第18話 明るい三女は俺にだけウザい
『いつも寂しい思いをさせてしまってごめんね』
小学生ぐらいの頃だったか。
無駄に広い自宅のリビングで、母さんからそんなことを言われたことがある。
『本当なら、毎日でもあなたの傍にいてあげたいのだけれど……ごめんなさい』
妹を産んでから、母さんはずっと忙しかった。どんな仕事をしているのかは聞いてなかったけど、1週間ぐらい家を空けることはそう珍しくなかった。
母さんはいつも辛そうだった。彼女は何も言わなかったけれど、親父からの純粋な愛情に、自分が応えられなくなってきたのを感じていたんだと思う。
『私のせいで、あなたに普通の家族を経験させられなくてごめんなさい』
俺と顔を合わせると、母さんはいつも謝罪の言葉を口にしていた。
母親として接してあげられなくてごめんなさい、とか、妹の世話を任せちゃってごめんなさい、とか……両手じゃ数えきれないぐらい、彼女は俺に謝罪の言葉を口にしていた。
『私じゃあなたを幸せに出来なかった』
『もし、あなたに家族の団欒を教えてくれる人達が現れたら、大切にしなさいね』
俺の記憶の中の母さんは、いつもそんなことばかり言っていた。親父と離婚して姿をくらますその瞬間まで、母さんは一度も俺に笑顔を見せちゃくれなかった。
でも、違うんだよ、母さん。
俺があなたに言ってほしかったのは、そんな言葉じゃない。
俺があなたにやってほしかったのは、そんな謝罪じゃない。
俺は、ただ――
『こんな私が母親で……ごめんなさい』
――あなたに笑っていて欲しかったんだ。
★★★
「うぅん……――ハッ!?」
目を覚ますと、見覚えのある天井が広がっていた。
ここは……天王洲邸のリビングか……?
「あ、おはようございますセンパイ」
「彩三……?」
視界の端から生意気な後輩の顔がフェードインしてきた。風呂上りなのか、髪が若干湿っている。
そうだ、風呂だ。俺はさっきまで、三姉妹と一緒に風呂に入っていたはずなんだけど……。
「いやー、心配しましたよ。二姉のおっぱいに顔を突っ込んだかと思ったら、そのままお湯の中に沈んじゃうんですから。あの時の二姉のパニクり様といったらもう……」
「…………」
完全に思い出した。
彩三の言う通り、俺は二葉のおっぱ……胸部に頭を突っ込み、その衝撃が原因でのぼせてしまったんだった。
そう、二葉の、胸に……。
「……柔らかかったなぁ」
「今の録音したんで二姉に送っておきますね」
「ごめんなさいマジでそれだけは勘弁してください」
せっかく地獄から生きて帰還できたのに、ここからさらに社会的な死を迎える訳にはいかない。
「にしし。冗談ですよ、冗談」
スマホを軽く振りながら、悪戯っぽく笑う彩三。
「そんなことより、具合はどうですか?」
「ん……何ともないよ。眩暈も頭痛も特には感じないし」
「そうですか。それはよかったです」
そう、おかしなところは何もない。
気になることは、ひとつだけあるけど。
「なぁ、彩三。ひとつ聞いてもいいか?」
「はい、なんでしょ」
「もしかして、俺のこと着替えさせてくれた?」
「げぼふ」
勢いよく咳き込み、慌てて視線を逸らす彩三。これは……図星だな?
「あ、あのままじゃ風邪引いちゃいますからね。じゃんけんで勝……負けたあたしが仕方なく着替えさせてあげたんです。ええ、仕方なくですよ? 別に役得だとか思ってないんですからねっ!?」
「ンなこと言われなくても分かってるって。むしろごめんな? 異性の裸なんて見たくもなかっただろうに」
「いえ……別に、そんな……変な所とか、ありませんでしたから……」
「オイ、なんでそう言いながら俺の股間を凝視するんだ」
やっぱり見られてるよねコレ。俺のムスコ共々何もかも見られてるよね?
これ以上考えると心が死にそうなので、一旦別の事を考える事にしよう。
俺は邪念を振り払いつつ、周囲に視線をやる。
「ところで、他の二人はどうしたんだ?」
「一姉と二姉なら近くのコンビニにスポドリを買いに行きましたよ? このままじゃ理来が死んじゃう! って血相変えて出ていきましたけど」
だからさっきから姿が見えないのか。
「あー……その、なんだ。ごめんな? 心配かけちゃって」
「あの二人はともかくとして、あたしは全然心配してませんでしたけどね」
「さっき心配したって言ってただろ」
「はて、記憶にございませんなぁ。あたしはただ、センパイの寝顔をずっと傍で眺めていただけですので」
「それってつまり、起きるまで傍にいてくれたってことか?」
「…………~~~~~~っ!?!?」
彩三の小麦色の肌が真っ赤に染まった。感情の動きが本当に分かりやすい奴だと思う。
しかし、これは彼女をからかうチャンスだ。いつも優位に立たれているのだから、こういう時ぐらいやり返したって罰は当たらないだろう。
俺はソファから体を起こし、彼女の顔を覗き込む。
「おやおやぁ? どうしたんだぁ? 俺のことを心配してくれた彩三後輩さんよぉ?」
「くっ……調子に乗って……!」
「いつもからかってくるけど、なんだかんだ言って優しい奴だもんなぁ彩三は。この数日で俺はちゃぁあんと理解してるからなぁ?」
「ち、違いますよ、やめてください! だ、誰が優しい後輩ですか。あたしはセンパイをからかいたいだけです。凡人のセンパイがあたしをからかおうとするだなんて、一〇〇万年早いんですよ!」
「いーや早くないね。何故なら俺の方が人生経験豊富だから!」
「年齢マウントですか? はー、これだから年上は! 年齢ぐらいしか勝てるものがないっていう何よりもの証拠ですよ!」
「年齢って言うのは圧倒的なアドバンテージだぜ? だから俺は君にどれだけからかわれようとも、決して照れたりはしない!」
「言いましたね? なら、こういうのはどうですかっ? ――えいっ!」
いったい何をしてくるのかと身構える間もなく、彩三は俺の頭を体と両腕でがっちりホールドしてきた。筋肉質な二の腕と小ぶりながらちゃんと柔らかい胸部に、俺の頭が逃げ場なく包み込まれてしまう。
「んむぅっ……ぷはっ! お、おい、待てって……」
「ふはは、どうです? 天才美少女彩三ちゃんに抱き締められた感想は!? 全世界の男性が憧れる、垂涎シチュエーションですよ!?」
「顔真っ赤じゃねえか。無理すんなって」
「だ、誰が無理してるか! センパイのくせに生意気です!」
くそっ、無駄にいい匂いがするのが無性に腹立たしい!
彩三の腕の中から逃げるべく必死にもがいてみるが、姿勢が姿勢なので全く力が入らない。こんな姿を他の二人に見られたら、なんて言い訳すればいいというのか。
「わ、分かった。俺の負け、俺の負けでいいから一旦落ち着こう!」
「ふふん。足りませんねえ、屈服感が! もっとあたしの心を揺さぶるように! もっと情けない感じを所望します!」
「あら、随分と楽しそうね、彩三」
「はい! それはもう、最高に楽しいですよ!」
「へぇ……お風呂で倒れたばかりの理来を困らせるのが、そんなに楽しいんだ」
「それとこれとは話が……あれ……?」
異変に気が付いたのか、彩三の動きが完全にフリーズした。
俺の頭をホールドしたまま、だらだらと冷や汗を流し始める彩三。視界が固定されているので見えないが、きっと彼女の後ろには修羅が二人立っている。
「冷や汗がすごいわよ、彩三。せっかくお風呂に入ったのに……」
「お、おかえり一姉。いつの間に帰って来てたの?」
「あなたが理来に胸を押し付けてご満悦だった時ぐらいだったかしら」
「あ、あはは……そ、そうだったんだ……」
「……理来をいじめるなんて許せない」
「い、いじめてなんかないよ!? あたしたちは遊んでただけだから! ねえ、センパイ!?」
助けを求めるように悲鳴のような声を上げる彩三。ここで彼女に乗ってあげてもいいんだけど、負けっぱなしというのも癪だしな……うん。
「彩三に無理やりプロレス技をかけられてました」
「センパイコラァアアアアアアアアア!!!!!!」
「彩三、こっちに来なさい。あなたにはお説教が必要みたいだから」
「油断も隙もない抜け駆け女には教育が必要」
「待って! ねえ待って!? ちょっと調子に乗っちゃっただけなんだって! センパイの反応がよくって……あ、ダメ、そこ引っ張ったら服脱げちゃう! あああああごめんなさああああああああい!!!!」
二階の方(おそらく一夜さんの部屋)へと引きずられていく彩三を眺めながら、俺は静かに黙祷をささげるのだった。
【あとがき】
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まだまだ続きますので、引き続き本作をどうぞよろしくお願いします!




