閑話 ハウルとディック
閑話が続いています。
<ハウル>
「それじゃ今日はこれで上がります!」
「おぅ。いよいよ明日か」
「はい。春になったらすぐにしようって話はしてたんだけど、なんだかんだでこんなに時間が掛かって」
「そういうもんさ。今年はお前達だけだし、村としても盛大にやってやりたいんだろうさ」
「そういうもんですか」
「そういうもんさ。さ、早く帰ってやれ。あんまり遅くなると嫁さんにこっぴどく怒られちまうぞ」
「はい。お疲れ様でした!」
俺は自衛団の詰め所を出ると一つ大きく伸びをした。
もう季節は夏。
じめじめした時期は過ぎて乾いた暑い空気が体の中いっぱいに入ってくる。
今日もよく晴れていて遠くの山もはっきり見える。
あの山を越えた先にベオファウムがあって、それよりもっと遠いところにセシルはいるんだよな。
ガキの頃はいつも一緒に遊んでいた、俺の初恋の女の子。
八歳の時に領主様の息子の家庭教師として雇われてベオファウムへ。そして更に貴族様専用の学校に入るため従者として彼女も一緒に入学した。
その学校はこの国の王都にあるからセシルは年に一回くらいしか帰ってこない。会う度に綺麗になって、いつもドキドキしているのを隠すのに必死だった。
けど俺は明日結婚する。
相手はこれまた幼なじみのキャリー。
あいつも可愛いし、俺のことずっと好きだって言ってくれてるから何となく俺もそんな気になっていつの間にか結婚することになっていた。
それ自体嫌なわけじゃないけどやっぱりセシルのことは頭から離れない。
でもま、だからってキャリーよりセシルを取るかって言われたらそれは無いな。
あいつ変な奴だしな。
昔のことを思い出しながら一人笑うと、俺はキャリーの待つ家に帰ることにした。
「おかえりハウル」
「ただいまキャリー。っておい、動いていいのか?」
「大丈夫だよ。というかあんまり動かないのも良くないって隣のサーハおばさんが言ってたもん」
「…そうか。あぁでも手伝う」
「うん、ありがとう」
俺はキャリーの隣へ立つと彼女がナイフで剥いてる芋を受け取り、不器用ながらもなんとか形にしていく。
「ふふ、ちょっとずつ上手くなってくね」
「毎日手伝ってるからな。それよりいつ頃になりそうかわかった?」
芋を剥く手を止めてキャリーの顔へ視線を向ける。
そして何のことかを言うより先に俺の視線は下へと向かう。そこにあるのは細身のキャリーには不似合いなほど大きくなったお腹だ。
「サーハおばさんが言うには来月くらいだろうって」
「そっか! 来月…来月で俺も父親になるんだ…」
「うん。『お父さん』だね、ハウル」
「あぁ! キャリーも『お母さん』だ。俺達が親になるんだもんな」
「そしたらお母さん達のこと『おばあちゃん』とか『おじいちゃん』って呼ばなきゃね」
「はははっ、あの親父がじいちゃんか! そっか…なんか、すごいな。キャリーありがとな」
ナイフと芋を生板の上に置くとキャリーの身体をそっと抱き締めた。
「ハウル?」
「俺と結婚してくれるっていうのがすごく嬉しいんだ。だからありがとう」
「…うん。私も、ありがとうハウル」
二人しかいない家の中で抱き合う俺達。
少ししてどちらかとともなく身体を離すと料理の途中だったことを思い出して二人で作業を再開した。
夜、食事も終えてキャリーの身体を拭いてやってると彼女の身体の変化にも気付く。
胸も以前より大きくなったし、その……真ん中のところの色も変わって着々と母親になる準備が進んでいる。
こんな時に結婚式をするのもどうかと思うけど、これ以上はもう子どもが産まれるまで出来ないから今しかないと言われた。
「キャリー。明日の結婚式はなるべく動かなくて済むようにしてもらったけど、気分が悪くなったりしたらすぐに言うんだぞ?」
「うん、大丈夫。ちゃんとすぐハウルに言うよ」
「『花嫁がいない!』とかって村長がうるさく言ってきてもちゃんと守ってやるからな」
「ふふ、大丈夫だよ。そんなこと言ったら村長が奥さんに叩かれちゃうよ」
「いやぁ…わからんぞ、あの村長だし」
自分のことじゃないのにやたら見栄を張りたがる人だしな。
未だにセシルのことを自分が育てたんだって言い張ってるくらいだ。本当は目の敵にして適当な扱いをしてたのに。
尤も、当のセシルはあまり気にしてなかったみたいだしランドールさんもイルーナさんも、ディックですら関心が無さそうだけど。
キャリーの身体を拭き終えると彼女に寝間着を着せてベッドに横たえた。次は自分の番だ。
まだ夏本番でもないのに今日もそれなりに暑かったから身体中ベトベトだ。
服を脱ぎ、湿らせた布を体に当てるとそのひんやりとした感触に思わずブルリと震えた。
「はぁ…生き返るなぁ…」
「もう、ハウルったら…」
すっかり親父みたいな姿を晒してしまっているけど、もうすぐ本当の親父になるんだ。許してほしい。
キャリーのお腹を撫でながら、いつの間にか寝入ってしまった。とても、とても幸せな時間だった。
次に起きた時に聞いた嫌な音が俺達の全てを失わせるまでは。
<ディック>
カンカンカンカンカン
けたたましい鐘の音が聞こえる。
昨夜も遅くまで勉強していたから僕が寝たのは両親が起き出す少し前だったと思う。
ねえねに貰った本はわかりやすかったけど、とても高度なことまで書いてあって学校に行ってない僕には難解な内容ばかり。
一緒に置いていってくれたいくつかのテキストも同時に勉強しないととてもじゃないけど理解出来ない。
でもねえねと約束したから。すごい勉強するって。だからわかるまでやる。母さんもわからないっていうくらい難しいことが書いてあったりしたけど、わかるまで何十回も読んだ。
ねえねに比べて自分の頭の悪さがとても嫌になった。
最近は少しばかりマシになってきたから、勉強するのも楽しくてかなり夜更かししていたんだ。
そこへきてこの煩い目覚ましだ。
一体何事?
ダルい身体を引き摺るようにのそのそとベッドから這い出すと同時に家のドアが勢いよく開いた。
バンッ
「イルーナ!」
「ランドくん! 何があったの?!」
どうやら父さんが帰ってきたみたいだ。
この時間は自衛団の詰め所に行ってるか見回りの時間だから家に帰ってくるなんて余程の緊急事態と見ていい。
寝室のドアからそっと顔を出すと父さんは母さんと物置へ行ってしまったようだ。僕もその後をついていき、二人の会話を盗み聞きすることにした。
「森から魔物が溢れ出してきたんだ!」
「森って…大森林からっ?! なんであんなところから…」
「わからん! 自衛団全員と戦える男達で少しでも食い止めて村人が逃げる時間を稼ごうと決まった」
「そんな…じゃあランドくんは…」
「…すまん…。ディックのことはたの…」
「駄目だよ! ディックちゃんは他の人にお願いするから私も行く!」
「ばっ馬鹿なことを言うな! イルーナ、お前もディックと一緒に逃げるんだ!」
「嫌よ! もうずっとこの村で隠れてた。この村の人に守ってもらっててた。この村の人達が大好きだから、今度は私が守るのっ!」
「イルーナ…」
「お願い、ランドくん…」
必死な様子の二人。
僕を置いて戦いに行こうとしている。
そんな二人に僕がワガママを言えるわけなんてない。だからここは聞き分けの良い子を演じないといけないと思う。
そう思ったら僕は家の影から身体を出して二人の前に歩み出た。
「僕なら大丈夫。ちゃんといい子にしてる」
二人は僕が出てきたことに驚いていたけど、少ししたら納得したような顔になってお互い頷き合っていた。
「ありがとう、ディックちゃん」
「必ず帰ってくる。それまで村の人達の言うことをちゃんと聞いてるんだぞ」
「うん。ねえねから貰った本があればどこにいても邪魔にならないようにしていられるから」
「そう、だな。もし…もし父さんと母さんに何かあったらセシルを頼れ。あいつならディックのことを必ず守ってくれる」
「セシルちゃんのことだから村のことを聞きつけたらすぐに来てくれると思うから、それまで我慢しててね?」
「うん!」
空元気を装っていたのはバレてたかもしれない。
それを無邪気さで覆ってよりわからなくしてみたけど、僕の親だから当然そんなことバレバレだよね。
昔の装備に身を固めた二人に連れられて避難する人達に合流する。
僕の荷物は一つだけ。
ねえねが前に村に来た時に置いていった魔法の鞄なので容量はかなりあるし、入るだけの食料と水は入れた。
それとねえねから貰った本と魔石だ。それと二つ貰っていた御守りはペンダントとして二つ首からかけている。
母さん曰わく、これだけでもそこらの魔物の攻撃くらい防いでくれるんだとか。
出来ればそんなことになってほしくはないんだけどな。
自衛団と村の男達、そして母さんが村の外に出て行ってから少しして僕達はベオファウム方向へと避難を開始した。
ベオファウムに着く前には二つ村があって、とりあえずそこを目指すことになった。
自衛団の一人が先走りで知らせに行ってるので多分受け入れはしてもらえるだろうけど魔物の群れの規模によってはもっと先、領主様のいるベオファウムまで行って騎士団に出てもらわないといけない。
そしてそれは多分現実のものになる。
そうでなければ父さんが昔の装備を取り出したり、母さんまでも戦いに行くことなんてないはずだから。
その時、遠くの方で一際大きな音がした。
振り返ると巨大な竜巻が起きて森の木々を吹き飛ばし、更には巻き込まれた魔物達をも上空へと跳ね上げるところだった。
母さんが前に話してくれたことがある。
すごく強い風魔法の更に上、天魔法で使える魔法で使うとMPのほとんどが無くなってしまう。威力は絶大だけど後のことも周りのことも何も考えないで使うんだって。
「母さん…。母さんんん……」
僕は知らず知らずの内に涙を流していた。
まだここは村から出てほんの少ししか離れていない。
もし魔物達の数がとても多かったら、すぐにでも魔物に襲われてしまうかもしれない。
母さんや父さんのことが気にならないわけじゃないけど、僕にはまだねえねがいる。だから悲しくて辛くても、絶対生きてねえねに会わないといけない。
崩れ落ちそうな身体を何とか奮い立たせると僕は村人達が向かう方向とは逆、村へと戻った。
少しでも生き残る可能性が高いものを探すために。
今日もありがとうございました。
次回からセシル視点に戻ります。




