16話 レベル100
風雷帝箆鹿が巨大な煙となり、鈴鹿へと吸い込まれてゆく。
それは鈴鹿にとって見慣れた光景。だが、今回はいつもとは違う結果を辿る。
「ん゙っ!?」
思わず漏れる苦痛の声。痛みはない。ただただ苦しい。不整脈でも起きた様に心臓が暴れ、目の前の景色が歪む。視点がぼやけ視界が混ざり合い、目の前が黒い煙に包まれたように、鈴鹿はブラックアウトした。
◇
そこは強風が吹きすさぶ、何もない地であった。標高の高い山頂付近なのだろうか。剥き出しの灰色の地面、ゴツゴツとした岩肌、大小さまざまな岩に、僅かばかりの草木が生息している。
風を遮る建物も、樹々も、山々もないからか。そこは強く強く風が吹いていた。
そんな地に、二つの異物がいた。
一つは龍。巨大な翼、硬質な鱗に覆われた体表、気品すら感じるその姿は、見る者を竦み上らせるほど上位種としての風格に満ちている。
しかし、そんな強大な存在は地に伏していた。片翼はもがれ、鱗は剥がれ落ち、強打を受けたのか肉が潰れ歪に変形している箇所が何か所もあった。そんな瀕死な龍は残る力を振り絞るように首を持ち上げ、その惨状を生み出したであろう下手人に一矢報いるために噛み付いた。
しかし、目の前をちらつく羽虫を振り払うように、下手人は龍の顔を殴りつける。最後の抵抗も空しく頭を弾かれた龍は、呆気なくその身を煙へと変えた。
煙は余すことなく下手人へと吸い込まれてゆく。煙が全て吸い込まれた後、下手人は深い深いため息をついた。
『……なんともつまらん』
複数の声が同時に重なり合ったような不可思議な声は、声を発した人物が人ならざるものだと教えてくれる。
端的に言えば鬼であった。筋骨隆々な偉丈夫は、灰色の肌に覆われている。波打つ黒い長髪から突き出している二本の角。眼は三つあり、額にある縦長の瞳は紐か何かで縫い付けられており閉じられていた。
『おい穴蔵よ。我は又強くなった。強くなってしまったぞ』
強くなったことがまるで悪いかのように、その鬼は嘆く。
『この先に我が満足する者はいるのか? もう飽いてしまいそうだ』
その鬼は飢えていた。全神経を注ぎ込み、全身全霊で戦える相手を渇望していた。血沸き肉躍る狂乱の坩堝にどっぷりと浸かり、朽ち果てるまで狂騒に身を委ね酔いしれたかった。
だが、それは叶わぬとため息を吐く。
『誰でもいい。この狂鬼をそそらせる奴はいないものか』
それに応えるかのように、飛竜の群れが鬼へ向かって迫ってくる。鬼はそれを一瞥し、深い深いため息を吐くのであった。
◇
「っは!?」
夢から醒めた鈴鹿は、慌てて周囲を確認した。何が起きたかはわからないが、気を失っていたのは確かだ。
ダンジョンでは一つの気の緩みで容易に死が訪れる。『聖神の信条』のある鈴鹿からしたら問題ないかもしれないが、現状を把握するためにも必要な行為だ。
辺りを見回すが何も起きていない。箆鹿と戦った爪痕がそこかしこに残された場所は、そこが先ほどまでいた場所と相違ないことを読み取れる。腕時計を見ても、日付は日曜日のままだし、時刻も17時前と恐らく箆鹿を倒した時と変わっていない。
気を失っていたのは僅かな時間であったようだ。立ったまま目が醒めたことを踏まえれば、もしかしたら一瞬の出来事だったかもしれない。
「なんだったんだ今の。さっきの鬼も、あれ何? 狂鬼とか言ってたけど」
鈴鹿は以前も似たような体験をしていた。それは聖神ルノアから『聖神の信条』を授かった時と、どこかの円卓で聖神ルノアが会話していた時だ。今回も何か関りがあるのだろうか。
「う~~ん。わからん。知り合いにあんな鬼いないし。……ま、知らんもんは考えても仕方ないな」
早々に思考を放棄し、鈴鹿は次に確認すべきことを整理してゆく。
「変なチャチャ入ったけど、これで1層完全制覇ってことでいいよな! 最後のエリアボスの鹿肉ちゃんも倒したし!」
1層5区には5柱のエリアボスがいる。猿猴をはじめ、鈴鹿は全てのエリアボスを倒すことを成し遂げた。夏休みに立てた今年度中に1層を完全攻略するという目標を、紆余曲折はあったもののなんとか今年度中に達成できた。
ヤスの志望校合格お祝い兼、卒業旅行にキャンプにでも行こうと思っていた鈴鹿は、これで心置きなくヤスを誘うことができる。
「さてさて、そろそろ帰らなくちゃいけない時間だけど、こればっかりは確認しなくちゃな」
1層5区はダンジョン入り口から遠いため、夕飯までには帰らなければならない鈴鹿は時間がない。しかし、成長した鈴鹿の脚力を持ってすれば、ギリギリだが間に合うだろう。最悪、聖光衣を使用して帰る所存だ。
そう決めた鈴鹿は、箆鹿を倒してレベルが上がったであろうステータスを表示した。
名前:定禅寺鈴鹿
存在進化:鬼種(幼)
レベル:98⇒103
体力:753⇒778
魔力:853⇒892
攻撃:934⇒981
防御:825⇒860
敏捷:925⇒972
器用:789⇒819
知力:712⇒732
収納:389⇒409
能力:剣術(5)、体術(9)、身体操作(8)、身体強化(10)、魔力操作(8⇒9)、見切り(8)、金剛、怪力、強奪、聖神の信条、毒魔法(8)、見えざる手(6⇒8)、思考加速(6⇒7)、魔力感知(7⇒9)、気配察知(7)、気配遮断(9)、魔法耐性(4)、状態異常耐性(8)、精神耐性(7)、自己再生(8)、痛覚鈍化、暗視、マップ
「キターーー!! レベル100越え!! 存在進化ッ!!!」
鈴鹿は狂喜乱舞し、その場で小躍りする。
「長かった!! 何かにつけてレベル100までは~とか、存在進化してから~とか言ってたけど!! これで!! 好き放題できる!!」
鈴鹿は今まで自身の行動を縛っていた。その理由は他の探索者から隠れるため。
探索者はダンジョンで超人的な力を手に入れることができる。魔法だって行使できるし、魔力が伴わない攻撃であればミサイルが直撃したって大したダメージにならないし、車よりも速く走れるし殴れば大岩だって粉砕できる。鈴鹿に至っては死なないなんて意味不明な能力も備わっている。
そんな強大な力が、ただの人の身に宿るのだ。軍隊のように統率され、精神を鍛えられている者ならばいいだろう。だが、探索者の多くはそうではない。ただの一般人が、力だけが膨れ上がり心は脆弱なままであれば、辿る結末など容易に想像がつく。
この状況を車で考えてみるとわかりやすいだろう。ただ車を手にしただけというのに、些細なことにイラつき相手を事故にまで追い込ませるほど煽る者もいれば、自分勝手にルールを破り速度超過や信号無視をする者だっている。
車でさえこんな始末なのだ。多種多様な能力を得られる探索者であればどうなってしまうか。
ダンジョンや探索者について調べて一番最初に出てくるのは、他の探索者に気を付けることという何とも情けない項目だ。ダンジョン内では監視カメラも設置できなければ、死体も放置すればダンジョンに吸収されて消えてなくなる。
不意打ち、闇討ち、騙し討ち。収納からアイテムを出させるだけ出させて殺す手口など、犯罪に加担している者たちが想像できないはずがない。
ダンジョン内外構わず探索者による犯罪が跋扈している世界で、一人で活動している何の後ろ盾もない探索者など鴨が葱を背負って来るようなものだ。犯罪は犯す者が100悪いが、被害にあいたくないのであれば隙を見せないことも重要だ。だからこそ、世の探索者はギルドに所属し、手を出したら面倒なことになるぞと自衛するのだ。
鈴鹿はギルドに所属するかどうかも決めていないため、手を出されたら自分の身を護れる術を身に着ける必要があった。ドローンを飛ばして、手を出したら状況証拠あるから訴えるからな!なんてことをするつもりはない。
後日訴えることはできるかもしれないが、鈴鹿はその時その場で対処できる力を求めていた。火の粉が降りかかった時に全力で振り払い、なんなら火元を粉々にできるくらい自衛できる力を。
それが、レベル100、存在進化であった。
探索者の多くはレベル100前後であり、存在進化できた者は探索者として成功だと言われる世界。探索者の中央値がレベル100前後であるならば、そこまでレベル上げすれば、多くの探索者に対し一方的にやられることはない。
もちろんレベル200越えの特級探索者が出てきたら厳しいが、そんな上澄みの上澄みまで心配しだしたらきりがない。
そんな鈴鹿は、とうとうレベル100になった。それもただのレベル100ではない。5区でレベル上げを行った末のレベル100だ。その辺の探索者と比較して、ステータスは倍ほど差がある。
さらに、死なないことを良いことに、エリアボスに対し狂気的な挑み方をしたためスキルも豊富かつ高レベルが揃っている。ここまで強く成れば、ちょっかいかけられたらかけたことを後悔させられるだろう。
「さぁ、これで後顧の憂いは無くなった! 次の目標を決める前に、存在進化確認しないとな!」
ステータスに改めて目を向ける。
「鬼種か。良かった。毒魔法使う奴は問答無用で蟲とかにならなくて」
蠱毒の翁がいるため、内心ドキドキしていた鈴鹿。カッコいい昆虫がいることもわかるが、基本虫が苦手な鈴鹿は虫にはならないでくれと願っていたものだ。
「特に見た目は変わってないな。角も生えてないし、爪も尖ってない。身長も変わらずか」
存在進化はその力を発揮する時に進化先の見た目に変貌する。ベースは人型だが、鬼であれば鬼に、蟲であれば蟲人に、龍であれば龍人に変化する。ただ、存在進化先の力を使わない通常状態でも、その影響を受けた見た目になる者もいる。ケモ耳が生えたままの者や、手足だけ鱗が生えている者、尻尾や角が生えた者、逆に何も見た目に影響がないものなど個人差が大きい。
その点で言えば、鈴鹿は見た目にあまり変化がないパターンのようだ。
「じゃあ、次は存在進化の状態だな。こんな感じか?」
初めて存在進化するが、スキルのように意識すればアシストが入るようにスムーズに力を行使できた。
「うわっ。すごっ。聖光衣纏ったみたい」
存在進化の力を引き出すと、その種が持ちうる力の奔流が流れ込んでくる。自身の力が何倍にも強化されたようなこの感覚は、まるで聖光衣を発動した様な気にさせられる。
「これはダメだわ。良くない良くない。調子乗って自分はすごいと勘違いする奴続出するよ」
それほどまでに全能感に浸れた。『例え国家権力が何か言ってきてもぶん殴ればよくない?』と思える程度には酔いしれる。探索者の犯罪が増えるわけだと、鈴鹿は納得した。
「ん? んんん? あ、角生えてる!」
そういえばと思い自分の容姿を見てみたが、目線も肌の色も爪も変わっていなかった。顔に模様とか入っていたり、顔だけ色が違うなんてこともあるかもしれないが、鏡が無いため確認できない。
手で頭を触れてみると、小さいながらも角が生えていた。自分の頭に角が生えている。不思議な感覚に、ペタペタと触ってみるがすぐに飽きた。
「あとは耳とか歯が少し鋭くなってるくらい? 勘違いかも」
鬼種というから、先ほど見せられた映像に出てきた鬼のように、マッチョになったり身長が伸びたり肌が灰色になったり眼が3つになったりするのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。鈴鹿の存在進化は、あまり見た目に影響がなかった。
「あ、もしかして、俺の存在進化のモデルって、あの鬼だったりするのかな?」
箆鹿の煙を吸い込んでいる時に気絶したため、十中八九存在進化が関わっていると思われる。見た夢には鬼が出て、鈴鹿の存在進化先は鬼種。繋がりが無いほうが不自然であった。
「ってことは、狂鬼って種類の鬼なのかな。変な名前」
映像の中で鬼が呟いていた名前が狂鬼。その言葉を咀嚼するように何度か口ずさみ消化する。
「うん。ま、いっか。存在進化も鬼なら見た目的に当たりだろ! ラッキーラッキー」
存在進化の中には、人間寄りではないものも数多く存在する。例えば、獣人であれば人間に寄っていても獣に寄っていても見た目はそう悪くないケースが多い。これが鳥だった場合、人間に寄れば羽が生えたり足がかぎ爪に変化する程度かもしれないが、鳥に寄れば鳥頭に早変わりだ。その状態で見た目がいい者はあまりいない。
人に近い鬼であれば、見た目への影響は少ない。存在進化ガチャは当たりだったと言えるだろう。
「さ、もう帰るか。さすがに急がないと夕飯間に合わなくなりそうだし」
そう言って、鈴鹿は存在進化を解除し、足早にダンジョンの入口へ向かっていくのだった。
鏡が無かったために気づくことができなかったが、存在進化の影響を受けて鈴鹿の瞳は黄金に輝いていた。それを知らない鈴鹿はいつも通り帰宅したことで両親が驚きの声を上げ、鈴鹿が存在進化したことが家族に速攻でばれたのは、また別のお話。




