閑話 子安賢治
教師を長いこと続けていると、自分の醜い部分と向き合う機会は多い。
子安賢治は教師のために設けられた屋外の小さな喫煙所に身を寄せ、紫煙を薫らす。徐々に徐々に叫ばれ始めている禁煙の波に抗うように、子安は今日も煙草をふかしていた。
「はぁ、寒ぃなぁ」
1月のからっ風が容赦なく子安を襲うが、寒い日に吸う煙草が一番旨いんだと肺に煙を満たしてゆく。
「探索者、か」
思わず漏れた声に、子安自身も気づいていなかった。
つい先ほど、子安が受け持つクラスの生徒との面談を実施したばかりであった。1月のこの時期に面談をするなんて滅多にないことだが、その生徒も滅多にいないタイプの生徒のためやむを得ないだろう。
子安から見て、その生徒はどこにでもいる普通の生徒だった。突出した物もなく、可もなく不可もなく。子安と同じく平凡な人生を歩むのだろうと思っていた。そんな生徒が気づけばダンジョンでレベルを上げ、高校も進学せず探索者をやると言うのだ。平凡とはかけ離れた、夢のある人生を歩むと言った。
教師を続けていれば、生徒の青臭い夢を語られることは日常茶飯事だった。ミュージシャンになる、プロのスポーツ選手になる、アイドルになる、特級探索者になる、漫画家になる。数多くの生徒を見送ってきたが、ついぞその道で大成した者はいなかった。良くてそれらに携わる仕事をしている程度だろうか。
皆歳を取ることで現実を知り、どこかで折り合いをつけて生きていくのだ。
そんな子安も、教師になった時には夢や希望に溢れていた。GT〇や金〇先生とはいかずとも、生徒に寄り添った教師になってやると、上から物を決めつけて話す大人としてではなく、同じ目線に立って導いてあげる教師になるんだと息巻いていたものだ。
「ふぅーー」
口から吐き出された煙が空に霧散していくように、子安のやる気も気づけば跡形もなく散っていた。
言うことを全く聞かない生徒たち。常に小馬鹿にされ、まるで友達かのように生意気に接してくる。最低限のルールだと説明しても不貞腐れるだけで話の一つも聞かない。ルールを破ることが凄いと勘違いしているように振舞われる。
それでも子安は根気よく生徒たちに接した。最初はショックだったし悲しくもあったが、漫画に出てくるような無条件で慕われるような教師なんていないと理解し、言うことを聞かないからと怒るのは違うと考えを改めることもできた。子安が求めているのは何でも言うことを聞いてくれて慕ってくれる生徒なんかではない。子安自身が生徒に寄り添う教師を目指していたはずだ。
それに気づけた子安は、聖職者として頑張ろうと奮闘した。日々の授業の準備もわかりやすいように生徒たちの反響を見てやり方を工夫し、任された部活も大した手当も出ないというのに一生懸命本を読み漁りアドバイスをした。
生徒たちを放置して好き放題させている教師が生徒たちにとっていい先生であり、細かく指導する子安は口うるさいウザい先生であっても、生徒のためにと指導し続けた。
特に不良へも積極的に子安は声をかけていた。中学生で不良になる生徒の多くは家庭環境に問題を抱えていることが多い。そんな彼らを少しでも良い方向に導こう。そう思い他の教師たちも無視するような不良たちにも声をかけ続けた。
だがそれが良くなかった。
暑苦しい子安だったが、慕ってくれる生徒もいた。積極的に話しかけてくれれば、子安は当然応える。他の生徒と比べて話す機会が多いのは、子安と会話をしてくれる生徒だからだ。それで贔屓なんてするつもりは一切ない。しかし、そう思わないのが生徒たちであった。
子安を煙たがった不良を筆頭に、子安を慕ってくれた生徒がイジメを受けた。
イジメはすぐに分かった。『イジメがあったなんてわかりませんでした』なんて恥ずかしげもなく口にする教師は教員免許を剥奪した方がいい。張り詰めた教室の雰囲気、いつも通り不機嫌な不良は変わらない。しかし、先ほどまでに何かあったと多くの生徒の顔が物語っていた。緊張、不安。そして明らかに何かを押し殺すように顔色悪く机を見つめる子安を慕ってくれていた生徒。
だが、イジメが分かったところで教師が取れる行動は少ない。本当に少なかった。
周囲に気づかれないように該当の生徒に声をかけても、知らないとしか答えてくれない。あれだけ笑顔で話しかけてくれた顔は、嵐が過ぎ去るのをただ待つかのように諦観していた。
他の教師に話しても、『気にしすぎ』、『教師が動くことで逆効果になる』、『休み時間も見回りすればいい』。誰も本気で取り組んではくれなかった。いや、今ならわかる。彼らもまた若かりし頃に全力で取り組み、その無気力感に苛まれてしまったのだろう。
徹底的にいじめの有無を洗い出し、法的手段を取ってでも主犯格たちを転校させる。そこまですればよかった。イジメられていた生徒が大事にしないでくれと言っても、そこまでやるべきだった。
子安が動ける範囲でもがいている間にイジメは深刻化し、その生徒は二度と学校には戻ってこなかった。
それを受け、子安は教師とは何なのかわからなくなった。不良は家庭環境が悪いからしょうがない? イジメをした生徒も自分の生徒だから、イジメをした側も救わなければならない? イジメられた生徒にも問題があった?
何が正解かわからない。イジメは悪で、どんな理由であろうともする方が悪い。これは変わらない。だが、イジメをした生徒も同じ生徒だからと、同じ学び舎で守ろうとするのは無理があるだろう。
結果、ただ一人不登校が増えただけでその問題は鎮火した。イジメられた生徒の親も大事にしたくないと言い、学校側はこれ幸いとこの問題を終わらせ、不良は今日も元気に登校している。
子安は何がしたかったのか。不良が反省しイジメられた生徒に謝ってほしかったのか。別の学校に転校して視界から消えてほしかったのか。自分がしでかしたことの大きさに震えてほしかったのか。何も答えは出せず、ただ大事な生徒が不登校になってしまったという事実だけが残された。
後日、その学年の二十歳の同窓会に子安は呼ばれた。そこでは不登校になった生徒なんて初めから存在しなかったように仲間が欠けた状態で楽しく談笑し合う教え子たちと、あの不良だった生徒も楽し気に酒を飲んでいた。
『あ、子安ちゃんじゃん! いや~中学の時はガミガミうるせぇなと思ったけど、そのおかげでギリギリ踏みとどまれたよ。卒業してから頑張って、今じゃ真っ当に働けてる。あの時はありがとね』
そう不良から感謝されたとき、子安の中での理想の教師像が粉々に砕け散った。
喜べなかった。純粋に。生徒が良い道に進んだというのに。
お前の今の幸せの裏で、あの子はどれだけ苦しんだと思っているのか。あの子の事すら記憶から消えているお前が幸せになる権利があるのか。そう頭の中で罵詈雑言が溢れ出る中、子安は乾いた笑みを浮かべて言った。
『泣かせるようなこと言うんじゃないよ! 頑張ってるみたいで安心した。卒業してからもずっと気になってたんだぞ?』
そう言って、子安は自分の気持ちを殺し、張りぼての教師の面を被り明るく声をかけた。
一度イジメをしたからダメなのか。やり直すチャンスすらないのか。それすらも答えがだせない。子安が生徒に対して仮面を被るようになったのは、この時からだった。
「さっぶ。雪降るんじゃねぇかこれ」
山々に囲まれた盆地の八王子は東京でも一段と寒い。早く戻ろうと思いつつも、生来の貧乏性がまだ吸えるもったいないと、中ほどまで灰になった煙草を大事に吸いこむ。
生徒に対し距離を開けるようになった子安は、生徒に本音を語らなくなった。そうなってからは、教師の仕事もずいぶん楽になった。子安もまた、ただのつまらない大人へと変わってしまっていた。
それでも、生徒が道を誤っているなら全力で正した。ミュージシャンになるから高校に行かないと親と大喧嘩した生徒に懇々と説教して高校に通わせ、スポーツのプロになるという生徒にはどこの高校がどういいのかパンフレットを読み漁り、親に裏切られ大人に愛想をつかした生徒には、世界は広いんだと無理やりにでも前を向かせた。
最近では落ち着きを見せ始めた子安の教師生活に一石を投じるように、その生徒は現れた。
今まではどこにでもいるまじめな生徒だった。だが、1学期の定期テスト明けの登校日に現れた姿は、誰が見てもダンジョンに行ったことがわかるほど見違えたものになっていた。
即座に開かれる緊急職員会議。イジメを受けた生徒がダンジョンでステータスを上げ復讐する、なんてニュースは枚挙に暇がない。
大概が中学を不登校で過ごし、卒業して高校生の間にダンジョンに行って復讐するケースが多かった。しかし、中学生で起きた事件も過去のニュースをひっくり返せば出てくる程度には存在していた。
ほとんどは未遂に終わると言われている。というのも、ダンジョンに行ってモンスターを倒さなければステータスを上げることはできない。モンスターとイジメっ子が重なって竦んでしまい、モンスターの逆襲にあって病院送りになるからだ。
モンスターも簡単に倒されてくれることは無く、がむしゃらに襲い掛かるモンスターと戦うには相応の覚悟が必要だ。かといって楽に倒せる銃を使おうと思えば講習費やレンタル料が高く、とてもバイトもしてないような学生が払えるものではない。
しかし、時たまその洗礼をくぐり抜けステータスを上げることに成功する者もいる。強い復讐の信念でレベル上げを行った生徒は、一直線に復讐の対象であるイジメっ子に向かってゆき攻撃する。ステータス上昇によるパワーは本人でも上手く制御できず、結果殺害や重度の後遺症を負わせることが多かった。
だからこそ、ダンジョンでレベル上げを行った生徒である定禅寺がイジメを受けていたのか、どういう方針で教員は動くべきか対策会議が開かれた。
クラスメイト達に囲まれている定禅寺を穏便に連行し、子安は話を聞いた。
『いいか定禅寺。イジメは許せない。それは先生も同じ気持ちだ。だけどな、もっと強い力でやり返したらそれはイジメと変わらない。先生にイジメの問題解決をさせてくれないか?』
『……? どういうこと?』
定禅寺に聞き取りを行った結果、イジメなんて起きていないことが分かった。何故そのような発想に至ったのかわからないが、唐突にダンジョンに行ってみたいと思って行ったというのが真実らしい。
その情報を教員に共有したが、全員が全員意味が解らないという結論に至った。
ダンジョンは危険な場所だ。あれだけ手厚くサポートされている探索者高校の生徒でさえ、死亡事故が毎年起きている。この前の夏休みには、八王子探索者高校の生徒が亡くなったとニュースでも流れていた。
そんな危険な場所に何故行くのか。台風で氾濫している川で水遊びするようなものだ。めちゃくちゃな勢いで流されて楽しい!!なんて普通は思えないだろう。ちょっと気になったからなんて理由で何故行くのか。
探索者高校というものがあり、探索者に成りたいならそこに進学しろと何度も説明した。だが、気づけば隣のクラスの安藤も連れ立ってダンジョンに通い、二人とも見違えるほど容姿が整っていった。
それが功を奏した。
探索者はステータスの影響で育成所よりも容姿が整う。その中でも、一級探索者や特級探索者と呼ばれる者たちは段違いに容姿が優れている。テレビで見る芸能人よりも圧倒的に。
定禅寺も安藤も、恐らくその領域に足を突っ込んでいた。容姿の変化に伴い纏うようになった風格が、他の生徒たちにも否応なしに伝わった。二人は別種の人間であることを。
これが大多数の探索者と同程度であれば危なかっただろう。自分もカッコよくなれるかもしれないと、二人に続いてダンジョンに行こうとする生徒が増えたはずだ。あの時はこれから夏休みという時期でもあったから、夏期講習の合間にダンジョン探索に行くなんて生徒がわんさか出てくる恐れもあった。
しかし、あそこまで突き抜けた容姿であれば、他の生徒もあれは例外だと納得してくれる。
おかげで二人に続いてダンジョンに行こうという生徒はいなかった。影響は例年よりも探索者高校を志願する生徒が多かった程度だ。
定禅寺は変わっていた。今まではそんな印象を持たなかったのに、ダンジョンに通い出してから急に大人びたように感じた。特に印象深いのは、クラスメイトとの接し方だ。
定禅寺は安藤とは違い、美形に寄っていた。動く彫像が如く整った顔立ちは、整いすぎていて普通にしているだけで相手に威圧感を与えるほどだった。クラスメイト達もそんな美形になった定禅寺にどう対応していいかわからないのだろう。決して嫌っているわけではないはずだが、だからといって積極的に声をかけてもいない。
そんな状態でも、定禅寺は何一つ変わらずにのんびりと授業を受けていた。俺はこいつらと違うんだと斜に構えることもなく、ハブられているのかと不安がることもなく、容姿が変わったことで彼女を作ろうとかそんな動きもない。
まるで子供を見る大人のような目を向けている。それは子安に対してもそうだった。普通なら何度も探索者高校の話をすれば、ウザいと嫌悪感を露にするだろう。だが、定禅寺は子安に対しても、教師って大変だなとでも言いたげな目を向けてくる。
「あいつ、あんな大人だったかな」
中学生という多感な時期。少し目を離せば驚くほど成長していることも数多く見てきた。だが、定禅寺ほど劇的な変化をする者は見たことがない。だが、教師としてはいい方向に変わってくれるのならば何も問題は無い。
それにあてられたのか、子安も定禅寺の背中を押すようなことを言ってしまった。
中学教師が高校に行かない選択を支持するなんて、今日日ありえない。芸能人だろうとスポーツ選手だろうと、せめて通信高校は通っている。探索者ギルドに所属するならともかく、ただ探索者を個人的に続けるとなると別の道を選べる選択肢が限りなく少なくなってしまう。今や大卒が当たり前になりつつある世の中で、中卒というのはあまりに生きにくい。
だというのに、定禅寺があまりにも“本物”に見えてしまい、子安は教師としてはあるまじき行動を取ってしまった。
だが、こうも思う。教え子が道なき道を進み頑張ると覚悟を決めたのなら、教師はうだうだ言わず、いつでも戻ってこれるように準備だけは行っておくべきだと。
「……優良そうな探索者ギルドでも見繕っておくか」
残り僅かとなった煙草を吸い殻入れに押しつけ、子安は今日も生徒のために行動するのであった。




