取り寄せている新聞の論説で書かれているのを見たので覚えていた。

 しかし夕斎様は首を横に振る。


「それは…違う。甲府藩の面積は正しくは凡そ4500㎢だ。」

「えっ…!?」

 どういうこと…?つまり新聞の論説を書いた人の勘違い?

 でも勘違いにしては…面積に差があり過ぎる…


「資料や記録は正しい面積を示す。しかし多くの領民は、自然と藩の広さを凡そ4000㎢であると、そう認識しておるのだ。」

 ますます意味がわからない。

 続いて夕斎様が僕に話してくれたこと…それはあまりに衝撃的な内容だった。


「この奇怪な現象…それが今の甲府御庭番衆の戦う相手と、強く関係している。落ち着いて聞くがよい。──


 ──お前が昨日遭遇した怪魔。

 奴等は出現の際、周辺の区画を結界に閉じ込める。

 あの結界…壁が高かっただろう?外から見ると、縦向きの半透明の巻物のような形をしておるのだ…あの特殊な結界は「(むしろ)」という。


 怪魔どもはその筵の範囲内を浄化瘴気で汚染していき…やがて「彼岸」という異空間へ隔絶してしまう。

 その現象を「離岸」、彼岸へ渡された領域を「棺」と呼ぶ。


 そして棺となった領域のことは…人々の認知するところから掠れていってしまうのだ。

 物も、場所も…そして人も…


 怪魔が現れ出したのは今から九年程前…甲州事変の翌年からだ。

 御庭番衆はこれまで数十件にも及ぶ離岸を阻止してきたが、それでも全てを防ぎ切れたわけではなく…現在、藩の面積の一割近くに及ぶ凡そ450㎢が棺となっている。


 甲府藩の林野率は凡そ八割に及ぶ。

 これまで怪魔の発生した地域のほとんどは耕作も行われていないような山林地帯で、たとえその地帯のことが忘れ去られても社会生活への影響は小さかった。

 ところが昨日、初めて城下町で怪魔が発生した。

 昨日のように民間人の多い市街地で怪魔が発生し、仮にそこが離岸してしまったら…これまでとは比較にならない被害を生むだろう…


 怪魔は自然に発生する妖魔ではない。

 人為的に発生する妖魔だ。


 先程触れた甲州事変を起こした者共…反幕武装組織「石見家(いわみけ)」。

 当主の石見當而(とうじ)を首領とし、その息子と娘たち五男四女を幹部とする組織だ。

 これまでの捜査から、現状では石見家が人為的に怪魔を発生させていることがわかっている。

 彼奴等の最終目的は甲府征服…そして甲府の地下に大量に眠るとされる遺物の掌握と推定されている。


 ── 我らが戦う真の敵は、怪魔ではなく、怪魔を発生させる石見家の連中だ。尤も、石見家が筵をどのように利用しようと試みているのか…石見家の本拠地が今何処にあるのか…まだわかっておらぬことも多いがな。」


 知らなかった。

 山蛞蝓…もしあの怪魔が倒されなかったら、丸の内二丁目をはじめとする一帯は消えていたんだ。

 人も、場所も…その“思い出”が全て…

 そして、人々の大切な“思い出”を故意に消し去ろうとする人たちがいる…


 夕斎様は一旦咳払いをする。

「次々と話すことになり申し訳ないが…また質問をする。」

「お前については蜜柑から、記憶を無くしていると聞いておるが…十年前のことはどのくらい覚えている?」


 十年前…?僕が四歳くらいの頃…?

 ちょうどゲッコー師匠と出会ったのがそのくらいの時期だけれど、それより前の記憶は今のところ…

「蜜柑のこと、夕斎様のこと、そして断片的ですがお母様のこと…それくらいしか。」

 夕斎様は眉間に手を当てて唸る。


「そうか…覚悟はしていたが、やはりほとんど記憶は失っておったのか…」

「はい、なので何故僕のような町人が、蜜柑と幼馴染で、夕斎様を祖父のように慕っているのか、その理由もわからなくて…」

「うん?待て桜華、今お前は自分を町人と申したな?お前…自分が旗本の子であることも覚えておらぬのか?父親のことも覚えておらぬか?」

 僕が旗本の子?お父様は旗本だったの?

 僕はこれまで十年間僕は町民として生活を送ってきた…なぜか何の疑問も持たずに。

 そういえばゲッコー師匠は僕のことを「いいとこの子」と話すことはあったけれど、詳しく教えてくれることはなかった…


「夕斎様…ご存知ならば、教えていただけませんか。」

「甲府名物の紙芝居“甲州御庭番劇帖”には、風の二大筆頭の一人・硯風弥様が授かった子として、僕と同姓同名の“硯桜華”という人物が登場するのです。僕が旗本の子とはどういうことですか?僕の両親はいったい何者なのですか?」

 知りたい。

 実の両親を知らないことも、甲府に伝わる伝承に僕と同姓同名の人物が登場することも、僕自身が竜であることさえ…当たり前のように受け入れていた「よく考えれば不思議なこと」の数々の、その理由を。

「僕はきっと大切な記憶の多くを失くしている…取り戻したいんです…どうか…」


 夕斎様は腕を組んで俯き、少しの間唸ると、また一つため息をついて話し出した。

「そうだな…儂にはお前のために、お前が何者で十年前に何があったのか…伝える責任がある。」

「心して聞け、桜華よ、お前は…」


「甲府の伝説・風の二大筆頭が一角にして、嘗ての我が右腕…“硯風弥”の…たった一人の息子だ。」


「そしてお前が声を思い出したという母親、彼女の名は“硯(すみれ)”。風弥と結ばれる前の名は“石見菫”…石見家宗家の三女だ。」


 風弥様が僕の父親…?

 僕の母親は石見家の娘…?

 すると僕の脳裏に、僕に向かって笑顔で手を伸ばす一組の男女の姿が現れ、頭がじわじわと焼けるように激しく痛み始めた。


 〜〜〜〜〜〜

「…桜華」

「桜華!」

「おとうさま!おかあさま!」

 〜〜〜〜〜〜


「う゛ぅっ…!はぁっ…はぁっ…!」

「お、桜華!おい!大丈夫か!」

 体が熱い…汗が噴き出てくる…

 息が苦しい…前が見えない…

 涙がたくさん溢れ出てくる…


 お父様…!お母様…!


 声も、顔も、その仕草一つ一つも、色付くように鮮明に蘇っていく。

 生きていた思い出、祝われた思い出、愛された思い出…最愛の家族と過ごしてきた、掛け替えのない日々の思い出。


 そして、その日々の“終わり”の思い出。


「生きて」


 思い出した。

 十年前の甲州事変…

 その時奪われた大事なもの…

 それは…


 お父様とお母様の、命だ。


 奪ったのは、石見家だ。


 ──────


 ─2031年3月4日 10:00頃─


 〔飯豊橋北詰(いいとよばしきたづめ)交差点付近〕


 ここは甲府城より南南西約1.8km、飯豊橋(いいとよばし)

 甲府盆地を南東へ流れる一級河川・荒川を南北に架かる、主要な橋梁の一つである。


 飯豊橋の北側にある七階建ての町屋の屋上。

 そこに、鉄製の狐面を被った男と、口元に傷のある、丸眼鏡をかけた老け顔の男の、二人が立っている。


 狐面の男が川を眺めながら口を開く。

「“ちょっかい”はうまく行きましたか?」


 丸眼鏡の男は気怠げな面持ちで淡々と答える。

「まあな…アレでよく確認できたよ。やはりあの小僧は硯桜華で間違いない…どうやって生き果せていたかは知らんが、浄化瘴気を浴びて確かに竜へと変身したのを見た。」


 狐面の男は不敵な笑みを浮かべる。

「そうですかぁ…それはよかったよかった…」

 丸眼鏡の男は狐面の男を睨む。

「何がだ…単に我々のしくじりが明らかになっただけだぞ。」

「いやいやいや…素直に良かったと思っているのですよ?叩き損ねた蠅一匹、貴方方は気になって、気になってぇ…夜も眠れなかったそうなのでぇ…?」


 丸眼鏡の男は深くため息をつく。

「はぁ…そっちこそ上手くいってるのか…昨日は失敗しやがって。」

「怪魔は石見家の甲府掌握戦略の要だというのに…今後の作戦実行を見直すべきじゃないのか?おい、頼むぞ“魔神・氿㞑(きゅうび)”。」


 狐面の男は一転、不機嫌そうに口元を歪める。

「ほぅ…失敗、ですかぁ…随分わかったふうな口を利きますねぇ…」


~石見宗家 特務部隊「魔神団」 参謀~

氿㞑(きゅうび)


「山蛞蝓がやられたのは“想定外”の力…硯桜華の介入によるもの。まあ丸の内二丁目に棺ができればベストでしたが、今回はあくまで市街地における筵の試験展開…それに第一目的の“コレ”なら達成しています。」

 氿㞑はそう言うと、「山蛞蝓」と書かれた真っ黒な術巻を丸眼鏡の男の目の前にぶら下げ、ぷらぷらと揺らした。

「1800年前の中国…遊山(ゆさん)に出かけた後漢の桓帝(かんてい)の前に一匹の青牛(せいぎゅう)が現れた。牛があまりに美しく立派だったので、その場にいた太尉は桓帝のためこれを捕らえたが、牛にはただ一つ欠点があった…角が曲がっていたのです。太尉はこれを正すため、斧で角を打ったところ、折角の牛諸共打ち殺してしまったといいます。」

「桓帝はひどく落胆したといいます…桓帝にとって、青牛の角の形など些末な問題に過ぎなかったのです。」


 丸眼鏡の男は眉間に皺を寄せる。

「何が言いたい…」

「昨日の作戦において、我々にとっては筵の展開状態の確認と“コレ”が牛そのものであって、棺の形成の可否はあくまで角の美醜という些事に過ぎないのです。」


「何が言いたいかこれでもわかりませんかぁ?石見宗家の三男坊…石見三而(そうじ)。」


 丸眼鏡の男はますます不機嫌そうに首をすくめた。

「フン…ならばさっさとしろ、もう“次”は用意できてるんだろう。」


~石見宗家 三男 暗殺部隊「落鳥(らくちょう)」隊長~

石見(いわみ) 三而(そうじ)


「ええ、できていますとも…まさに今から召喚するつもりでした。」

 氿㞑は袈裟の懐から「牛鬼丸(うしおにまる)」と書かれた真っ黒な術巻を取り出すと、手をこまねくように橋の真ん中に向かって投げ落とし、両手の甲を合わせて指を開いた。

「『結び 開け 羅刹(らせつ)(むくろ) 囲め 絡めよ 四百(しひゃく)を一手に』」

「『(アーダ)』」


 すると、大きな地鳴りとともに、橋の真ん中に落ちた術巻から陽炎が立ち上り、瞬く間に周囲へ広がって…飯豊橋を中心とする街の一角が透明な壁に覆われる。

 突然の地鳴りに人々が騒ぐ中、術巻からは黒色と青白色の混じった瘴気が溢れ、そこから4m程の大きな人形と薙刀が伸びてくる。


「さあ…一仕事頼みますよ、怪魔“牛鬼丸”…」

「果たしてあなたは"青牛"でしょうか?」


 人形は薙刀を片手に握ると、重く低い声でぶつぶつと呟いた。


「寄越せ…寄越せ…」


 〔つづく〕


 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

〈tips:敵勢力〉

怪魔(スペクター)

 謎の黒い術巻から出現する、遺物由来の異質な妖魔。

 出現と同時に「筵」と呼ばれる結界を展開し、結界内の領域を浄化瘴気で汚染する。

 汚染が完了すると、結界内の領域は「彼岸」と呼ばれる異空間へ隔絶される。

 彼岸へ隔絶された領域内のあらゆる物事は、人々から認識されなくなっていく。

 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

ここまで読んでくださりありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
和風の用語がどれもイメージしやすく、それでいてオリジナリティがあって素敵です。前回までは桜華くんの記憶が戻るのは大切な人との思い出が蘇る吉兆でしたが、今回は敵を見据える不穏な気配。同時に敵勢力も登場す…
現代まで徳川幕府が続く世界観が新鮮で、とても面白く読ませていただきました。 技や能力の設定もしっかり練られていてこだわりを感じました。 主人公の桜華も親しみやすく、自然と応援したくなるキャラクターです…
最推しの狐面なってるお方登場じゃないですかぁ\(//∇//)\ ありがとうございます!! 名前は「氿㞑さん」なのですね〜_φ(・_・ 九尾の狐から来てるのかなって思いました。 (そして好きな妖怪です…
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