お義兄さん、妹さんを俺にください!
四試合目、ハリスは目をパチクリとさせて、相手を見つめた。
「あんたが、こういうのに出るとは思わなかった……」
目の前にいるマシューは「最後だし、思い出づくりにね。まさかここまで進めるとは思わなかったけど」と肩をすくめた。
「いや、結構あんた体育とかの成績良かっただろ……」
「いいのか?」
「いいだろ……。とにかく、昔の遺恨はなしで正々堂々やろうぜ」
「正々堂々、ね。まあ、よろしく」
「おう、よろしく!」
そう握手したのを、アレコレをしっている友人やクラスメイトたちは驚きの表情で見つめた。
基本的にハリスは怒りが続かないタイプである。マシューの方は多少思うところはあるのだが、きちんとマリアと婚約まで至ったので前よりもピリピリしていない。
アンナは彼らが握手したのを見て、こっそりとマリアを見た。マリアの方も見ていた。
なんとなく、二人ともお互いにぎこちなくだが笑いあった。時間は案外解決を導いてくれるものらしい。
マシューは卑怯な手も使うが基本的に、そういうのを考えるのが面倒くさいタイプなので、相手が卑怯な手を使わなければ、基本つかったりしない。案外脳筋なのだ。それでここまでくるのだから、それなりの実力者ということになる。
まあ、本当に彼は食堂のただ飯も食い放題も興味がなく、思い出づくりのためだけにやっているのだから、そんなものなのだろう。
熱い闘志はないが、楽しもうというのが見える。
ハリスもここにきて、初めて楽しもうという気になったようで、ニヤリと笑って、構えた。
さて、二人がやっている間、ケヴィンの方は、席を離れたきり戻ってこないでいた。
彼は、今回、義弟になるハリスが出ているので、第五試合に飛び入りで出せ、と主催者側に詰め寄っている最中だった。主催者は飛び入りは云々と言って断ろうとしたが、彼はこの大会をいじくりまわした張本人で、抜け穴を知り尽くしていた。
主催者の持っているファイルを引っ張り出して、飛び入り参加もいけるということをきちんと書類に法って説明した。その顔と言い方はどこか脅迫するようなもので、対応に当たった生徒は震え上がっていた。先生の方は触らぬ疫病神にたたりなし、と無視を決め込んでいた。
そうして、哀れな生徒は負け「あの、じゃあ、どうぞ……」と暗い顔で頷いた。
ケヴィンはにっこりと礼を言った。
そうこうしているうちに、ハリスとマシューの試合は佳境を過ぎていた。会場のボルテージはそれなりに上がった状態で保たれ、それぞれに声援がかかっている。もちろん、彼らの婚約者たちも懸命に名前を叫んだりしている。
どちらもそれなりの実力者ではあるが、毎日鍛錬していたハリスに軍杯が上がった。
マシューはしまったな、と思いながら、ばったりと地面に身体を横たえた。
一瞬、しんと静かになったと思ったら、ワッと声が上がった。
「いい試合だった」とマシューは身体を起こして言った。
「こっちこそ、楽しかった」とハリスはマシューに手を差し出した。
マシューはそれをぱしっと取って、立ち上がった。二人はニヤリとした後、大笑いして別れた。あんなことがあったのに仲良くはなれるもんらしい。
さて、五試合目の前に小休憩を挟み、会場に出てみると、義兄が仁王立ちして相手選手として立っている。
アンナはため息をつき、ハリスは驚愕の表情で指差した。
「な、な、なんで!」
「はっはっはっは! これは飛び入りも有りなのだよ! なんせ俺がその方が面白いと思って採用したからな。基本的にあれから、まったくルールが変わっていないので、出れたというわけだよ、ハリスくん!」
「なるほど……」
「まあ、出たかったというより、これが言いたかった……」とケヴィンは静かに目を閉じた。
それからカッと目を見開き
「妹が欲しければ、俺を倒してみろ!」
アンナも、ハリスも、ついでに会場の人たちも、ポカンとこの急に現れた甘いマスクの青年を見つめた。
「お、俺、正式に婚約してたんじゃないのか……?」
「してるよ。してるが、俺が言いたかったのもあるし、かわいい妹をぽいっとやってしまうのもなんか納得いかないっていうか、普通になんかこうモヤモヤする。だから、とりあえず、殴り合えばいいかな、と思って!」
と、義兄は、はっはっはっはっはー! と快活に笑った。
「そうこわばるなよ。負けようが勝とうがどっちにしろ、アンナはお前の嫁さんになるし、家族になるさ。だから、まあ、これは兄の意地というか……、うーん、ま、そんなもんだから、気にせず、ドーンとぶつかれ」
「お、おう」
「言っとくが俺は案外強い」
「知ってるよ……」
ケヴィンはにっこりと「そりゃ良かった」とだけ言った。
さて、困惑しつつも試合は始まる。
案外強いというように、彼の勤め先は騎士団だった。団の中でも頭を少し使うようなところに回されている。そこでも、ここで言われたように、暴君、悪魔、悪鬼、悪童と叫ばれている。それを楽しんでいるものだから、さらにこういう呼び名を引き出すのである。
ハリスは、なんだかんだで四試合分の疲れが溜まっており、動きが鈍い。ケヴィンは少しばかりハンデとして、短いナイフのような木刀を使っている。現役の騎士と生徒。確実に分はケヴィンにある。
それになにより、彼は手加減する気がない。卑怯な手? 使うとも!
「ハリス、今日のアンナの下着の色を知っているか?」
「は……?」と固まった途端、右ほほすれすれに刃が飛んで来る。
「ひ、卑怯だ!」
さらに畳み掛けるように「赤だ」とニヤリとした。
「あ、あか……。うわっ! な、な、何するんだ、ケヴィン! 卑怯者! 破廉恥だ!」
「ちなみに上もそうだ!」
「その手にはもう乗らないぞ!」
「まあ、そうだろうとも」とニヤリ。
「俺のが、味方は多い!」と観客席の声援を指す。
ケヴィンはやれやれと首を振った。
「先生!」と元悪童は叫んだ。
「俺が勝てば、食べ放題とタダはなくなったも同然で逼迫する学校の運営費にプラスが作られますよ!」
それを聞いた先生たちは立ち上がった。
なんだかんだでバカにならない食費である。とくに男子生徒、食べ盛りの子供である。食べ放題なんかにしてみろ、おかわりを毎日三回される。
先生たちは「ケヴィン、勝て!」と叫んだ。
「運営費のために!」
「我々の給料アップのために!」
「勝つんだ、ケヴィーン!」
義弟は、周りの先生たちを見回し「食べ放題とタダってなんだ!」と叫んだ。
観客席の友人らはため息をついた。
「あれ、お前、知らなかったの? この試合は卑怯で卑劣な手を使ってもオッケーな、優勝特典に一年間食堂食べ放題タダになるっていうの」
「知らなかった!」
「ハハハハハ! だから、お前、馬鹿正直に正々堂々やってたのね。ふふ、はははははは!」
大笑いしている義兄に向かって振り下ろしたが、現役は強い。きっちりと受け止め、蹴りを入れた。
「いかん! いかんぞ、ハリス! これくらいでよろめいていては!」
「うう、確かに……」
「そうだ、思い出したことがある。妹の新しい寝間着なんだが……」
「無心だ、無心だ、無心になるんだ、俺。俺ならできる。俺はなにも聞こえない……」
と懸命に振り下ろしたりないだりしてみるが、ケヴィンは楽しげに避けながら、さらに暴露していく。ちなみに、なにを話しているかは、観客席に聞こえていない。
「あれはなんていうのかなあ、ネグリジェっていうのかなー。微妙に透けててな、下が太ももの半分くらいまでしかないワンピースみたいな上にかわいらしい透けたローブがこうかかってな」
「聞こえないー!!」
「いやあ、お前の好きそうな感じの清楚感があったなあ」
「なにも想像してない!」
「なんで買ったのかって聞いたらな」
「うぅぅぅ……」と真っ赤な顔で唸りながらハリスは勢いよく叩きつける。
「お前が好きそうだからだってさ。早く見れるといいなあ」
「う、うわ……。ぐぅ……」
ハリスはふらふらとしていて、剣先がぶれぶれだ。ケヴィンはニヤリとして、勝つための一手を繰り出そうと構えた。
その様子を見ていたアンナはきっと兄があることないこと、とにかく動揺しそうなことを言っているに違いないと思った。彼がここの生徒だった時も、卑怯卑劣な手を少ししか使わずに、相手が動揺しまくりそうなことを言いまくって、そこをつくというねちっこく悪どいことをしまくって勝っていたのだ。
アンナは立ち上がって「なにを言われてるか知らないけど、私に優勝旗持たせてくれるんでしょ!」と叫んだ。
それを聞いたハリスはハッとしたように、ケヴィンの鋭い突きを紙一重で交わし、腕をはっしとつかんで、蹴りをみぞおちに入れようとした。だが、それを空いた片手で受け止め。頭突きをし、手を外し、両手が自由になったところで、また鋭く刺すようにリズミカルに首を狙って来る。
ハリスはそれをどうにか避けながら、どうすれば、この義兄になる男に一撃あびせられるかを考えていた。
卑怯な手を使おうと思ってもその隙もないし、やり慣れていない動きを入れるのは得策ではない。そう、判断した。
「どうした、ハリス。逃げてばっかりじゃいけないぞ。立ち向かう勇気が必要だ。そう、例えば、勝たねば妹をやらん、とかいうお兄ちゃんとかに」
「じゃあ、負けてくれ!」
「それは嫌だなあ」とへらりと笑って、疲れで鈍った腕を掴み「だって、お兄ちゃんはいつでも妹の憧れでいたいもの」とハリスを転かしてマウントを取ろうとした。体格はどちらかというとハリスの方がいい。蹴飛ばしてのかせ、立ち上がって反撃した。
「ガッツがあるね、俺、そういうの大好きよ。うちの団員もガッツがどこよりも溢れててな、いずれ俺を泣かすとか熱烈なこと言うのよ。僕、怖いわ」
「絶対、嘘だ」
「ばれた? 俺、泣かされたら倍返しするのが楽しみでしょうがないんだよね。絶対、あいつら、声が枯れるまで絞る」
「俺はケヴィンが一番怖いよ……」
「大丈夫、お前は騎士団に入らないんだろ? 安心しろよ。俺は基本的に優しさでできてる男だ!」
「ううーん……」
「悩みなさんな」と砂を目の前で散らす。
ハリスは目を瞑って「卑怯!」と叫んだ。ケヴィンはゲラゲラ笑って、今度こそトドメを刺そうと木刀を突き出してきた。
その腕をほとんど偶然と言ってもいいが、ハリスが掴んだ。しめた、と思って、彼はそのまま振り上げて叩きつけた。ケヴィンは小さく唸った。
きっちりと叩き込まれたが、二人はしばらくの間、にらみ合った。
ケヴィンの方が頬を和らげニヤリと「うーん、しょうがないな、認めてやるよ」と言った。
「俺の負けだ!」
ハリスはびっくりとケヴィンを見た。
己が叩き込むのと同時に彼は短さを生かして持ち手を投げて入れ替え、彼の背中に切っ先を当てていたのだ。これは引き分けであるはずだ。
まじまじと見ていると、義兄は肩を叩いて「お前の勝ちだよ、俺のが一瞬行動が遅かった。よくやった」と離れていった。
それとほとんど同時に観客席から降りてきたらしいアンナはハリスに飛びついた。
「あ、アンナ?!」としっかりと抱きとめたハリスは目を白黒させた。
「おめでとう! 大好きよ!」と頬にキスを送られた勇者は今までの疲れと、嬉しさで真っ赤になってぶっ倒れた。
なんとか回復したハリスはその後、もらった優勝旗をアンナに渡して「やったぜー!」と振り回して嫌がるのを無視して校内を歩き回った。もちろん、アンナは怒ったが、約束を守ってくれたんだから、と今回は許してあげた。
こうして、学園祭は、終わっていったのであった。
ちなみに、後日、寝間着の件が嘘だと知ったハリスはショックを受けて、1日寝込んだ。そのおかげで、アンナは兄のいっていた寝間着を購入することになった。これは、まだ青年は知らない。よかったね、ハリス……。




