第141話 薬師のお姉さん。名前はアイカ
丑三つ時。
確か前世の時刻で言うところの午前二時の前後一時間のことを言うのだったか。
だとすれば今はちょうどそこを過ぎた頃。
一の鐘は小さな音で鳴るので屋外にいなければ聞こえないけど、ちょうど今鳴ったところだ。
私は貴族院の門に来ていた。
昼間に会ったお姉さんのお店に行くためだ。
そしてお姉さんから聞いた情報が本当かどうかはわからないけど、確認するためにも実際にこの時間に起きて来てみたわけだ。
普段昼間は門のすぐ横に衛兵がいて、通行する人を全てチェックしているけど、今の時間は門の脇に立てられた詰め所にいるようだ。
そしてそこから顔を出して通行している人をチェックしているわけだね。
「おや?こんな時間に生徒が来るとは…どうかしたのかい?」
「こん……いえ、おはようございます?」
「おはよう。まだ夜中だよ?部屋に戻って休んでいた方がいいんじゃないか?」
「噂でこの時間にはもう門が空いてると聞いたのでちょっと見に来てみたんです」
「…どこでそんな噂が流れているのだか…。確かに業者や君のような貴族の従者が来るから一の鐘には門を開けることにしている。極稀に生徒もこの時間に出ていくこともあるがね」
「噂は本当だったんですね」
本当は噂じゃなくて確信犯的にやってきたんだけど。
でも、お姉さんが言っていたことは本当だったらしい。
これなら今後講義の前に出掛けて朝戻ってくれば出来ることはいくつか増えてくるかもしれない。
さて、それじゃ早速便利に使わせてもらおうかな。
「それじゃ早速私も出ていいですか?」
「それは構わないが…町はまだ夜中だ。王都の治安は地方都市ほど悪くないとは言え十分に注意するようにね」
「はい、ありがとうございます。朝の講義までには戻りますので」
私は詰め所にいた衛兵のおじさんに頭を下げるとそのまままだ闇に包まれた夜の王都へと歩き出した。
西大通りは別名職人通り。
普段はあまり用事がないので通ることは少ないけど、王都に来て二年。何度かは立ち寄ったことのある店もある。それでも片手で足る程度でしかないのだけど。
あー、でもそうは言ってられないか。
森での演習の際に壊してしまった短剣のことだ。
一応武器屋で間に合わせの物を購入したのは最近だけど、正直かなり心許ない。
おそらく魔人化を使ったら私の力に耐えられなくてすぐに折れてしまうだろう。
そうならないためにもちゃんと私に合った、相応の素材を使った武器を用意したいと思ってはいる。
思ってはいるんだけどこの辺りの職人さんは一見さんに非常に厳しいのでちょっとやそっとでは作ってくれないらしい。
ギルドからの紹介状があれば作ってくれるところはあるけど、やはり腕のいい鍛冶屋だとそのくらいでも打ってくれないとか。
どんだけ頑固なんだかっ?!
と、考えてるうちに西大通りの真ん中くらいまで来たので、そこを北方面の路地に入る。
渡されたメモに書いてある地図の通りに歩いていけば深夜ということもあって、どんどん灯りが無くなっていき僅かな星明かりを頼りに細い道をどんどん奥へと進んでいく。やがて城壁に近い場所まで来たところで袋小路になって人一人がやっと通れるくらいの道に辿り着く。
その突き当たりにはドアが一つあるだけで看板は無いし当然だけど表札なんてものも無い。
本当にここが店なのかすら怪しいと思う。
前世だったらこんな怪しいところになんか近寄ることすら無かったけど今なら気にせず入ることができる。
何かあっても力ずくで突破できるしね。
ガチャ
「こんばんはー」
ドアを開けて中を覗き込むとランプの灯りがいくつも灯っていて室内の様子がわかる。
瓶に入れられた様々な液体や吊され乾燥させた草や何かの生き物、紙に包まれた薬?がいくつも陳列されている。
…怪しすぎるでしょう…。
ここは魔女の住処か…。
「お?おー、よう来たな。あない言ったけど来るんは来週の昼かと思っとったよ」
「衛兵さんに聞いたら本当に一の鐘の後なら出られるって言われたからね。それにずっと来れなかったのは私の方だから早めに来たいとは思ってたの」
「そかそか。約束を守る子は好きやで。はよ入ってき」
「お邪魔しまーす」
ゆっくりと中に入りドアを閉めると中の薬品臭が嫌でも鼻につく。私もポーションの調合をするから多少は薬品の取り扱いはするけど、ここまで多種多様、混沌とした臭いを生むようなことはない。
つい、その臭いに反応し右手の人差し指を鼻の前につけてしまう。
その様子を見たお姉さんは面白そうに笑う。
「あっははひゃひゃ!ここの臭いは強烈やろ?いろんな薬作ってるからな!」
「…個性的な臭いだね、って言おうとしてたのに…」
「そんな社交辞令なんかいらへんよ。だいたいそないなこと話すために来たわけやないんやろ?」
「まぁ…そうだけど…」
お姉さんは私を手招きして店の中に置いてあったテーブルの椅子を勧めてくれた。
それに素直に従い腰掛けるといつの間に用意したのかティーポットとカップを二つ持って現れた。
「お嬢さんならこっちの方が好みやろ思てちゃんと用意しとったんやで?うちは紅茶のこととかようわからんから適当なんやけど」
「あ、お構いなく…」
「だから社交辞令とかいらへんて。うちかてお嬢さんと楽しくお話したい思っとるんやで?」
カップに紅茶を注ぐと私はそのうちの一つを手に取った。
すぐにお姉さんももう一つのカップを手にして口をつけると、私もそれに倣い口をつける。
うん、蒸らしの時間が足りない。お湯を注ぐところも見てないけど、多分ポットの中で茶葉が動くようなこともなかったんじゃないかな?あとお湯は熱いけど沸騰させすぎたのかもしれない。
「なんや?やっぱうちの入れ方アカンかったんか?」
「うーん…ちょっとね。あ、でも紅茶のこと勉強してないなら仕方ないしね。今度教えてあげるよ」
「いや、ええねん。今度はお嬢さんが入れてくれたらえぇんやしな」
そう言うとお姉さんは再びケラケラと笑い、少し薄い紅茶をもう一口飲んでカップを置いた。
「さて…。いい加減『お嬢さん』とか『お姉さん』とか呼ぶのもアレやし、自己紹介しとこか」
「…そういえば、確かにお互いまだ名前も知らないんだったね」
私もカップを置いて少しだけ姿勢を正すとお姉さんを正面から見つめた。
今は自宅?ということもあってかフードは被っておらず、昼間も見た真っ黒な髪はショートカットにして活発そうな雰囲気を覚える。そして相変わらず不健康そうな白い肌。でも確かに病的に白いけど本人に不健康そうな気配はないのでこれも美白と言えば美白なのかな?
後でこっそり鑑定でも…。そこでふと思い出した。
「そういえば前にお姉さんのこと鑑定しようとして出来なかったことがあったけど…」
「あぁ、その話は後でな。ひとまずはちゃんと口で自己紹介しよ。な?」
ニコニコ、ではなくケラケラと笑いながらプラプラと手を振る。
なんでこの人はさっきからこんなに楽しそうなんだろう?
「うちの名前はアイカ。ご覧の通りの薬屋や。金さえ積んでもろたらほぼどんな薬でも作れるで」
「…どんな薬でも?」
「せや。ポーションから解毒剤。ハイポーションもマジックポーションも。身体に残らない無味無臭無色の毒薬でも、瀕死の重症から一発で一週間眠れんくなるくらい元気になる薬まで。あ、死んでたら駄目やで。基本的には飲まな効果ない薬ばっかりやからな」
なんかしれっと恐ろしい効能の薬を言われた気がするけどとりあえず聞かなかったことにしよう。
そういうものに頼らないといけない状況には今後ともならないに越したことはない。
アイカさんの自己紹介が済んだところで私の番だ。
「私はセシル。貴族院に通う次期クアバーデス侯爵であらせられるリードルディ様の従者として私も在籍してる。後は知っての通り週末は冒険者として活動していることもあってランクはBだよ」
「ほー。前会った時も綺麗な格好してるから貴族のお嬢さんや思っとったんや。しっかし国民学校に友だちおったやん?確か二年次やったから…十一くらい?その歳でようミスリルまで取ったなぁ…」
「…父さんや母さんからいろいろ教えてもらったから。後はちゃんと毎日訓練してたお陰かな?」
それだけはちょっとだけ嘘。
いろいろ教わったのも毎日の訓練も本当のことだけど、一番の理由は神の祝福のお陰だろうから。
アイカさんは私の話を聞いた後、ほんの少しだけ真顔になるとまたさっきまでのようにケラケラと笑い始めた。
「よっしゃ、これで自己紹介も終わったしもう他人やあらへんな!」
「えぇ…それはちょっとどうかと思うけど?」
「大丈夫やって!うちら絶対仲良くなる!」
「まぁおいおいでしょ。それよりさっきの話なんだけど」
「さっき?なんやったかな?」
アイカさんは紅茶のカップを持ち上げ斜め上を見上げた。
付き合いは極短いけど、これ明らかに惚ける気だよね?
私は少しだけ威圧を使ってアイカさんに視線を送ってみることにした。
しかし彼女には何の効果もなく相変わらずケラケラ笑って紅茶を飲んでいる。
その様子に少しだけ腹が立って威圧をどんどん高めていく。
「そこまでにしいや。あんま威圧しすぎると近所迷惑やで」
その言葉に冷静になって「あ…」と呟くと同時に威圧を解除した。
町中でこんなに威圧を放ってしまうと敏感な人達だったら何かあると気付かれてしまう。それこそ王都のどこにいようとだ。
「…ごめんなさい」
「えぇよ。元はと言えばうちがすっとぼけたせいなんやしな」
「…うん」
「あひゃひゃひゃ。なんやセシル、ようやく素が出てきたやん。えぇ調子や」
「アイカさんが意地悪なのが悪いんだよ!」
「さん付けなんかいらへん。うちらの仲や。年齢とかごちゃごちゃ喧しいこと言うのは無しやで」
「むー…そうやって最初から言い訳潰すのは卑怯だよ、アイカ」
すぐに呼び捨てで呼んだことが嬉しかったのかさっきまでより一層楽しそうにあちこち向きを変えながら笑い、呼吸困難になりかけている。
ひーひー言う彼女が落ち着くのを待っているとようやく深呼吸一つしてこちらへと向き直った。
「『鑑定』出来んのは人間じゃない魔物相手か、もしくは神の祝福を持ったモンだけや。こっちに生まれ変わった時に神様から貰うてるんやない?」
「…なっ?!」
「転生と転移もしてるセシルなら絶対持ってるやろ?うちらは仲間や」
今日もありがとうございました。




