第81話 美少女たちは恋バナに花を咲かせる
お風呂は基本的に一人で入るものだ、と天王洲一夜は考える。
一日の疲れを湯船の中で癒しつつ、考え事などをぼーっとしながら頭の中で整理する貴重な時間。
それは天王洲家次期当主である彼女にとって一日の中で最も大切な時間であるともいえる。
しかし現在、彼女のそのこだわりは物理的に木っ端みじんになっていた。
「いやー、うちのロッジのお風呂が広くて本当によかったねー」
「大浴場があるロッジって、それはもう旅館なんじゃないの?」
「ウチまで入らせてもらっちゃってありがたい限りばい」
「理来も一緒に入ればよかったのに……」
「いやそれは流石に駄目でしょ二姉」
ヒノキを基調とした大浴場。
そこにある巨大な湯船の中に、一夜を含めた五人の女性が入っていた。
「どうしてこんなことに……」
「今更どしたの一姉。いつもあたし達と一緒にお風呂に入ってるじゃん」
「いつもじゃないでしょうが。語弊を招く言い方は止めなさい」
「あはは。じゃあ、たまにぐらい? 頻度なんてどうでもいいじゃーん。些細な問題だって」
「あなたねぇ……」
湯船の淵に後頭部を押し付けながら両手をぐぐーっと伸ばす彩三を見て、一夜は溜息を零す。いくら周りに同性しかいないからって、流石に無防備過ぎるのではなかろうか。身体の全部が見えてしまっているし、淑女としてのマナーが成っていない。
相も変わらずどこか子供っぽい三女の言動に軽いめまいを覚える一夜。そんな彼女の心配など露も知らない女性陣は、好き勝手に話を広げていく。
「二葉ちゃんは加賀谷くんと一緒にお風呂に入ったことがあるの?」
「ある」
「ひゃー。二葉さん大胆やねー」
「でも、理来は最近一緒に入ってくれない」
「そもそも最初からセンパイは二姉とのお風呂を拒否してるけどね」
「あの子はそういうところの線引きはちゃんとしているからね」
「でも、たまには入ってくれる」
「あれは一緒に入っているんじゃなくて、理来がお風呂に入っている時に二葉が突撃しているだけでしょう……?」
「一緒に入れば時間とお湯の節約になる」
「そういう問題じゃないよ二姉……」
「まず理来のお風呂に突撃するなと言いたいのよ」
「些細な問題」
「あなた達さっきから『些細な問題』って言えば誤魔化せると思っていないかしら?」
一夜が目を細めながら指摘すると、次女と三女は口笛を吹きながら明後日の方向に視線を逸らした。長女として常に責任と緊張を抱いて行動している一夜とは違い、二人は年齢相応の子供っぽさが残っている。
(それなのに、どうして私が一番体つきが子供っぽいのかしら……!)
立ち上る湯気の中でも分かる、次女と三女のスタイルの良さ。世間一般的には一夜もモデルに匹敵するほどのスレンダースタイルなのだが、彼女はそれには気付けていない。まさに灯台下暗しと言ったところか。
一夜はお湯に浮かぶ二葉の豊満な胸を睨みつけつつ、そっと横に視線をずらす。
そこには、二葉よりも存在感のある双丘が鎮座していた。そのさらに奥には自分が教えを乞うているピアノの先生が持つそこそこ大きい山が二つほど。
(な、何なのよ、この空間は……これがアルプス山脈!?)
山脈に囲まれているせいで冷静な思考がぶっ飛んでしまったのか、バカみたいなことを考える一夜。
(実はそんな一夜に気付いているが面白いのであえて指摘していない)沙織は、小さな笑みを浮かべつつ、華の女子高校生たちに言葉を投げかける。
「みんなスタイル良くて目の保養になるわねー」
「さおりんこそ、スタイル凄くいいじゃん! 足も長いし、胸の形も整ってるし、身長もあるし……モデルの仕事をしていますって言われても普通に納得しちゃうレベルだよー」
「フフフ。教師は見栄えも大事ですから」
ピアノの先生として活動している彼女にとって、自分自身が商品そのもの。清潔感を始めとした外観情報を最高位で維持するのは、仕事をとる上で最も重要な要素と言える。
「教師じゃないにしても、コンサートにも出たりするじゃない? その時に清潔感のない女性がステージに立ったとして、誰がそれを見たいと思う?」
「はえー。見た目の綺麗さとかじゃなくて、見栄えの問題なんだね」
「ピアニストにとって、他人に美しいと思ってもらえるかどうかは音色の次に大事なことなのよ。その点、一夜ちゃんは素晴らしいわ。ピアノの腕は当然のこと、ステージ上での見栄えも最上級だもの」
「……でも、私よりも皆さんの方がスタイルいいですし」
「もー、なに不貞腐れてるのー? 一夜ちゃんには一夜ちゃんの魅力があるでしょー?」
「むぅー……」
沙織にぎゅーっと抱き締められたまま、ぶくぶくとお湯の中で息を吐く一夜。学生組の中では最年長の彼女だが、やはりそこは年頃の女の子。まだまだ精神的に魅力な箇所が目立っている。
周りと自分の体つきを見比べて落ち込む一夜を慰めつつ、沙織は新たな火種を投下する。
「そういえば、ずっと聞きたかったことがあるのだけれど。みんなは加賀谷くんのことをどう思っているの?」
「い、いきなりぶっこんできやがりましたね、この人!」
「フフフ。大胆な質問は保護者の特権でしょ?」
そう言って、可愛らしく片目を瞑る沙織。
誰よりも先にツッコミを入れた彩三は顔の前で両の人差し指の先をちょんちょんとぶつけ合いながら、
「ど、どう思ってるって……素敵なセンパイですよ。他の誰よりも、素敵で、かっこよくて……」
「なるほどねぇ(ニヤニヤ)」
「さおりん、すっごくいやらしい顔してる!」
「ふふふ。彩三ちゃんってば相変わらず可愛いわねえ」
「むきゃー! その顔むかつきますー!」
目を吊り上げて叫ぶ彩三に、沙織は心の底から楽しそうな笑みを返す。
だが、彩三へのいじりは沙織だけには留まらない。
この場には、彩三をからかうことに特化した刺客がもう一人存在しているのだから。
「アミアミ、素直じゃなかー。いつも教室でセンパイさんのことばっかり話してくれるやんかー」
「にゃっ……ふ、ふくちゃん! いきなり何を……」
「センパイかっこいいーとか、センパイにどうやったら興味持ってもらえるかなー、とかー……いろいろ相談しにきてくれるやん?」
「みゃーっ! 敵はすぐ傍にあり!? 余計な事言わなくていいんだってばふくちゃーん!」
「あうあうあうあう」
サラッと爆弾発言を投下した福美の頬を両手でもみもみする彩三。いつも理来をからかっている生意気な後輩の姿とは正反対の、年頃の思春期な少女の姿がそこにはあった。
彩三が福美とドタバタする中、沙織は次なるターゲットに狙いを定める。
「じゃあ、次は一夜ちゃんね」
「(びくぅっ!)わ、私から言えることなんて何もありませんからねっ」
「もう、警戒しすぎよ一夜ちゃん。私はただ、加賀谷君のことをどう思っているのかを聞きたいだけよぉ」
「そんな言葉には騙されませんから! 先生はいつもそう言って私をからかうんですもの!」
「まあまあ、そう言わずに答えてよー。恋する若者をからかう時にこそ大人は生を実感する生き物なんだからー」
「最低最悪の生き物じゃないですか!」
大人なら子供のことを素直に応援してほしいものだ、と一夜は思う。
そもそも、理来のことをどう思っているかと言われても、返せる回答は一つしかない。
だって、天王洲一夜は加賀谷理来に恋をしているのだから。
「どう思ってるかなんて、そんなの……言えません……」
「そっかぁ。ま、無理やり言わせても仕方がないし、からかうのはこれぐらいにしておこうかしらねえ」
あっさりと引き下がった沙織に一夜はほっと胸を撫で下ろす――が、その安堵は長くは続かなかった。
「で、二葉ちゃんは加賀谷くんのことをどう思っているの?」
「好き」
「「ぶーっ!」」
あっさりと告げられたまさかの真実に、長女と三女は勢いよく噴き出した。
二人の美少女が咳き込む中、残りの三人は勝手に盛り上がっていく。
「きゃーっ。二葉ちゃんったら加賀谷くんのこと好きなんだ?」
「(こくん)。理来は優しくて、かっこよくて、いつも傍にいてくれる。だから好き」
「ほうほう。いいわねぇ、青春ねぇ」
「じゃあじゃあ、いつかはセンパイさんに告白しようとか思っとったりするん?」
「告白? 何で?」
「え? だ、だって、センパイさんのこと、好きっちゃろ?」
「うん、好き」
「じゃあその気持ちを告白した方が……」
「どうして?」
「どうしてって……」
何故か噛み合わない会話に、福美は動揺を隠しきれない。
好きな人がいるなら、その人にいつか告白するのではないかと考えるのはそこまでおかしな話ではない。だが、二葉はその行為自体に疑問を抱いている。その理由は分からず、福美は首を傾げるしかなくなっていた。
「……なるほどね。二葉ちゃんの『好き』はそういうタイプか……」
「どういう意味なん?」
「そうねぇ……改めて聞くけれど、二葉ちゃんは加賀谷くんのことが好きなのよね?」
「うん。好き」
「じゃあ、もうひとつ聞かせて? その好きは――恋愛的な好き?」
「恋愛的……えっと……よく、分からない、かも……」
二葉は困ったように眉を顰めながら、その言葉を尻すぼみに吐き出した。
そんな彼女に、沙織は納得したように肩を竦める。
「つまり、二葉ちゃんは自分の好きがどんな好きなのかが分かっていないのね」
好きにはいろんな形がある。
家族が好き、料理が好き、動物が好き、漫画が好き、恋人が好き。
同じ『好き』という言葉なれど、その意味は千差万別。
二葉は自分の抱く理来への『好き』がどれに当てはまる『好き』なのかが、分かっていないのだ。
「いいわねぇ。そういうのも青春って感じがするわぁ」
「私の好き、どこかおかしい?」
「ううん。ちっともおかしくなんかないわ。ただ、二葉ちゃんはその『好き』がどんな『好き』なのかが分かっていないだけ」
「……? よく、分からない……一姉と彩三の好きとは、何が違うの?」
きょとんとした顔の二葉からロックオンされた長女と三女は、お湯の中で身構えてしまう。
「い、いきなりこっちに銃口が向いたよ一姉!?」
「流石にこの展開は予想していなかったわ……」
「二人は、理来のこと好きじゃないの?」
「「好きに決まってるでしょ!?」」
「あ、言っちゃった」
「「~~~~っ!?!?」」
天然な二葉に誘導されるがまま、お互いの気持ちを思わず吐露してしまった一夜と彩三。彼女達の顔が赤いのは、湯船で体が温められていることだけが原因ではないだろう。
長女と三女が動揺する中、二葉は興味津々と言った様子で追撃する。
「二人の『好き』はどんな『好き』なの?」
「そ、それは……恋愛対象という意味での『好き』よ」
「あ、あたしも……恋人になりたいという意味での『好き』かな……」
耳の先まで顔を真っ赤にしたまま、恋する乙女の表情でもじもじとしつつ――それでもはっきりとした口調で、二人は言った。
「恋人になりたい、『好き』……」
見たことのない顔をしている姉妹を前に、二葉は静かに考える。
自分の抱く『好き』の気持ちは、いったいどんな形をしているのかを――。
「二葉さん……」
「アドバイスはしちゃダメよふくちゃん。こういうのは、自分で答えを見つけるものなんだから」
同じ男性に恋をしている一夜と彩三。
そして、自分の『好き』の形が分かっていない二葉。
日本を代表する天才美少女三姉妹は、今まさに思春期特有の悩みに苛まれていた。
「ふふっ。加賀谷くんったら、本当に罪な男の子ね」
今この場にいない鈍感な優男の顔を思い浮かべながら、沙織は静かに微笑むのだった。




