素直な狼
あれから、婚約者ということに慣れてきたハリスは赤面はもうしなくなったどころか、なんの気なしに発した言葉で逆にアンナを赤面させてしまうようになった。
そこから、なんとなく恥ずかしくなってしまうアンナは友人にからかわれないため……というよりもノリがよすぎて「なに、中庭で仲良く語らった? よし、お祝いだ!」と転入してからずっと応援してきたハリスの友人に祝われないために、だんだんとツンツンし始め、素直じゃなくなってきた。
それに気がついたハリスは悲しそうな、深刻な顔をして、男子寮にて友人に「最近のアンナが素直じゃない」という話をした。
「お前、あれだよ、照れだ。ズバリ照れだ」
「照れ……。そうか、照れなのか。それはそれでいいとして、やっぱり「いや、別にそんなんじゃないから」みたいな反応は、こう……悲しい」
「うんうん、ツンってやつな。なんで照れてんだろうな」
「うぅん……」と少し考えたのち「俺もわかんない」としょんぼり肩を丸めた。
「それじゃ、俺だってわからん」
「もしかして、一々俺たちに報告するからじゃないのか」
「ありうる〜」
「でも、俺はみんなに言いたいし、アドバイスももらいたいんだ! っていうか、お前らが喜んでいるのを見ると、俺も嬉しい、そんな感じ」
「そっかあ」
「お前、ほんとに素直なぁ」
「ひねくれてないなあ」
と、友人らはニコニコと頷いている。
なんだ、その父性か兄的な眼差しは、とハリスは思ったが、指摘せずに「照れるっていうのは、嬉しくて照れてる場合と、そうじゃない場合がある。前者ならいいとして、後者なら俺は猛省する。猛省して滝に打たれて、己の行動を見直す」と真面目な顔で言う。
そんな真面目な顔で言われた友人らは、慌てて「いやいやいや! そこまでしなくてもいいだろ! 重いっていうか、深い! 深すぎるぜ、思いやりが!」と押し止めた。
「そうか? でも、とにかく、どっちなんだ。どっちだって聞いたところで、今のアンナが答えてくれる気がしない。俺はいつでも素直なのに。いや、別にアンナに素直になってほしいとか、そういうのじゃない。素直じゃないアンナも別段いいと思うんだ。でも、否定されると悲しい。そう、悲しいんだ……」
「ああ、ああ、落ち込まない、落ち込まない!」
「お前くらいになると逆に過保護感あるぞ。過保護っていうか、過剰」
「それな」
「過剰……? 俺はただ素直に喜んだり悲しんだりしてるだけなのに! だって、考えても見てくれ! 言わないとわからないし、表現しないとわからないじゃないか。だって、相手が笑顔でも本当は腹で泣いてたりすることはザラじゃないか。それがいいか悪いかは置いておいて、相手にわかってもらうためには言葉をつくして、心を開いてやらないとさ!」
「そうだな!」
「そういや、彼女に言わなきゃわからないに決まってるじゃないって言われたなあ……」
「戻ってこい! 過去のことだ!」
「うぅ……、お前はえらい。えらいよ、ハリス! そのままの君でいてくれ!」とガバと抱きついて友人はおいおいと泣いた。まだ失恋の痛手が治らないのだ。よしよしと頭を撫でれば、さらに泣く。
「ああ、わかるぜ。俺もアンナが婚約済みと聞いた時は魂が口から抜けて、夜通し泣いた……。そして病気になり、飯も食えずに一週間……。わかるぞ、その苦しみ! 泣け、好きなだけ泣くんだ……」
「ハ、ハリスゥゥゥウ!」
「よしよし、いつかきっといい出会いがあるさ……。まあ、俺は叶ったんだがな! はっはっはっはっは!」
「ハリスゥゥゥウ!」
失恋した野郎共が一斉に吠えた。
さて、その頃の女子寮でのアンナはと言うと、優雅にティータイムとしゃれこんでいた。
周囲の友人たちに、最近、どうにも照れて素直になれない、という可愛い相談をしていた。友人たちは、皆、にこにことしながら頷いた。
「別にハリスの言動がいやってわけじゃないし、二人なら、たまにしか照れないんだけど、ハリスの友人が祝いだって騒ぐじゃない? あれで、すごく恥ずかしくなるのよ。あ、私、そういうことしてたのかって意識しちゃって」
「うんうん、周りの目って気になるわよねえ」
「わかるわ。でも、あれだけ素直に色々言ったり行動する男子って少ないわよ」
「それね。逆に私たちの方は感心しちゃうって感じ」
「でも、あの周りの悪ノリ軍団がねえ」
「そうなの! あれで照れていらないこと言っちゃうの! いらないこというと、なぜかハリスが叱られた犬みたいに見えて……」
「ああ……」と友人らはしょんぼりと申し訳なさそうにアンナを見つめるハリスの図を思い浮かべて頷いた。大概その場にいる人間は、皆、犬の幻覚を見ているだろう。尻尾がはち切れんばかりにふられていたのが、ゆるぅく小さく振られていくような感じだ。
「アンナはそれがなんだか申し訳ないのね?」
「そうなの……。照れ隠しで言ったことにあんな反応されると申し訳なさが先に立つっていうか。ああ、なんでこんなこと言っちゃったんだろうって悲しくなるっていうか、そんな感じで……。どうしたらいいと思う?」
「どうしたらいいかってとりあえず、騒ぐ悪ノリ軍団をどうにかしましょう」
「多分、普通にハリスのことで喜びまくってるだけなんだろうけどね」
「ま、とりあえず、そこらへんは私たちに任せておいてちょうだいよ! アンナはハリスとどこかでお茶でもしてきなさいな。呼びに行くのがあれなら、私たちが行くから」
「あら、そっちの方がいいんじゃない?」
「それもそっか。じゃあ、アンナ。あなたはハリスがくるまで待ってなさいね」
友人らはお茶を飲み干すと「いってきまーす!」とにこやかに部屋から出て行った。
それからしばらくして遠慮がちにノックがさて「俺です」とハリスがやってきて、髪を整えてさっとドアを開ければ、花を差し出し「お土産」とにっこりと微笑んだ。
「まあ、ありがとう」
「いいの、いいの。俺がアンナに渡したかったんだもん」
そうして、にこやかに「やっぱり、アンナが持ったら素敵だと思ったんだ」と一輪髪にさして、またにこりとした。
「そ、そんなことで持ってきたの?」
「うん。……あ、押し付けがましかったよな、ごめんな。この花、嫌いだったか?」
「ううん、好き」
「じゃあ、良かった。あ、お茶会してたのか?」
「でも、終わっちゃったわ」
「あ、ああ、ごめん。たぶん、俺の友人に説教してるところだと思う。俺もちょっと怒られた。みんながお祝いしてくれるから嬉しくって……。でも、アンナはそれがいやだったんだよな。俺、反省した。これからはお祝いはそうっとしような……」
そう言って、ソファーで物悲しそうにしているのを見て、アンナはなにか勘違いしてるな、と思った。
別に祝われるのが嫌いなわけではなく、ただたんに些細なことで祝ってくるのがいやだっただけなのだ。さらにいうなら、そのお祝いで「〇〇をしたんだな! おめでたい!」となにをしたか言われるのが恥ずかしいのだ。
アンナは隣に座って「あなた、勘違いしてない?」と俯く顔を覗き込んだ。
「勘違い?」
「私、祝われるのは好きよ。ただ、あんなに何回も、しかもなにをしたか大声で言われるのが恥ずかしかっただけなの。些細なことなのに何回も言われると、やっぱり恥ずかしいじゃない? あなたは違うのかもしれないけど……」
「……なるほど、よくわかった。友人にも言い含めておく。俺、これから気をつける。でも、祝い事が嫌いじゃないならよかった! 俺、もしかして、結婚式もこっそりと慎ましやかにしなくちゃいけないのかなって思ってたんだ。なあんだ、よかった……。いや、よくない! アンナがいやだっていうのにいいもなにもあるか! でも、今はアンナの友人が言い含めてるところだしな。彼女らのお説教が終わりそうな時間に戻るよ」
「戻るの?」
「戻らない方がいいなら、いるけど」
「別に戻っちゃダメなんて言ってないわ。聞いただけよ」
それにしょんぼり「そうか、聞いただけかあ」というので、アンナはしまったと思って「聞いただけだけど、その、お茶もしないで戻るのかしらと思って」と慌てて付け加えた。
ぱっとすぐにニコニコして「お茶する! あの分だとお説教は長くかかりそうだしな。ありがたく二人でお茶をしよう」とティーカップやらポットやらを用意し始めた。
「俺、照れてるだけだろうって思ってたんだけど、もしも、嫌われる前兆だったらどうしようって思って怖かったんだ。アンナに嫌われたら、たぶん、今年いっぱいなんにもできないと思う。嘘でも嫌いっていってくれるなよ? 俺は絶対に言わないから。あ、でも、いやなことはいやって言ってくれ。言われないとわからないから」
「わかったわ。……ハリス、私、嫌ったりなんかしないわよ?」
じっとアンナを見つめて「本当に?」と真剣な表情で聞いた。
強面が真面目な顔をするとなんとなく迫力というか、まるで脅迫されてるような感じがして、少しばかりゆっくりと頷いた。
それでもハリスは「本当の本当に嫌わないか? なにをしても嫌わない自信があるか? ちなみに俺はある。アンナが浮気をしようがなんだろうが、結局、俺は許して好きでい続けると思う。可愛さ余ってにくさ百倍になる可能性もなきにしもあらずだが、それでも、俺は自信があると言える。
あんたは? あんたは、その自信があるか?
別になくてもかまわない。そういうもんだ。俺が重いだけだと思うしな。あ、重いって言っても、束縛したいわけじゃないし、俺の思ってるのと違う! とかであれこれ言ったりする気もないっていうか、そもそも俺の思ってるアンナとかあってないようなもんだし、あれこれも言えないんだが、とにかく、俺はなんだかんだである。
で、アンナにあってもなくてもかまわないと思っている。でも、まあ、聞いておきたいといいますか、なんていうか……」
「私、そんな自信ないわ。でも、ハリスが私を好きだって自信はあるし、どんな私でも受け入れてくれるだろうっていう自信もある。信じてるのよ。それじゃダメかしら?」
「ダメもなにもないぜ。……でも、普通に嬉しい。うん、めちゃくちゃ嬉しい! そんな信じられてるっていうか、わかってもらえてるんだな、俺の気持ち! 嬉しいよ、アンナ!」
と、いつもなら、聞いてから抱きしめるのだが、そんな確認なしでぎゅっとされて、アンナは驚きのあまり目を見開き固まった。それがわかったハリスは、やばい、と思ってすぐに離れて「わ、悪い!」とあやまった。
「あ、違うの! ただ、びっくりしただけよ。いつもなら、確認してくるから。別に、その、嫌なわけじゃないから……」
「本当か? いやなら、いやで素直に言ってくれても、俺、ムッとしないし」
「だから、いやじゃないってば!」と逆に抱きしめられて、今度はハリスの方がびっくりする番だった。ただ、固まりはせずにゆるく抱き返して、幸せだなー、とにこにこしていた。
「いやあ、いつもそう素直だったらいいんだけど」
「素直でしょ」
「俺並みに素直になってほしい」
「それは無理」
「できる、できる。素直になろうぜ。うん、素直に……。素直になっていいのか? 俺は実際、素直だったかというと、素直じゃない反応も見せていた。……アンナ、どう思う?」
「は? とりあえず、素直になってみたらいいんじゃないの?」
「そういうなら素直になろう。たまには狼を素直に出すのも大事だって友人が言ってた」
「は?」ときょとんとしているとおでこをこつんと合わせてグリグリとし、ニコニコとしている。アンナは真っ赤になって固まったが、だんだん、これは犬の戯れと同じだ、ということに気がついて頬の暑さが落ち着いていった。
にこにこと満足そうに離れた自称狼が照れ臭そうに「うぅん、一割素直になっただけで、これだから、時がくるまで素直になるのはやめとくよ」と頭を掻いたので、ぷっと吹き出して、アンナは大笑いした。
素直な狼は要するにただのワンちゃんであった。
その後、二人は外に出かけてケーキを食べた。素直な狼はやはりワンちゃん並みのもので、アンナはまたクスクスと笑ったのだった。




