五月十三日
大学も終わり、僕はいつもの通りにスーパーで品出しのバイトをしていた。毎日同じように身体を動かすことにいい加減疲れも出てくるが、費やしてしまったお金を稼ぐ為には今まで以上に稼がなくてはならない。別に借金をしたわけではないが、ある程度の貯蓄は欲しい。それに、身体を動かしていれば少しは気が紛れると思ったのだ。
「……木村さん。少しお話があるのだけど、いいですか?」
ビールの陳列をしていた時、大介さんが声をかけてくる。その表情は何処か申し訳なさそうな、それでいて相手を気遣っているような、そんな感じのものだ。
「いいですけど……」
「よかった。それじゃあ事務所まで」
ビールを載せた荷台を引き、裏まで戻ってくる。冷蔵室に荷台を置いた後、大介さんに先導される形で事務所まで行くこととなった。その間、僕達の間に会話はない。元よりプライベートではそこまで話をする間柄ではないので、この位の距離感がちょうどよい。
しばらくして、僕と大介さんは事務所まで辿り着いた。机と椅子があるだけの簡素な造りで、それ以外には特に物は置かれていない。実質、休憩室のような場所だった。気が重そうに大介さんが座る。その様子を見届けてから、僕も近くの椅子へ腰を下ろした。
「木村さん。最近凄く頑張っていますよね。心配してしまう位に店へ貢献してくださっています」
「お褒めの言葉、感謝します。ですが店長、僕に伝えたいことって、きっとそれではありませんよね?」
「流石ですね。彼女が前に言っていた通り、聡明だよ」
大介さんの口から出てきた『彼女』とは、恐らく先輩のことを指しているのだろう。僕と大介さんに共通している知り合いは、副島先輩以外いない。そして恐らく、大介さんがこれから僕に話そうとしているのは、副島先輩のことに違いない。確信に近い何かがあった。いや、恐らく僕が一番気付いていることなのかもしれない。気付いていて、それでも尚やめられなかったこと。今の先輩がどんな状態になっているのかを知っていて、かつ、僕が弱かったから逃げ出したこと。
「君は少し頑張りすぎています。気を張りすぎているんです。副島さんが交通事故で意識不明になってから……」
流石は周りをよく見ている人だと、素直に尊敬した。
僕に研究内容を話してくれた数か月後。自身の研究のほとんどを完成させていた先輩は、交通事故によって意識不明の重体となった。打ち所が悪く、今も尚植物状態となっている。皮肉にも、副島先輩が行っていた研究は、こんな形で役に立ってしまった。彼女が目を醒まさなくても、人工知能としての『副島藍』先輩は生きている。
だけど、やはり僕はどうしても、副島先輩と、人工知能として生み出された先輩を同じ人物として見ることは出来なかった。暇があれば。心の隙間を埋めたくなった時に。様々な理由をつけて、何度も『先輩』と会話した。しかし結局、返ってくる答えは決められた会話パターンに基づくもの。やはり人工知能には限界があった。人間の複製など、人工知能では無理だったのだ。副島先輩に向けられていた愛を、人工知能の愛に向けることはどうしても出来なかった。
「知っていたんですね、大介さん」
「そりゃ大切な仲間のことですからね。ここ数か月は特に心配していましたよ。最初の内は何か心を入れ替えるきっかけがあったのかと思いましたけど、次第にそうではないと思い、気になって仲の良いお客様に聞きました。そこで気付いたのです。木村さんは、現実を受け入れて、それでも尚あの子がやったことを受け継いでいこうと思っている、と」
「……何処まで知っているんですか。まったく、本当にスーパーの店長で収まっちゃいけない人ですよ。もっと相応しい仕事がありますって」
「褒め言葉として受け取っておきます。ですが、私は今の仕事が大好きですから、これからも続けていきますよ。こうして仕事をしていく上で、誰かの為になったことですし。何があるか分からないものです」
ここまで綺麗に指摘されてしまっては、何も言い返すことが出来ない。だけど、心の何処かで僕はずっと引っかかっていたのかもしれない。だって僕は、あれから『副島先輩』の顔を一度も見ていないのだから。人工知能としての先輩と会話する時には、いつも電話でしか会話をしていなかったのだから。それに、数日前には引っかかるような会話をしてしまった。『先輩』にするべきではない内容を零しそうになった。その段階で、僕の心の支えは崩れかけていたのかもしれない。
「今日は休んでください。タイムカードはこちらで調整しておきますから。少しでも、気を落ち着かせてください」
優しい口調で。父親のような声色で。温もりのある表情で。大介さんは僕に提案してくれた。本来ならば職権乱用と伝えなければいけないところだが、正直今の提案は僕にとっても利益あるものだった。
頭を深く下げ、僕は更衣室へ行く。感謝の言葉を言うことも、大介さんの表情を確認することもせず、ただ真っ直ぐに更衣室へ行く。今から僕がやろうとしていることを、誰にも聞かれたくないし、見られたくなかったからだ。
更衣室へ辿り着いた僕は、ポケットの中に入れていたスマートフォンを取り出し、『先輩』と名前つけられたアプリを起動する。本体を耳に当て、そして『先輩』に尋ねた。
「突然ですが先輩。先輩は僕のことを、どう思っていますか?」
聞かずにはいられなかった。これはある意味で賭け。ある意味では答え合わせ。『先輩』の答えによって、僕の中での欠片が上手く嵌ってくれる筈。
『……その質問の意味を聞かせて欲しい』
あぁ、やはりアイの行く先は、分からない。
完。




