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塔の悪魔は天を仰ぐ  作者: あやさと六花


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13話 王太子の本音

 月が天中に差し掛かる頃、ジェシカはエリザベスの私室を訪れていた。


「夜分遅くに申し訳ございません」

「いいのよ。お前には、いつ来てもいいと許可をだしているのだから」


 窓際のテーブルに座ったエリザベスは鷹揚に笑んだ。


「それに……お前は来てくれるだろうって思っていたの」 


 幼い頃、エリザベスは嫌なことがある度、ジェシカを伴い星空を眺めることが多かった。普段は快活なエリザベスも、その時だけは弱音や本音をジェシカにこぼす。冷静沈着な次期国王エリザベスではなく、ただのひとりの少女エリザベスでいられる大切な時間だ。

 成長するにつれてその頻度は減り、エリザベスが立太子を終えた十五の頃には誘われることはなくなった。だが、時折密かに星を見ていることを、ジェシカは知っていた。


 ひとりで居たいだろうと、いつもはそっとしていた。しかし、今回は様子を見ていたほうがいいと判断してこうして部屋を訪れたのだ。


「王妃陛下のこと、お悔やみ申し上げます」 

 

 王妃が長くないことは誰もが知っていた。

 王もエリザベスもその時のために手はずを整えていた。だから、王妃の死後も大きな混乱はなく、粛々と葬儀の準備が進められている。


 けれど、覚悟はしていようとも、肉親の死は堪えるものだ。

 エリザベスは、ジェシカの言葉に微笑んだ。

 

「お母様にはあまりいい思い出はないけれど……それでも、寂しいものね」


 エリザベスは空席の椅子を指して、ジェシカを呼んだ。


「こっちに来てちょうだい。久しぶりに一緒に星を見ましょう」

「ご一緒させていただきます」


 ジェシカは椅子に座り、空を仰いだ。

 美しい星空だ。だが、どこか物足りないと感じるのは、ベネディクトの部屋で満天の星空を見たからだろうか。


「新月だったら、もっと星がよく見えたのだけれど」


 エリザベスは残念そうに呟いた。


「まあ、ここは明かりが多いからそれでもあまり良く見えないのだけれど。さすがにわたくしの身分では、天体観測のためだけに外に出ることも難しいから、我慢しなくてはね」


 まるでここ以外でも星空を見上げたことがあるかのような口ぶりに、ジェシカはずっと気になっていたことを尋ねた。


「殿下は、塔でベネディクト様と星をご覧になられたことがあるのですか?」

「……ふふ。やっぱり、おまえは気づいていたのね」

「はい」


 ベネディクトもエリザベスも、目立たない地味な星を最初にジェシカに説明した。大抵の人があまり気にかけないその星を、ふたりとも気に入っていた。

 エリザベスは見てきたかのように塔の内部を知っていた。控室の扉が開かないなど一部情報が違っていたのは、古い記憶だからだろう。


 そして、顔を合わせたこともないはずなのに、ベネディクトもエリザベスも互いを信用している。ふたりの立場であれば、敵意を持っていてもおかしくないはずなのに。

 

「だから、おふたりは以前一緒に星を見たことがあるのではないかと思ったのです」

「……お前の推測通りよ。わたくしは幼い頃、よくお兄様のところへ遊びに行ってたの」


 エリザベスは物心ついたばかりの頃、塔に幽閉されている兄に会いたがった。

 兄は悪魔憑きのため、幽閉されていることは知っている。だが、妹のエリザベスですら会えないのはおかしいと日々不満を募らせていた。


「だから、ある夜、こっそり部屋を抜け出して塔へ行ったのよ」

「殿下おひとりで?」

「いいえ。乳母を説得して、ついてきてもらったの。……だだをこねた、と言ったほうがいいかしら」


 警備に気づかれにくい新月の夜、エリザベスは塔へと訪れた。

 塔の門番は突然現れたエリザベスに驚いた。規則だから、たとえエリザベスであっても、立ち入りは許可できないとはねつけた。


 エリザベスはどれだけ兄に会いたいのかを語り説得しようとしたが、門番は首を縦には振らない。引き返すしかないのかと諦めかけた時だった。 


『入れてあげなよ。せっかくここまで来てくれたんだし』


 頭上から降ってきた声に顔を上げると、そこにはベネディクトの姿があった。彼は窓からエリザベスたちの会話を聞いていたのだ。


「突然押しかけてきた妹に嫌な顔ひとつせず、お兄様は塔に招いてくださったのよ。ちょうど、星を観察されていたところで、わたくしに星の見方を教えてくださったわ」


 懐かしい思い出を語るように、エリザベスは微笑んだ。


「だから、殿下は星が好きなんですね。ベネディクト様との思い出があるから」

「ええ。……わたくしにとってはね」


 エリザベスの声には自嘲の響きがあった。


「お兄様にとっては良い思い出ではないはずよ」

「ですが、ベネディクト様も星を見るのがお好きで……」

「星そのものはお好きでしょうけれど、わたくしのことはお嫌いでしょう。……わたくしのせいで、お兄様は命を狙われるようになったのだもの」 


 ジェシカは驚いてエリザベスを見やる。

 エリザベスは悲しげに目を伏せた。


「半年ほどで、わたくしがこっそりお兄様にとっては会いに行っていることがお母様に露見してしまったの。お母様の怒りはそれはそれは凄まじいものだったわ」


 憎い恋敵の子ども。許せない存在だったが、国王の説得もあり、幽閉して王家と一切関わらないことでどうにか溜飲を下げていた。

 それが、自分の大切な子どもと会っていた。身の程もわきまえず兄として振る舞った。王妃にとって、ベネディクトは生きていることすら許せない憎しみの対象になってしまった。


「それまでお兄様の使用人はお父様が手配した侍従たちだったわ。けれど、お母様の侍女に代えられてしまった」


 ベネディクトとエリザベスを決して会わせない。かつて交わした約束を守れなかった王は、王妃の望み通りにするしかなかった。

 異性が使用人となる理由付けと、騎士を塔内に立ち入らせないために、ベネディクトは男性恐怖症ということにした。塔の鍵もこの時に侍女のみが所持することになった。


「お兄様には何も説明はしていないけれど、薄々は察してらっしゃるはずよ。わたくしが来なくなった直後、侍従が侍女になり、命を狙われるようになったのだから」

 

 ベネディクトはそれをどう思ったのだろうか。妹の勝手な行動により、瑕疵のない自分が常に危険に晒されるようになった理不尽を受け入れられたのだろうか。

 

 出会った頃のベネディクトの様子を思い出す。彼はジェシカを警戒し、張り詰めた空気を放っていた。つらい日々を送ってきたことは一目で察せられた。

 

「それでも、ベネディクト様は殿下のことを大切に思っていらっしゃいますよ」 


 必要最低限の関わりしか許さなかったのに、ジェシカがエリザベスの手の者だと知ると警戒を解いた。

 エリザベスのことを語る時のベネディクトの目はいつだってとても優しい。


「……そう。お前がそういうのなら、そうなのでしょうね」


 エリザベスは安堵に顔をほころばせた。

 彼女はずっと気にしていたのだろう。兄が自分を恨んでいるのではないかと。


 だから、王妃が病に倒れた隙にジェシカを侍女として送り込んだ。彼女はベネディクトの本心が知りたかった。


「殿下。もし、ベネディクト様が玉座を望んでいたら、どうなさるおつもりでしたか?」


 エリザベスからは相応の決断を下すと聞いていた。

 任務につく前だったら、ベネディクトを排斥すること以外にないと思っていただろう。


 エリザベスはジェシカに目を向け、微笑んだ。

 

「お兄様に、王位を譲るつもりだったわ」

「……そうですか」


 予想していた答えに、ジェシカも笑みを返した。


「ベネディクト様の部屋にある帝王学などの書物は、殿下がご用意されたのですか?」

「ええ。昔よく読んでいらしたから、今でもお好きなのではないかと思って。お母様に見つかると厄介だから、適当な本に偽装していたの」


 本の贈り物はエリザベスの贖罪。

 だが、それだけではない。

 

 王位を譲るためにベネディクトに知識をつけてほしかったのだろう。


「お兄様が気に入ってくださったようで良かったわ」


 エリザベスは幼少の頃から、王になるべく厳しい王太子教育を受けていた。勉学はもちろん、礼儀や立ち振舞いも完璧を求められた。唯一の後継者とはいえ、手を抜かれることはない。

 ジェシカは天体観測中に、エリザベスから弱音や愚痴をよく聞いていたから、彼女が苦しんでいたことをよく知っている。


 弛まぬ努力の末に得た王太子の地位だ。手放すことはつらいだろう。

 それでも、エリザベスはベネディクトのためなら譲る決意をした。


「罪悪感だけでしたことではないのよ。お兄様には王になる資格があるのだから」


 エリザベスは空を見上げた。先程よりも声を落とし、囁くように告げた。


「本当は、お兄様は悪魔憑きではないのよ」

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