190話 両親
「ただいま~」
「おかえりなさい、先生」
午前中ではあるが、『安心の園』に戻った俺はアンリさんに出迎えられる。わざわざ近くに駆け寄ってくれて、すぐ手が触れる距離にまで。
些細なことかもしれないが、たったこれだけで俺は幸せ一杯である。帰る場所に戻ると大好きな子が笑顔で迎えてくれる……それはすごく幸せなことなんだと思えるから。
これくらいの近さになると女の子特有の甘いような香りが漂ってきて、それが俺の鼻孔をくすぐる。
いつも嗅いでいる……と言うとただの変態に聞こえるが、断じてそうではない。ただ、アンリさんのこの匂いはいつも嗅いでいるため、それだけで安らぎを覚えてしまう。
俺にとってかけがえのない人の1人である。
「ご主人、どうだった~?」
「どうもないけど……取りあえずあの薬って結構高かったんだなって思った…。ヴァルダにめっちゃ持っていかれたよ…」
「なんと……それは残念でしたね」
たった今、ヒナギさんのデート計画で使用し、知らず知らずのうちに飲まされた霊水の費用の支払いを済ませて来たのだが、ヴァルダの提示する金額が予想以上に高額で驚いたのだ。
まさか過去最高の出費をする羽目になるとは思いもしなかったし、常人であれば手出しなんて出来ない代物だったのだと思い知らされてもいる。
「ん、ごめん。分かってて頼んでてあれだけど…」
「あぁ…まぁそれでも問題ないんだけどさ。驚いただけだから」
災厄の解決で貰った報酬が多すぎて、使い道に困る程なのだ。だから別に出費が多いから驚いただけで、迷惑だなんてことはない。
むしろ……こういうとこで使わないと無くなる気がしない。貰った金をこういうところで社会に還元していかなくては経済の不活性を担いかねないし、まぁいいだろう。
それに……霊水がなければヒナギさんとより親密になることなんて出来なかっただろうし、文句を言うのはそれを否定するようなきがしてならないのも事実だ。ヒナギさんの本音も聞けたし、俺としては良いこと尽くしだった。
それ以前に今更文句を言うのは小物な気がしてならない……まぁ俺は小物同然だけどさ。
ちなみにヒナギさんと親密になった結果はすぐに頭角を現し始めた。
最初はやはりアンリさんのことが脳裏にチラついてどう接しようかまた悩んだんだが、それはヒナギさんの母性に触れることで深く考える必要はないと思うに至り、またアンリさんも納得した様子だったので、これでいいのかなと……。
「カミシロ様おかえりなさい。今お茶を淹れますからお座りになっててください」
「あ……ありがとうございます。でもお気になさらず…」
「いえいえ……労いくらいさせてください」
遅れて俺を出迎えてくれたのはヒナギさん。
ヒナギさんは優し気な顔でそう言うと、俺に席で待つようにと伝えて厨房の方へと消えていく。
そう。正直なところ、積極性は増えたと思うがヒナギさんはあまり変わることなく従来通りの対応を俺にしてくれている。でもそれが俺に安心感をもたらし、付き合っている認識も影響し、更にヒナギさんに魅力を感じるようになってしまっていたりするわけだが……。
マジで女神だったか……
ハッキリ言って完璧すぎる人に甘やかされてる気持ちになってしまう。でも自分に好意を向けてくれているからだと思うと……ニヤケが止まらないんですよ…エヘヘ。
そして俺がだらしない顔をすると毎回…
「先生! 鼻の下伸びてますよ」
「あ、ごめんごめん。でも仕方ないんだよこれ…」
「もぅ…先生ったら。ヒナギさんとアタシ……平等にどっちも見てくださいね」
アンリさんが顔を膨れさせて、俺に抗議してくるのだ。俗に言うヤキモチである。
納得はしていても、気持ちは隠しきれないらしい。遠慮しないのはヤキモチも含まれるらしく、ヒナギさんに対抗するかのようにすぐに甘えてくるようになった。
その姿が非常に愛らしく、結果2人共可愛すぎると思うしかないのが俺の実情だ。
罪なことをしているのは自覚しているが、そう思わずにはいられない。
2人の魅力がまた新たに増えたということである。おっふぅ。
「ハイハイ、仲がよろしいことで…」
「ん、見てるだけでこっちはこっちで楽しい」
「苦労掛かった分、なんか羨ましがるどころか和むな…不思議とよ」
「「確かに」」
各々が俺達を見て感想を述べるが、これといって白い目で見られることも無い。
日本では終わってても、こっちでは普通。それは俺のパーティ皆も同様で例に漏れずにいる。
「さてさて……今日はどうすっかねぇ?」
膨れてしまったアンリさんを嗜め、今後について思案する。
やることが一通り終わった今、依頼以外にやることはない。修業もすることはできるが、今はそんな気分でもないし、この前やったばかりである。……と言っても、大した成果は得られなかったが……。
だって皆は【成長速度 20倍】なんて無いし、俺の様に簡単にレベルは上がってくれないからだ。
しかもレベル上げが簡単に出来るかと思いきやそうもいかない。レベルを上昇させるには、生き物を殺すことでしか得ることのできない、経験値が必要となるからである。
スキルは各々の鍛錬によってのみ経験値は得られるため、いつでも何処でもお手軽? に行うことができる。
だが、レベルアップのために無闇に生き物を屠るのは道徳的にどうかと思うし、単純な話……討伐依頼系でしかレベル上げも出来ないから難しいのが現実だ。
意外とレベル上げが難しいのだこの世界は。残酷な性格をした奴ほど強くなってしまう傾向が強いのではないだろうか?
……と、レベル上げ云々の現状はさておき、他にもっと大事なことあるあるじゃねーかって話。
そう、『ノヴァ』を探れよってことだ。
分かる。言われなくても分かるよ? その気持ち。俺も確かに、すぐにでも動きたいって思うしね。
でも……現状無理じゃん。どうやって探せっちゅーねん、手掛かりも無しに…。
アイツらかくれんぼの隠れ役免許皆伝保持者だよ? しかも1000年に渡る程の……。
まだかくれんぼ探し役初段の俺はおろか、上段のヴァルダですら手掛かりも掴めてないんだから無理ゲーとはまさにこのことだ。
やる気が失せてくる。
「それなんだが……話がある」
「ん?」
俺が半ば独り言のように呟くと、シュトルムが反応し言葉を返してくる。
「目下の問題が解決したし丁度良いと思ってな……。ちっとの間だが…俺はパーティを抜けさせてもらおうと思う」
「え?」
「イーリスでちょっと問題が発生しててな、その関係で戻ってくるよう連絡が以前あったんだよ。…1週間前くらいだったか……」
「あ、パーティを抜けるわけじゃないのか……驚かすなよ」
「あ、悪ぃ悪ぃ」
ホッと胸を撫で下ろす。
このパーティに居心地の悪さを感じてしまって出たいと言い出したのかと思ったため、もしそれだったら居心地の悪さを感じることになったのは俺だっただろう。
なんにせよ、取りあえずはそういうことらしい。
「いつの間にそんな連絡があったんです?」
「そら精霊を使えば楽勝よ」
「便利ですね……ナナも魔力範囲広いんですから似たこと出来ないんですか?」
「適正魔法がご主人みたいに多ければできるよ? 特に風さえあればね」
「へ~、凄いなぁナナは」
「でしょでしょ~」
アンリさんにナナが撫でて貰い、満足そうな顔で頭を指にこすりつけている。
…まぁよくある光景だな。ただひたすらに可愛い……それに尽きる光景。
でも最近中身が可愛くなくなってきてるのは内緒。
「じゃあ……シュトルムはイーリスに行くのか?」
「あぁ。結構急ぎっぽくてな……悪ぃな。ま、終われば戻って来るさ」
「……そうか」
急ぎなのに、先日の計画のためにわざわざ残っててくれたのか…。
「遅れた分の時間って結構あったろ? ……それなら送ってくよ」
それくらいしか俺はしてあげられることはない。
できることをしなければ……。
「お前はそう言ってくれると思ってたからよ……最初から当てにしようと思ってたわ。……頼めるか?」
フッ…と顔を軟化させ、期待してたと口にするシュトルム。
だが下心を聞いたところで、それが俺達の関係に何か悪影響を与えるはずもない。このくらいは普通なのだ最早。
「当たり前だろ。…で、どっちがいい? 俺が投げるのとポポ達で飛んでくの」
「…後者に決まってんだろ馬鹿」
「ですよねー、流石に冗談だよ半分は。じゃあイーリスに行くの決まりだな。……どうせだったら皆も一緒に行ってみる?」
「……は?」
「イーリス大陸…行ったことないですアタシ」
「私もですね……」
「私は一度だけあるけど……もう1回行ってみたいな」
「……決まりだな。もう完全に行くノリになっちまってるな3人共。ついでにあちこち回ってみたらどうだ? アンリと姉御はツカサと一緒によ」
どうやら大半の人間がイーリス大陸に馴染みのない人だそうで、何気なく言った俺の言葉を真に受け、行くことに興味を示してしまった。
シュトルムが目を点にし、何故そうなったのか考えているようだが……そうだからそうなったとしか言いようがない。
……マジで行ってみますかい? ついでにその問題とやらの解決を手伝えるかもしれんし……シュトルムも助かるよな、うん。
てかジークにしては気の利いた台詞を言うではないかね。確かに雰囲気の良い所でお出かけとか……超良いッスね。
「お、オイ……イーリスに全員来るつもりかよ?」
「いや…割と冗談で言ったつもりだったんだけど……まぁやることないんだから別にいいじゃね? 何処に行っても俺達のやることって変わらんし……」
「……いつにも増して行動力高すぎないか? 全員……」
「……そんな日もあるんじゃね?」
「意味分からんし説明になってないんだが?」
気分に説明も糞もないと思いますけどね。
ただ行きたい気分になってしまった……ただそれだけだと思うぞ。
そうさせてしまったのはシュトルム……お前じゃい!
「んー…景観が確か有名だったよな? イーリスって……。あとユニコーンがいるとか…」
「なんだ、それは知ってんのかよ。全大陸一と言われるのは伊達ではないと保証しよう」
久しぶりに異世界っぽい体験が出来そうですな。ユニコーンとかに会えるかもしれんとは……今からワクワクしちゃうわ。
普段の生活が既に異世界っぽさ満々なのだが、感覚が既に麻痺したのか何も思うことが無くなってきたのが最近の悩みだ。贅沢な悩みですけども…。
こんなの異世界じゃない……ただ異世界で暮らしてるだけの地球人だ俺は。
もっと刺激が欲しい。
「……ホントに行くのか?」
「今のところそれしかできることなんてないからな…構わないさ」
「そうか……まぁ俺は別に構わないし助かるからいいけどよ…」
突然大胆急展開。
こうして俺達は、ついでにシュトルムを送り届けるためにイーリスへ行くことに決めたのだった。
安易だがこういうのは思い切りが大事なのだ、そうなのだ。
◆◇◆◇◆◇
ツカサ達がイーリスへ行くことに決め、それからちょっとした出来事を経験してから翌日のこと。
昼下がりのギルドでは、受付業務に勤しむマッチが所狭しとカウンターでデスクワークをしている。その手際は熟練のもので、長年で培ってきたノウハウが無意識に、そして洗練されて動きに出ているようだった。
次々と書類が完成し山積みとなっていくが、それを流れ作業の様に別の職員が手に取り、別の作業へと移行していく。
所謂平常運転である。
毎日そうであって欲しい程に望ましい日であったため、マッチは内心幸せを感じていたりする。
そんな時……ギルドの扉が開かれて2人の男女が姿を現し、マッチは作業の手を止めた。
マッチはいつも通り、来客の対応をこなすためにまず声を掛けるが…
「こんにちは。どうかされましたか?」
「あの、お忙しい所失礼します。こちらに……アンリ・ハーベンスが所属していると思うのですが……ご存知でしょうか?」
「え……アンリさんですか? ええ存じておりますよ」
「その娘は今どちらにいらっしゃるか分かりますか?」
「あの…失礼ですがアンリさんとどのようなご関係で?」
「その娘の父です。そしてこちらは母です」
「娘がいつもお世話になっています」
「なんと!」
突然の訪問。マッチへと声を掛けたのはアンリの父で、その隣にいるのは母だという。
予想外の事実に、マッチは驚きを露わにした。
確かに母親の方はアンリと同じ赤い髪をしていて、髪型こそストレートに下ろしていてアンリとは違うが大変綺麗な相貌をしている。それは、アンリを成長させた姿のような錯覚をマッチが覚える程である。とても子を持つようには見えなかったのだ。
フィーナといい、若々しい姿を保ったままなのは異世界特有なのかもしれない。制服を着せたら、問題なく学院で生活しても誰も気づかなそうである。
一方、父親の方は茶髪でアンリと似通った点は見受けられず、一件すると親子には見えない印象だろうか。
そもそも性別が違うし、特徴として表れていなくても無理はないが。
「娘さんを心配してわざわざいらしたんですか?」
「えぇ、ちょっと主人が…」
「心配に決まってるじゃないですか…フフフ」
マッチは微笑ましい気持ちになった。我が子を心配し、遠路はるばるグランドルまでやって来る程なのだから。
マッチはアンリの両親が急に来訪してきた理由を知らない。そのため、純粋に気になったことを聞いただけだったのだが、どうやらアンリの父の様子がおかしくなり、負のオーラが滲み出始めてしまった。
カウンターの端に掛けていた手には力が込められ、カウンターに若干ヒビが入った。
内心で何か変な事を言ったのか疑問を覚えたのだが、アンリの父はいきなり急変し、心の叫びをぶちまけた。
「あ、あの?」
「あの年端も行かない娘がどっかの男の毒牙に掛かったと聞いて父親として黙ってられる訳ないでしょう!? 手紙に書いてあったんだ…「お父さん、アタシ恋人ができました!」って…。あぁ可哀想なアンリ…けしからん奴の甘い言葉に騙されているだけなんだきっと…。やっぱりあの娘を冒険者にさせるんじゃなかった。学院を卒業したらその後は家で大事に花嫁修業でもさせてあげるべきだったんだ…蝶よ花よというようにっ! グスン! 僕の可愛いアンリがあああああっ!」
「………えっと…?」
アンリの声を真似したのか一部女性っぽい高い声を交えながら、アンリ父は言葉を吐き出した。
そして反応に困った様子を見せるマッチ。その顔に焦りはなく、ただどうしていいか分からないといった顔。アンリの母は溜息交じりに呆れており、どうにかしなきゃと思っていても手がつけられない様子だ。
マッチはギルドに属してからというもの、ドミニクやシュトルム、ヴァルダ等の変わった人に出くわす、またはそういう面倒なシチュエーションに遭遇・巻き込まれることは何度も経験しているし、そんなのはザラである。今回もその例に漏れないものだなと……。
しかし、司がグランドルに来てからその回数がやたらと増えたと思っていたりもしており、また司絡みなのかと考えてしまっているのが実情だったりする。
実際問題司はアンリの恋人であるため、司が原因であると言える。
「すみませんねぇ…親馬鹿すぎる夫で。その彼氏さんに会いたいって聞かないんですよこの人」
「違う! 会いたいんじゃない……そいつをブチ殺して「その口閉じてくれる? あ・な・た?」 ウッ…!?」
「(なるほど…上下関係はこうなっているのですね)」
どうやら母の方が怒らせると怖いようで、父の方は睨みを効かされて押し黙った。冷や汗を垂らしながら、引きつった顔で態度を小さくさせる。
そのやり取りを見て、マッチはすぐさま上下関係を理解する。その最中に、不穏な言葉が聞こえたような気がしたのは間違っていない。
「えっと…」
「主人は放っておいていいので。その彼氏さんに挨拶をしたいと思ってこちらに小旅行がてら伺ったんです。私も会ってお話がしたいですしね。……それで、娘はどちらに在宅かご存知でしょうか?」
「でしたら…「知ってるのか!? さぁ言え! さっさと言え! その野郎ブッ殺してやr「うるさい」ぐへっ!?」
アンリ父がマッチの言葉を待たずに、カウンター越しに胸倉を掴んで揺さぶりを掛ける。マッチも肉体は鍛え上げられているはずだが、その強い力に抵抗すら出来なかった。
……が、上には上がいるとはまさにこのことであろう。
アンリ母の容赦ないストレートパンチが、アンリ父の顔面に炸裂。拳は顔にめり込み、その威力を抑えきれず、アンリ父は空中で横に一回転して地面に倒れ込み、動かなくなった。
死んではいないが、完全KO状態である。その結果マッチは解放されたが、別の意味でアンリ父も解放されそうである。
その殴った方の手をプラプラとさせながら、そのまま頬に当てて苦笑いするアンリ母に、マッチは唖然として口を開いて動かなくなる。
その細い腕から繰り出されるものとは思えない一撃だったのだから当然かもしれない。
「すみません…娘のこととなるといつもこうなので。お怪我はありませんか?」
「は、はい…私は平気ですので。…それにしても、愛が強すぎる人みたいですね?」
「度が過ぎると言って結構ですよ? 困りものですよ…」
「(貴女のパンチも相当困りものに見えますが)」
掴まれたことで乱れた服の襟を直し、冷静に対応するマッチ。
体格に見合わない臆病な性格だったマッチだが、ここ最近の経験で克服し始めているようだった。更に以前のジークの威圧を経験してもいたため、あれ以上に怖いことなどないと理解しており、それも影響していたりする。
「ただ…ここまで過剰ですと学園の時は大丈夫だったんですか? アンリさんは確か王都の学院の出と聞いてますが…」
「よくご存じなんですね。……大丈夫なわけないじゃないですか。入学して1ヵ月で主人は学院に出禁でしたよ。フフフッ」
「……」
「そのせいであの娘は今まで誰ともお付き合いしたこともなかったみたいで……悪影響を与えてしまいましたよ」
アンリに浮いた話がないのは一重に父親が原因だったりする。
ヒナギと同じくらいこの町では密かに人気の高いアンリだが、学院というもっと人数の多い場所で浮いた話がないのは不自然である。
それもそのはず、こんな面倒くさい父親がいると分かっては、鬱陶しくて付き合ってられないと思ったのだろう。いや……面倒くさいというより最早恐怖か……。
年頃の学生なら、親達による影響は受けやすいと言える。出禁となる程であるから、相当ハイレベルに面倒で恐怖を覚える父親ということだろう、アンリの父親は。
「でも、環境が変わって功を成したみたいです……やっと彼氏さんができたって手紙で知って…。早く会ってみたいわぁ」
一度は少し残念そうな顔を見せたアンリ母だったが、次第にその顔を軟化させていき……和やかな笑みへと変えていく。
司に会ってみたい。そう口にして……。
しかし…
「それなんですけど……今は会えないでしょうね」
「え? どういうことかしら?」
「つい先ほど、暫くの間イーリス大陸に行くと言って旅立たれましたよ……パーティの皆さんと一緒に」
「あらあら…そうなんですか。困りましたね…入れ違いになってしまいましたか。主人になんて言えばいいかしら?」
倒れたアンリ父を見ながら、困惑した様子を見せるアンリ母だったが……アンリ父の容体についてを心配している訳ではないのが複雑である。
日常茶飯事の出来事なのは想像に難くないが、心配する必要がないのは如何なものなのだろうか。
そこに、別の人物の声が聞こえてくる。
一部を除いてほぼ全ての者が心で嫌な反応を一斉に示す人物である。
「マッチさ~ん、マッチさんはいーまーすーかーね~?」
「この声は…」
ヴァルダである。声を伸ばしながら、マッチの名を呼んでいるようだ。
そしてヴァルダはするりと音を立てずにギルドへと入ると、滑るような足取りでカウンターへと一目散に近寄る。
その手には……何故かマッチが一本握られていたが。
「どうも、マッチョ売りのマッチさんにマッチ売りのヴァルダが参上いたしましたよ~。マッチ1本いかがです? それとも筋肉1盛りの方がいいですか?」
「ヴァルダさんですか……全部要らないです」
「そうですか……それなら俺のマッチはd「要らないです」…ふにゃん」
さり気なく下ネタを挟むヴァルダだったが、いつものように軽く、そして強く受け流すマッチ。
最近ではヴァルダの対応をすることもギルドの通常業務に含まれており、しかもギルドマスター公認である。それほどにヴァルダは厄介だが……だからといって蔑ろにしていい奴ではないという、ハッキリ言って面倒な存在なのだ。
これでヴァルダに有用性がないのなら、業務妨害並びに迷惑罪等で即座に兵士に引き渡しているところだ。
そんなことを本人は気にもしていないが。
「……でもそう仰らずに。今ならこの胡散臭い筋肉増強剤がついてきますy「要らないです、間に合ってますし」…あれま、それは残念。貴方も俺もムッキムキのチャンスだったんですけどね……仕方ないので諦めましょう」
「それで、ギルドマスターは奥にいますよ。情報交換ですよね?」
「流石話がお早い。では通していただこう……と、言いたいところですけど……そちらの美しいご婦人はどなたか? 少なくともこの町の人ではないですね?」
「あぁ……アンリさんの母親だそうで…」
しょうもないやり取りを済ませた後、用を済ませる前に目の前の疑問に目を向けるヴァルダ。
視線はアンリ母へと注がれる。
「な、ななななぁ~んとアンリ譲の母君であらせられましたか……お初にお目に掛かります…ヴァルダです。この町でしがない情報屋をやっております。以後お見知りおきを」
スタイリッシュなポーズを取りながら、まるで王子が姫へと求婚をするかの如くヴァルダは膝をつく。
その姿だけを見れば不思議なことにキザッたらしくもなく非常に似合っているが……本性を知っている人からしたらなんとも思うことはないに等しい。
「情報屋なの? あ! 丁度いい」
「はて?」
しかし、ここでアンリ母は挨拶にではなく別のことに反応したようだ。
両手を叩いて、可愛らしさ満点の笑みで閃きの仕草を取った。
「それなら…知っている範囲で良いので娘の彼氏さんについて何か教えて下さらない? せっかくこの町まで来て何も得られないのはアレですし…お礼はしますので…」
「ツカサのことを?」
……娘に会えないのでは、彼氏にも会うことなど出来ない。それはつまり、何も収穫を得られないことと同義だと考えたらしい。それゆえに、情報屋だと名乗ったヴァルダに即座に頼ることにしたようだ。
まぁ実際には情報を得ることなぞ至って簡単でありそんなことはないのだが。……この町に住んでいる者であればヴァルダに聞く必要性はまずないレベルで。
しかしそれもアンリ達の状況をよく知らないのであれば仕方ない判断である。まさか自分の娘がこの町で一番有名な人物と交際しているなんてことを思うはずもない。過去に誰かと付き合った経験もないのだからより一層。
「別に聞かなくてすぐに分かりそうな気が…「お教えしましょう!」
マッチが頼み込むことはないと言おうとしたが、そこで声を遮り、ニヤリと笑うヴァルダ。
誰から見ても悪だくみしてそうな顔である。
「お代なぞこれしきのことで貰っては私の美学に反しますので結構ですとも! それにもう頂戴しておりますよ? ……私が必要とするのは純粋なる愛ですので! 親子愛…しかと受け取りました」
「まぁ!」
「(酷いくらい貴方は愛が歪んでますけどね)」
「それに…その彼氏の彼氏が私ですので、知らないことなんてありませんとも!」
「…あ、あら?」
「いや、嘘ですから……その点に関しては嘘ですから。真に受けないでください」
「なるほど……同性ですら虜にしてしまうお人なのね…アンリの相手は。これは今度会うのが楽しみね」
「(ヴァルダさんが異常って考えはないんですかね? 意外と天然ですねこの人…)」
ヴァルダの豪語する内容に、間違った理解を示すアンリ母。そしてその母の感性もどこかズレてると思い始めるマッチ。……当然ヴァルダは平常運転まっしぐらである。
三者三様とはこのことだ。
ツカサ達がグランドルを出た後の、ほんの束の間の出来事であった。
「………」
屍となったアンリ父を放置し、3人は会話を続けたのだった。
次回更新は木曜です。




