第175話 百合の花より薔薇の花
二人を待つ間、ウェミー殿は周りから聞こえてくる嬌声に心動かされいてその表情はどんどん艶を帯びてきていた。
この部屋は他とは少し離れているのである程度聞こえにくくはなっているものの、全く聞こえないわけじゃない。
聞かないように意識すればするほど気になって耳を澄ましてしまうのだろう。
現に私はもう気にならない程度になっている。
探知を使えば二階の部屋の半分くらいは埋まっており、この部屋の手前三つも現在二つの身体が重なっているように感じられる。
いくら前世が二十歳まで生きていたとは言え、そういうことをする機会はなかったので耐性はないのだけれど、声を聞くだけでウェミー殿のように身体を火照らせるほど真っ盛りでもない。
ネイニルヤ様がいないこともあり、私は備え付けの戸棚からもう一つティーセットを取り出した。
右手でお湯の玉を浮かべつつ左手で腰ベルトから乾燥ハーブを取り出しポットへと入れる。しばらく蒸してからカップへ注ぐとそれをウェミー殿の前に置いた。
「どうぞ。心が鎮まりますよ」
「セシル殿…ありがとう」
彼女はカップを手に取り、少しだけ紅茶を口に含むと大きく息を吐いてもう一度カップを自身の顔に近付けてその香りを嗅いでいる。
「不思議な味わいのお茶だな。これは?」
「貴族の近くにいるとあまり馴染みがないかもしれませんが、ハーブティーです。いろんな効能があるのでその時に気分などによって使い分けています。今は鎮静作用のあるラベンダーとミントのブレンドですね」
そう言うと腰ベルトから麻で出来た小さな袋を取り出してテーブルへと置く。
これは冒険者として活動している際にどこかで手に入れた野生のラベンダーを入れたポプリだ。
こういうハーブや薬草類を手に入れた時にアイカに渡すと乾燥させてお茶にしてくれたり、ポプリや精油にしてくれる。
どれもこれも高品質なので最近ではアイカの作ったもの以外使う気になれないレベルだ。
「なんとも不思議な気分だ。本当に落ち着いてくるかのようだ」
そういう効能だってさっき説明したけど、その気になるだけでもハーブの効能はより高くなる。
アイカの作ったものなので普通のものよりよく効くのは間違いないけどね。
「私は…お嬢様に拾われたのだ」
…え。
まさか今から彼女の生い立ちを聞かなきゃいけない場面なの?
私が若干青い顔をしたことに気付かず彼女の自分語りは勝手に始まってしまい、止められるところは通り過ぎてしまった。
「しがない男爵家の四女でしかなかった私が侯爵令嬢従者という立場を手に入れられたのはお嬢様が目に止めて下さったからだ。だから私はお嬢様のためになることは何でもやると誓ったんだ」
聞かないように意識を遠くに投げたままにしていたら彼女の自分語りは終わりに差し掛かっていた。
あのまま真剣に聞かなきゃいけないような話でもないし、私にとっては学校の先輩、依頼主の一人でしかない。
そんな彼女の今までの人生に対し興味を抱くはずもない。
「しがないって言ってるけど元々貴族なんですね。私は平民ですよ」
「…セシル殿のような天才には私のような凡人が得られた幸運などさも小さなことのように映るだろうな…」
やばい。
なんかすごくムカつく。
最近ずっとアイカ達と一緒にいたせいかもしれないけど、そんな風に自嘲されるとこっちが悪いような気分になる。
私だって好きでこうなってるわけじゃないし、相応にやれることはやってきている。
はぁ…。こういう時にアイカ達と話すか、ユーニャと一緒にいると落ち着くんだけどなぁ。ユーニャは私のチート性能を見せても驚くけど純粋に褒めてくれるし私のことを好きだと言ってくれるしね。
本当に最高の親友だよっ。
とりあえずそんな風に勝手に落ち込んでる人と話すことはないので私は再び魔道書を開いて読書を始めた。
次は何か話し掛けられてもスルーしよう。
というか現在進行形で隣から何やら声が聞こえているけど、無視を決め込む。それにウェミー殿も自分で話していることに満足しており私が聞いているかどうかは二の次のようだ。
そして私が魔道書を読み始めて六ページほど進んだところでアイカとネイニルヤ様が入っていった部屋のドアが開いた。
「ふぁぁぁ。お待ちやぁ」
何やらちょっと機嫌の良さそうなアイカだけが部屋から出てきたと同時に私の遮音結界の効果が切れて部屋の中から荒い息使いが聞こえてくる。
「お嬢様!」
そして出てきたアイカを押し退けるように部屋へと駆け込んだウェミー殿。その様子を困ったように見ているアイカへ私はお茶の用意をして椅子を勧めた。
「お、ありがとなー。…はぁ、一仕事した後のお茶はうまいなぁ」
「お疲れ様。これも食べる?」
腰ベルトから紅茶を混ぜたクッキーを取り出すと紙を広げてその上に数枚置いた。疲れた時は甘い物が欲しくなるものね。
「気が効くなぁセシル。さすが貴族の坊ちゃんの従者やな」
「まぁね。それで、ネイニルヤ様はどうだったの?」
「ん……まぁもうちょい待ち。多分そろそろ…」
クッキーを紅茶で流し込んだアイカは今出てきた部屋のドアへと目を向けるとバタバタとウェミー殿が出てくるところだった。
「おい! 貴様お嬢様に何をした?!」
そう言われるのがわかっていたかのようでアイカは涼しい顔で紅茶を飲んでいる。
私は訳がわからず二人の間に視線を彷徨わせていたが、気になったので治療していた部屋へと入っていった。
部屋の中は照明が点けられており、ベッドの上にはネイニルヤ様だけが横たわっている。
彼女は目を閉じて荒い息をしているのだけど、この場所に凄く相応しい感じの艶っぽさを感じられる。
そしてよく見れば彼女の足には引っ掛かった下着、加えて部屋全体に広がる若い女の子の濃い匂い。
…あれ?アイカはクドーとそういう仲だったと思ったけど…実はユーニャと同じ?百合の世界に生きてる人だったっけ?
しかしこれが男性相手だったら部屋に入った段階ですぐ気付いたかもしれない。前世でも園にいた時はたまにそういう匂いをさせている男子がいたし、自発的に処理しないといけないことは男女ともに共通なのはわかっている。
…私はちゃんと脱臭の魔法で処理してるから大丈夫だよ。場合によっては洗浄も使うからね。
一つ溜め息をついて脱臭を使うと部屋の匂いはすぐに消えていくが、匂いの元はそのままなのでどうしようかと思ってアイカ達の方へと戻ることにした。
「貴様! 貴族の令嬢にこんなことをしてタダで済むと思っていないだろうなっ?!」
「…ほぉん? タダで済まんかったらどうなるっちゅうんや?」
しかし元の部屋に戻るとアイカとウェミー殿が絶賛口論中。
行き場のない私が三人へとそれぞれ目を泳がせていたところへアイカが軽い調子で声を掛けてきた。
「あぁセシル。そのお嬢さんを起こして湯浴みさせたってくれるかー?」
「おい! お嬢様の身の回りのお世話は私がっ!」
「アンタじゃアカンのやって。えぇからちっと黙っといてくれへん?睡眠闇」
珍しくアイカは夜人族特有の自分だけが使える魔法を使わずに一般的な魔法を使ってウェミー殿を黙らせた。
私もそうしておけば良かったかも。
魔法で強制的に眠らされたウェミー殿は膝から崩れ落ちるが、その身体をアイカが抱き止めると近くの椅子へと座らせてあげた。
「これで良しと。ほなセシル頼むわ」
「あ、うん。わかった」
アイカに言われるままネイニルヤ様が眠っている寝室へ戻って彼女を呼び掛けながら揺り起こす。
息の荒さはだいぶ収まってきているけど、目を開けた彼女の焦点は未だに合っていないようだ。
「ふぁ…ひぇ、ひぇひうほお…わ、わらくひ…」
「あぁ喋らなくて結構です。ネイニルヤ様、湯浴みをするようアイカに言われましたのでお手伝いさせていただきますが宜しいですか?」
呂律が回らないネイニルヤ様に問い掛けたが、彼女は弱々しく首肯するだけだったので私はそのまま彼女を抱きかかえた。
近くに寄ると彼女自身から漂う濃い匂いに思わず顔を背けそうになる。
相手が朦朧としているとはいえ貴族に対してあまりに無礼なので何とか耐えきると部屋を出てアイカが指差している別の部屋へと駆け込んだ。
そこは二脚の椅子と浴槽だけが置いてある部屋で排水溝はあるものの、給湯設備など当たり前のように存在しない。
貴族院の寮と同じ設備なのだけど急いでいる時はちょっと困る。
仕方無いので彼女を椅子に座らせて氷魔法で浴槽に水を張る。私の魔力ならこの浴槽をいっぱいにするまでにかかる時間は数秒程度だ。そのまま熱操作を浴槽の水へ施していつもの湯浴みより少し温いくらいの温度まで上げていく。
その間にネイニルヤ様の服を「失礼します」と一言断ってから脱がせていく。
…急いでいる時に申し訳ないけど、ネイニルヤ様って結構着痩せするタイプなんだね。コルセットのような胸の下着を脱がせると思った以上に大きな実りがプルルンとこぼれた。
アイカほどのサイズではないけど、私はこのくらいまで育ったら満足出来る自信がある。
いけないいけない。思考が完全に逸れていた。
ネイニルヤ様の服を全て脱がせるとゆっくりお湯へと漬けていけば、彼女のラベンダー色の長髪がお湯に浮いてゆらゆらと揺蕩う。
心なしか顔色も落ち着いてきている上、湯に入ったことで目を開けて天井を見ていた。
そこで腰ベルトから薔薇の種を取り出し、植物操作で発芽、成長、開花までさせるとフレッシュの状態で花を摘んで半分はそのまま、もう半分は花弁だけを取って湯に浮かべた。
すると浴室内に薔薇の華やかな香りが広がり、ネイニルヤ様の焦点も次第に合ってきて私の方へと視線を向けてきた。
「…セシル、殿…?」
「はい。アイカからの指示でネイニルヤ様の湯浴みのお手伝いをさせていただいておりました。お加減はいかがですか?」
「……えぇ、とっても気持ち良くてよ…。それにこの薔薇の香りがとても優雅でいらっしゃること…」
恍惚とした表情で湯に浮いた薔薇の花弁を掬い指先で弄んでいる。
リードもそうだけど、幼い頃からお風呂に入る時に誰かが必ず付き添っていたせいか私がいることにあまり驚いている様子はない。悲鳴を上げられるよりはいいけど私なら落ち着いていられないだろう。
「薔薇には女性特有の体調不良を整える効果があるのでご用意させていただきました」
「そう…ふふ、セシル殿はとても聡明でらっしゃるのね。本当に私の護衛に出来なくて残念で仕方ありませんの」
そう言いながらも少しも残念そうに聞こえないのは芳香浴によって気分が落ち着いているからかもしれない。
そのまま彼女が湯浴みをしている間に下着や肌着を洗浄で洗い、服を畳んで椅子の上に置いておく。
その後シャンプーやコンディショナーで髪を洗ってあげた時に驚かれたりしたけど、身体を洗っているときに気付いたことがある。
淫魔の求婚の魔法陣が薄くなってる?
今日もありがとうございました。




