第215話 ユーニャの記憶
後ろから突然声を掛けられた私はすぐに振り返り、その声の主に抱付こうと一歩踏み出した。
しかし。
「やめて」
「え…だ、だってユーニャ…」
「やめて。それより先に進もう」
久しぶりに聞いた親友の声はとても冷たく、まるで私を拒絶しているようなものだった。
そして私の横をそのまま通り過ぎて歩き始めると、少し進んだところにある壁の前で立ち止まった。
ユーニャがその壁の前で手を翳すとまた新しい絵が浮かんできた。
「これは一緒に国民学校の発表会でたこ焼きを作ってるところだね」
「そうね。この時は助かったわ。お陰でその次の年からの勉強も問題なく進めることが出来たから」
「そっか。ユーニャの力になれて良かったよ」
この時のたこ焼きの権利をモンド商会のブリーチさんに売って、マズの港湾組合との伝手と運搬用魔道具のリース費用と合わせることで毎月それなりの金額がユーニャの手元に入るようにした。
国民学校商人科では三年生以降になると大口取引の勉強も含まれるようになる。しかし基本的に兵士科にはお金を掛けてもらえるものの、商人科ではそこまで予算がもらえない。
なので生徒達は自分達でお金を稼ぎ、そのお金で実際の取引をして勉強していくのだそうだ。
学校が後ろ盾に入ってる以上、変な取引に引っ掛かることはないけど失敗してほとんど利益が出なかったり、下手をすると赤字になることもある。
しかしそれも勉強。学生の内に大いに失敗して学べというと良いように聞こえるけど、ただの放置でしかないような気もする。
その絵を懐かしそうに眺める私を余所に、ユーニャはある程度眺めた後すぐにまた歩き始めてしまった。
「あ、待ってよユーニャ」
また少し先で壁に手を翳すユーニャ。
続いて現れたのは少女の夢で私とお茶をしながらお喋りしている絵だった。
あそこの砂糖をたっぷり使った甘すぎるスイーツを嬉しそうに食べながらも、それ以上に楽しそうに話しているユーニャに私が微笑みながら頷いている。
前世でも見たことがあるような制服を着た学生が学校帰りに喫茶店に寄って、なんてことのない話を続けているようなもの。勿論バイトや勉強で忙しかった私はこんな風に喫茶店でお喋りするような友だちもいなかったし、やってる暇も無かったけどね。
ある意味では私にとっても憧れの光景だったのかもしれない。
「楽しかった。ずっとこんな生活が続けばいいと思ってた」
「…続くよ。大人になって、仕事をするようになればいつも一緒とはいかないかもしれないけど、それでも私とユーニャはいつまでも友だちだよ」
私の言葉を流すでもなく、無表情でただ受け止めるとユーニャは次の絵に進んでいく。
そして今度もまた壁の前で手を翳すと絵が現れた。
そこに現れたのは、野外訓練で盗賊に囲まれているユーニャを含む班員達。
どうやら十数人に囲まれてまともな抵抗すら出来ずに攫われたみたいだ。
まともな訓練を受けていない国民学校の生徒ではそうする他ないだろうけど、貴族院でもそれだけの数の盗賊を相手に出来るのは数えるほどしかない。
「この時、私セシルに願ったわ。『お願い、助けて』って」
「…遅くなってごめんね…」
私の謝罪の言葉をまたもや無表情で受け流すとすぐ隣の壁に手を翳した。
そこには何も描かれていない、真っ黒なキャンバスだけが額にはめられた絵だった。
「これ、は…」
「今からセシルにも見せてあげる。私が見てきた地獄を」
ユーニャが壁に翳していた手を下げずにそのままでいると絵の中から真っ黒い闇が噴き出してきて私達を包んでいく。
周りが全く見えなくなったかと思ったら、美術館のような建物の中にいたはずなのに気付けば洞窟の中に私達は移動していた。
この洞窟ってひょっとして…。
ユーニャはいつの間にか私のすぐ隣に立っていた。
「いやああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「やめろおおぉぉぉっ! やめてくれえぇっ! いっ、いでぇぇぇぇぇぇっ!」
洞窟の中に木霊する少年少女の悲鳴。
服をビリビリに引き裂かれて、うつ伏せに組み伏せられた彼らは押さえつけている男とは別の男に後ろから襲われていた。
勿論その中にはユーニャの姿も。
「やだやだやだやだっ! やめてぇぇぇぇっ!」
下卑た笑いを浮かべた男達はその悲鳴すらも楽しんでいるかのようにユーニャの身体を貪っていく。
「これ、は…」
「…私が味わった地獄よ。あんな汚い男達に何度も、何度も…」
私がユーニャから説明を受けている間も過去の再現であろうこの映像(?)では代わる代わる男達が少年や少女達に襲い掛かっている。
それだけでなく、時々男達は拳を振り下ろし彼らを慰み者にしながら甚振り続けている。
見ているだけでもかなり気分が悪い。
ドキドキなんかしない。ただただ胸糞が悪い。
「私はこの間もずっとセシルに助けを求めたわ。『助けて』って。なのに…」
無表情だった彼女の顔がどんどん怒りと絶望に染まっていく。
その矛先が全て私へと向いていてまるで射貫くかのような視線に後ずさりそうになる。
しかしここに来る前アイカに「気をしっかり持て」と言われていたので、ぴくりと反応した足を動かすことなくなんとかその場で留まった。
「なんで来てくれなかったのよ! セシルは絶対助けに来るって言ってたのに!」
「…遅くなったのは謝るよ。私も、もっと早く来れれば…」
こうして話している間にも後ろでは二十人近い盗賊達によって少年少女達はその欲望を無理矢理に受け止めさせられている。
終わらない絶望の悲鳴が響き続け、それをBGMに目の前のユーニャは私へと詰め寄ってきていた。
「私がっ! 悲鳴をっ! 上げてもっ! セシルはっ! 来なかったっ!」
ユーニャが一言話す毎に私を殴りつけてくる。
それを声を上げることなく黙って受け止める。
いつもならなんてことのない攻撃のはずなのに、一発一発がとても痛い。
ここがユーニャの心の中ということもあり、その攻撃力はとても高い。というより私の防御力が極端に落ちているのだと思う。
でなければ私をあんな力いっぱい殴ってしまったらユーニャの手の方が壊れてしまう。
「ああぁぁぁっ!」
「ぐっ…」
ユーニャが大きく踏み込んで私の鳩尾に掌底をめり込ませてきたせいで口から声が漏れてしまった。
「なんですぐ来てくれなかったのよ!」
一撃一撃が確実に私の顔や身体を捕らえ、ダメージを蓄積していく。
それというのも私が全く避けようとしないからなんだけど。
さすがにこれだけ攻撃を受け続けていれば私だってやられてしまうかもしれない。
けれど攻撃を避けることも、ユーニャを攻撃することも、彼女を拒絶していることになりそうでされるがままになっている。
「何とか言いなさいよセシル!」
「がっ…はぁ…」
それにさっきから攻撃してきてるユーニャだけど、その目に浮かんでいるのは怒りや絶望だけで私に対する憎しみのようなものは何も感じない。
けど結局何を言っても言い訳にしかならない気がして私は何も言うことが出来ないでいた。
その間もユーニャは容赦なく私に拳を、蹴りも加えてくる。
商人科でも最低限の訓練はあるだろうし、村では私と訓練していただけあってユーニャの戦闘能力は冒険者で言えばDランク相当はある。防御力の落ちた今の私では無抵抗で受け続けるとさすがにそろそろやばい。
「セシル自身が理不尽なせいで、こうして理不尽な暴力を受け続けたことなんてないでしょう? やめてって言ってもやめてもらえない。ただ終わることを願いながら嵐が過ぎ去るのを待つように、その身に暴力を受け続けたことなんかないでしょう? しっかり受け止めなさいよっ!」
バチィィィィン
「…ユーニャに、何がわかるの…。理不尽な暴力を受けるのが当たり前だって、生まれてからずっと思わされてきた私の…何がわかるっていうのよっ!」
初めてユーニャの拳を受け止めると彼女も驚いたようで手を引いて距離を取ろうとしたけど、私はその手を放さない。
拒絶とも取れるような言葉を言ってしまったけど、もう止めるつもりはない。
「出来てなくて殴られて、遅くて蹴られて、機嫌が悪いから、目についたから…そんな理由で暴力を受け続けた私のこと知らないのに勝手なこと言わないでっ!」
ユーニャの手を強く引っ張って引き寄せると彼女の額目掛けて自分の頭を突き出した。
どうやら防御力だけで無く攻撃力も落ちてるようで、かなり力を込めて頭突きしたはずなのにユーニャはその攻撃に足を踏ん張って耐えていた。
「あぅっ! つぅ……あんな優しい両親がそんなことするはずないでしょっ! 村でセシルが怪我してるとこなんてほとんど見たことないのに!」
お返しと言うようにユーニャも私に頭をぶつけてきた。
お互いの額が割れて二人とも血を流しているけど興奮しているせいか痛みはあまり感じていない。
「ぐっ…今の両親じゃない! 前の両親はどうしようもない屑だった! たくさんいじめられた! 暴力も受けたし、無視もされた! 最期は理不尽な欲望を向けられて死んだ! だからもう負けないようにしてるんだよっ!」
自分でも何を言ってるかわからなくなってきていた。
転生していることは話せないからきっとユーニャにもうまく伝わってないかもしれない。
それでも私のことを何も知らないまま、ユーニャに誤解されてるのも嫌だから全部ここで吐き出すんだ。
バチィィィッ
言葉と同時に平手でユーニャの頬を叩けばユーニャの切れた唇からも血が流れていく。
「前に欲しいものは生まれた時から持ってたって言ったじゃない! 優しい両親だって!」
反論と同時に振り抜かれる腕。
私の頬に突き刺さるような痛みが走る。
バチィィィッ
「前の両親だってば!」
すぐさま私も同じように腕を振り抜けば、けたたましい音が響いてユーニャの頬が真っ赤になって切れた唇から流れた血が飛び散った。
バチィッ
「訳わかんないこと言わないで! だいいち私が野外訓練なのになんで他の領地の依頼をやるのよ!」
バチィィィン
「仕事だからだよ! 経験のためだよ! もっともっといろんなこと出来るようになるためだよ!」
バチィィィッ
「何でそんなことしてるのよ!」
言い合いながら私たちはお互いの頬を張り合う。
既に二人とも両頬が真っ赤に腫れ上がり、切れた唇と額から血が流れて、相手の平手打ちを受ける度に飛び散っている。
なんでこんなことしてるか、本当にわけがわからない。
ユーニャのこと大好きなのに、ただの口喧嘩で済ませればいいのになんで傷付けあってるんだろう。
だから、最後のユーニャの問いに答える時に手を止めた。
「ユーニャと、約束したじゃんか…。指切りしたじゃんか…一緒にお店やるんだって。大好きなのに…すぐ助けたかったのに…」
気づけば、私の頬には涙が流れていた。
ユーニャが酷い思いしたと知った時には流れなかったのに、ユーニャと分かり合えないことはもっと辛いみたい。
「私だって…セシルが大好き。女の子だけど、友だちの『好き』じゃない。何回も、言ってるでしょ?」
そしてユーニャの目からも大粒の涙が零れ落ちた。
今日もありがとうございました。




