461話 『剣聖』救出作戦:第二段階①(別視点)
◇◇◇
「(――動き出したか。遂に一部から全体が回り始めたようだ)」
セルベルティア連合軍、王城執務室にて。
筆を手に仕事に勤しむロアノーツが、走らせていた筆をピタリと止めた。
「(まさかここで二つに分かれるとはな……。これは予想外だ)」
長く深い溜息を吐き、ロアノーツは内に感じていた自分の勘に少し戸惑わされる。
一本に絞っていた選択が、土壇場で二つから選び取らなければならなくなってしまったのだから無理もない。
表情にこそ出してはいないが作業の手は完全に止まってしまっており、その重大さが伺える。
「さて……どちらを取るべきかな」
暫く筆をそのまま押し当ててしまったため、紙に滲んだインクが文字に黒い点を作ってしまっている。
ロアノーツは再び筆を走らせると、まずはその作業を区切りの良いところまで進める。
「はい? どうかなさいましたか?」
「……なに、ただの独り言さ。忘れてくれ」
「はぁ……?」
同室で執務室の棚の整理を行っていた兵がその独り言に対しやや困惑するも、ロアノーツは机に広げていた資料を伏せると、机の端に山積みにしながらそう答えるのだった。
うわ言のように呟いた言葉は心情の吐露のようなものである。誰かに向けて言った言葉ではなかった。
「(動いてはならぬ気もするが……そんなことができるはずもない、か。ここは割り切るしかあるまい――)」
「あれ? 総司令、一体どちらへ?」
「午前の残りの仕事は全て片付けた。休憩がてら久々に街で少々一服してくる。何かあった際の対応はハインケルに任せると伝えておいてくれ」
ハインケルとは、ロアノーツ直属の部下のことだ。
このセルベルティアの中では軍の副指令を担っており、ロアノーツが席を外す際の対応や全体の指揮等は、度々任される手腕の持ち主である。
「珍しいですね? 総司令がきちんと休憩を取るだなんて……」
「見回りしてもいいのだがな、ここ最近少々煮詰め過ぎたかもしれん。取りあえず……頼んだぞ」
「あ、了解致しました!」
ロアノーツが普段日々の職務の中で休憩を取らないことは、全兵士には周知の事実である。
それ故にこの当たり前の行動が非常に珍しいものではあったが、それ以上に誰もがちゃんと休憩を取って欲しいと思う程働いていると感じていることもあってか、止めようなどとする者がいるはずもない。
一般兵に敬礼で見送られ、執務室を出たロアノーツは先程の悩みを決めるべく足取りを遅くしつつ廊下を歩いていく。
「(さて、動くには動いたものだが……)」
行動を始めたロアノーツではあったが、まだ方針を決めたわけではなかった。歩きながら先程の選択に悩んでしまう。
この問題は決して避けることができない。ならば少しでもより良い導きが得られる方を得たいと思うのは当然の考えだった。
ましてや事が事なのだ。確率の問題とはいえ、流石のロアノーツとてすぐに決断できなかったのである。
そんな時だった――。
『あー、あー……。こちら遠征部隊。魔導開発部のゼグラムだ。誰か聞こえていたら返事をしてくれ』
「(来たか――!)こちらセルベルティア連合。司令官のロアノーツだ」
ここで、一瞬の淡い光と共に何処からともなく声が響き渡った。
ただ、ロアノーツは特段焦るわけでもなくいち早くその声に対応し、不意に右手を耳元へと当てる。
まるでこの展開が来ることを予期していたかのような、流れるような対応だった。
『お? 見回りかと思ったらなんだ、執務室に頭領いたのかよ。そんなら話が早ぇ』
「ああそうだが……ゼグラム。一体どうした? わざわざ通信石を使っての伝達など……」
ここは執務室ではないが、ロアノーツは敢えてそう答える。
耳に当てていたのは、軍で使用される小型の通信石だった。
執務室にはロアノーツを始めとした指揮する立場の者が在中している関係上、緊急の連絡先として通信石が常に置かれているのである。
そんな情報伝達の要とも言える通信石を持ち出すなど本来ならご法度なものだが、ロアノーツは部屋を出る際に密かに持ち出していたのだった。
今の近況を偽る発言は本来有り得ないことだったが、それはロアノーツの考えあってのことだ。極めて落ち着いたその抑揚のなさは、平穏そのものを堪能していることを匂わせている。
『今そっちに向かってんだけどよ。あの馬鹿がまた一人で突っ走りやがってな。一足先にそっちに向かってんだよ』
「英雄がか?」
声の正体は、現在『英雄』と共に遠征に出ている仲間の一人、ゼグラムであった。
先日セルベルティアへ帰還途中である報告を受けて以来の連絡であり、数日ぶりの伝達だった。
ロアノーツは通信石から出る声の場所を軽く手で握って塞ぎ、耳元で僅かに聞こえる程度に抑え込む。
周りに声が聞こえないようにしつつ、自分は耳を触っているようにしか見えない仕草で。
淡い光はもう零れておらず、通信石も小型の為手にすっぽりと収まってしまっていた。
ロアノーツがそのような真似に出ていることなど知る由もなく、ゼグラムはそのまま気にせず話を続ける。
『ああ。俺ら昨日天候が急に悪化したから街まで辿り着けなくてな、そんで野宿する羽目になっちまったんだが……今朝目覚めたら書置きだけ残していなくなっちまってたんだよ、あの野郎』
「フッ、相変わらず独断専行が光るな彼は。しかしいつも通りのことではないか」
『笑いごとじゃねぇよ。それでなんべんも振り回されるこっちの身にもなって欲しいぜ。しかも今回の遠征じゃ航海中は大嵐、陸に着いても天候最悪でツイてねぇのなんの。何かに呪われてんじゃねーかと本気で思ったくらいだ。皆装備が錆びついちまいそうだぜ』
愚痴を添えながら『英雄』への不満を口にするゼグラムであったが、ロアノーツもその状況を想像して苦笑いを浮かべる他なかった。
悪運に関しては天命のためどうしようもない問題だが、『英雄』ならば、自分の信ずる感覚を頼りに行動してしまうのだろうと思えたからだ。こちらの問題については防げはする問題であった。
『――でだ、ここからが本題だ。……なんかそっちの石あんまりマナが補充できてねぇみたいだな? ならあんまり時間ねぇから説明は省くぜ』
「ああ。聞こう」
通信石は見た目の大きさの割に、非常にマナを消費する。
持ち出しは可能だが、基本はマナを補填するための装置に取り付けたままやり取りするのが一般的な常用方法である。一個人でマナの補填をすることもマナの扱いに長けた者の技術によっては可能だが、とても賄えるような消費量ではない。
ロアノーツの状況を知らないゼグラムには少々気になる点ではあったようだが、あまり気にせず端的に本題を述べるのだった。
『あの馬鹿が即行動を起こす理由はまぁ、お察しの通りだ。これはもう言わなくても分かるだろ?』
「そうだな。きっと……何かが起こるのだろう?」
ロアノーツは足を止め、渡り廊下に張り付いた窓から外を眺める。
遠くを見つめるその目は全てを悟ったように落ち着いており、嵐の前の静けさを肌で感じている武人の佇まいを思わせる。
「ああ。猪突猛進な馬鹿でも、アイツの天性の察知能力は本物だ。理屈じゃねぇがマジで当たる』
「……そうだな。本能、とでも言うべきか」
『アイツは今そっちに向かってる。だから今日、きっとそっちで何か起こるのは間違いねぇだろうな。俺は頭領がいるってんならそれ程心配しちゃいねぇが――用心はしとけ。用件はそんだけだ』
「……肝に銘じておこう。情報感謝する」
『俺らも夕刻までには戻れそうだ。それまで戻ってきた馬鹿に縄でもつけておいてくれや』
「了解だ。問題が起こったならこちらで対処しておく。落ち着いて戻ってくるがいい」
『流石頭領。余裕そうで安心したぜ。そんじゃな――』
ゼグラムの言葉を最後に、それっきり通信石から声は届かなくなった。通信石自体が光を失っており、保有していたマナが尽きたことを示したようだ。
ロアノーツも肩の荷を下ろすように、耳に当てていた手を下ろした。
「(先日からずっと感じていた何かの正体は今日、明かされるのだろう。例の存在……そしてゼグラムの忠告……『白面』はまだ今日一度も見ていない、か)」
ここ数日の日常に紛れる違和感を分析し、言質も取れたことでロアノーツの勘は確信へと変わった。
懐に通信石をしまい込むと、目を瞑って沈黙して瞑想した後、ゆっくりとその瞼を開く。
「(……? 妙だな……あの物置小屋。確か錠がついていたはずだが……)」
特段気にして見たわけではなかった。偶々目を開いたら真っ先に目に入り、偶々注視してみた場所が、いつもと違う有り様をしていただけにすぎない。
だが、ロアノーツはこの偶然の事実を運命のように思いこむ。
その偶然こそが、自らの運命を引き寄せて来たのだと本人が一番分かっていたからだ。
「(成程、片割れはこちら方面からのようだ。ならば行くしかあるまい)」
ロアノーツが見据えた先にあったのは、中庭に物置小屋として日々佇む一軒の建物だ。
ロアノーツはマントを翻し、歩いていた方向から踵を返す。そして階下へと通じる方へと足を進めるのだった。
足取りに、迷いは見当たらなかった。




