第82話 盤上の戦い
みんながお風呂から出た後、俺もぱぱっと自分の風呂を済ませた――そんな後の自由時間。
いつもだったら三姉妹が日課である練習を開始する時間なのだけど、今日は少し違っていた。
「旅行の夜と言えばゲームよね! みんなで盛り上がるゲームをしましょう!」
「ちょっと、誰よ先生にお酒を飲ませたの!」
「冷蔵庫にはお酒なんて入ってなかったはずですけど……」
「わたしが個人的に持ってきたクーラーボックスに入れてました! あはは!」
「あ~~~持ち物検査はしたはずなのに~~~」
頬を赤らめながらニコニコと笑う日比野さんを見て、一夜さんは頭を抱える。一夜さんの反応からするに、どうやらお酒の入った日比野さんは割と面倒臭いらしい。
動揺する一夜さんの肩を軽く叩きつつ、俺はその場にいるみんなにぴしゃりと言い放つ。
「言っておくけど、王様ゲームだけはやらないからな」
「チッ」
「オイコラ彩三。今の舌打ちは何だ!?」
「舌打ちなんてしてませんよぉ? 聞き間違いじゃないですかぁ? ぴひょ~」
「せめてもっと上手に誤魔化せよ!」
口笛が上手く吹けていないせいでかすれた空気の音しか出てないから。
俺を陥れたくて仕方がない三女の頭にとりあえず軽く手刀と落としつつ、
「ロッジの中にいくつかボードゲームがあったし、やるならそれをやりましょう」
「あら、いいじゃないボードゲーム。楽しそう」
「ボドゲかー。小さい頃に二姉と一緒に遊んで以来かも」
テレビゲームだけじゃなくてボードゲームのプレイ経験もあるとは。それがゲームでさえあれば媒体などは特に気にしないのかもしれない。流石は日本有数の天才プロゲーマーだな。
「一夜さんとふくちゃんもそれでいいですか?」
「ええ。どんなゲームであろうとも、私が優勝してみせるわ」
「ウチもおっけーばい」
「よし。二葉もボドゲをやるってことでいいか?」
「…………」
「二葉?」
「え? あ、ご、ごめんなさい。少し、ぼーっとしてた」
慌てた様子で俺にかぶりを振る二葉。風呂から出てきてからというもの、二葉の様子がどこかおかしい。どこか上の空というか、ずっと何かを考えこんでいるというか……。
「大丈夫か? 体調が悪いなら、早めに寝た方が……」
「う、ううん。体調が悪い訳じゃない。心配かけて、ごめんなさい」
「そうか……? まあ、君が大丈夫ならいいんだけど。でも、ヤバそうだったら我慢せずにちゃんと休むんだぞ?」
「ん、分かった。気を付ける」
二葉はそう言って、困ったように微笑んだ。やっぱり何か隠してる気がするけど……彼女が自分から言わないなら、俺から詮索する訳にもいくかないな。
一旦二葉のことは置いておいて、ボードゲームの話に戻るとしよう。
「センパイ。それで、どのボドゲをやるんですかー?」
「そうだなぁ。さっき見つけたやつだけど、これとかどうだ?」
「これは……人が生まれてから死ぬまでを追体験するゲームったい」
「そうだ。これは人が生まれてから死ぬまでを追体験するゲーム。略して人生ゲームだ」
「何でわざわざ長いタイトルを繰り返したの……?」
「これは大事な儀式なんですよ一夜さん」
正式名称が人生ゲームという訳ではないのであしからず。このゲームはあくまでも『人が生まれてから死ぬまでを追体験するゲーム』です。
「最大プレイ人数は8人らしいし、大人数でも出来そうね」
「はい。なので異論とかなければこのゲームをやろうと思います。いいですか?」
俺の問いかけに、その場にいた全員が頷きを返してきた。
それを同意と受け取った俺はリビングにある長テーブルの上に『人生ゲーム(略)』セットをぱぱっと手際よく展開する。中に入っていたのは巨大なマップとルーレット、そしてプレイヤー毎に使用する駒と紙幣といくつかのカードだ。
俺はプレイヤー全員に道具を配りながら、
「ルール説明はいらないですよね。順番は、そうですね……日比野さんから時計回りにしましょうか」
「わたしは構わないけれど、どうしてその順番にしたのかの理由を聞いてもいいかしら?」
「最も人生経験豊富な日比野さんこそが先導として相応しいと判断したからです」
「ふぅん……? ま、合格点かしらね。言われた通り、わたしからスタートさせてもらいましょうか」
駒をマップの上に置いて、ルーレットに手を伸ばす日比野さん。
そんな彼女の周りで、女子高校生たちがひそひそと何かを話していた。
「流石は理来ね。誉め言葉を言わせれば右に出る者はいないわ」
「咄嗟の機転。相変わらず頭の回転が速い」
「え、でも今のってさおりんのことを最年長って言っただけじゃ……もごもご!」
「行間を勝手に読もうとしたらダメばいアミアミ」
本当の理由としては、まず最初に目に入ったからでしかない。なので特に深い理由なんてないんだけど……何故だかみんなが勝手に深読みしてくれていた。
そんな謎の頭脳戦が展開される中、日比野さんはルーレットが示した数だけ、駒を進めていく。
「いち、にい、さん……四っと。なになに……『保育園の出し物で劇をすることに。お姫様の役をやりたかったがじゃんけんに負け、石ころの役をすることになってしまった。とても辛い気持ちになったので一万円支払う』って何よこのマス! 悲しみに暮れてる保育園児から一万円まで持っていくの!? 作った人は鬼か悪魔か!?」
早速頭のおかしいマスに止まっていた。いやほんと何なんでしょうねそのマス。開幕から鬼畜過ぎないか?
「次はあたしだね! ルーレット、スタート!」
落ち込む日比野さんの隣で元気よくルーレットを回す彩三。
「いーち、にー、さーん、よーん……はち! えーっと……『市の絵画コンクールで金賞を受賞! しかし後から選考にミスがあったことが判明し、銀賞に降格。ちょっぴり悲しい気持ちになったので一回休み』。ええええええええっ!? 天高くまで上げてから一気に地中まで落とされた気分なんだけど!?」
彩三の悲痛な叫びがロッジの中に響き渡る。
本当に待ってほしい。何なんだこのゲームは。何でさっきから止まるマス止まるマス、そのすべてが鬼畜なんだ?
「どういう意図で作られてるんだこのゲームは……」
「これはボードゲーマーの間ではかなり有名な鬼畜ゲー」
「知っているのか二葉!」
俺の隣でずっと静かにしていた二葉が急に解説キャラみたいなことを言い出した。
「人生がずっと上手くいっていなかった不運なゲームプランナーが、私利私欲精神全開で制作したボードゲーム。そのあまりの鬼畜さのせいで制作会社には無数のクレームが舞い込み、たった一ヶ月で販売停止になった幻のゲーム」
「忌み子じゃねえか!」
「そのレア度からマニアの間ではかなりの高値で取引されている。私は幸いにも定価で手に入れてたけど、昔ここに遊びに来た時にみんなでやろうと思って持ってきたまま何年も置きっぱなしにしてた」
「幻のゲーム過ぎて存在すら忘れられてるじゃん……」
ゲーム会社の人間が私利私欲でゲームを作るなよ! そしてこんな忌み子を数年に一度行くかどうかも分からない場所にずっと放置するんじゃない!
「『初恋の男の子にフラれる。そのあまりのショックに10万円失う』って……せめて一回休みでありなさいよ! どうしてこの流れでお金を失わなければならないの!?」
「俺が二葉と平和な会話をしている間に新たな犠牲者が……!」
一夜さんが大粒の涙を流しながら銀行に一万円支払っていた。どうでもいいけど、最近の一夜さんってかつてクールキャラだった時の面影すらないよね。
このままだと被害が拡大してしまうので、俺は別ゲーを提案してみることにした。
「えっと……他のボドゲにします……?」
「ゲームを前に撤退するなんて有り得ない」
「私がこんなゲームひとつに屈するとでも思っているの!?」
「フフフ。負けっぱなしで終われるはずがないじゃない」
「ここから大逆転するからこそ楽しいんじゃないですか!」
「ウチはみんなに合わせるばい~」
「あ、はい」
どうやら天才たちの負けず嫌い精神についてしまったようだ。もうこうなってしまったら俺一人の力じゃどうすることもできない。というか、事なかれ主義のふくちゃんはともかくとして、日比野さんも結構負けず嫌いなんですね。
女性陣のやる気が最高潮のようなので、俺は別ゲーの提案を諦め、目の前の『人生ゲーム(略)』に集中することにした。
「ふっふー。六万円ゲットしたばい。幸先よか~」
「私も五万円ゲット。プラスのマスを狙ってルーレットを回せば何も問題ない」
純粋な幸運っぽいふくちゃんと、なんだか人間離れした攻略法を取り始めた二葉。ボードゲームってこんなに難易度の高い遊戯だったっけ? もっとこう、気楽に遊べるものだったと記憶しているんですけども……。
「次はセンパイの番ですよ!」
「お、おう」
彩三に急かされるように、ルーレットに指を添え、勢いよく回す。
示された数字に従って駒を進めていくと……。
「『幼馴染みと結婚の約束。このまま恋愛関係のマスに止まらなければその人と結婚』か……え、これって他のプレイヤーを幼馴染みとして指定するのか……どうしようかな」
「「「ッ!?」」」
「え、なになになに???」
俺が止まったマスに書かれていた説明を読んだ直後、三姉妹が鬼気迫る表情で接近してきた。そのあまりにも凄まじい速度に、俺は咄嗟に反応する事すらかなわなかった。
身体が動揺というデバフを受ける中、彼女たちは捲し立てるように俺に話しかけてきた。
「結婚相手にはやはり常に冷静な女性がいいんじゃないかしら? 責任感もあって上品で……後は、そう! ピアノが得意な女性とか! 子供にピアノを教えられる、上品な淑女こそがあなたには相応しいと思うわ!」
「家族みんなで楽しい家庭を築けるのが重要。ゲームなら老若男女関係なくみんなで楽しめる。それならゲームが得意かつゲームに精通している女性が妻として適切」
「いつも明るい家庭に興味無いですか? 笑顔が絶えないことは楽しい家庭の重要条件です! どんな時でも何があっても明るく楽しい家庭を築くことの出来る、そんなムードメーカー気質の女性こそがセンパイには相応しいですよ!」
「え、なに? 保険のセールス?」
息付く暇もなく並べたてられる謎のアピールポイント。流石は天才美少女三姉妹、ボードゲームという遊びの中でも常に真剣だ。ここまで勝ちに貪欲だと素直に尊敬してしまう。
「……センパイさん、多分ばり勘違いしとると思うっちゃけど」
「基本的に完璧超人だけど、あの鈍感ぶりだけは大きな欠点よねえ」
外野がなんか好き勝手に言ってきていたけど、とりあえずスルー。そもそも俺は完璧超人でもなければ鈍感でもないので、きっと他の人の話をしている。そうに決まってる。
迫り来る恐竜を牽制する某映画のワンシーンのように彼女たちを手で制しながら、俺は騒動鎮圧のための妥協案を提示する。
「じ、じゃんけん、じゃんけんで決めましょう!」
「「「望むところ! じゃーんけーんーー」」」
「えへへ、子供が生まれたみたいとよ、センパイさん」
「う、うん。そうだね……」
俺との共有駒をマップの上で進めながら、可愛らしく微笑むふくちゃん。言葉と表情だけならとても幸せで平和な一幕なんだけど、空気は過去最悪に緊迫していた。
ちら、と『人生ゲーム(略)』を挟んで対岸にいる一夜さんと彩三を見やる。
「キャリアウーマンとして順調に人生が進んで……結婚とかの浮いた話もなく黙々とキャリアを積み上げていって……そろそろ企業でもしようかしら。あはは、この調子なら一番のお金持ちとしてゴールできそう……うふ、うふふふふ」
「新卒で入社した会社は不祥事で倒産、フリーターとしていろんなバイトを掛け持ちしながら貯めたお金で一般逆転のギャンブラールートに進んだら爆速で破産……多額の借金を背負って地下労働……あはは、あたしの人生はこれからどうなるのかな……あはは、あははは」
目も当てられない地獄がそこには展開されていた。
二人の目から既に光は消えており、あるのは絶望色の混沌だけ。もしここが剣と魔法のファンタジー世界だったら終焉の魔王とかが召喚されていてもおかしくない、それほどまでに空気が澱んでいた。
しかも、それだけではなく……
「…………」
カリ、カラカラ……コツン、コツン……とルーレットを回したり駒を置いたりする無機質な音が、俺のすぐ隣から聞こえてくる。
顔を動かさずに横目で見ると、そこには虚ろな瞳で黙々とゲームをプレイする二葉の姿が確認できた。
「(……あ、結婚マス……パスで……)」
ブツブツと何か呟いている。はっきり言って、めちゃくちゃ怖い。
その後もターンは進んでいくも、結局はこの世の終わりみたいな展開が連続していくばかり。
特に様子のおかしい天才美少女三姉妹により、楽しいはずのゲームタイムが地獄の陰鬱タイムに早変わりしてしまっていた。
いやまあ、原因は分かってる。あのじゃんけんの後、結婚マスに止まった俺が最悪な展開を引き起こしてしまったのが原因だ。
じゃんけんでは一夜さんが勝利していた。二葉と彩三は不服そうだったけど、一夜さんはそれはもうハイテンションだったんだ。翼が生えて今にも空高く飛び上がりかねないほどに。
だけど、その少し後……結婚マスに止まった俺は、ルーレットにより最悪な引きを見せつけた。
簡単に言うと、『運命の出会いに邂逅。マス同士の距離が一番近いプレイヤーと結婚』なんていうトンデモルートを引き当ててしまった。
その対象になっていたのは、三姉妹ではなくマイペースにプレイしていたふくちゃん。突然の結婚を取り上げられた一夜さんは一瞬の内に闇に堕ちーー今に至るというわけだ。
「しかと目に焼き付けておきなさいね、加賀谷くん。人生はたった一度の過ちでここまで絶望に染まるものなのよ」
「これは最悪中の最悪すぎませんか……?」
たった一度の不運で闇属性が三人も爆誕してしまうのはもはや不運とかそういうレベルの話じゃないと思います。
みんなで楽しむために選んだゲームがまさかここまでの地獄絵図を生むとは、流石に予想できなかった。これはさっさとゴールしてゲームを終わらせる必要があるだろう。
俺は混沌とした邪気を放つ一夜さん達に苦笑しつつ、順番を改めて確認する。
「次は……二葉かな?」
「…………」
「二葉?」
「――ハッ。な、なに?」
「次は君の番だぞ?」
「あっ……ご、ごめん。ぼーっとしてた」
「そうか」
俺に軽く頭を下げつつ、ルーレットを回す二葉。やはり風呂の後から様子がおかしい気がする。本人は何度も否定しているけど、あの二葉がゲームに集中できていないなんてよっぽどだ。風呂に入っている間に何があったんだ……?
(時間がある時に何があったのか聞いてみるか)
様子のおかしい二葉のことを気にかけつつ、俺はゲームを続行するのだった。




