第35話 マリーの再会 3
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
「マリーの再会」は3話で終わりです。
「マリーは歌が上手いわね」
「本当? お姉ちゃん!」
「本当よ。私がマリーに嘘を言ったことある?」
「ないけど……」
七歳年上の姉シンシアに言われてマリーはもごもごと口ごもる。
引っ込み思案で恥ずかしがりやな妹に自信を持ってほしいとシンシアは思っている。母は仕事で忙しく、体を壊した父は家で寝込んでいた。
そんな暮らしのせいか、歳が離れているせいか、マリーはしっかり者の姉シンシアにべったりだ。シンシアはシンシアで、親との時間を十分に過ごせないマリーの姿に心を痛めている。
「ね? マリーは可愛くって歌が上手くって可愛いのよ」
「ふふ。お姉ちゃん、可愛いって二回言ったでしょ?」
「あらあら、マリーが可愛いからついつい二回も言っちゃったわ」
「ふふふ」
嬉しそうに微笑むマリーに、シンシアは野の花で編んだ冠をつける。
金の髪が風に揺れて輝き、白い花の冠も良く映える。
「可愛い! 私も作ってみたい!」
「いいわよ、こうやって下の茎の部分をね――」
丁寧に教えるシンシアだが、まだ幼いマリーの指では上手く編むことが出来ない。二つの花を結んだだけで、次の工程に進むことが出来ず、マリーの青い瞳からは今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうだ。
「まぁ! 可愛い。お花のチョーカーね」
「ちょーかー?」
「そうよ。こうして首に巻くの。ほらね、可愛いでしょ?」
チョーカーとしても長さは足りず、首に巻くことは難しい。
しかし、シンシアが首元に当てるだけでなんだかマリーには自分が結んだ花が素敵なものに見えてくる。
「そうなの! それね、ちょーかーなんだよ!」
「本当に素敵、ね? これお姉ちゃんが貰ってもいい?」
弱い結びだが、妹が首に巻いては危険だとシンシアが口にしたその言葉にマリーは笑顔になる。
立派な花冠を編める姉が、自分の作ったチョーカーを欲しいと言ったのだ。
得意げにマリーは胸を張る。
「いいよ、特別ね!」
「ありがとう。あ、お父さんにも歌を聴かせてあげて。きっと喜ぶわ」
「うん! この花冠も見せてくる!」
駆け出すマリーの後をシンシアも歩いていく。マリーは満面の笑みを浮かべ、シンシアはそんなマリーの背中を微笑んで見つめる。
裕福ではないが、小さな幸せがそこには確かにあったのだ。
マリーの歌声は家の雰囲気を変えた。
姉シンシアはもちろん、父や母も手放しでその歌声を称賛した。
小さなマリーの歌声が裏を明るくしたのだ。
だが、それもつかの間のことであった。
マリーの歌声が話題となり、それで収入を得るようになったのだ。金銭、名声、それらを代償に家族の時間は奪われていった。
母はマリーにつきっきりとなり、仕事を辞めた。マリーと共に各地を回るようになったのだ。体の弱い父とその世話をする姉シンシアとは会えない日々である。
たしかにマリーの歌声と愛らしさは話題を呼んだ。
けれど、それも数年のことだ。成長と共にマリーの人気に陰りが出たのだ。
まだ十代のマリーだが、その年齢の歌が上手い子はそれなりにいる。
次第に人々の注目と金銭が減り、母は苛立つことが増えた。
それでも生活を変えることは出来ない。マリーが家計を支えているのだ。
その日は風邪を引いているのか声の調子が良くなかった。やや熱があるのだろうか、首筋に自身で手を当てると熱く感じられた。
明日のステージを前に母は苛立ちをマリーにぶつけた。
「何年この仕事をやっているの! しっかりしなさいよ、まったく」
母の手からはあかぎれが消えた。
だが、美しくなったその手はどこかマリーには冷たく感じられる。綺麗に塗られた爪紅、光る指輪は輝く。
しかし、母の手がマリーに触れられることはない。
昔であれば、熱があるのかとすぐ確かめてくれたであろう。
あかぎれのある荒れた母の手はいつもマリーに優しかったのだ。
「ほら! 鏡を見なさい!」
久しぶり触れた母の手は乱暴にマリーを鏡の前にぐいと押す。
「いつもみたいに自分に言い聞かせるの! 『私はマリー、歌わなきゃ』 さぁ、ほら!」
「私はマリー、歌わなきゃ……」
「そうよ! 歌うことがあんたの全てなのよ、マリー!」
「私は……私は……」
マリーが鏡を見つめながら思ったのは姉のことだ。
いつの間にかマリーの顔はあの頃の姉によく似ていた。
姉は、父は、今どうしているのだろう? マリーは思う。
家族を壊したのは他でもない自分自身だと。自分の歌が、家族の日々を壊してしまったのだ。
軽いノックの音で、マリーは目を覚ます。
慌てて、窓の外を確認したマリーはまだ日が落ちていないことに安堵する。
悪い夢を見て気分はいまいちだが、どうやらステージに穴を開ける自体にはならなかったようだ。
「マリー、具合はどう?」
「大丈夫よ。アレックスにもそう伝えて」
「わかったー! 行こう、メイジー」
「待ってよ、お姉ちゃん!」
ドアの向こうから聞こえる声とパタパタという足音にマリーは微笑む。
姉を拒絶したのは、罪悪感からだ。
体の弱い父の面倒を、母とマリーの不在の間、姉は一人で看てきたはずだ。
そんな姉にどんな顔をして会えばいいのか、マリーにはわからない。
優しい姉がマリーを責める気持ちがないのもわかっている。
しかし、それが余計にマリーを苦しめるのだ。
「会えない。私はお姉ちゃんに会えないわ」
数日後、酒場ロルマリタに尋ねてきたのはジュリとエレナの二人である。
姉のシンシアが二人に会っているというのを、アンバーとジュリから聞いているマリーは少し表情が硬くなる。
そんなマリーを見て、ジュリが首を振る。
「彼女なら住んでいる街へと帰ったぞ」
「――そう」
「仕事もあるそうでな、残念がっていたよ」
姉が帰ったと聞いて、マリーはどこか気が抜けたような思いである。
それが会わずに済んだ安堵からなのか、抱えていた罪悪感から逃げられたからなのかはマリー自身にもわからない。
ぼんやりしているマリーに、エレナが小さな布袋からなにかを取り出す。
「これ、ジュリが刺繍したんだよ。マリーさんに」
「――私に?」
「あぁ、ある人がマリーに渡してほしいと」
ある人と言われて再び、マリーの頭には姉シンシアのことがよぎる。
繊細なレースの両端にリボンがついたそれをマリーは自身の手に乗せた。
「チョーカー! チョーカーだね、おしゃれ!」
「ちょっと、メイジー! 静かに!」
「だって、可愛いんだもん。きっとマリーに似合うよ」
「チョーカー……?」
黒いレースの両端にはマリーの瞳の色と同じ青いリボン。黒レースには白い花が刺繍されていた。
あの日、シンシアが首に当てて微笑んでいた姿がマリーの目に浮かぶようだ。
「それは『これからも妹の喉を守ってくれるお守りが欲しい』そんな依頼で作ったものだぞ。なかなかの出来栄えだろう!」
「……そうね。凄く素敵だと思うわ。こんなに素敵なもの、私に貰う資格なんてあるのかしら」
表情を歪めるマリーを心配そうにアンバーとメイジーがのぞき込む。
アレックスがそっとマリーの肩に手を伸ばそうとしたが、ためらった。
どんな言葉をかけることが良いのか、答えがわからなかったのだ。
「お代は頂いた。受け取って貰わねば、私達が困るだろう。なぁ、エレナ」
「そ、そうだよ。マリーさん、それはマリーさんのだからね!」
少々的外れなジュリの言葉だが、エレナもすぐにそれに同意する。
「うん、マリーがつけたとこ見てみたい!」
「きっと可愛いよ、マリー。お店で着けて歌ってよ!」
「そうだな。きっと似合うはずだな。さらに評判になっちまうなぁ」
皆の言葉にマリーの顔が先程とは違う意味で歪む。
美声と美貌が自慢などと冗談めかして言うが、それは自信のなさの裏返しだ。
ステージに立つ前、マリーは鏡を見て自身に問う。
「あんたはマリー、歌わなきゃ」そう自身を奮い立たせる。それは母がマリーに残した呪いだ。
けれど、その歌があることでマリーは今日まで生きてこられたのだ。
「まぁね、私には美貌と美声があるからね」
そう言って微笑み、マリーは胸を張る。
「私はあまりそこは興味ないがな」
「ちょっとジュリ!」
「いや、歌は確かに上手いが、だから付き合うわけではないだろう。人と人は。ただ、シンシアさんはマリーのことを可愛いと何度も言っていたぞ」
「まぁ、そうだけどー! え、マリーさん?」
ジュリの言葉にマリーの瞳からはぼろぼろと涙が零れ落ちる。
しかし、マリーはおかしそうに笑ってもいるのだ。
「姉は他に何か言っていた?」
「また来るそうだ。仕事もあるから、今すぐとはいかないようだが」
「じゃあ、そのときにまで美声も美貌も磨いておくわ」
「会ってくれるの? マリーさん!」
なぜかエレナが嬉しそうに尋ねてくる。
自身の周りにはこんなに気にかけてくれる人達がいる。風邪を引いたのかと怒る人ではなく、案じる人。姉との再会を願ってくれる人、自慢の美貌にも美声にも興味のない人――そのことを姉に告げたら、どんな顔をしてくれるだろう。
「会うわよ! 必ず、必ず姉さんに会うわ。伝えたいことがたくさんあるもの」
そう微笑むマリーの表情は少女のように無邪気なものだった。
もう少しで二月ですね。
ついこの間、お正月だったのに!と
時の速さをもう感じています。




