押せ押せすぎてやばい
春休みに入って、すぐさま、挨拶をしたかと思うと、お茶をもらう暇もなく、父親に連行され激務に次ぐ激務をやらされたハリスは始業式一日前にやっとアンナと会えた。
ただ、激務に次ぐ激務(父は思う。浮かれ回られると大変困るので、今の内に鎮火しかない)によって、ハリスの元気は十分の一程度しかなく、アンナとデートもできずにお家でちょっとお茶をしただけで終わった。もちろん、ハリスは男泣きに泣いて、父親を罵倒して殴られ、父親の熱い思い(お前は浮かれると、たまにとんでもない失敗をするので、もしも、あんなに恋い焦がれてたお嬢さんになんぞと幻滅されたら悲しいだろ! 俺も昔、浮かれすぎて幻滅され、振られかけたことがある。なにを隠そう、母さんが十七、俺が十九の時だ……)を知り、男同士の熱い抱擁を交わした。
そんなわけで、若いからかすぐに復活したハリスは元気にアンナと一緒の馬車に乗って、登校することになった。ちなみにマシューとマリアも仲良く一緒の馬車に乗っているし、マシュー父もマリアの強かさが気に入って、快くオッケーを出したので大団円でくるっとまとまっている。
さて、どんなに会いたくても会えずに、父親の仕事に付き合わされ、色々なところに視察に視察にレポート手伝いに視察に報告書のまとめだったりと、学生にこんなことさせますぅ? というようなことをさせられていたハリスははっきり言って、大変アンナ不足だった。
もう春休みに入ったら、父親の仕事を早くに終えて、愛しの婚約者さんと一緒にデートしまくって、思い出の場所でピクニックするんだ、なんてルンルン気分でそうする予定だったのがぶち壊されたのだから、あの入学以来の我慢よりもよっぽどものすごい我慢だった。抜け出したいのを足首縛って我慢するくらい我慢した。
そんなところにやっとのアンナである。
しかも馬車とは言え、二人きり。
ものすごく緊張する。
婚約者だもの! でガンガン攻められるくらいならばよかったが、彼はよくも悪くもお堅いお父上に似て、なんだかんだでお堅い気性の持ち主。オープン狼とか言っときながら、あまりにも紳士的すぎる狼であった。
馬車の中は、不思議な緊張感に包まれていた。
おお、神よ、どうすればいいのだ。婚約者という立場になって逆に俺はめちゃくちゃに緊張してしまっている!
と、ハリスは色んな国の神様に祈りまくったが、全員、自分でどうにかせい、とそっぽを向かれてしまったので少し困ったが、アンナの方が「そういえば、お父様のお仕事ってどんなことしたの?」と聞いてくれたので助かった。
ベラベラと父親と行ったところの話や、どんなことをしてどう大変だったか、などなどを話しまくると、なんとなくリラックスできたのか「アンナの方はどうだった?」だなんて話題をもちかけることができた。そうして喋っている間に学校についた。
「そういえば、ハリス」と降りながら「婚約したら、もっと、こう……どんどん喋ったり、隣に座ったりするものだと思ったんだけど、やっぱり、あなたって真面目なのね」と言われ、ハリスは片足を馬車に残して「え」とまじまじとアンナを見た。
「え、なに」
「ガンガン行くと嫌がると思ってたんだけど、行ってもいいのか? 行ってしまってもいいのか?」
「……出会い頭とか、結構来てたわよ。ガンガン」
「待て。うん、いや、行ってたけど、触らず距離感保ってたはずなんだが、壊していいの?」
「確かに距離感保ってたけど、まあ、いいんじゃないの、ある程度なら」
「ある程度……」
「それより、扉が閉められないから片足を下ろして馬車から離れなさい」
「おう……」
とぼとぼと離れて、荷物を持ち運んでいるのをぼうっと見ながら「ある程度って、どれくらいだ?」と考え込んだ。
一体、アンナのある程度ってどれくらいなんだ。俺のお袋は、どれだけ好きでも下心のある接触をされるとなんか嫌、とか言ってたし、え、どれくらい? どれくらいならいいんだ? 無邪気か? 無邪気にいとけばいいのか? え、待って、俺、男の子だから、ちょっとつらいよ。そっちが薄い人間でも、ちょっと辛いよ。接触ってどれくらいならいけるんだ? 手か? 手ならギリなのか? わからない。俺はわからないよ、母さん。宇宙の神よ、真理の神よ、恋の方程式を教えてくれ……。
「ちょっと」と突かれて、ハリスは「アンナ……」となんだか重たい声を出した。
「なに?」
「その、ある程度ってどれくらいだ? 手は? 手はつないでいいのか? 接触はどれくらいまで許容範囲だ? うちの母さんが、接触があんまり得意じゃないタイプだから……。あ、俺は得意……いや、不用意には触らないけどだな! あ!!! 手!!!!」
ぎゅっと手を握られて、ハリスは真っ赤、アンナはにっこり。
「て、て、て、……手!」
「面白いわねえ」
「手、あの、手。い、いいの?」
「手くらいいいと思うわ」
「え、え……あ!!! 腕!!!」
「これもいいと思うの」
「近い! お、俺、汗臭いと思うぞ! 運動してないけど! あ、わ、あ、アンナァァア……」
「なに情けない声出してるのよ」
「あ、わ、わあ……、近くで見るアンナが、かわいい……」
「ま」
「いつもかわいいけど、さらにかわいい。どうしよう、俺、今、すごく嬉しい。大丈夫。安心してほしい、こんなウブな反応見せるのは、一週間くらいだけだと思う。そのあとは慣れる。慣れてちゃんと対応できて、こんなポンコツじゃなくなってるはずだから。もちろん! 婚前なので、はしたない真似は絶対にしません!」
「え、ええ……」
「うぅ、近い、勘弁してくれぇ」
「ま、なによ、嫌なの!」とずいっと顔を近づけると「ああっ! 近い! 心臓がもたない! 汗がやばい! や、やめてくれ! アンナに幻滅されたくない!」と真っ赤な顔でぎゅっと目をつむる。
なんだ、このかわいい生き物は、とアンナは思った。
彼女は頬をつついて「大丈夫よ。私、幻滅しないわよ。嫌いにもならないわよ。たまにがっかりはするかもしれないけど、でも、それだけ。私、お母様に似て、好きな人にはとんでもなく甘くて、嫌いになんかなれないし、幻滅もできないんだもの」とにっこりとした。
「ア、アンナァァァア……! ありがとう! それでも、俺は幻滅されないように努力するよ!」としっかりと手を握りしめて言った。
「よし、そうと決まれば、まずは、俺は俺の仕事をさっさと終わらせる。部屋を綺麗に片付けて、アンナのも手伝う」
「いいの? ありがとう」
「ゆっくり片付けててくれていいからな! 先に、俺に見られたらいけないものだけ片しといてくれればいいから!」と言うと、さっさと男子寮に入って行った。
アンナがゆっくりと片付けていると、綺麗にノックが三回「手伝いにきたぜ!」とハリスの声。
「どうぞ」
「さくっと片付けたんでどんどん使いっ走りしてくれよ。あと、昼飯、先に買ってきたんだ! テーブルに置いておけばいいか?」
「ありがとう」
「いいってことよ。さくさくっと終わらせて、明日はゆっくりしよう。この学校はいいよなあ、入学式って言っておきながら、ただ寮に戻って片付けをするだけってんだからさ。それに明日はゆっくりめの授業だし」
「そうね。ハリスの行ってたとこはどんなのだったの?」
「入学式一週間前には寮に戻り、片付けや諸々を終え、友人たちと街に繰り出して買い物をして、入学式までは自炊するんだ。本当のところは料理人とかがいるんだけど、自炊を皆ですることによって役割分担や時間分配の仕方などが学べ、さらには、いつ何時サバイバルな目にあうかわからないから、自炊したりできるようになっておくと生存率が上がるだろう……ってので自炊してた。
そう、これでも俺料理できちゃうんです。意外と上手なんです。前の学校は男子校だったんだけど、みんな料理できてお菓子もできるんだぜ。これも、学校がちょっぴりスパルタなおかげ。
そんで、入学式はみんな列になって、ぴっしりと背筋を伸ばし、校長と理事の話を聞く。こんな感じに立つんだぜ? まあ、毎度毎度、整列の時はそんな感じだったから、慣れたんだけどさ」
「そういえば、並んでる時も歩いてる時も、あなたって背筋が伸びてて姿勢がいいわよね」
「うーん、それのおかげかなあ。猫背になると棒を持って来て背中にずぼっと入れられるんだ。まあ、授業時間内だけだけどな。さすがにあれは辛かったなあ。おかげでねれもできない。だけど、おかげで姿勢はよくなったしな! まあ、厳しいって言っても、俺は別の国の人間だったから、他よりゆるかったけどな。多様性っていうのは重視してたんだけど、姿勢だとか動作の美しさとかだけはすっごくうるさかったな、うん。
そこがさ、どうしても動作が美しくないとダメっていうとこで、皆、なんか踊りを習っててさ、俺も習わされたよ。え、こんな衣装を着るの? って感じのだったんだけど、普通に面白かったぜ。さすがに数年じゃ身につかなかったけどな、あはは」
「まあ、そうなの」とまじまじとハリスを見て「そういえば、クラスの子があなたの動きが綺麗だって言ってたわ」と言った。
「え、本当? 嬉しいな。前にいたとこじゃ、俺なんて、毎度毎度「ハリス、君の動きはまだまだ洗練されてないね。常に人に見られてるって意識しないとね。服がボロでも動きが綺麗なだけで、ほら、この通り高い着物に見える」とか言われてさ。へへ、そう言われると嬉しいな。前の学校の奴らに報告してやろうっと! ……これはこっちでいいのか?」
「ええ、いいわ。そういえば、ハリスって何カ国話せるの?」
「うぅーん、生活にも困らない程度なら、ここ合わせて三つかな。ある程度意思疎通ができるってだけなら、五つになるかな。まあ、意思疎通できないと困るから覚えるし、覚えようとするからさ」
アンナはよいしょ、と荷物を持ち上げるのを見ながら「あなたって、すごいのねえ」としみじみ言った。ハリスはそれに嬉しそうな顔をして「嬉しいなあ!」とにこにこした。
そうして、まあ、二人きりでもなにかと作業をしながらしゃべり、夕方にはなんとか片付けが終わった。
外で夕飯を食べようという時になって、アンナが彼の袖を掴んで「ねえ、食べに行くより、ここでなにか作ってちょうだい」と言われ、ハリスはびっくりした。
「だって、二人でいたいんだもの」
「えっ!」
「それに疲れたし」
「あ、ああ……、そっちかあ」
「まあ!」と腕を引き寄せて「二人でいたいっていうのも本当よ!」と言えば、ハリスは真っ赤になって「う、うあ、わ、わあ……、あ、そ、そうですか。あ、じゃあ、買って来ます」としどろもどろになって答えた。
「二人で行きましょ。手でもつないで」
「あ! 手!!! て、て、手汗、手汗、すごいから! 手汗が、ほら!」
「まあ、びっしょびしょでぬるぬるだわ」
「あ! そういう言い方はやめて! ああ! そんな強く掴んじゃダメだ! もっと優しく! 俺は繊細なんだ! て、て、手! 振り回さないで! ああっ! うっ! 無理……! ほら、手を離そう。あのハンカチでふくから。いや、ハンカチをこう間に挟もうぜ。なんで、さらに強く掴むの?」
「繋ぎたくないの?」
「繋ぎたいよ! でもね、手汗! 手汗がやばいから、ほら、ほら、ね? あの、だから、あ! なんで腕を組んだ!」
「手汗がってうるさいから」
「手汗よりもやばいよ、これは! あの、全身から汗が噴き出して真っ赤になるから。もう真っ赤だろうけど、ああ、やばい! 心臓が壊れる、早死にする!」
「ふふ……、ふふふふふ」
「ねえ、楽しんでるぅ?! 俺で面白がってるでしょ! そういうのヤメて! いや、アンナの笑顔はプライスレスだけどね? 俺の心臓がもたない。わかるかな、この目でみてもわかるくらい大きく鼓動してるのが、わかる。……まじまじ見なくていい。あ! おさわりは禁止です! ぎゃっ! ほっぺたくっつけちゃダメだ! じわじわ汗が、ほら、汗が! アンナ、笑ってないで今すぐ離れてくれ、あれがそれで大変ダメです。いけません。俺はオープンな狼だからね! やっちゃうからね!」
「なにを」
「え……」
「なにをするの?」
「え、あ、ええと……、ぎゅっとします」
「いいわよ。なんだかんだ、あなた抱きしめたし、お姫様抱っこしたりしてたじゃない」
「あれは我を忘れるくらい嬉しかったからであって……!」
「いいから、していいわよ。ほら」
「え、え、あ……。あ、え、あの、え……。いいの? いいんです?」
ハリスは手をゴシゴシとズボンに擦り付け「いざ!」と男らしく言うと、ぎゅっとアンナを抱きしめた。心臓がものすごくバックバックいっており、鼓動が服の上でもわかるくらいだった。彼女は背中に手を回して、くすくす笑った。なにせ、相手はめちゃくちゃに緊張しているのか、ギシギシと骨をきしませながら「わ、わあ……、うわあ」とぼそぼそ言っているのだ。
正直、アンナはものすごく楽しんでいた。強面が真っ赤になって恥ずかしがって、ぎゃあぎゃあ騒ぐのがものすごく面白かった。手汗は本当にびしゃびしゃだし、どもって目線をオロオロさせる。
とんでもなく面白かった。
が、そういう風に面白がってるから、無自覚の報復でノックアウトされるのだ。
「アンナ……」
「なあに」
「好きだ……」
「……あ、まあ、そ、そう」
二人はお互いに固まって数分程度、ぎゅっとしたままでいた。
ちなみに夕飯の買い出しの際はどちらも手も繋がず腕も組まずに、耳を赤くして慎ましく買い物をし、慎ましく食事をしたのであった。




