218話 神鳥左翼:白銀の陣⑤(別視点)
◇◇◇
「舞い散れ――」
ヒナギがそう静かに言うと、白い蝶達はビーストタートルへとそれぞれが独立して向かっていく。矮小な一つの存在が大きな存在へと集団で立ち向かっていくような様は、蟻が大群で獲物を狩るそれと似ている。
ビーストタートルもそれを素直に受けるはずもなく、また回転を始めることで全てを弾き飛ばそうとしてくる。近づけば逆に引き込まれてしまう程の回転は、蝶達を甲高い音で弾き、斬り刻み、そして散り散りに消していく。やがて蝶達がいなくなったと感じると、ビーストタートルは回転をやめてヒナギの姿を確認するが……そこにヒナギは既にいなかった。
ただ、獣特有の勘や危機察知能力というべきなのか……
「ギュ? ……っ!?」
「っ! ……掠っただけですか」
咄嗟に背後へと振り向き、そしてその場を離脱したビーストタートル。いつの間にか背後へと回っていたヒナギによって、背中へと斬撃が叩き込まれてしまうところであった。
ヒナギはその動きに目を見開いて驚きを露わにするが、ビーストタートルはそれ以上の驚きを抱えている。コイツは、人として並外れた存在であると。
ビーストタートルが動いたことで、地面に揺れが生じる。木々は揺れ、土煙が舞い立って視界が悪くなる。揺れと土煙は僅かな間引き起こされたものではあったものの、両者の思考はそれ以上の展開をそれぞれしていた。
視界に捉えなくても反応し、回避したのは、確かな強さを持つことの表れ。ヒナギは今一度それを胸に刻み、また睨み合う。一方ビーストタートルの方も、ヒナギから視線を外してはいけないと悟ったのか、ジッと見つめて離さない。
――ここで、ビーストタートルはある点に目がいく。それは、ヒナギの手に持っているものについてだ。
先程ヒナギが使っていた刀は確かに自分が折ったはずだ。それなのに、何故かヒナギは別の刀を今手に持っている。白く、一切の汚れの無い刀。柄も鍔も全てが光の反射がなくとも白く見えるそれは……美しいがどこか恐怖を覚える。
先程の僅かな攻防の間で、微かに脳裏にチラつく既視感がビーストタートルの思考を埋め尽くしている。
「(慎重になっているようですね。なら、仕方ありません)」
警戒して動いてくれないビーストタートルにヒナギは肩を落とすと、ゆっくりと腰を落とした。そして目を閉じて一度深く息を吸い込んで呼吸を止めると……消えたと錯覚する速度でビーストタートルへと距離を詰めた。
「っ!? ギュアァアアアッ!」
そして一閃。
口元から首筋を伝い、肋甲板にはヒビが入るビーストタートル。その痛みによる絶叫が森中に響き、ヒナギの身体にも重く届く。
無造作に暴れるビーストタートルからヒナギはまた距離を取ると、刀についた血とビーストタートルの反応を見て、今の攻撃を評価するように静かに考え込む。
ヒナギは別に攻撃に転じる才能が無いわけではない。守りに徹するのが自分の理念と身体の相性が良すぎただけで、才能はむしろある方だ。
ただ、それが不幸にも攻めの感覚を鈍らせることに繋がってしまったのだ。いつ、どんな時でも、常に守りを第一に考えてしまうため、上手く攻撃に意識を集中させることができなくなってしまっていたのである。そしてその考えというのは、先程ビーストタートルに自らの攻撃手段である刀を折られたことで……無くなっていた。
ヒナギの愛刀は、武器であると同時にヒナギに常に防御の意識を持たせ続けるという役目をひっそりと担っていたのである。手元には刀を模した形状の力があるとはいえ、愛刀ではないのでは意味がない。愛刀に込めていた魂も含めて意識が生まれるのだから。
「ハァッ!」
「ギュッ!?」
ヒナギが再度ビーストタートルへと果敢に向かっていく。今度は蝶達も引き連れながら。
『夜叉』の時と同じに見えるが、その時とはまた違う意識を持った状態で。
ヒナギに備わった新たな力。それはスキルの【護神の反逆】によるものである。
白きオーラを周囲へ展開することが出来る力で、形は自由自在に変化させることが可能。刃のついた形状にすれば対象は切り裂かれ、平たくした面に触れればそのまま物理的に殴ることも着地に利用することもできるという、攻撃にも守りにも、どちらにも対処可能な万能スキルである。
これまでもヒナギが重傷を負った時には、自らも攻撃に転じなければと言う危機感から不意に現れたりすることはあったが、遂に自らの意思で自在に扱えるようになったのである。
いついかなる時であっても、守りのみに意識を向け続けた者にのみ授けられる激レアスキルであり、望んでも得られないこのスキルは『鉄壁』の二つ名を持つヒナギだけの固有スキルだ。
ヒナギは感覚と直感で、そのことを無意識に理解している。
「(……癖は掴みました。次で終わりです)」
「ギュ……ァアアアッ!」
――新たな力を使っての激しい攻防の末、ヒナギはビーストタートルを次で仕留めることを決意する。
チマチマ攻撃していたのではビーストタートルはどうせ倒れない。回復してしまうのだから。今も斬った部分からは黒いオーラを滲ませては傷を修復されてしまっている。
ビーストタートルは怒りの咆哮をあげてヒナギを見据えてしまっていて、ヒナギの思惑には気づいていないだろう。自分が次の攻防で仕留められそうになっていることに。
自らの外殻を気にもしない切れ味で絶え間なく浴びせられる斬撃に、絶え間なく血を溢れさせるビーストタートルは、迫りくるヒナギに向かってまた不意打ちの剣を射出するが……
「『水鏡』」
「ギュォアッ!?」
「(いける!)」
ヒナギは不意打ちを予測していたのかと思う反応速度で、攻撃をそのまま跳ね返す技術である『水鏡』を使う。跳ね返す一連の動作一つ一つが繊細な技術を必要とするというのに、それを一瞬で行ったのである。そしてすぐさま好機と見てはビーストタートルに向かって走り出す。
剣は矛先を反転させ、全身が堅いビーストタートルの頭殻を突き破り、自らへと突き刺さらせた。辺りに飛び交う血しぶきがその威力を物語るが、それでもなお戦意は失われていないようだ。
通常であれば即死な一撃。簡単に死なないことをいいことに、自分の攻撃を食らわされたことよりも、まず一番目を向けるべきは目の前の人間だと言っているかのような対応だ。そうしなければ危険だとビーストタートルは無意識に理解していたのかもしれない。
時が止まったような時間の流れの中、ヒナギとビーストタートルは距離が近づいていく。
そして少しでも危険から遠ざかろうと、ビーストタートルは爪をヒナギへと振るって撃退をしようとするが、それは叶わない。既に足には蝶達が取り囲んでおり、ビーストタートルの膂力でも微動だにしない力で拘束されていたからである。
これはすぐには解けそうもない。それを瞬間的に悟ったビーストタートルはそれならば最後の手段として、自らの首を最速で繰り出し、噛み砕こうと試みるが……
その行動に対してヒナギは、内心で微かに笑みを浮かべていた。
一方、ビーストタートルもヒナギを噛み砕けると確信して首を伸ばすことを止めない。
両者が互いに勝利を確信して――ぶつかり合う。
ヒナギの眼前には、巨大な牙を生やした口が迫りくる。その鋭利さは肉のみならず骨まで粉々にされるのが容易に想像がつく威圧を放っており、噛まれたらそれは即ち死を意味すると思う程だ。ビーストタートルの攻撃速度と膂力を考えれば、それは誰もが同じ考えを持つと言える。
ビーストタートルも、ここまで近距離であれば確実にヒナギを噛み砕いたと錯覚しただろう。しかし、ここでビーストタートルの隙は不幸にも生まれてしまう。自らの口で視界が塞がれ、ヒナギを視界から外してしまったのである。
相手を確実に仕留めるまで視線は外してはいけない。それを心掛けてはいても、勝利を確信した一瞬の高揚が命取りになったのである。
――と、周りから見ればそう思えるのかもしれない。しかし、今ヒナギが意識しているのは相手の攻撃に関しての思考は一切放棄し、どう両断するべきかのみであり、そんなことはこの時微塵も考えていないうえに、視界から一瞬消えたという隙など少しも狙ってはいなかった。
「っ!」
ヒナギの身体は無意識にカウンターを行えるように動き出す。そしてヒナギの思考は、ビーストタートルをどう両断するかのみに未だ集中している。
噛み砕かれるスレスレの距離でヒラリと身を躱したヒナギは、無防備となったビーストタートルへと攻撃とカウンターの両方を併せ持たせた最高の一撃を、攻撃に意識を全て割いて無意識に放った。
それは瞬きするのに等しい間に起こった一瞬。気付けば、ヒナギとビーストタートルは背を向け合う形に収まっていた。
「……」
「……」
そこに両者の言葉はなかったが、勝敗は本人たちがしっかりと理解していた。
やはり、ヒナギが最も得意なのはカウンターであることに変わりはない。ヒナギの猛攻によって辛うじて繰り出された攻撃など、ヒナギにとっては逆に良いカウンターのチャンスそのものだからだ。
ヒナギは、守りの意識をする必要は一切なかった。既に、無意識にカウンターを身体が反射的に行えてしまえるくらいに染みついてしまっているのだから。そこに自らの意思を乗せるのは返って逆効果であり、効率的とは言えない。
『夜叉』と相対した時にはまだ完全に意識を割くことができていなかったが、格上の相手だったのだからそれは無理もない。余裕はなく、未完成の技術。そんな状態で完全に意識を割くなんて芸当は流石にできなかった。
しかし、ようやくである。ビーストタートルの前に倒した植物型のモンスターとの最後の経験を経て、今ようやくそれは花開くこととなった。新たなスキルと共に。
もうヒナギは、守りの意識をする必要性を持たない領域に達していることに、自ら気が付くことができていた。
相手に一太刀浴びせたことは分かっても、自分が今何を放ったのかを遅れて理解したヒナギは――口にする。
「――絶華七輪撃・水木」
言い終えると同時に、斜めにズレ落ちていくビーストタートルの身体。爪先から胴体、甲羅など無関係に両断された跡が、綺麗に一本の赤い血で繋がった。
すかさずそれは許すまいと、黒いオーラが邪魔をし始めるが……
「――無駄です」
「っ――」
刀で両断したと同時に、ヒナギの手元からはあの白い刀が既に消えており、手元には無い。
どこにあるのかは、ビーストタートルは身を持って理解することとなる。……自らの身体が、内側から微塵切りにされたことで。
森に、赤い雨が降り注いで汚していく。その赤い血の発生源からは旋風のように蝶達が舞い飛び、ヒナギの周囲へと戻って来る。鮮血の中で際立つ色をしている蝶は、美しいがどこか畏怖を覚える。
蝶達に囲まれたヒナギは降り終わるまで真っすぐな目で残骸を見つめて、息を大きく吹き返した。その息には疲れた、緊張が解けた、安堵といった様々なものが含まれていたが、一つだけ確かに言えることがある。
ヒナギは自身の役目を果たし、勝利を収めたということだ。
ヒナギはビーストタートルの身体を両断したと同時に、その切り裂いている最中に刀を分離させ、ビーストタートルの体内へ刀を置き去りにしていたようだ。自由に形を変えることができる、スキルの特性を生かした倒し方である。
生物というのは例え外殻は固くとも、内部は案外モロいことが大半だ。柔らかい内側からであれば、滅多切りにし、内側から身体を切り裂くことは容易。そのまま硬い外殻を突き破り、四方八方に肉片は飛び交わせたのである。
先程得た情報である、バラバラになるまで切り刻めば回復はできないこと、それは確かなものとなった。
舞っていた力達を収め、ヒナギは少し今の自分の感じていた感覚を思い返す。
この感覚を忘れてはいけない。忘れてしまえばいつも通りで後戻りしてしまうと言い聞かせるように、今の戦いの場面を思い出して感覚を体に馴染ませる。
今までとは違う感覚は、すぐには受け入れることはできそうもない。ただ、自分がこれから先も強くなりつづけるにはこの感覚が必要だと理解したヒナギは、その感覚と向き合うことを決意した。
「さて、皆さんに合流しないと!」
元気よく、次に向けてヒナギは動き出した。自らの力に自信を持った、爽やかな足取りで。
◇◇◇
「……フェル様、ヒナギが勝ったよ。後は掃討戦だけだって皆に伝えてくれない?」
「左様か! ヒナギ殿――感謝致す……!」
オルヴェイラス中心に本陣を築くナナとフェルディナント。ヒナギが例の個体を討伐したことを知るや否や、フェルディナントは喜びを露わにしないわけがなかった。
これで脅威は半減したと言ってもいい。残りの大半はモンスターとしては侮れないものの、確実に討伐できる見込みがあったのだから。問題は例の個体であり、それに関しては到底兵達では太刀打ちできないと思えなかったため、その脅威が無くなったことはつまり、兵達の損害が限りなく減るということと同義だ。フェルディナントは兵達が死の危険から遠ざかることに安堵していた。
ナナも満足気な顔でフェルディナントの表情にほっこりとした気分になっているが……突然、その顔は何かに反応したような、感覚を研ぎ澄ませた表情へと変えてしまった。
「っ!? ……これは……」
「どうされたのだ?」
一体どうしたというのか。フェルディナントが気になって声を掛けると……
「フェル様! ゴメン一旦ここから離れる!」
「ナナ殿!?」
ナナは慌てた様子で、この場から離れると言い出してしまう。そしてフェルディナントの驚きを尻目に飛び立ち、上空へと上がる。
「アルちゃんの近くに何か出て来た……!」
「なに!?」
説明をしている暇はないといった様子で何が起こっているのかを簡単に伝えたナナは、目にも止まらぬ速度でアルの元へと向かい始める。
「(この魔力、一体誰!? 初めて見る魔力……急がないと!)」
ナナは、感じる魔力波が今までに出会ったことのない人物だということに不安を駆られる。
ナナが把握している魔力波のどれにも該当しない魔力波を持つ人物が、今アルのすぐ近くにいる。アルは人嫌いで接触する者は限られているし、オルヴェイラス家を始めとした者達以外は近寄らせないと聞いている。だから、本来ならアルの傍にいる者の魔力波が該当しないはずがないのだ。
そして今丁度この騒ぎのタイミングで接触を図るということは……よからぬ考えを持った人物である可能性が高い。住民は確かにシュトルムの住居へと避難していて比較的アルに近い場所にいるが、そもそも外に出るなんてことはしていないのだから。まず住民ではないことは確かだ。
この状況で現在外にいる者は限られている……。
ナナはどんな人物か心のどこかで当たりをつけながら、アルの元に急行した。
次回更新は金曜です。




