18話 再会
ベネディクトは彼女の名を呼ぼうとしたが、声が出ない。
口を開いたまま固まるベネディクトに、ジェシカは眉をひそめた。
「やはり、痺れ薬の類を盛られていたんですね。……解毒薬をお持ちしました。こちらをお飲みください」
ジェシカの手をかりながら解毒薬を飲むと、怠さが軽減した。ふらつきながらも、ゆっくりと起き上がる。喉の痛みもなく、声も出るようだ。
「何故……」
久しぶりに言葉を発したからか、ひどく弱々しい声だ。
ベネディクトの言いたいことを察したジェシカは微笑みを浮かべて答えた。
「ここは、殿下が幼い頃住んでいた宮殿なんです。私は殿下と一緒に探検していたので、この宮殿の抜け道なども把握しております。ですから、こうして来ることができました」
国王やその侍従たちからベネディクトの状態を詳しく聞いており、モーガン伯爵が以前御者に盛ったであろう薬が使われているのだと推測したらしい。
「そうか……」
「時間がありませんので、単刀直入にお聞きします。今ならば、ここからお連れすることができますが……いかがなさいますか?」
ベネディクトは以前からモーガン伯爵を嫌悪していた。加えて、薬を盛られて自由を奪われていた。こんなところにいたいはずがない。
ジェシカもそれは理解しているだろう。
わざわざこうしてベネディクトの意志を確認してくれているのは、生真面目な彼女の性格故だろう。
彼女らしいと微笑ましく思いながら、ベネディクトは頷いた。
「ああ。連れて行ってくれ」
「承知しました。解毒薬が完全に効くのを待ちたいところですが、時間がありません。お連れしますので、掴まっていてください」
ジェシカはそう言うなり、ベネディクトを抱き上げようとした。
だが、ふらついてうまく持ち上げられない。
いくら鍛えているとはいえ、女性が成人男性を持ち上げるのは難しいのだろう。
以前の貧弱なベネディクトならともかく、最近は健康を取り戻し体重もだいぶ増えている。
「ジェシカ。少しくらいなら体は動くから、肩だけ貸してくれ」
ジェシカの肩をかり、ベネディクトは立ち上がる。足元はおぼつかないが、どうにか歩行はできた。
廊下に出て、階段へと向かう。歩みは遅いが、幸いなことに誰にも出会わなかった。
この時間帯は侍従の数もおらず、国王陛下の侍従がここに向かわないよう引き止めているらしい。
「見張りを避けるため、一部抜け道を使います。少し狭いのでお辛い思いをさせるかもしれませんが……」
ぴたりとジェシカの言葉が止まる。彼女の視線は階下に向けられていた。
「どうして? この時間は不在のはずなのに……」
そこにいたのはモーガン伯爵だった。
たった今玄関から入ってきたモーガン伯爵は、二階の廊下にいるベネディクトたちには気づいていない。
ジェシカは動揺しながらも、急いで身を隠す。
「ベネディクト様の様子を見に来たのでしょう。……一度、部屋に戻られて何事もなかったかのように振る舞ったほうがいいかもしれません」
「いや、それは難しいだろう」
ベッドに戻り、痺れ薬が効いているふりをしても、モーガン伯爵はすぐに気づくに違いない。
解毒薬を飲んだことが判明したら、あの男はエリザベスを疑うだろう。すぐさま調べあげて、ジェシカを捕まえるかもしれない。
そうなれば、きっとジェシカは冤罪を着せられる。
ベネディクトが彼女の無実を証言したくとも、その時にはまた自由を封じられているはずだ。
「逃げるチャンスは今しかないよ」
「では、このまま逃げたほうが良いですね。他の抜け道を使いましょう」
ジェシカは反対方向へと向かい始めた。
モーガン伯爵に見つからないよう急いでいるためか、ベネディクトが重いためか、ジェシカは疲れをみせ始めた。
あまり長くは持たないかもしれない。
不意に、風が頬を撫でた。近くの窓が空いているようだ。
ベネディクトは窓に目を向けた。
見覚えのある姿が宮殿に向かっているのに気づき、目を見開く。
「国王が来ているようだ。……だから、あの男も慌ててここに来たのか」
国王がベネディクトを見舞う時、必ずと言っていいほどモーガン伯爵が同席していた。
体の自由を奪っているとはいえ、ベネディクトが国王に都合の悪いことを伝えいないか不安なのだろう。
「陛下にお会いしましょう」
ジェシカは侍従や護衛を引き連れている国王を見て、提案した。
「陛下はモーガン伯爵がベネディクト様を保護しているのだと信じておられます。エリザベス様がいくら疑義を唱えてもお聞きになりませんでしたが、ベネディクト様が直接事実をお伝えすれば……」
「――そこで何をしている!?」
ジェシカの声を遮るように、背後から鋭い声が飛んできた。
振り返ると、モーガン伯爵の姿があった。距離はあったが、険しい顔でこちらを睨みつけているのがわかる。
「ステイプルズ子爵令嬢……あなたがまさか誘拐を企むとは思わなかったよ。私の可愛い甥を返してもらおうか」
モーガン伯爵の背後には数人の護衛がいた。
ジェシカの体が強張った。徐々に解毒薬が効いてきているとはいえ、ベネディクトの体には痺れが残っている。逃げ切れないと悟ったのだろう。
ベネディクトは歯噛みする。ジェシカの足を引っ張るだけの自分が情けなかった。
「お待ちください、叔父上」
「! ベネディクト、お前……」
モーガン伯爵は、ベネディクトが解毒薬を飲んだことに気づいたのだろう。
それでも、今のベネディクトには他に方法がなかった。唯一自由に動かせる口で、それらしき言い訳を並べ立てる。
「これはジェシカの独断ではありません。僕が外に連れて行って欲しいと望んだのです。彼女には以前から塔の外に出れた時のことの願いを話していましたから、こうして来てくれたのですよ。今から可愛い妹に会いに行くところなんです。あの子は、どれだけ待っても会いに来てくれませんから」
モーガン伯爵はベネディクトの言葉を信じないだろう。
だが、時間を稼ぎになればそれで良かった。
国王がこの王宮に来ている。モーガン伯爵がここで足留めをくらえば、不審に思った国王が様子を見に来てくれるかもしれない。
ベネディクトは更に言葉を続けようとしたが、モーガン伯爵の嘲笑に遮られた。
「かわいそうに。お前は子爵令嬢にすっかり洗脳されてしまったようだ」
「……僕の意志だと信じていただけないようで、残念です。ならば、叔父上。ここではっきりと申し上げておきます」
ベネディクトの決然とした声に、モーガン伯爵は片眉をあげる。
「あなたが並々ならぬ野心を持っていることは知っていますが、僕は王位につく気はさらさらありません。次代の王になるのはエリザベスただひとり。あの子の邪魔をするのなら、血縁者であろうと許さない」
「はっ。お前の気持ちなど、どうでも良いのだ。傀儡はただ大人しくしていれば良い」
モーガン伯爵は手を振り上げ、護衛にふたりをとらえるように命じた。
「いいか、ベネディクトは決して傷つけるな! 弱っている状態だからな、下手に怪我をされては困る。子爵令嬢の方は……抵抗するようだったら、切り殺して構わん」
予想外の言葉に、ベネディクトは目を見開く。
「ジェシカ、僕を置いて逃げて!」
「ですが……!」
ここでベネディクトが捕まれば、モーガン伯爵は再び薬を盛るだろう。こうして一度逃げられかけたことを考えれば、もっと強い薬を使用するかもしれない。
警備も厳重になり、常に見張りをつけられて、二度と外に出ることは叶わないだろう。
ジェシカもそれを理解しているのか、ベネディクトから離れようとしなかった。
彼女の手が、自身の剣に伸ばされる。
「ダメだ!」
相手は屈強な男たちだ。たとえジェシカが剣に覚えがあったとしても、勝ち目は薄い。
それにもし歯向かえば、護衛たちはモーガンの命令通りにジェシカを殺してしまうだろう。
だが、説得してもジェシカは下がらないだろう。
モーガン伯爵に捕まらず、ジェシカを犠牲にしない方法はないか。
ベネディクトは考え、ジェシカに耳打ちした。
「! そうですね、無闇に戦うよりは……」
ジェシカは頷くと、開かれていた近くの窓に駆け寄った。
ここは二階だが、下には芝生が生えている。飛び降りても、多少は衝撃を和らげてくれるだろう。
しかし、無傷ですむ高さではない。
「やめろ! ベネディクト殿下を巻き込むつもりか!?」
慌てた護衛がかけてくる。時間はなかった。
「必ずお守りしますので、安心なさってください」
「――いいや」
ベネディクトは感覚の戻っていない腕を動かし、ジェシカを抱えあげた。
「ベネディクト様っ!?」
「前に言っただろう? 僕だって男なんだから、君を抱えて逃げることくらいはできるって」
ジェシカを強く抱きしめ、ベネディクトは窓から飛び降りた。




