391話 果てを目指して
遅れましたが許してクレメンス。
俺らだけの音しか気にならなかった筈のこの場で、不意の声をきっかけに自然音までもがやたらと耳に入ってくる程神経が集中する。
セシリィも声を聞いた瞬間から固まって微動だにしない。――当然だ。こんなの不意打ちすぎるとしか言いようがないのだから。
「ウィルさん……一体、何しにきたんですか……」
自分の中で警戒心が一気に高まって目の前のウィルさんから目が離せなかった。あの状況を目の当たりにしたなら誰も追いかけてくるとは思っていなかったし、それよりもまさかこの人がという驚きで埋め尽くされてもいたのだ。
目の前で呻き苦しむ人がいたらまずそちらを優先するはずだ。特にウィルさんみたいな人ならそうするはずだと……まずは連中の介抱を優先するだろうと考えていたためだ。
それなのにわざわざ追いかけてきたってことはつまり、アンタもなのか……?
警戒していたのはセシリィが天使だと知っての追い打ちの可能性。連中が無鉄砲になる異常性を見せるこの事態ならば、事実を知ってしまった今ウィルさんが変貌しているという線は非常に濃厚となる。
もうウィルさんは俺の知るウィルさんじゃない。――そう思った矢先のことである。
「だ、だって……あんな別れ方、で……最後だなんて……ないだろ……?」
「……は?」
連中同様、ウィルさんの身を封じるために構えようとした手が止められて半ば放心する。
色々と言いたいことはある――が、わざわざそんな理由を優先するとは思わなかったから。
「それに、お礼も言えなかったしさ」
「お礼?」
ちょっと待て、一体この人は何を言っている? 俺らに対するお礼なんてないだろうに。
汗を流しながら伝えられるその言葉の意味が俺には上手く理解できない。非難こそされど、感謝される言われは俺らにないと思っていたからである。
「だってそうだろ? アンタに本当に敵意がなかったのは受け身一方だったのを見てたら分かるよ。それに落ち着いて考えたら、あれだけ暴れて大した被害が出てないのも変だ。実際壊れたのは二人に貸してた家だけだったし、それ以外は不自然なくらい被害が出てなかったなんて偶然あるか?」
――なんだ、そんな当たり前のことか。確かに被害が出ないようにはしたが……それが感謝される理由にはならんと思うんだが。
ウィルさんの言い分を聞いて、言いたいことは取りあえず分かった。確かにそれは偶然じゃないし意図的なことではあるものの、立場上当然ともいうべき行動を取っただけに過ぎない結果のことである。
俺らが原因で怪我人なんか出せるかよ……間違っても。それこそ村の人達からすりゃ理不尽だ。
「そんなの当たり前じゃないですか。俺らが巻き込んでウィルさん達に迷惑が掛かるなんてあっちゃいけないでしょう?」
「……やっぱりか。本当にアンタ何者だよ……。でも、それを当たり前と思える奴でもあるんだよな……」
「……?」
俺の返答を聞くと、ウィルさんが少し考え込むように目を閉じる。暗いが瞳が微かな光に反射していたので恐らくではあるが、そのまま不思議なことを俺らに向けて話し始めるのだった。
「正直さ……混乱してるんだ」
「混乱?」
「あの隊長さん達の言い分は僕も正しいものと思ってるんだよ。天使はどんな理由があろうと絶対に滅ぼさなきゃいけない。そして天使に加担する者についても……。そんなことは生まれる前から知ってることってくらいにな」
「っ……」
セシリィの肩がウィルさんの発言のタイミングで一瞬震えた。さっきまで優しく接してもらえていた人物から背筋の凍る発言を聞いたのだから無理もない。
ここから、ウィルさんの様子に少し異変が出始める。
「そう、分かってるんだ。そんなことは。僕はすぐにでも二人を排除するために動かなきゃいけない。――なのに……なんでだろうな。アンタの行いは間違っていないと思ってる自分もいるんだ。実際こうして助けてもらってそう思えちまってる……」
「……」
「天使のことは憎い。けど、考えてみたらなんで憎いのかが分からないんだ。こんなことこれまで考えたこともなかった。……いや、そもそも憎いのに理由は要らないんだろうけど、でもやっぱりそう思うこと自体がおかしいって気がして……? ハハ、僕も何言ってるか分かんないんだけどさ」
「ウィルさん……?」
自分の問答に疑問詞で終わるウィルさん。頭を押さえている姿が現実味を帯びさせ、発言自体に偽りがない雰囲気を漂わせている。ただ、本人が最初断りを入れて言ったように、明らかに思考もままならない情緒不安定な状態に陥っているようである。
どうしたんだウィルさん……確かに連中と違って敵意を剥き出しにする程ではなかったけど、やっぱり何かおかしな力が働いてるってことか? これは。
その力が及び過ぎたのが連中で、ウィルさんはまだその前の段階って推測するならなんとなくこの様子も分かりそうなものだが……突然のことで俺も頭がついていけないぞ。
「悪い、急に変なことを言い出して」
「いえ、そんな……」
「取りあえずさ、村を守ってくれたことは素直に感謝してる。ありがとうな。アンタにそれだけは伝えておきたかったんだ」
俺がついていけていない以上に、ウィルさん本人の方がついていけていないようだ。これ以上話してもお互いに余計に混乱すると判断したのかは分からないが、話を急に打ち切って締めくくられてしまう。
こちらとしても少々気がかりはあるのだが、考えて分かることではないので呑み込むことに決め込むことにする。
「……ウィルさん。あの……」
「ん?」
「こんな重大なこと……黙っていてすm「言うな」っ!?」
正体を隠さなければならなかった状況とはいえ、秘密を黙っていたことによる罪悪感がウィルさんの姿勢に触発され、謝罪の言葉がポロッと出そうになってしまう。しかし、ウィルさんの強めの語気によってそれは防がれた。
「一応さ、最初に何も聞かないって言っただろ? だったらそのまま徹底させてくれよ。僕はまだこの目で見てないからセシリィちゃんが天使だってことは確信できてない。今ならまだ、疑いの段階だから見逃せる……!」
「え?」
「それと……ヒュマスを目指すんだろ? ならこの崖を降りたらひたすら真っすぐに突き進め。そしたら海に面した港町のスーラっていうところにいずれ辿り着くはずだ。確かヒュマス行の船があると聞いたことがあるから、それを使えばヒュマスに行けるかもしれない」
「え? ちょ……!?」
「ん? 何?」
いやいや、何? じゃないんですけど。
こればっかりはいきなりの進言である。この後にまたゴタゴタがありそうに思っていたところが、引き留められるどころか後押しする言葉を貰えるとは思わなかった。戸惑いでなんと返していいのか分からず、この時の俺は間抜けな顔になっていたことだろう。
「急ぐんだろ? だったら何の情報もなしで道草食ってたら面倒だろうし、二人だってこの辺りからなるべく早く離れたいだろ?」
「それはそうですけど……いいんですか? だって……」
「ハハ……自分が置かれてる状況でこっちの心配とはつくづくよく分からないよアンタ。……僕にできることは精々これくらいだ。これが世界に反する行いなのは分かってる。でも自分の無意識の意思に振り回されてたって気付いたから……。この疑問の整理ができるまでの間は、二人にこれまでの僕なら当たり前にやっていたはずだった対応をしたいと思う」
「……」
アンタって人は……。
違った。ウィルさんは違った。自分達の思考がまともじゃないことに少しでも違和感を持ってくれていた。そして真剣に考えてくれてもいる。
それが聞けただけでも十分だ。この村に立ち寄った選択は間違いじゃなかったんだ。
「ありがとうございます」
「お礼を言われる言われはない――って、僕もアンタと似てるなこれじゃ」
「ハハハ。そうですね」
考えていることがお互い様であることが露見し、初めてこの状況で俺は笑みを浮かべられた。
少なからず疑いを向けていた状態から、ほんの僅かに疑いを向ける程度の変化は非常に大きいものである。更にウィルさんが俺らが望んでいた希望にも近しい人物となったことで、もっと共にいられたらという気持ちさえ湧いてくる始末だ。
だが、それは結局叶わぬ願いである。
「ミルファ達には何も言わないで追いかけて来ちゃったからさ、怪しまれるとマズいからもう僕は村に戻るよ。あの人達の介抱もしなきゃならない。だからアンタも早く行け……! あの人達には上手く説明して誤魔化しておくから。――それに早く行ってくれないと僕も何をしだすか自分でも分からない。もうここには戻って来るなよ」
一緒にいることなど、まだそれは夢のような話の段階だ。ウィルさんにはウィルさんの事情がある上、俺らはともかく本人が疑問を抱いたままでいるのにそう思うことが間違っている。
共存を望んでいても、まだ相容れられるような段階には程遠い。天使にまつわるおかしな力の正体を暴かない限りは到底不可能だろう。
「……ええ、先を急ぎます。セシリィ、持ち上げるよ」
「あ、うん」
セシリィを抱き抱え、忘れることはない人へと今一度目を向ける。
仮に戻ってこれるようになったとしても、それがいつになるかなんて分からない。それ故に戻ってくるなと言ったのだろう。
「あと、これ別に必要ないから返しとくぞ」
「っと……!」
「これって……」
着々と別れが近づく間際、思い出したようにウィルさんが俺らに向かって山なりに何かを投げた。俺は手が塞がっていたため代わりにセシリィがキャッチしてくれたが、その拍子にジャラッという音が聞こえてこれが何かをすぐに察した。
「二人が悪いわけじゃないって頭では分かってるつもりだからさ。気持ちだけ受け取っておく」
「いいんですか?」
「ああ。空き家の管理も大変でさ、むしろ解体する手間が省けて助かったくらいだ。こっちがお金払いたいよ」
笑って済ませられる内容じゃないはずなのに、村の被害を冗談っぽくウィルさんはそう言って全てを水に流してくれているようだ。
アンタ良い人すぎますよ。
「アンタ……フリードの方は心配するだけ無駄か。敢えて言うならちゃんと休める時に休むんだぞ? ――セシリィちゃんも元気でな。僕からそう言われても嫌だろうけど」
「いや、それは……。ありがとう……」
「うん、こっちこそありがとな。色々気づかせてくれて。僕なりに真剣に考えてみる」
俺の芯に直撃する小言はさておき、セシリィ自身が自分の問題に対してまともに向き合って返事をした瞬間だと、俺はこの時そう思った。
セシリィにとってもウィルさんみたいな人がいたことは喜ばしいことのはずだ。俺らが求めるものが不可能ではない足掛かりになったようなものなのだから。
「それじゃあ二人共、道中気を付けろよ。やっぱり僕は――いや、なんでもない……」
踵を返し、元来た道を辿って暗い森の中へと消えるウィルさんの背中はよく見えない。でも朧げに確認できたそのシルエットはどこか清々しさが感じられた気がした。姿が闇に吸い込まれてしまうまで、見えなくなった後もそのまま暫くはその背中を俺らは見続けていた。
「行っちゃったな」
「……うん」
「最後、何か言おうとしてたけど……何を言おうとしてたんだろ?」
言いたいことだけを言って去ってしまったウィルさん。その欠落はまるで急に寂しさが増したように重くのしかかってくるようだった。だからこそ、最後に言おうとしていた言葉がやけに気になってしまう。
「間違ってなかったって」
「ん?」
「お兄ちゃんを見る目は間違ってなかったって、言ってたんじゃないかな……」
俺に残っていた疑問に、セシリィがポツリと答えてくれた。
「セシリィ、ウィルさんの心見たの?」
「ううん、見てない。でも、そんな気がしたの」
どうやら見てもいないのにそんな気がしたとのことで、これは所謂勘というやつである。これならば小さく答えて自信が無さげだったのにも納得がいくというものだが――。
けどこの娘は人一倍相手の気持ちに聡そうだしな。どうせウィルさんが何を思ったのかは本人にしか分からないのだ。ならセシリィが思ったままを真実と受け取っても構わない、か。
「そっか。だと嬉しいなぁ」
セシリィの言葉をウィルさんの言葉として胸に刻み、後ろを振り返る。背後の崖から拝める全景を一望すると、セシリィが俺にしがみついて全身を委ねてくるのでその準備はできているようだ。このシチュエーションも何度か繰り返していたため、一々会話をする必要はなくなっている。セシリィに不安の様子も見られない。
この村との出会いは良くも悪くも俺らにいい経験を与えてくれた。大部分は休息に充ててしまったものの、過去と未来を見定めるために必要な重要な時間を凝縮して過ごせたように思う。
身を投げるように崖から飛び降りると重力とは別に身体の内側が持ち上げられるような感覚が全身から走る。その力になるべく抗わないように力を受け流し、足場を作って垂直から並行移動へと切り替える。
眼前には壁のない行き先が無限に広がっており、昨日までの俺らなら方角に迷っていただろう。しかし、ウィルさんから聞いて目的地の決まった今なら手繰り寄せるように方角を見失わずにすむ。迷わずつき進める。
洞窟のように暗い森の中よりも上空の方が遥かに明るい。星空の光を頼りに、俺らは大陸の果てに向かって闇夜の空をただただ駆けた。
そういえば、疑問がもう一つ残っていることがあったのを忘れていた。
村の中で脳裏に響いた女性の声。結局……あれは一体なんだったんだろうか? あの声がなかったらちょっと状況は変わっていたかもしれないけど、あの警告は俺らに起こることを事前に分かっていたものだった。
まさかとは思うが……俺は誰かに見られてるのか? もしこれが記憶と直結してるなら話は別だけど、そうじゃないなら不気味だな……。
※6/14追記
次回更新は日曜です。
※6/18追記
もう少々お待ちを。




