第181話 エイガン
エイガン殿は私に対して一方的に決闘を申し込んできた。当然私に受ける義務はないし、メリットもない。
「私がそれを受けなければならない謂われはありませんよね?」
「ふん、臆病者は決闘すら受けられんか」
いちいち自分を優位に見せようとするこの言動はすごく腹が立つけど、それでも私に決闘を受けさせる理由にはならない。
「何と言われても受けるつもりはありません。お引き取りください」
「…ふん、腰抜けが」
エイガン殿は捨て台詞を吐いて大人しく去っていった。
全く、なんなのもう…。
「なんかセシルってあぁいう人に絡まれやすいわよね」
「変わってほしいよ…」
「嫌よ。私は平穏無事に貴族院を出て、安定した貴族家に仕えられればそれでいいんだから」
私だって卒業したら冒険者になるからそれまでは我慢してるのに、なんでこう後から後からいろんなことが起きるかな。
盛大に溜め息をついた私は次の講義があるミオラと別れて貴族院の中を歩き出した。私の講義は今受けた算術で今日の分は終わりだからね。
ミオラと別れた私はいつものように図書館へとやってきた。
今日はヴォルガロンデのことは調べずに彼が実際に活動していたと言われる時代の歴史書を調べることにした。
ヴォルガロンデとは関係のない出来事ばかりが書き連ねられており、彼が登場するような記述は今のところ見つかっていない。
ただ彼が実際に表舞台で活動していた時期というのが曖昧なため、歴史書を調べるにしても膨大な年月分の書籍を紐解かないといけない。
あまりの作業量にクラクラしながら伸びを一つ入れるとガチャっと音がして図書館に誰か入ってくる気配がしたので振り返った。
「うん?セシルか。また調べ物か?」
入ってきたのはレンブラント王子。同時に護衛で従者のオッズニスも入室してきたが、私の姿を確認するや否やあからさまに嫌そうな顔をしてこっそり舌打ちしていた。
普通に聞こえていたけど、それを聞き流して私はレンブラント王子に跪いた。
「殿下、本日もご機嫌麗しゅう」
「あぁ。だがそういう態度は不要だ。ここはただの学び舎なのだからな」
私も会う度に当たり前のようにこうして礼を取っているが、殿下はそれを嫌っている。毎度のことだけどこうして跪くことすら不要と言われる。
しなかったらしなかったで後ろにいる怖い顔のお兄さんが何をしてくるかわかったものじゃないので。
「それで今日は何を調べていたのだ?」
「はっ。進展はありませんが引き続きヴォルガロンデのことについて調べるために歴史書を紐解いておりました」
「ほぅ。確かヴォルガロンデが生きていたとされる時代は八百年ほど前のことだったか?」
「そう…言われておりますが、調べてみると凡そ千二百年前から六百年前までとかなりの期間において現れていたと…」
「ふむ…。彼は人間ではなかったのかもしれないな」
確かに普通の人間の寿命なら百年もない。こうして六百年もの間で何度か現れたとされているならば私の進化先である英人種であったかもしれないと推測される。
それでも英人種の平均寿命より百年くらい長生きな気がする。そして、彼は多分今もまだ生きている。
とは言え、個人的な調べ物であるためこんなことを王族に言う必要もないので当然黙っておくけども。
「それはそうと、小耳に挟んだのだがゼッケルン公爵家次男の従者から決闘を申し込まれたそうだな」
レンブラント王子はついさっき起きた私の厄介事をどこからか聞いていたらしく、神妙な顔つきで尋ねてきた。
何故そんな顔をしているのか真意のほどは計りかねるが、面倒なことなのは間違いなさそうだ。
「はっ。ですが、それは辞退致しました」
「は? 辞退だと? お前騎士が申し込んだ決闘をやらないっていうのか? それは騎士に対する侮辱にあたると講義で教わっていないとでも言うつもりか?」
私の答えに殿下ではなくオッズニスから口を出されてしまった。その声は明らかな苛立ちが見てとれるが、私が決闘を受けなければならない謂われはないのだから仕方ない。
「そう仰られましても、私としては何故決闘を受ける必要があるのかも存じ上げませんし、勝っても負けても得られる物がありません」
入学する際の試験で既にカイザックを無傷で圧倒してしまっているので今更な気はするけど、本来公爵家の者に勝ってしまうのは大問題だ。
カイザックの時はリードから許可が出てたし、遠慮する必要なかったから良かったものの、今回のゼッケルン公爵家とはあまり揉めたくない。かなり保守的な家だと聞いてるし、革新的なクアバーデス侯爵家とは相容れないので、リードだけでなく領主様にまで迷惑は掛ける恐れがある。
「はんっ、どうせ怖じ気付いただけだろう。騎士たるもの、挑まれた決闘には有無を言わさず受けるものだ」
「恐れながら私は騎士ではございません故」
「きさまっ!」
「オッズニス、やめろ」
私とオッズニス殿の言い合いが収まらないのでレンブラント王子が横から口を出す。
その顔はすっかり呆れ返っている。
それがどちらに対してなのかはわからない。
「確かにセシルの言うことはわかる。エイガンは条件も何も言っていないと聞いている」
「しかしっ、そんなものは決闘の流儀に従って勝った方に全て委ねられるものでしょう?」
「命までもか? この貴族院においてそう簡単に死者など出してはならん」
レンブラント王子がオッズニス殿に言い聞かせるように説くが、オッズニス殿は納得していない様子。
というか決闘するために命ってどういうことだろう?
「あの…なぜ決闘で命がどうのという話になるのでしょうか? ルールを決めた勝負ということではないのですか?」
「騎士ではないそなたが知らぬのも仕方ないが、本来決闘とは勝った方が全てを決めるものなのだ。何を賭けて戦うのか決めて行うのが通例だが、敢えて何も言わずに決闘した場合はお互いの全てを賭けるのが流儀だ」
全てとかっ!
それこそ私が勝っても何のメリットもない。
「ですがお断りしたのですから問題ありませんよね?」
「…そうも言えんのが問題なのだ。特にあのエイガンが相手ではな」
「えっと…それはどういうことでしょうか?」
やれやれと言わんばかりの困った顔を浮かべた後に一転真剣な表情を浮かべたレンブラント王子は続ける。
「あの男はな、このアルマリノ王国の中でも非常に高い戦闘能力を持っている。冒険者登録こそしていないがSランク相当と言われている。我が国でセシルを抑えることの出来そうな人物の一人ということになる」
「Sランク相当…。それはすごいですね」
「ここにいるオッズニスと戦い破っているしな」
チラリとオッズニス殿へと視線を向けると苦虫を噛み潰したような顔をしている。その様子から察するにどうやら惜敗というわけでもなかったようだ。
「それこそBランクでしかない私に決闘を申し込んでくる意味が尚のことわかりません」
「自分が入ってきたというのに『貴族院最強』が自分以外であることが妬ましいのだろうな」
「えぇぇぇ…あ、失礼しました」
思わず地が出てしまった私にオッズニス殿が鋭い目で睨んできたけど、すぐに謝罪したせいか何も言われることなく彼は目を伏せた。
そんな私の様子をレンブラント王子は笑ってしまうのを堪えるように拳を唇に押し付けていた。口角が上がっているところからして全く隠せていないこともわかった上でやっていると思う。
「ま、まぁ彼はビグシュ伯爵の…第四夫人の子ども、だったかな」
「殿下、第六夫人でございます」
「あぁそうだったか」
何故平気で第四だの第六だのって話になるのかわけわかんないんですけどねっ?!
しかし私の呆れ顔は完全に置いてけぼりで話は進んでいく。
「そんなわけで貴族家の生まれではあるものの、後継ぎは既に決まっていたので成人後は平民落ちが決まっていたのだが、その高い戦闘能力がゼッケルン公爵の目に止まってそのまま公爵家仕えの騎士となった経緯がある」
「奴は今でも爵位のない騎士だからな。その強さこそが存在証明ということだ」
レンブラント王子の言葉をオッズニス殿が補足する。
なるほどねぇ。だからどこでも自分が一番じゃないと気が済まないと。
…子どもかっ。
「私としては『貴族院最強』などと驕るつもりはございませんので、そういったことであればエイガン殿にお譲りしたいと思います」
「…だから、それでは更にエイガンの神経を逆撫でさせると言っているのだ…」
「お前は女だからわからんかもしれないがな、騎士には、男には誇りってものがあるんだ」
「…はぁ…」
「なんだその気の抜けた返事は。騎士の誇りを馬鹿にするならこの場で切り捨ててやるぞ?」
「やめんかオッズニス」
返事ではなくただの溜め息だったのだけど、オッズニス殿の気に障ったらしい。
そのことはひとまず謝罪しておき、先ほどの言葉を反芻した。
「誇りですか」
「そうだ」
「私は騎士でも男でもないのでわかりません」
ピシャリと言い切るとオッズニスの表情は完全に凍り付いた。
そしてレンブラント王子は最早完全に笑いを堪えることが出来なくなっていた。
「くっ、ははははははっ! そうだな、騎士でない女性に騎士の誇りなどわかるはずもない!」
「お、おまえぇ…。エイガンの前に俺が決闘を申し込んでやろうか…」
「騎士ではないので遠慮しておきます」
「くくっ! はぁはぁ…セシル、そなたは面白いな!」
既に殺気の域に達してきているオッズニスの刺さるような視線と、それを全く気にしていないレンブラント王子に挟まれてる私が一番修羅場なのは間違いないよね?
それにしても図書館に誰もいなくてよかった。
こんなに大声で話していたらさすがに迷惑どころの話じゃ済まない。
一頻り笑った殿下は笑顔のまま私へと向き直った。
「だがエイガンはそなたと決闘するまで諦めんだろう。それこそそこに騎士としての誇りも何もなくな」
「…それは困りましたね」
「殿下付きの従者である俺とも勝負するまで諦めずに一年くらい付きまとわれたからな」
一年…。
というか、そこまで付きまとわれたら冒険者としての活動にも支障が出そうだ。
アイカの店に行くときも跡をつけられたくない。勿論隠蔽スキルを使えばいいのだけど、逆に隠蔽を使うことを咎められることも避けたい。
やばい。どう転んでも面倒臭い。
非常に憂鬱な気分になった私を慰めるように「適当なところで相手をしてやれ」とレンブラント王子は言い残し、オッズニス殿は「ご愁傷様」と嘲笑って去っていった。
今日もありがとうございました。




