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第276話 モルモ

 オズマとロジンの訓練に付き合った後、インギスの執務室へ立ち寄り書類に目を通していた私はふと気になってモルモの様子を目で追っていた。

 確か年齢は十八でミミット子爵領から一人王都に出てきたって書類…履歴書? に書いてあった。

 あそこは私も縁があるからわかるけど、決して貧しい領地じゃない。交易をしている関係で港町や領都マズの治安は良くないけど、税金だって高くないし働き口はいろいろあるはず。

 なんだって一人で王都まで来たんだろ?


「えっと…セシーリア様?」

「うん?」

「あっ、いえ、ずっと私を見てらっしゃったので…。あの、何か粗相をしてしまいましたか?」

「ううん、何もないよ。インギス、ちょっと休憩にしよう」

「はっ! 承知しました!」


 椅子に座ったままステラにお茶を用意するようにと口に出すと彼女はすぐさま部屋に入ってきて、隅に置かれているティーポットでお茶の用意を始めてくれた。


「…ステラさんって、すごく耳がいいですよね。それにいつもセシーリア様がお呼びになるとすぐにやって来られますし…」

「私にとってセシーリア様は全てですので。この屋敷のどこにおられましても私はいつも見ておりますしすぐに駆けつけます」

「ふぇぇ…さすが本職のメイドさんは違いますねぇ」


 本職のメイドとステラを比べたら駄目だって。

 彼女は人間じゃないから私が呼べば瞬間移動で何もないところから現れちゃうんだし。それこそ屋敷中至る所に彼女の目があると思っても過言じゃない。

 まぁ最近じゃ地下室だけは覗かないように言ってあるし、あそこだけは私の好きなように出来ている。

 オリジンスキル『ガイア』を使った宝石も増えて最近は部屋の魔改造も着々と進んでいる。ムースも取り込む宝石が増えて心なしか嬉しそうだもんね。

 ま、それはともかく。


「そういえばモルモってなんで一人で王都に来たの?」

「ユーニャさんとミオラさんにはお話したのですが……あまり楽しい話ではないですよ?」

「無理にとは言わないけど、気になったからさ。嫌なら話さなくてもいいよ?」

「いえ…では折角の休憩ですのでお茶請けの代わりにでも…」


 そう言って話し始めた彼女の過去は凄まじいほどではないにしろ、言う通り楽しいものでもなかった。

 小さな田舎のお店を経営していた彼女の両親。

 そこまで儲けが出ていたわけではなかったけれど楽しく町の人に慕われたお店だったそうだ。

 けれどある時オーユデック伯爵領からやってきた大きな商会があちこちで不当な地上げを行い町そのものを買収していった。両親や町の人も抵抗していたけれど物流を完全に掌握されて一人、また一人と抵抗する人がいなくなってしまい、両親がやっていたお店もどんどん苦境に立たされることになっていったらしい。

 最終的にはその商会の大きな店が町に建ち、商会からやってきた番頭らしき人物が町長にまでなったことで、その商会の店以外には非常に重い税が課せられることになった。

 その時点でも何とか自分達で仕入れを行うことで店を保っていた両親だったけれど、仕入れに対する利益では赤字は膨らむ一方。そして税を払っていく内に借金を重ねて遂にはお店自体も手放さなくてはならなくなった。

 両親は今も借金を返しながらその大きな商会の店で下働き同然の賃金で働かされ、その少ない賃金の中から借金を返すという生活を強いられている。

 そこでモルモは王都ならばマシな賃金で雇ってもらえるのではないかと思い、単身やってきて早々にランディルナ家の募集を見てすぐに応募してきたのだそうだ。


「…えっと…ごめん、思った以上に重い話だった…」

「す、すみません! 私なんかのつまらない話じゃ折角のお茶がまずくなっちゃいますね!」

「いや…自分のこと『なんか』なんて言わなくていいよ。モルモはここでしっかりやってくれてる。そうでしょ、インギス?」

「はっ! 私はセシーリア様に任されたのであれば誰であろうと上手く使ってみせます!」


 私がやたらと良い姿勢でお茶を飲んでいるインギスにフォローをしてもらおうと話を振ったところ、彼は勢いよく立ち上がり直立不動で正面を向いたまま妄信的に答えた。

 …駄目だ。聞く相手を間違えた。

 インギスにフォローが出来ると思った私を責めたい…。

 微妙な空気になってしまい、なんとか話を変えたいところだけど彼女に対するフォローをしないまま次の話題に行くのはそれを認めてしまうようなのでそれは避けたかった。

 けどどうしていいか全くわからない。困ったな…。


コンコンコン


 場の空気の入れ替えに悩んでいたところへちょうどよくドアをノックする音に響いた。

 私に確認するまでもなくステラがドアを開けるとそこに立っていたのはセドリックだ。ディックの勉強はひと段落したのかな?


「セシーリア様、リーアからお客様がいらしたと連絡がありました」

「お客様? 朝ユーニャが言ってたカンファさんのことかな?」

「いえ、ヴィンセント商会ではなくモンド商会だと名乗っているそうです」

「モンド商会?」


 すごく聞き覚えのある名前だ。

 王都にある『巡る大空の宿』を経営している商会であり、クアバーデス侯爵家の御用商人になりたいと言っていたっけ。

 その彼が何の用か知らないけど、折角来てくれたのだから門前払いするわけにもいくまい。

 私はセドリックに応接室へ通すように伝えるとステラにお茶の用意とミオラをこちらに来させるように伝言を頼んだ。


「セシルはそのモンド商会を知ってるの?」

「うん。貴族院にいた時に知り合ってユーニャと取り引きしてたんだよ」

「それが何の用で直接来たのかしらね」

「さぁ? それは会ってみればわかるんじゃない?」


ガチャ


 ミオラと合流してセドリックと共に応接室へと入ると約一年ぶりに会うその男はすぐに跪いて頭を垂れた。


「お久し振りでございます、セシーリア・ランディルナ至宝伯。この度の叙爵誠におめでとうございます」

「あぁ、ありがとう。ブリーチ・モンド、貴方も元気そうで何よりだ。さぁ、座ってくれ」


 敢えて貴族らしく上から話すようにしたのは彼が商人だからというのもあるけど、いかんせんここに来る用事に心当たりがないからだ。

 ユーニャに用があるならヴィンセント商会に行けばいいだけだからね。

 私が席に座るとすぐにステラが紅茶を用意してくれた。ブリーチさんの前には既にカップが置かれているけど、手を付けていないらしい。

 喉が渇いていては話もしにくかろうと私が先に紅茶を一口飲むと彼にもそれを勧めた。


「これは見事ですね…。茶葉が良いのはわかりますが、ここまで香り高いお茶は初めてです」

「我が家のメイドは家事においてどれも完璧にこなしてくれるからな。私の自慢のメイドさ」

「なるほど…さすがは今最も王都で注目される貴族様であらせられる。…それとこちらはランィデルナ伯へ心ばかりの手土産にてございます」


 ブリーチさんは脇に置いていた魔法の鞄へと手を伸ばして中を漁り始めた。

 その様子に私以外の者が反応するけど、そんなことにいちいち目くじらを立てなくていいのに。

 まぁ確かに礼儀としてはどうかと思うけどさ。


「こちらにございます」

「…開けても?」


 テーブルに置かれた木箱はちょうど両手で持てるくらいのサイズであり、表面には木彫りの細工が施されておりこの箱だけでもそれなりの金額にはなったと思う。

 ブリーチさんが頷くとセドリックが私の目の前まで箱を引き寄せて開けてくれた。


「…ほう…これは、見事なものだ」


 中にも仕掛けがあり、箱を開けると中にある少し小さな入れ物が持ち上がり三段重ねのラックになっていた。そしてそこには綺麗に並べられた、大きめの宝石がいくつか並べられていた。

 宝石自体はそれほど高価なものではないけれど、この箱はちょっといいなと思ってしまった。前世でもプラスチックの工具箱みたいなものがホームセンターに売っていたので私も購入した覚えがある。


「気に入っていただけましたか」

「あぁ、この箱はいいな。宝石はあくまでも用途を見せるためだけに入れてきたのだろう?」

「…おわかりになりますか…」

「私は宝石は大好きだがこれらで私の気を引けると思ってはいないだろうし、そんな甘い女だとも思っていないだろう?」


 くつくつと意地悪く笑ってやるとブリーチさんも苦笑いを浮かべて紅茶を一口飲んだ。

 それにしてもこんな手土産まで用意して私のところへ来たということはクアバーデス侯爵とはうまく交渉が進んでいないのかな。あんまり八方美人になってると評判良くないと思うんだけど。


「さて…。それじゃそろそろ本題に入ってもらおうか。これでもなかなか多忙の身でね」


 実際はそこまで多忙ってわけじゃないんだけど、こうでも言っておかないと彼も話を切り出しにくいはず。


「…実は、この度正式にモンド商会を継ぐことになりまして。それでご挨拶に伺った次第です」

「なるほど。しかしユーニャは貴方との取引があったが、私が現在取引しているのはヴィンセント商会だ。それはわかっているのか?」

「勿論です」

「私が言えた口ではないかもしれないが、クアバーデス侯爵家の御用商人になるのが夢だったのではなかったかな?」

「そちらは現在も引き続き取り組んでおります。そしてクアバーデス侯よりランディルナ伯とも強い繋がりを持つことが御用商人としての最低条件だと言われております」


 …またあの腹黒侯爵は面倒なことをこっちに丸投げしてきたわけか。

 嫌いじゃないけど、多分嬉々として面倒ごとを私に押し付けているんだろうね。


「クアバーデス侯がそう言ってるのであれば、その話を私にするのは少々卑怯だと思わないか?」

「そうは思いません。何しろランディルナ伯と言えばワイバーンを叩き落とすほどの勢いがある貴族家ですから」


 ワイバーンを叩き落とすって…確か飛ぶ鳥を落とすよりももっと勢いのある状態のことを差すことわざだったかな。

 そんなに勢いがあるかどうかはともかく、注目されているのは間違いない。

 さて。いくらクアバーデス侯から言われているとしても突っぱねるのはこちらの都合だから何も問題はない。けれどさっきの箱も彼のやる気も私は評価しているから、それはちょっと勿体ない。

 だからと言って御用商人とするかと言われると…それは違う。

 世話になっているレベルで言えばカンファさんの方が遥かに上だし、今後もより良い付き合いをしていきたいと思ってるからね。

 うーん、と頭の中で唸っていると応接室のドアがノックされた。

 来客対応中なのに訪ねてくるとはよほどのことかと思ってステラに視線を送ると彼女は何も言わずにドアを開けに行ってしまった。


「ただいまセシル」


 そこにいたのは今朝私の予定を聞いてきたユーニャと対応する予定だったカンファさんだった。

今日もありがとうございました。


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