第32話 料理人と幼馴染 3
「どうしたんだ? なにかあったのか?」
開店前に店の裏手に呼び出されたイーサンはその相手がジュリとエレナであったことに驚く。
大柄で強面のイーサンは共に働く者からも恐れられているらしく、呼び出して貰う際も本当に彼なのかと確認されたほどである。
「実際に話してみれば印象も変わると思うんだがな」
「ん? なんだ?」
ジュリとしてみれば、接してみるとその印象が変わるのにともったいなくも感じてしまうのだ。イーサン自身もそれを気にしているため、自信を持つためにお守りを作って欲しいという依頼があったのだろう。
「えっと、依頼の件でお話がありまして……」
「引き抜きの話は直接本人から聞いたのか?」
「いや、ホールの子達が話しているのを聞いちまったんだ。あいつを熱心に引き抜こうとしている人がいると。条件も悪くないし、行くんじゃないかってな」
「なら、本人に直接は聞いていないんだな? なぜだ?」
ジュリの言葉にイーサンはびくりと肩を揺らす。
やはり、フィン本人に確認を取ったわけではないようだ。
ジュリの質問にイーサンは居心地悪そうに視線を逸らした。
「……怖いんだ」
武骨な印象のイーサンから出たのは意外な言葉である。
体が大きく強面のイーサンを恐れる者は多いだろう。だが、そんな彼がフィンからの言葉を恐れる理由がジュリにもエレナにもわからない。
二人の表情を見て、そのことをイーサンも悟ったのだろう。ふぅと大きなため息を溢すと事情を語り始める。
「幼い頃から体ばかり大きくて、周りの奴らは俺のことを怖がるか、喧嘩を吹っかけてくるかだった。フィンだけがなんでか俺の傍にいてくれたんだ。そんなあいつが離れていく――それがどうしようもなく怖いんだ」
イーサンの言葉にジュリとエレナは視線を交わす。
ずっと近くにいた存在が離れていくのは確かに寂しいことだろう。
エレナが心配そうにイーサンに問いかける。
「……なら、行かないでって言ってみるのはダメなんですか?」
「行かないで欲しいが俺には止める権利はない。依頼の時にも言ったが、あいつにとってそれがいいこともある。何より断られるのが怖いんだよ。どうしようもねぇ意気地なしなんだよ、俺は」
そう言うイーサンはその体や顔の印象とは異なり、弱々しく頼りなげにジュリとエレナの目には映るのだった。
「相手がどう思っているか知るのが怖い、か」
「確かに直接拒絶されるみたいに感じるのかもしれないね。なにより寂しいもん、絶対に」
フィンがここを去る決意を固めていたとしても、それは仕事の事情であり、イーサンを否定するわけではない。しかし、長く共にいた者が去っていく孤独感は確実にあるだろう。
「あ、ねぇジュリ。あれ、フィンさんじゃない?」
「あぁ、そうだな。一緒に話している男は誰だろう」
調理場の裏口から店の入り口前まで来た二人は、フィンが誰かと話している姿に気付く。熱心に話しかける男に、にこやかに対応しているフィンだが、首を振り、断っている様子だ。
そんなフィンにがっかりした様子の男が大通りへと去っていく。
困ったようにその姿を見送ったフィンだが、ジュリとエレナに気付くと笑みを見せる。
「どうしたの? まだ店は準備中だよ」
「今の男は知り合いなのか?」
「あぁ……。いや、他の店で働かないかってこの間からしつこくってね」
柔和な印象のフィンのうんざりした様子はジュリには意外に思えるが、隣のエレナは驚きの声を上げる。
「え、フィンさん他のお店に行かないの?」
「あぁ、もちろんさ。ここでまだまだ働くつもりだよ。イーサンも放っておけないしね」
フィンの言葉にエレナの表情はぱっと明るくなる。
どうやら引き抜きの話は事実であったが、当の本人にはその気はなかったらしい。
一方のフィンはその話をなぜ二人が知っているのかと怪訝そうな表情を浮かべる。
昨日来たばかりの少女達が引き抜きの話を知っているのだ。当然の反応である。
しかし、その表情は今まで見ていたフィンの穏やかなものとは異なると気付いたジュリは、エレナの腕を引っ張る。
「エレナ、ちょっと……」
「良かったー! イーサンさんの誤解なんだね。引き抜きを止めるつもりはないって言うから心配してたんだ」
「エレナ! 守秘義務は?」
「……あ、ごめんなさい……!」
にこにこと微笑む姿にジュリが問うと、エレナはしょんぼりと肩を落とす。
フィンはどう思ったのだろうと二人がちらりと彼を見ると、今までの穏やかさはどこへやら不快そうに顔を歪める。
がらりと雰囲気の変わったフィンに二人は驚く。
「…………は? あの野郎、ふざけやがって……!!」
そう言うとフィンは先程、ジュリ達が出てきた細い路地へと回る。
慌てて、ジュリとエレナもその後を追うが、フィンの足の速さには追い付けない。調理場の裏手に着いたときには言い争うイーサンとフィンの姿があった。
「おい! どういうつもりだ! 俺はこの店に! お前に必要ないって言うのか、イーサン!」
イーサンの襟元を握りしめ、今にも殴り掛かってしまいそうなフィンだが、イーサンは黙ったままだ。
そんな様子がフィンを更に苛立たせるのか、コック服の襟元を握りしめた手に力が入る。普段、柔和なフィンが激昂する様子に厨房の者は戸惑い、見つめるだけだ。
その緊迫感を破ったのはここで最も小柄な少女だ。
「それは違うだろう」
「……どういう意味だ?」
眉間に深い皺を寄せたまま、フィンがジュリに尋ねる。
イーサンへの怒りは変わらないようだが、少女二人の存在に少し冷静さを取り戻したのか、襟を掴んだ手を緩める。
「あなたが必要だが、あなたを思って背中を押すんだ。より良い環境に身を置いて欲しいと彼は願っているんだろう」
「――そうなのか?」
視線を横下に向けたイーサンは静かに頷く。
これで納得して貰えたかと皆が思った瞬間、フィンがどんとイーサンを壁に押し付けた。
「だったら余計に腹が立つ! 俺はな、自分の意志でここにいる。俺じゃなきゃお前の店を回せねぇ! そのために俺は努力してきたんだ! 忘れたのか? 約束したろ? お前は料理人、表に出るのは俺の仕事だって!」
フィンの言葉の後半は泣き出しそうなものだ。怒りよりも悲しみの強いその響きに、イーサンは他の料理人達に仕事に戻るように視線で促す。
普段と異なるフィンの姿に戸惑っていた彼らは、頷いて調理場のドアを閉めた。
バタンとドアが閉まる音がした後、誰も口を開かず静かな時間が流れる。
それを破ったのはフィンだ。
「俺らは路地裏から始まっただろう? 利用し、利用するしかない日々だ。始めは俺もイーサンを利用する気だったんだよ。細っこい俺も大きな背中に隠れてりゃ安全だ。誰も俺を傷付けないからな」
店名は路地裏を意味する『バッグアレイ』、それはこの店の場所を示すものではなく、どうやら彼らの出発点に由来するものだったらしい。
ぽつりぽつりとフィンはかすれた声で呟く。
「でもよ、ある日気付いたんだ。お前は俺を利用しようとしない。俺だけがイーサンの背中に隠れて、利用していたんだ。そんなお前の後ろじゃなく、隣を歩きてぇといつの間にか思っちまったんだ」
日の当たる道を歩けるような人間になったのは目の前にいる友人、イーサンのおかげだとフィンは思う。路地裏は二人の原点であり、けっして忘れてはいけない過去の自分達がいた場所なのだ。
「やっと背中を見ずに隣を歩けるようになったと思ったのによぉ……」
襟を掴んでいた手はイーサンの肩を掴み、頭も下ろしたフィンはまるでイーサンに何かを頼み込んでいるかのようにも見える。
そんなフィンに驚きつつも、イーサンもまた彼の肩を抱く。
「俺はてっきりお前に世話になってばかりいて、役に立っていないかと……」
「はあっ? 馬鹿な事言ってんじゃねぇ! いいか、俺の接客がどんなに優れていても、ここに来る客の腹は膨れねぇ! 客は何に満足して帰る? 料理だろう!」
「……そうだな。ありがとう、フィン」
「別に。本当のことだろ」
行き違いがあったようだが、イーサンもフィンもお互いに必要な存在であることを確かめられたらしい。
幼馴染であり、共に働く二人はお互いを補い合える良き仲間なのだ。
一週間後、ジュリとエレナは依頼品をイーサンの元に届けた。
イーサンの服、フィンの服に同じ刺繍を刺したのだ。
フォークとナイフ、食事に欠かせないその組み合わせは幼馴染である二人の関係性にも由来したものである。
「お互いを支え、助け合う日々がこれからも続くように」
そんな付与が込められた服に身を包み、イーサンとフィンは今日も働く。
互いを支えあう二人の店『バッグアレイ』はより繁盛していくのだった。




