報酬は、いま一番欲しいものを
両の拳を軽く上げて、脇腹を締める。
軽く前傾になり、すぐに反応出来るよう踵を上げる。
それはエルダーオーガが培った、上級闘拳術。
即座にカウンターが放てる体勢だ。
たとえ、どのような攻撃を受けても、コンマ一秒もせずに相手に拳を叩き込む。
肉を切らせて骨を断つ。
その腹づもりで、相手の攻撃を待ち構えた。
「…………」
斬られたふくらはぎと二の腕が、ズキズキ痛む。
それを堪えながら、ただじっと無になり攻撃を待った。
その時だった。
ようやく待ち望んだ攻撃が来た。
しかしその攻撃は、エルダーオーガの想像を遥かに超えたものだった。
――タタタタタン!!
「――ア?」
気がつくと、腹に五つ穴が空いていた。
その穴から、とくとくと血液があふれ出す。
(いったい、何があった!?)
慌てて腹に手を当てる。
幸い怪我は致命傷には至らなかった。
分厚い腹筋が、攻撃の侵入を防いだのだ。
傷口を押さえながら、エルダーオーガは必死に考えた。
相手の攻撃手法が、さっぱり見当もつかない。
そもそも、目で捉えることさえ出来ないのだ。
エルダーオーガはBランク随一といって良い、身体能力を誇る。
そんな自分が、完全に翻弄されている。
「――ッッ!!」
巫山戯るな。出てこい!!
エルダーオーガは怒りにまかせて吠えた。
その咆哮に応えたか。真横から人の気配が、突然現われた。
即座に反応。
急所を腕と拳でガードする。
その隙間を縫うように、その人間が攻撃を仕掛けた。
深くはないが、無視出来ないレベルの傷が、新たに脇腹に刻まれた。
「~~~~~~ッ!!」
その者の顔を見た瞬間、エルダーオーガの体が硬直した。
――悪魔だ。
悪魔が自分を追ってきたのだ!!
生物としての格の違いに、体がガクガクと震えだした。
ニンゲンの顔は、さして醜悪なわけではない。
恐怖を催す見た目ではないし、威圧を感じるものでもない。
だが、エルダーオーガはニンゲンを怖れた。
その高すぎる魂の格が、恐ろしいのだ。
それはまるで、魔人の頂点に君臨する皇帝に匹敵する格である。
(何故だ……、何故ただのニンゲンが!?)
ボス種とはいえ、ただの魔物であるエルダーオーガには、格の違いからくる恐怖に対抗する術はない。
背中、胸、腕、脚を無防備な状態で斬りつけられた。
ふと、四肢の外側から冷たい気配が忍び寄ってきた。
それは瞬く間に心臓へと到達。
エルダーオーガは体の自由を失った。
驚愕により、瞠目する。
(そんな馬鹿な! 麻痺、だと!?)
エルダーオーガは状態異常に対して、かなりの抵抗力がある。
通常の毒物では、決して弱体化しない。
その耐性を、ニンゲンの攻撃が乗り越えたのだ。
エルダーオーガは懇願する。
怖い、逃げたい、戦いたくない、生きていたい。
しかし、ニンゲンの姿をとった悪魔は、無情にもその頸を、赤黒い不吉な小剣で斬り飛ばした。
エルダーオーガが最期に見たものは、冷たい瞳で自分を見下ろす、死を司る悪魔の全体像だった。
○
格上の魔物との戦いでソラは心身共に疲労が蓄積していたが、休憩しているわけにはいかない。ダンジョンが消えれば、死あるのみだ。
オーガの上級種エルダーオーガを討伐した後、息つく暇もなくソラはテンポラリーダンジョンを脱出した。
「やあ、お疲れ様だったね」
「……」
ダンジョンの外で出迎えてくれたのは、理事である春日渉だった。
彼は無機質な笑みを浮かべていた。
(何を考えているのか、さっぱりわからない)
作り笑いで感情を消すタイプの人間は少々苦手だ。
その人の、感情の地雷原がどこかすらわからないからだ。
とはいえ、物の怪が跋扈する政界を理事として渡り歩くには、この手のスキルも必要なのだ。
(そういうスキルが必要な世界とは無縁でいたいな……)
なるべく自分は巻き込んでくれるなと、ソラは密かに祈るのだった。
さておき、エルダーオーガを討伐した。
ソラは早速理事に、指名依頼の報酬を要求した。
ソラの申し出に、協会理事は目を丸くした。
「えっ、そんなのが欲しいの? もっと、別の物も用意出来るけど……。お金なら、まあ、一千万円くらいまでしか出せないけど……」
「いいえ。いま一番欲しいのは、それだけなので」
お金なら、ダンジョン武具を売却することで手に入れられる。
また、今すぐなければいけないほど、切羽詰まってはいない。
それ以外になると――たとえば理事が言った『協会管理下の宝具』はものすごく気になっている。
しかし最初の段階で断られているので、選択肢には入らない。
しばらく口を噤んだ理事は、ぼそぼそと何事かを呟いてから、ソラが提案した報酬を了承したのだった。




