15話 不穏の種
「……モーガン卿の動きが気になるな」
「モーガン卿ですか?」
ジェシカの問いに、ベネディクトは頷いた。
「僕を敵視していた王妃が亡くなったんだ。ここぞとばかりに動くと思ったけど、妙に静かなのが引っかかる。あの日以来、ここには来てないようだし」
「……私がモーガン卿と揉めた日ですか?」
「ああ。次来たらどう追い払おうかいろいろ考えてたんだけど」
無駄に終わってしまったと、ベネディクトは少しおどけるように答えた。
「そういえば、私もあの日以来モーガン卿に会っていません」
これまでは少なくとも週に一度はジェシカの前に現れて嫌味を言っていたのに。
不吉な予感がした。こういう時の勘は馬鹿にできない。エリザベスにも相談し、モーガン卿の動向を探った方がいいのかもしれない。
「警戒しておきます。なにかあってからでは遅いですから」
「それがいいと思う。あの男は絶対諦め悪そうだし」
ベネディクトは頷くと、お茶を飲み干した。
「美味しかったよ。ごちそうさま」
ジェシカは片付けをしながら何かリクエストなどはないかと尋ねた。
「ベネディクト様が毎回綺麗に完食されるようになったので、是非ベネディクト様が好きなものを作らせてくれと料理長がはりきっているんです」
「あー……菓子は満足しているんだけど、食事にもっと肉を増やしてもらえないかな?」
「肉……ですか?」
てっきり甘いものをリクエストされると思っていた。ベネディクトは甘味は好きでも肉はさほど好きなようには見えなかったから。
驚いたようなジェシカの視線が気恥ずかしかったのか、ベネディクトは目をそらして言い訳のように付け加えた。
「最近、食欲が出てきたからね。もっとがっつりしたものが食べたいんだ」
「わかりました。料理長にそう伝えておきます」
きっと腕によりをかけて作ってくれるだろう。
ジェシカの返答にベネディクトはほっとしたように笑うと、読みかけだった本に手を伸ばす。先日ベネディクトに頼まれてジェシカが調達してきた経済の本だ。食の好みは変わっても、本の好みは変わらないようだ。
ベネディクトの邪魔をしないようにとジェシカはトレイを手に、静かに部屋をあとにした。
王妃が病の床についた時から、臣下も国民もその死が近いことは悟っていた。だから、王妃の死が公表されても大きな驚きはなかった。
流行病が王妃を連れていった。当初はみんなそう受け止めていたのだが、そのうち不穏な噂が流れるようになった。
「ベネディクト様が……王妃陛下を呪い殺したですって?」
声を潜めたジェシカの言葉に、アネットは頷いた。
「どうして、そんなデマが……」
「王妃陛下の侍女が言っていたらしいわ。亡くなる数日前からこれはベネディクト様のせいだと、自分を呪い殺そうとしていると叫んでいたって」
悪魔憑きならやりかねないと、その噂は信じられ、瞬く間に広がった。
これではますますベネディクトへの偏見が強くなってしまうだろう。ジェシカは憂鬱な気持ちになった。
「みんな、ベネディクト様にお会いしたことがないから仕方ないわ。幼い頃から、悪魔憑きが恐ろしいと刷り込まれているんだし」
アネットがジェシカの肩を励ますように叩いた。
確かにその通りだろう。アネットはかつては悪魔憑きのベネディクトを恐れていた。
だが、実際にベネディクトに仕えるとその認識は大きく変わり、彼を悪く言うことはなくなった。
「それに、どんな噂が流れても、私達が気をつけていればベネディクト様が耳にすることはないわ」
「……そうね」
開け放たれた窓から、荘厳な音楽が微かに流れてくる。鎮魂歌だ。王妃の棺が街をめぐり、人々が哀悼を捧げているのだろう。
ベネディクトは窓の外を眺め、ぼんやりとその音を聞いていた。演奏が流れ始め、やがて消えるまで、ベネディクトはずっとそうしていた。
ジェシカはそんなベネディクトの様子を見守っていた。彼はどのような心境なのだろうか。同じ経験をしたことのないジェシカにはわかりようはない。
ただ、彼のその顔は先日のエリザベスを思い起こさせた。日光に照らされているのに、彼はどこか儚げに見えた。
「なんだかお腹すいたな。……今からアフタヌーンティーを頼める?」
鎮魂歌が止み、重い空気を切り替えるようにベネディクトは明るく言った。
お茶に舌鼓をうつベネディクトは普段と変わりがない。美味しそうに菓子を食べ、楽しそうにジェシカと雑談を交わす。
「ベネディクト様。以前仰られていたモーガン卿のことなのですが……」
「やっぱりおかしな動きをしていた?」
「いえ。不自然な点はありませんでした。通常通り職務に励み、社交をしているようです。時折領地に帰っているようですが、当主が交代したばかりなので慌ただしいのでしょう」
「……問題点がないところが、問題だな」
「ええ」
エリザベスも注視しておくと言っていた。公務に加えて王妃の葬儀に追われ、彼女は心身ともに疲弊している。
どうか、思い過ごしであってほしいとジェシカは願った。
けれど、そんなジェシカの願いを嘲笑うかのように、その知らせは突然訪れた。
――王妃が産婆の家族を人質に取り、ベネディクトを悪魔憑きだと偽証するよう脅迫した証拠が発見されたと。




