519話 裏の意思⑦(別視点)
「……」
「(……なんだ? 何も起こらない……?)」
突風に似た一陣の冷気の風がマクシムを音もなく通り過ぎる――が、何も起こらない。
極限下の状態であるマクシムは僅か数秒を遥かに遅く感じており、一向に何も起こらぬ刹那が過ぎていく事実にハッタリかと考え始めようとした時のことである。
「(――~~ッ!!?)」
突如フリードの銀の目が青みを帯びていく瞬間――否、既に最初から青を帯びていたことに気が付いた時のことだ。マクシムは意識を失ったようにその場に倒れこんだ。
とうに身体に起こっていた事象もだが、マクシムではフリードの引き起こした事情をすぐさま知覚することすらできなかった。そのあまりにも過負荷である技は世界の認識を置き去りにし、後追いで結果として入れ替わったためだ。
極僅かではあるがフリードのみが世界の歩みを先行したのである。そのために逆転現象のような錯覚を引き起こしていた。
「っ……!? これ、は……っ!?」
ようやく声にできたマクシムには何が起こったかがわからなかった。何故か突然身体の自由が利かなくなり、受け身も取れずに頭からうつ伏せに倒れてしまったのだから。マクシムの体感では時が殆ど止まっていたようなものである。
「(この音……氷か……!? 周りはどうなっている……!?)」
マクシムは辛うじていつの間にか霜が降りている地面を見ながら辺りの様子を察することしか出来ずにいた。ザクザクと変化した足音が徐々に近づいてくるのが分かり、マクシムの不穏な想像が自身の焦りを加速させる。
「お前の四肢はもう凍結で壊死した。もう間もなく凍結は全身に広がりお前を殺すだろう。懺悔の猶予くらいはやるよ」
「な、に……!?」
頭上からフリードの説明が聞こえたマクシムだが、身体を動かそうとする意志も空しく気持ちだけもがくことしかできなかった。
そしてフリードの説明通り急速に悪寒が全身を駆け巡っているのを感じ、自らの体温が急激に低下し始めているのをすぐさま理解した。
「――ハァ……ハァ……! ぁ……う……!」
身体の悲鳴か自身の精神の焦りか。呼吸が荒くなっていく度に吐息が冷たく冷えていく。
マクシムの身体の内側が外気と変わらぬ温度に近づいていた。隆起し蠢いていた角は動きを鈍くして元の形状へと戻っていく。
既に身体が終わりを迎えていた。
「(死……ぬ……? 我は、ここ……で……?)」
死――。それはマクシム達にとっては無縁だったもの。
自分たちはむしろ死を与える側であり、言い換えれば死とは程遠い存在であった。
それが今自分は死に最も近づいている。
焦りで呼吸が荒くなっていく度に死が早まっている気すらした。どう足掻いても死。願っても祈っても死――死――死。
全てに死という概念が付随されて何も考えがまとまらなくなっていく。
「うっ……!?」
「無様だな。俺にとってはスカッとする醜態だが」
フリードがマクシムの頭部を掴んで持ち上げる。マクシムが僅かに感じ取れた痛みに呻き声を出して視界を一新すると、眼前には肌に一部氷を貼り付かせているフリードがいた。
そして……凍えるような寒さの理由を理解した。
月明りを余すことなく乱反射する氷の世界。空から六華の結晶が舞い散り地面に落ちる度、そこに新たな六華の花が咲いていく煌びやかな空間。
自分は今その中心にいるのだと。そしてフリードの手を通し、自分もその花の一部となろうとしているということに。
吐いた吐息もすぐ結晶化する絶対零度の中、マクシムの身体が花を咲かせながら徐々に氷で覆われていった。
「――ぜ……」
「あん?」
「……な……ぜ……! 腕、は……折れた、はず……!」
徐々に朦朧とし始めていたマクシムだが、ここで朧気ながら不可解な点を最後口にする。
フリードが今自分を掴んでいるのは折ったはずの右腕だったためである。ようやく自分が与えられた唯一の傷はどこまでも印象的だったのか、最期を理解していながら不可解であったようだ。
「ああ、もう治ったよ」
「……な、に……?」
「ポポの手にかかれば重症くらいすぐに治せるんでな。この程度ダメージの内に入らん。……それにお前以上の屑のせいで元々楽に死ねねーんだわ」
「ぁ――」
最早返答もままならない。だが最期までフリードからは絶望が叩きつけられる。
無慈悲な返答により強い反応を示したマクシムの意識が命と共に遠のいていく。目に宿っていた命の光が消えていき、残す時間もあと僅かであることを示していた。
「(……ここが、墓場か……)」
「まあお前はじっくりゆっくり死を噛みしめてってくれ。――ああそれと最後に一つだけ朗報だ」
「(……?)」
「俺らのしてた会話を覚えてるか?」
「(……かい、わ……?)
「俺とお前じゃ苦しいの基準は多分かけ離れすぎてるからさ、本当に苦しんで欲しいから念のため言っとく」
全身が既に氷で覆われ残す部位は片目だけとなったマクシムに対しフリードは再確認する。今回は淡々と事務的だった口調でもなく、しっかりと抑揚のついた話し方で。
その変わりようは本来ならば平常であると感じるはずであるのに、これまで以上に酷く不気味と言えた。
「――楽に死ねると思うなよ。ここからが始まりだ」
「(――!?)」
フリードが特に何かしたわけでもない。だというのに世界が一瞬胎動した。
原因はただ一つ、言葉に乗せられた憎しみと恨みつらみ。それだけで今の世界の限界を超えたのだ。
この言葉を最後に聞いた後マクシムは絶命した。
展開した氷の世界も同時に崩れ落ち、マクシムの亡骸と共に塵と化した。
◆◆◆
「――おーい、さっさと起きろー。くたばってねぇのは分かってんぞー」
「グッ……!」
意識を失っていた身体が痛みに反応して声を漏らす。
マクシムを葬ったフリードはその後休む間もなくすぐに動き出し、セオドアの身柄を探り当てていた。今は気を失ったセオドアの脇腹をひたすら小突くように蹴り続けて起こそうとしており、非常に億劫そうな表情を浮かべている。
『破邪』の直撃を食らったセオドアはまだ生きていた。限界まで力を使い果たしてしまいはしたものの、攻撃を食らいながらずっと相殺を試みていたことで一命を取り留めていたのである。
元々は自分が開発した大部分は構築が変わらない術式であったのが功を成したのだ。これが未知の術式であったなら話は変わっていただろう。
どちらにしろ凄まじい生命力を誇ることは間違いなく、フリードもこれについては予想が外れたのが正直なところであった。
「ァ……。――ッ!? アアアッ……!?」
「お?」
――が、この生への執着が報われたかといえばそうではなかった。
目が飛び出す勢いで目を見開くセオドアがバタバタとフリードに背を向け、赤子が地を這うように距離を取る。恐る恐る後ろを振り返るその瞳は酷く揺れており、完全にフリードを忌避しているのがよく分かった。
「ハーッ!? ハーッ!? ッ――!?」
「起きて早々良い反応してくれるねぇ。……やっと力の差を理解できたみたいでなによりだ」
セオドアがようやく目を覚ましたことに肩をすくめるフリード。この反応は上々だったようで幾分か満足した様子であった。
「散々イキっといてこのザマだ。身体はボロボロ、プライドはズタズタ。自信尊厳余裕希望……ぜーんぶ粉々になった気分はどうだ? 最初と見る影もなくなっちまってまあ……。俺も人のことは言えないんだけどさ」
「(化物……!? ど、どうすれば……!?)」
「今まで敵なしだったお前達のことだ。ようやく死の感覚を理解できたか?」
「(死ぬっ……死ぬ死ぬ死ぬ!? 死んじまう……!?)」
フリードの言う通り、セオドアはこの状況でようやく死についてを理解していた。
今胸中を占めるは無限に肥大する恐怖のみ。自分の中の全てを投げうってでも抗おうとする生への執着が辛うじてセオドアを突き動かしている。
「それがお前らが今まで奪ってきた人らがその時に持ってた感覚だよ。誰しもに必ず備わっている……要は恐怖ってやつだ」
「ク、クルナッ!?」
離れてしまった分フリードがセオドアへと歩み寄ろうとするとセオドアが激しく反応して後退る。
セオドアにとってフリードは死そのものだったのだ。明確に死と判断したものが近づくだけで拒否反応が反射的に飛び出てしまっており、生存本能が剝き出しにされてしまっていた。
「ヤメロッ! 止マッテクレ!?」
「その目は恐怖に怯えた奴のする目だ。……あー本っ当、お前等ってさあ……。――冗談も大概にしろよ」
セオドアの怯えに満足した分、フリードの中では別の感情が徐々にだが膨れ上がっていく。
自覚したが最後、抑えきれなくなった怒りの感情もまたフリードから剥き出しとなり行動となって表れる。
「人を殺すんなら相応の覚悟をもって殺せ……! 今更お前等が死を恐れるなんてふざけんじゃねぇ!」
「ヒィッ!?」
フリードがセオドアに一気に詰め寄り額に額を思い切りぶつけた。そして鬼の形相で睨みつけながら殺意を容赦なくセオドアへと流し込むと空間が静かに揺れ始める。
このフリードの感情がもたらす影響は外部にも波及したらしい。感情の爆発に伴いフリードが周囲に無差別に振りまいた濃い魔力が形を成し、ありもしない虚像を浮かび上がらせていく。
それはまるで般若の巨人が蟻を睨むかのようだ。この実害のない幻覚を見てセオドアは耐えられず失禁した。
「すぐ兄と同じ所にいかせてやる」
「ッ――!? ガハッ!」
セオドアが顔面を鷲掴みにされ仰向けに地面へと叩きつけられる。その衝撃で頭蓋と背骨にヒビが入り臓物は圧迫されて破裂。掴まれた顔の頬骨は肉ごと変形した。
そのまま腹を足で踏まれ押さえつけられたセオドアは何も抵抗出来ずにいた。
「もう終わらせるから全員力を貸せ……! 禁忌を犯す我を許したまえ――!」
「ア……アアッ……!?」
フリードの掛け声と詠唱に合わせて生み出されるマナと周囲のマナが混ざり合い、渦を巻いて空間を歪ませていく。
苦痛と恐怖によりセオドアの瞳からは大粒の涙が溢れた。霞んだ視界の中フリードが掲げた左手の向く先には上空で凝縮されるマナの塊が。その秘めたる力の途方もなさに。
『『『――』』』
最早死の確約を受けたことがセオドア自体に変化を生じさせたのだろう。いつの間にかフリードの内側とその周囲に複数の存在を感じ取ったが――姿と声までは捉えられなかったようだ。
その正体不明な存在を知るよりも前にマナは解き放たれた。
「――『エリクシル』――」
静寂が辺りを包む。
気が付けば月明かりにも劣らない蒼く輝く玉石が空中で異彩を放っていた。見るもの全てを虜にする宝石のように。
その玉石から染み出した魔力もまた美しい輝きを放っており、玉石から染み出してより一層の輝きを放っていた。やがて張力を振り切り液体となって一滴地面へと落ちる際にはその発光の軌跡が鮮明に映し出され、セオドアも無意識に目で追っている程であった。
ポタリと水の火花が散る。
地面に落ちて弾けた瞬間はまるで火花が散るように一瞬で儚いものだった。ただし次の瞬間その美しい光景は別の情報で一気に消し飛ばされていく。
超級魔法が秘めるのはただただ圧倒的な力のみなのだ。
「ガボッ!?」
この地を埋め尽くす程の量の夥しい荒波。海の時化がそのまま移動してきたと思う程の水が湧き出したのだ。周囲の空間を押しのけて出現した荒波はセオドアの身柄を奪い、同時に破壊し尽くしていく。
「(息、が――!?)」
荒波は質量と勢いのままに暴れ踊り、セオドアの身体を外側と内側の両方から無秩序に蹂躙していく。セオドアが必死の形相で抵抗し水面を目指すも、また一滴……一滴と結晶から染み出る雫は止まらない。その都度同等の荒波が生み出され、天を目指し浮上しようとするセオドアの身体はその度に水底という地獄へと叩きつけられてしまう。
「これがお前の選択した結末だ。その命をもって受け止めろ」
視力の強化された目でフリードは眼下で繰り広げられる光景を見つめて呟く。自らも殺意を向けて後押しの念を込めて。
やがて何層にも渡る水の下敷きにされたセオドアは次第に身動き一つ取ることすら叶わず……窒息と水圧によって絶命した。
――が、絶命を確認しても一度発動を許した魔法は一向に止まる様子をみせない。それでもなお許さない意思を主張し水は生まれ続けるのだった。
行き場のない荒波が四方に流れ全てを押し流して拡散していく。
幸いにもこの場所は広大な平原の中心部であり、全く人の手が入っていない無人地帯。人的被害の心配は必要なかった。
勿論フリードもそれを理解してこの場所を強襲する場として選んだため、これはある意味で想定通りの結果と言えた。
「――ノルマは達成した。お疲れ皆。じゃあこのまま反省会しようか」
事務的だったフリードの表情が弛緩して平常時の雰囲気へと戻っていく。到底今しがた人を殺したとは思えない、人畜無害であると誰もが思う温かさへと早変わりを果たして。
呼びかけと共にフリードが上空に作った足場に鎮座していると、ポポとナナに加え三つの人影が何処からともなく現れ、用意されたスペースを確保して各々でくつろぎ始めるのだった。
この影達はフリードがこの場で実際に使用した力の原点そのもの。その彼らの実際の特徴と非常に酷似しており、意思を持つかのような仕草を見せていた。
夜更けはまだまだ続いている。
夜闇に紛れての強襲劇。それはフリードによる虐殺で幕を閉じた。




