14話 二十七年前の真実
ジェシカは驚いてエリザベスの顔を見やった。エリザベスもジェシカを見返す。
微かに笑みを浮かべた彼女の顔は、冗談を言っているようには見えなかった。
「ですが、ベネディクト様のことは産婆が証言されています。彼女は前王妃と親しく、そのような偽証をする人間ではないはずでは……」
「人質をとられていたの。悪魔憑きだと言わなければ、家族を消すと」
「それは……王妃陛下が?」
「ええ。昔、酔っ払っていたお母様が自慢気に話されていたから、間違いないわ。残念ながら証拠はないし、わたくしひとりが言ったところで兄を庇うための妄言としか取られないでしょうけれど」
エリザベスは少し投げやりにつぶやいた。もしかしたら、以前彼女は王妃の罪を訴えたことがあったのかもしれない。
「では、モーガン卿が流したデマは……」
「デマではなかったのよ。最も、本人はデマのつもりだったでしょうけれど」
あの噂は社交界でそこそこ広がっていた。だが、あくまで与太話。本気にしている者などいなかった。
その前に流れた「悪魔憑きは迷信」という噂と同列のものだと判断されたのだろう。
悪魔憑きは生涯悪魔憑き。ベネディクトが今更悪魔憑きではなくなるなどありえないと、皆無意識に思っているのだ。
「お母様はそれほど前王妃が憎かったのね。彼女と彼女の子どもを貶めたかったの」
ベネディクトは幽閉となり、前王妃は心を病んで儚くなった。生家の後ろ盾により、王妃は国王に嫁ぐことができた。
王妃の期待以上に事は進んだ。
「お母様が産婆を脅さなければ、お兄様は第一王子として健やかに育っていたでしょうし、前王妃陛下も亡くならず、他に兄弟もできていたのかもしれない。……わたくしの地位は、命は、お兄様から奪ったものなのよ」
だから、返すのは当たり前だとエリザベスは言った。
「ふふ。そんな顔をする必要はないわ。わたくし、悲観しているわけではないの。ただ、事実を事実だと認めているだけ。都合の悪いことから目を逸らし続けても、いいことはないから。……お母様のようにね」
ジェシカは、先日エリザベスに付き添い王妃の寝室を訪れた時のことを思い出す。
望み通りに恋敵とその息子を蹴落とした王妃は幸せそうには見えなかった。自分が偽証を強要したことも忘れ、ベネディクトを悪魔憑きとして憎んでいた。
「お母様の最期は、悲惨なものだったわ」
エリザベスはぽつりとつぶやいた。
「長年、嫉妬や憎悪に囚われていたせいか、死ぬ間際までひたすら前王妃やお兄様たちへ呪詛を吐いていた。わたくしやお父様がすぐそばにいるのに、お母様には見えていなかったの」
報いだったのかもしれないわね、とエリザベスはため息をつく。諦念の滲んだ声だった。
月光に照らされるその顔はどこか人離れした美しさを帯びている。畏怖の念をも抱かせる麗しさはベネディクトによく似ていた。
「今日はチーズケーキか」
並べられた皿を見て、ベネディクトは声を弾ませた。
そして、いつものように美味しそうに食べ始める。
王妃が亡くなって城の中は慌ただしいが、塔はこれまでと変わりがない。
ベネディクトに仕える侍女にアネットが加わったが、彼女はジェシカが休みの時にのみ勤務する補助要員だ。
ベネディクトは王座を望んではいないと結論は出たのでエリザベス付きに戻ってもいいはずなのだが、エリザベスはそのままベネディクトに仕えるようにと指示を出した。
長い付き合いだ。ベネディクトに仕えていたいジェシカの気持ちを察してくれたのだろう。
ジェシカは侍女としてベネディクトに仕えられることを喜んだ。それと同時に、複雑な気持ちも抱えていた。
ベネディクトは、悪魔憑きではなかった。
王妃の悪意がなければ、彼は第一王子として健やかに成長し、王太子となっていただろう。このような塔に閉じ込められ、周囲から蔑まれるようなことはなかったはずだ。
塔に幽閉される運命を、ベネディクトは受け入れている。
だが、避けることができるのなら避けたいだろう。彼はここから出た時の話を、あんなにも楽しそうにしていたのだから。
「……どうした? 僕の顔になにかついてる?」
あまりにじっとベネディクトを見つめていたせいか、彼はジェシカの視線に戸惑いを浮かべた。
ジェシカは慌てて首を横に振った。
「いえ。申し訳ございません。少し、考え事をしておりました」
「珍しいね、君がぼんやりするなんて」
悩み事があるなら良ければ聞くよと、ベネディクトは微笑んだ。
その優しさに、ジェシカはさらに胸を締め付けられる思いがした。
「ありがとうございます。たいしたことではないのです。明日お持ちする茶葉は何にしようかと考えていただけですので」
ジェシカは慌てて誤魔化した。
昨夜、エリザベスから聞かされたことは決して口外してはならない。
天体観測で聞いた話はジェシカの胸に留める。それは昔から暗黙の了解であり、自身への誓いでもあった。
エリザベスはジェシカを信用して話してくれているのだから、その信頼は命に代えても守らなければならない。
それに、もしジェシカが軽卒に話してしまえば、事態がどうなるかわからない。思いもよらぬ最悪な方向へ転がる可能性だってある。それくらい、危険な情報だ。
仕方ないことだと、ジェシカは何度も心の中で自分に言い聞かせる。
感情を押し殺すのは得意だったはずだが、今回は一段と心が軋んだ気がした。
「……そう。明日のお茶か。今日は甘めのお茶だったから、明日は爽やかなのがいいな。この間淹れてくれたのとか」
「あ……申し訳ございません。しばらくはハーブティーは難しいかもしれません」
「そうなの? なにか問題でもあった?」
「庭師が王妃陛下の葬儀に使用する花の準備に追われておりまして」
ジェシカが自分でハーブ園に摘みに行こうかと申し出たのだが、却下された。この王城の庭師は自分のテリトリーに他人が立ち入るのが許せないタイプのようだ。
「ああ、もうじき葬儀があるのか」
ベネディクトは手を止めた。眉をしかめて目を伏せる。
不快にさせてしまっただろうか。自分を散々暗殺しようとした相手のことなど、思い出したくもなかったのかもしれない。
王妃の死を告げた時も、彼はしばらく沈黙したあと一言「そうか」と告げただけだった。
けれど、ベネディクトが口にしたのは別の人物のことだった。




