12話 迅夜虎豹2
迅夜虎豹との戦いは想像以上に長引いた。あれから夜が来て日が昇り、そして今二日目の夜を迎えていた。
「キタキタキタキタッ!! この状態で勝ってこそだよなぁ!! なぁッ!!??」
樹々が重なり星明りさえ遮られる中で、鈴鹿と迅夜虎豹の攻防はより一層激しさを増していた。
鈴鹿は当初、一晩もかければエリアボスは倒せるだろうと踏んでいた。猿猴を倒したことで今のスキルレベルならエリアボスを倒せることはわかっていたし、レベルが20も上がったのだからステータス的にも多少余裕がある。だからこそ、この金、土、日の三日間で2体のエリアボスを倒すつもりでいた。
だが、蓋を開けてみたらすでに土曜の夜になっている。飲まず食わず寝もせずのぶっ通しで戦い続けているため、今すぐ迅夜虎豹を倒したとしても、疲労で次のエリアボスに挑む気力はない。
これは鈴鹿が調子こいていて読みが外れたのかと言えば、実はそうでもなかった。
当然、迅夜虎豹は凶悪なモンスターで、簡単に倒せる相手ではなかった。猿猴とすら渡り合えた毒手すら切り裂くほど強力な攻撃を持っているのだから、その強さもうかがえる。
だが、鈴鹿は割と早い段階で迅夜虎豹の切り裂きを防ぐことができるようになっていた。
「ほらほらどうした!? ぬるい攻撃してるとその爪砕いちまうぞッ!!」
闇夜から突如振り下ろされた迅夜虎豹の爪を、鈴鹿は真っ向から打ち返している。初めの時は鈴鹿の鮮血も舞っていたが、今では鈴鹿の拳に傷一つ付けられていない。
今までの鈴鹿の毒手は、ちゃんとした毒手であった。黒ずんだ黒紫色の毒手は恐ろしいほどの硬さを持つ一方、触れれば命を刈り取る毒が練り込まれた立派な毒手。だが、今の鈴鹿の手には毒々しさは無く、迅夜虎豹の毛並みの様に深い深い深淵のような黒一色となっていた。
これが鈴鹿が行きついた毒手のその先。毒の効果すら捨て、硬さを追求し続けた成れの果て。この手に触れられても毒の影響は一切受けず、ただただ硬い、それだけの手。もはや毒魔法なのかどうかそれすらも怪しい。だが、鈴鹿はそんな毒手を発現させ、迅夜虎豹の攻撃を無傷でさばいている。それが現実であり、結果であった。
「アッハッハッハ!! 昼間と全然ちげーじゃねぇか!! ずる過ぎんだろこれは!!」
迅夜虎豹を殴りつける鈴鹿だが、それよりも早く迅夜虎豹は闇夜に消える。昼間ならば多少なりとも捕捉できていたのだが、夜の闇に包まれたとたん迅夜虎豹の気配遮断のレベルが一段階上昇したかのように捉えることができない。
これが鈴鹿が迅夜虎豹を倒しきらず、丸一日以上戦い続けている理由であった。
鈴鹿が毒手を魔改造して迅夜虎豹と正面から戦えるようになった時、迅夜虎豹は魔法を使うようになった。それは鈴鹿が調べた魔法の中にはなかった魔法、影を媒介とした魔法であった。
どこから攻撃されるかわからないような状況の中、影を操り迅夜虎豹の分身や影の刃を飛ばすような魔法が鈴鹿のリソースを奪い、出来た隙に迅夜虎豹が責め立てる。体術のスキルレベルが9もあるというのに、攻めに転じるどころか攻撃をさばくだけで手一杯な状況にさせられていた。
それでも、鈴鹿は攻撃をさばき続け、気配察知と気配遮断をフル活用して反撃の糸口を探していた。すぐには見つからないだろう。だが、このまま続ければ明日の明け方には倒せるのではないか。そんな確かな感触をもって夜を迎えた時だった。迅夜虎豹の本領が発揮されたのは。
迅夜虎豹の魔法は、影を起点に発動する。枝葉から成る薄い影は起点にできず、樹の幹のような日差しをしっかりと遮れるような濃い影から魔法が生み出されていた。そのため、鈴鹿自身の陰や樹々の幹から成る影にさえ注意していればよかった。それでも足元に意識を向ければ頭上から迅夜虎豹が襲い掛かってくるため、気が休まらない攻防を強いられていた。
そんな魔法が闇に支配される夜ならどうなるか。それは地面全てが攻撃の有効起点になるということ。無尽蔵に360度全ての地面から影の刃が襲い掛かり、地面から生えた迅夜虎豹の分身たちが鈴鹿の四肢に喰らい付き、本体が振り下ろす爪が鈴鹿を輪切りにする。
いくら高レベルの体術スキルを持っていようとも、全方位からくる予備動作無しの攻撃はさすがに避けきれない。さすがと言うべきか、狡妖猿猴の防具は防御性能が抜群で、雨あられの様に降り注ぐ迅夜虎豹の攻撃を耐え、何度となく鈴鹿の命を護ってくれていた。それでも、何度か首を掻っ切られ、『聖神の信条』のスキルが無ければとっくに死んでいただろう。
攻撃性能だけでも夜というだけで爆上がりしているというのに、防御性能も嫌になるくらい高くなっていた。
迅夜虎豹が今まで消えたように錯覚していたのは、高レベルの気配遮断によるものだった。気配察知と体術のスキルをフル活用して、些細な違和感すら見落とさないよう極限に集中することで、なんとか断片的に迅夜虎豹の存在を掴むことができていた。このまま気配察知のスキルレベルが上がれば十分捕捉できるはずだった。しかし、夜になったとたん迅夜虎豹は文字通り消えた。
今まではわずかなりとも感じ取ることができた気配が、完全に消え去った。昼間の消え方とは完全に別物。闇に吸い込まれるように、迅夜虎豹は姿をくらます。
だが、迅夜虎豹は依然としてここにいる。魔法は無尽蔵に降り注ぎ、鈴鹿の隙を突くように本体が姿を現し攻撃してくる。防戦一方。何度も何度も切り裂かれ、被弾を減らすために立ち回ることで手一杯。
そんな状態が、一回目に迎えた夜中の攻防であった。それでも、鈴鹿は迅夜虎豹に対処するべく思考を巡らせ、スキルを駆使し、反撃できるとっかかりを掴みかけていた。
そんな時だ。朝日が昇り辺りを照らしたのは。朝日は眩しく、枝葉が覆い重なる樹海の地であっても、夜が明けたことを教えてくれる程度には明るかった。枝葉の隙間からこぼれる陽の光が闇を追い払い、地面に広がる影の領域を侵していったのだ。
その結果、迅夜虎豹の攻撃は劇的に変わった。
強くなったのではない。逆だ。弱くなってしまったのだ。
夜になる前と同じように影が濃い場所からしか魔法は出現しなくなり、一晩かけてようやく朧げに捉えられた迅夜虎豹の存在は、潜むのを止めたのかと錯覚する程度には知覚できるようになってしまった。
それは本来であれば喜ばしいことかもしれない。単純に倒しやすくなったのだから、そのまま押し切ればいいだけだ。強化状態の夜でも攻撃するきっかけが掴めそうだったのなら、今ならすぐにでも攻撃を当てることだってできるだろう。そうなれば、後は猿猴と同じように殴り続ければ倒せる。
普通ならそうするし、探索者ならばこんな絶好のチャンスは逃さない。だが、鈴鹿はそんなの望んでいなかった。万全の状態の敵を正面からねじ伏せてこそ、成長できるのだ。そもそもただ倒したいだけだったら、最初から聖魔法を使っている。それをせず、自身を縛って戦っているのは成長するためなのだ。
これが夜状態を知る前に倒せていたらまた違っていた。勝った勝ったと喜んで終わりだ。だが、知ってしまったのならその状態のモンスターを倒さなければならない。
だが、そもそも鈴鹿は勘違いしていた。迅夜虎豹とは日中に倒すべきモンスターであり、夜の強化状態は絶対に避けるべきモンスターであった。ある意味ダンジョンのトラップである。迅夜虎豹という名前から、行使してくる魔法の種類から、その戦い方から、夜は危険だと判断して場合によっては後日再戦する選択を取れるかどうか、その決断や判断を迫るのが迅夜虎豹というエリアボスであった。
同じ1層5区のエリアボスである猿猴と正面から殴り合える鈴鹿が、日中の状態であっても迅夜虎豹の攻撃で傷を負い、ろくなダメージを入れることができなかった。これだけで迅夜虎豹の強さがわかるというものだ。昼の状態で普通のエリアボスの性能を持つモンスター。それが迅夜虎豹なのだ。夜の強化状態は、1層5区の枠を超える強さを持っている。
そもそも、多くの探索者が戦いづらい夜を避けてエリアボスに挑んでいる。鈴鹿の様に学校帰りにダンジョンに立ち寄って、夕方だろうが夜だろうがお構いなしにエリアボスに突撃する探索者はいない。鈴鹿は暗視のスキルを持っているからできるのであって、迅夜虎豹と戦う探索者は日中の早い時間に挑むのが常識であった。
そんなこととは露知らず、鈴鹿はあろうことか日中の迅夜虎豹を弱体化状態と認識し、普通に戦ったら倒してしまうと危惧すらしていた。結果、日中という半日の間、鈴鹿は自身に縛りを設けて迅夜虎豹と戦っていた。
その縛りは眼をつむることと、両手を封じ『見えざる手』のみで攻防を行うこと。あと、攻撃をいっぱい喰らうだろうからと、狡妖猿猴の防具はしまい、ユニ〇ロで買った何の変哲もない普段着で戦うことだろうか。
意味が解らない。死なないからと言って、何をしてもいい訳ではない。zooのメンバーが見ればただ純粋に引くだろう。もはや恐怖すら覚えるかもしれない。見てるか希凛。これが本物の狂人だ。
当然。そんな馬鹿な縛りがエリアボス相手に通じるはずはなく、鈴鹿はこれでもかと攻撃を受けた。切り裂かれて上半身と下半身は何度も離れ離れになったし、頭なんて迅夜虎豹に嚙み砕かれて何度新しい頭に生え変わったことだろうか。まるでアンパ〇マンのように新しい顔にチェンジしては潰されていた。
鈴鹿は『聖神の信条』のスキルによって死ぬことは無いし、どんな怪我を負っても回復する。だが、痛みが伴わないわけではない。たとえ痛覚鈍化のスキルがあろうとも、痛いものは痛い。
回復するからこそ、永遠に真新しい痛みが身体を襲い続ける。常人なら気が狂うほどの痛みの連続。だが、鈴鹿はむしろその痛みを嬉々として受け入れていた。
鈴鹿が痛みを快楽に変換できる特殊性癖持ちというわけではない。いや、あながち間違っていないのかもしれない。鈴鹿は『聖神の信条』によって死ぬことがなくなった。つまり、ダンジョンで死という絶対的なリスクを天秤にかけることができなくなってしまったのだ。
そんな状態で鈴鹿が成長するには何を差し出せばよいのか。悩む中、そこで鈴鹿の中で一つの成功体験ができてしまった。それは何度も何度も死に、痛みという痛みを受け続けた末に倒した猿猴という事例だ。猿猴戦ではレベル差が倍という無謀な戦いを挑んだ結果、数多くのスキルが恐ろしい速度で成長した。死ぬことは無い代わりに、数多の痛みを受けてスキルを成長させた。
であるならば、鈴鹿が痛みを受けるイコール相応のリスクを取っていると捉えることもできる。それ故に、鈴鹿はどれだけの苦痛を受けようとも、それは自身の成長につながっていると紐づけられ、愉悦からくる哄笑が知らず知らずに出てしまう有様であった。
その光景はもはやホラーであり、見る者を総毛立たせるような狂気が渦巻いていた。
そんな鈴鹿の狂人ムーブによって、確かにスキルは成長していた。眼をつむり魔力感知と気配察知に集中することで、足元から発動される魔法を即座に察知でき、昼間の状態であれば目をつむっていても、隠れ潜む迅夜虎豹をほぼ正確に把握することができるようになった。
見えざる手も今や4本出現させることができ、迅夜虎豹の魔法が発動すると同時に見えざる手によって粉砕することができるようになった。だが鈴鹿本体と同じ力はまだ出力することができず、迅夜虎豹本体の攻撃は複数の腕を使って何とか逸らすことが精一杯で、毒手を身に着ける前の鈴鹿の様に、殴りつけても見えざる手の方がダメージを負うような状態だった。それでも高速思考のおかげで四本の腕を自由自在に行使できるようになり、スキルを自分自身のものにしつつあった。
そんな修行と呼ぶにはあまりにもあれな過酷な戦いを日中行い、ようやく本命となる二回目の夜が訪れていた。
ボロボロになってしまったユ〇クロから、即座に狡妖猿猴の防具へと換装する。こんな時はすぐに着替えられる一式防具はありがたい。
迅夜虎豹のギアが数段上がり、呼応するように鈴鹿のギアも上がってゆく。縛りを捨てようやく本気で戦える状態になった鈴鹿は、足元から無数に降り注ぐ影の刃を、見えざる手と毒手によってことごとく粉砕してゆく。
次第に魔法が鈴鹿を捉える機会が減ってゆき、無差別に魔法がばらまかれる。鈴鹿が迅夜虎豹の位置を正確に把握できないように、迅夜虎豹もまた鈴鹿を正確に捉えられなくなっていた。
スキルレベルが上がった気配遮断に加え、体術のスキルによる独特な歩法を組み合わせることで、鈴鹿は迅夜虎豹ですら簡単に補足できない領域まで上り詰めることができた。
迅夜虎豹は高レベルの気配遮断と気配察知を駆使して、姿を消して鈴鹿を追い詰める。鈴鹿は気配遮断と気配察知では足りない要素を、体術のスキルで補って迅夜虎豹を翻弄する。
少しでも足を止めれば、迅夜虎豹の分身体と本体が入り混じり鈴鹿に襲い掛かる。ピンチであるが、鈴鹿にとってはチャンスでもあった。
昼間の縛りプレイで急成長した魔力感知を駆使し、どれが本物でどれが分身かを瞬時に見極める。分身は見えざる手で対処し、本体は鈴鹿自身が迎撃する。
今までは振り下ろされる腕を毒手で弾いていたが、散々攻撃を喰らったことで見切りのスキルが万全に機能する。避ける動作は最小限に。爪を掻い潜り迅夜虎豹の懐へと潜り込む。地面を踏みしめる鈴鹿。毒手が昏く輝きを帯びる。
殺った。そう確信した攻撃であったが、結果は中途半端な手応えのみが残された。
迅夜虎豹は鈴鹿に攻撃を避けられたと判断した時には、姿を隠そうと全力でスキルを発動していた。だがスキルで姿が見えずとも消えるわけではない。鈴鹿の勘が導く迅夜虎豹に向けて拳を振るったのだが、芯を捉えることはできない中途半端な攻撃にされてしまった。まるで猫が撫でられるのを嫌がり身体を手に合わせて捩るように、迅夜虎豹も鈴鹿の拳の威力を見事に殺して見せた。
それでも、初めて通った明確な反撃。その事実に鈴鹿のテンションは最高潮に達した。
「どうしたどうした!? 隠れるか避けるしかできないのかお前は!! なら俺が芸を仕込んでやるよ!! まずはお座りからだクソ猫ぉォォオオオ!!」
鈴鹿のギアが最高潮を超えて上がってゆく。
攻撃を入れられた。この事実は大きい。一度入れられたなら次も入れられる。二回目があれば三回目もある。そこからはなし崩しだ。何においても明確なイメージを持てた方が成功する。攻撃を入れられるという確信を持った鈴鹿は、より的確に、より正確に迅夜虎豹を捉えてゆく。
朧気にしか判断がつかなかった迅夜虎豹の位置が、時間を重ねるごとに輪郭を帯び始める。あの辺にいるという大雑把だった感覚は、あそこにいると理解できるようになっていた。
鈴鹿は迅夜虎豹を追い詰めながらも、気配遮断と体術をフルに活用して迅夜虎豹が的を絞れないように動いてゆく。
攻撃が当たり始めても、最初は迅夜虎豹も攻撃の芯を逸らす様に動くことができていた。だが、鈴鹿の姿が捉えられなくなり、どこから攻撃されるかわからない状況では、いつまでも攻撃を受け流すことはできない。
鈴鹿と迅夜虎豹の間にはレベル50程の乖離があり、存在進化もまだの鈴鹿ではステータス上の攻撃力は低い。だが、毒手による極限まで硬質化した拳の威力は相当に高く、高レベルの体術や身体強化のスキルが合わさることによって、例えレベル差のあるエリアボスであろうとも十分にダメージを与えることができた。
時間をかければかけるほど、鈴鹿の見切りの精度は上がり迅夜虎豹の攻撃はかすりもしなくなる。逆に迅夜虎豹には着実に鈴鹿の攻撃によるダメージが蓄積されていた。
「ッッッ!!?? そんなこともできんのか!?」
地面から出現していた攻撃達が、突如空中のいたるところからも出現しだした。攻撃の起点であった濃い影という縛りが解かれたように、至近距離からも遠距離からも、前後左右に加え頭上に足元と空間を埋め尽くすように影の刃が入り乱れる。
唐突な攻撃の切り替えでも、鈴鹿は対処した。絨毯爆撃の様に隙間ない攻撃は避け切ることは難しいが、見えざる手のスキルによって文字通り手数が圧倒的に増した鈴鹿であれば、全ての攻撃を正面からねじ伏せることができる。
しかし、それは迅夜虎豹も承知の上。わかっていてこの攻撃をしているのだ。狙いは鈴鹿の位置の特定。縦横無尽に降り注ぐ闇の刃が弾けた位置に、鈴鹿はいる。
忍び寄る迅夜虎豹はまるで影から生まれ落ちた様にぬぅるりと出現し、鈴鹿へと攻撃を仕掛ける。だが、当然の如く鈴鹿は迅夜虎豹の攻撃を避けカウンターとして殴りつけた。
「来るとわかってたら対処も余裕だろうがッ!! 闇から魔法が出てくるってことは、影魔法じゃなくて闇魔法ってか!? 今更手札晒しても手遅れ過ぎんだよタマちゃんよぉおおお!!」
攻撃の密度が何倍にも膨れ上がる迅夜虎豹の奥の手も、鈴鹿には通用しない。昨夜であればなす術もなくひき肉にされていたであろうが、日中の間に強化された見えざる手によって、理不尽な攻撃にも真っ向から打ち合えるだけの力を手に入れていた。
「ヴォゥオ゙オ゙オ゙ッッ!!!」
鈴鹿に殴られ続け満身創痍の迅夜虎豹が、力を振り絞り姿をくらました。直後、低い唸り声と共に鈴鹿の魔力感知が地面に流し込まれた大量の魔力を感じ取る。
範囲攻撃。それも鈴鹿の位置を捉えられていないために、ここら一帯を巻き込んだ攻撃。流れる魔力から、鈴鹿は即座にそれらを理解した。
まるで剣山の様に、地面から隙間なく影でできた棘が出現する。一人と一匹の戦闘によって樹々がなぎ倒され岩が吹き飛び地面がめくれ上がった周辺一帯に全てを貫かんと生える棘は、迅夜虎豹にとっては次の攻撃への一手でしかなかった。
地面を封じた次の一手として、迅夜虎豹は宙を埋め尽くすほどの影の刃を展開する。影を起点として発動していたそれらの魔法は、その軛から解放された結果、影も何もない虚空からも次々に魔法が発現されてゆく。
鈴鹿をすでに捉えられなくなっていた迅夜虎豹は、捉えれらないならば全てを等しく攻撃すればいいと力技を敢行した。シンプルな作戦故に、回避するのもまた難しい。
無差別攻撃を回避するのは容易ではないが、防ぐことは容易い。見えざる手によって、鈴鹿は影の刃を叩き落としてゆく。これまでも何度も繰り返された光景。迅夜虎豹もまた、こうなることはわかっていた。わかっていて、この攻撃を選択したのだ。
影の刃が縦横無尽に行き交う空中で、見えざる手によって影の刃が迎撃されている箇所は一目瞭然であった。鈴鹿の位置を認識できていない迅夜虎豹であっても、それは同じ。この多重攻撃により、鈴鹿の位置が迅夜虎豹に炙り出される結果となった。
「ガァアアア!!!!」
可視化されるほどの濃密な魔力が迅夜虎豹から立ち昇り、一つの魔法が放たれる。
見えざる手によって宙を埋め尽くす影の刃が防がれた結果、ぽっかりと空いた空間。その空間を狙って、迅夜虎豹を何倍にも巨大化した顔が地面から現れる。まるで鯨が海面付近に追い込んだ小魚を丸呑みするように、大きく顎を開いた迅夜虎豹の分身は地面から飛び出すと、影の刃もそれを迎撃する見えざる手も全て等しく吞み込んだ。
空間一帯を口内に収めた分身は、重力に倣って影の中へと還ってゆく。まるで水中に沈むように消えた分身。迅夜虎豹は認識できない鈴鹿を捉えられたか判定できていないが、分身が破られることもなく影に閉じ込めることにひとまず成功したはずだ。
どれだけ殺しても死ななかった鈴鹿が、あっさりとこれで終わってくれるとは迅夜虎豹も思っていない。だが、奥の手を使ったこの封じ込めを突破することは容易ではないはず。迅夜虎豹は分身が沈んでいった闇を睨み、鈴鹿の次の行動を警戒していた。
「お前は何もわかっちゃいない」
唐突に迅夜虎豹に語り掛ける者がいた。
迅夜虎豹の目と鼻の先、手を伸ばせば迅夜虎豹の顔に触れられそうな近さに鈴鹿はいた。
「お前はもう、気配遮断も気配察知も俺に劣るんだよ」
鈴鹿の格好は、狡妖猿猴の防具ではなく、ボロボロの服に戻っていた。ところどころ貫かれたように穴が開いている。
鈴鹿は地面に迅夜虎豹の魔力が流れた瞬間、避けるために跳ぶことはしなかった。魔力を大きく消費してまで、鈴鹿が避けられる攻撃をする。それはつまり、その攻撃が回避行動をとらせることを目的とするものだと理解したからだ。
で、あるならば、避けなければいいだけ。狡妖猿猴の防具では避けずとも、多くの棘攻撃を防ぎ位置がばれてしまう恐れがあった。それならば一度狡妖猿猴の防具は引っ込め、身体強化も打ち切り、甘んじて迅夜虎豹の攻撃を受け入れた。
高ステータスを有する鈴鹿であるが、迅夜虎豹とのレベル差は50はある。存在進化すらしていない鈴鹿であれば、高レベルの身体強化をしなければ抵抗もなく地面から生える棘に身体を貫かれる。『聖神の信条』と高レベルの自己再生のスキルがあってこそできる捨て身の択。自身が刺し貫かれる痛みは勘定に入れない、敵を欺くための奇策。
棘に貫かれた鈴鹿は、直後頭上を飛び交う闇の刃を、まるでそこにいると思わせるように一部の空間を見えざる手によって防いだ。本体は地上にいて迅夜虎豹に迫っているというのに、鈴鹿を知覚できない迅夜虎豹はそれに気づかずほとんどの魔力を消費してまで虚空に向けて大技を放った。
大技を使った直後の硬直に、逆に鈴鹿が魔力を迸らせ大技を叩きこむ。
「いいかクソ猫ッ!! しっかり覚えろよ!! これがへそ天ポーズだァァアアアア!!!」
地面すれすれから上昇するように淡い残光をたなびかせ、鈴鹿の渾身の拳は迅夜虎豹の顎を正確に捉え巨大な迅夜虎豹をかち上げる。あまりの威力に打ち付けられた顎は原型を留めず、衝撃の余韻は迅夜虎豹を浮き上がらせ仰向けにひっくり返すほどの威力があった。まるで服従のポーズの様にへそを天へと晒した迅夜虎豹は、無駄にあがくこともなく巨大な煙へと姿を変えた。
巨大な煙は、余すことなく鈴鹿へと吸い込まれてゆく。まるで最初から一人しかいなかったように、その場には鈴鹿以外残されていなかった。しかし、なぎ倒された樹々やめくり上がった地面が迅夜虎豹との激戦があったことを証明していた。
「はぁ、疲れた。うげっ、もう1時すぎてるじゃん。日曜になっちゃったよ。時間かけすぎたわ」
腕時計の時刻を見れば、すでに日付を超えていた。
「今から野営の準備して、明日別のエリアボスと戦う……無理無理。風呂入りたい」
迅夜虎豹を倒したことで、鈴鹿も今回の探索には十分満足できた。もともとは二匹のエリアボスと戦う予定であったが、今から野営の準備して汚れを落とし休息して次に挑むような気力は湧いてこなかった。
「次回だな次回。次3匹倒せばいいだろ」
そう自分に言い聞かせ、鈴鹿はボロボロの服から狡妖猿猴の防具に一瞬で着替える。
「まじ便利だよなこれ。壊れないように大事にしなきゃな」
一式防具はよほどの損壊でなければ、収納時に魔力を消費して自動で修復される。損壊を恐れて大事に使うのは当然ではあるが、攻撃を受けて壊れないようにと、敵の攻撃を受けるような状態の時に何の防御力もない服に着替える探索者など存在しない。防具は相手の攻撃を防ぐから防具なのだ。
死なないという絶対的なスキルがあるからこそできる芸当であり、鈴鹿にとって一式防具はその防御力を期待して装備するのではなく、綺麗な服にすぐに着替えられるという副次的な効果を求めて利用していた。世界広しといえど、そんな贅沢な使い方をしているのは鈴鹿くらいだろう。
「さ、戻って風呂入って帰ろ。腹も減ったし、朝ラーメンとかやってる店ないかなぁ」
探索者協会内にある大浴場を目指して、鈴鹿は激戦の爪あと残る1層5区を後にするのであった。
■迅夜虎豹討伐によるステータス
名前:定禅寺鈴鹿
レベル:72⇒85
体力:623⇒688
魔力:655⇒753
攻撃:687⇒810
防御:648⇒734
敏捷:677⇒800
器用:638⇒712
知力:608⇒660
収納:285⇒337
能力:剣術(5)、体術(9)、身体操作(8)、身体強化(9)、魔力操作(7)、見切り(7⇒8)、強奪、聖神の信条、毒魔法(7)、見えざる手(1⇒6)、思考加速(6)、魔力感知(2⇒7)、気配察知(5⇒7)、気配遮断(6⇒8)、状態異常耐性(8)、精神耐性(7)、自己再生(8)、痛覚鈍化、暗視、マップ
■迅夜虎豹ドロップアイテム
忍びの外套、闇夜の雫、迅夜虎豹の爪・毛皮、迅夜虎豹の牙・上黒毛、中魔石、迅夜虎豹の宝珠
Tips:迅夜虎豹の攻略方法
迅夜虎豹は夜間にかけて大幅な強化が行われるため、戦闘は日が昇ってから午前中の内に開始する事。これが鉄則であり、前提である。夜間状態は存在進化を経ただけでは対処できず、レベル150で得られる種としての強化がなされた状態が適正な強さとされている。
迅夜虎豹は攻撃力は高いものの、他のステータスはそれほど高くない。最も厄介なのは姿をくらませる高レベルの気配遮断である。迅夜虎豹の基本的な行動パターンとしては、樹々や探索者の濃い影から魔法による攻撃を行い、探索者の注意が逸れたタイミングで姿を現し致命的な攻撃を行う。
攻略方法としては周辺の樹々を魔法により破壊し、影の領域を減らすこと。魔法は濃い影からしか発生しないため、光や火の魔法によって影の領域を減らすことや、市販の強力な光源を使用することも対策として挙げられる。また、魔力感知のスキルがあれば、攻撃の兆候を察知することも可能。
迅夜虎豹は姿をくらましはするが、その場には存在する。気配遮断は知覚することで解除されるため、低威力でもよいので広範囲の攻撃魔法を放つことで、存在を認識できるようになる。魔法を使える者は味方にも影響しないレベルの広範囲攻撃を常に行い、気配遮断を無効化した状態で戦うこと。気配遮断を封じることができれば、魔法による不意打ちにさえ注意すれば容易に討伐することができる。
なお、これはあくまで昼間の状態での話であり、夜間状態の迅夜虎豹では範囲攻撃を行っても知覚することができないため挑むことは非推奨である。




