11話 迅夜虎豹
5区のエリアボスを倒すとスキルを得られる宝珠をドロップするかもしれない。そんな心ときめくアイテムを求め、鈴鹿は八王子ダンジョン1層の最深部、5区に足を踏み入れていた。
「5区も慣れたもんだな。八王子も東京と一緒で樹海か」
4区の森林地帯の先は、より鬱蒼と樹々が生い茂る樹海となっていた。マップをみると少し形は異なるものの、東京ダンジョンと変わらない。もはや見慣れた景色だ。
少し離れたところにモンスターがいるが、鈴鹿はいつも通りスルーする。猿猴を倒したためもうレベルは上げても良いのだが、それはしない。
理由は単純、まだレベルを上げたくないからだ。鈴鹿のレベルは72。5区のエリアボスのレベルは120。レベルが上がったとはいえ、まだまだ鈴鹿の方が大きく劣っている。
猿猴戦ではそのおかげか、スキルレベルがどんどん上がっていった。まだまだステータスが大きく劣るレベル差のため、今回ももしかしたらスキルレベルが成長するかもしれない。その可能性に賭け、鈴鹿は他のモンスターを無視してゆく。
5区のモンスターは最大で100レベルのため、鈴鹿のレベルが100レベル近くになったら何匹か倒すとしよう。5区のモンスターなら有能なアイテムをドロップしそうだし、売ればかなりの金額になる。
そう思い、鈴鹿は樹の根がうねり巨大な石がそこかしこにあるでこぼこな道を軽快に進んでゆく。その間鈴鹿がモンスターに襲われることはない。
気配遮断のスキルもそうだが、体術のスキルレベルが7を超えた時から、気配察知よりも早くモンスターに気づくことができる様になった。モンスターを避ける動きもまるで地面を滑る様に移動し、足場の悪い樹海の中でも物音どころか気配すら隠して行動できている。
スキルレベル7からは達人クラスの領域だ。感覚が研ぎ澄まされ、自然と何ができるか理解し取れる選択肢が増している。世界の理の一端に触れているような感覚だ。全能感にも近い感覚と言っていいだろう。
レベルはまだまだ5区のモンスターと比べると劣るが、スキルレベルの高さで大きく上回っている。そのおかげで、モンスターを避けて移動することができるのだ。
「猿猴がいた場所から考えても、この辺りにいると思うんだよなぁ」
モンスターを避けつつ移動した鈴鹿は、1層5区の最奥へたどり着いた。基本的にエリアボスはエリアの奥にいるため、この付近を探索すれば見つけることができるだろう。
探すこと数十分。周囲が開けたいかにも何かいますと言いたげな空間に辿り着いた。
「なんもいないな。もしかして足を踏み入れると出現するタイプか?」
そんなモンスターは見たことないのだが、いかにもな空間なのに何もいない。徘徊でもしてるのだろうか。
「まさか他の探索者にすでに倒されてたりしないよな? 1日経てば復活するのは3区で経験済みだけど」
いない理由として他に考えられるのは、他の探索者がすでに討伐してしまった可能性。だが、この可能性は無いだろう。
深層ダンジョンである東京ならいざ知らず、ここは低層ダンジョンの八王子。八王子探索者高校の生徒の様にこれから成長していくレベルの低い探索者と、レベル100の存在進化の壁を越えられなかった探索者が活動しているダンジョンなのだ。
そんな探索者たちが高難易度で知られる4区5区に入り、あまつさえ5区のエリアボスを倒すなんてまず不可能だろう。5区のエリアボスとなればそのレベルは120。存在進化も無しに倒せるようなモンスターではない。
鈴鹿の場合は『聖神の信条』というチート級のスキルがあるからこそ挑めるだけであって、『聖神の信条』が無ければさすがの鈴鹿も今のレベルでエリアボスに挑むようなことはしない。他にも希凛たちzooがいるが、彼女たちも強いとはいえまだまだ4区を探索していることだろう。
そうなると、エリアボスが徘徊していて留守なのか、それともそれっぽい場所というだけでエリアボスとは関係ない場所の二択だろうか。
「ま、ここでちょっと待ってみて、来なければ移動すればいいか」
そう思い、広場の中央に向かって歩いた時だった。不意に強烈な悪寒と警鐘が頭の中で響き渡った。
「―――ッッッ!!??」
思考するよりも疾く身体が動いた。体術や身体操作のスキルが高レベルだからか、はたまた猿猴に数えきれないほど殺された経験からか、鈴鹿は身体を捻りその場を跳ぶようにして離脱する。
直後、都会の夜空を切り取ったような闇が通り抜けた。
「……なんだよ、最初からいましたってか? 奇襲したのに失敗してご立腹そうだなぁ」
鈴鹿が先ほどまでいた場所には、闇を纏う一頭の獣がいた。深い黒色の体毛はまるで濡れているかのように光沢があり、美しい毛並みをしている。あの毛でコートでも作れば、世の金持ち達がそれを求めて群がることが容易に想像できる。
そんな美しい毛並みの持ち主は、スラリとしたフォルムをしている。四足獣であり、見た目は豹や狼の様だ。虎やライオンの様なごつい肉体ではなく、猫の様に身軽な身のこなしをするために引き締まった体型をしていた。色も相まってクロヒョウを彷彿とさせる。
だが、サイズがおかしい。四つ足だと言うのに、頭の位置が鈴鹿よりも高いくらいだ。地面からの高さは2メートル近くあるのではないだろうか。頭から尻尾までの長さを測れば、その何倍の長さにもなる。
それに見た目もただのクロヒョウというわけではない。ピンと尖った耳は狼のようであり、手足や首周りの毛は長く立派なたてがみをまとっている。爪は鋭く口を閉じているというのに牙がむき出しになっていた。
5区の樹海では、昼間でも陽の光が樹々に遮られどこか薄暗い。それでも十分明るいのだが、目の前のモンスターは少しでも眼を逸らせば闇に溶ける様に認識することが難しかった。そこにいるのに、そこにいないように見える。遠近感が狂ったように視点がぼやけ、上手く認識することができない。
迅夜虎豹:レベル120
「猿の次は虎? 豹? まぁ、どっちでもいっか」
眼前にいるのはまごうことなき肉食獣。決して素手で挑むような相手ではないが、『聖神の信条』のデメリットのせいで装備することができないのだからしょうがない。
素手をより強固にするために、毒魔法で生み出した強固な毒の膜で手をコーティングする。手の動きに沿って動く柔らかさを持ちながら、触れると鋼鉄の様に堅くなる不可思議な毒。
こんな毒は地球上に存在しない。鈴鹿が毒魔法によって生み出したオリジナルの毒だ。この毒の目的は鈴鹿の拳をより強固にすること。鋼鉄よりも硬い特性を持ちながら、毒でもあるため触れれば毒に汚染されてゆく。体術による攻撃がメインの鈴鹿が辿り着いた、魔法であり武器でもある毒魔法の使い方であった。
「おっ? 消えたな……。どういうことだ?」
鈴鹿の戦闘態勢が整う頃には、迅夜虎豹は姿を消していた。眼を離したわけではない。先ほどまでいたはずなのに、気づけば消えていた。
鈴鹿が知覚できない速度で動いているかと言えば、そうではない。先ほどの不意打ちを躱すことができたのが何よりの証拠だろう。では瞬間移動でも使ったのかと言えば、即座に攻撃されているわけでもないので違うと思われる。瞬間移動が使えるなら、背後や死角から常に攻撃してくるのではないだろうか。鈴鹿ならそうするし、一度隠れる理由がわからない。
「だとすると、単純に姿が消える能力? 透明になれるなら姿を現した意味がないし、存在感を薄めるとか気配遮断とかその手の能力かな?」
透明化できるなら、姿は一切現さない方がいい。姿かたちがわからなければ攻撃のリーチも読み切れず、そっちの方が非常に厄介だからだ。だが、迅夜虎豹は姿を現した。それは初撃を鈴鹿に避けられ、その存在を認知されたからではないだろうか。
この現象は鈴鹿にも覚えがある。気配遮断のスキルを使用すると、認知できないモンスターは目の前を通っても存在を認識できない。だが近づきすぎたり攻撃すると気配遮断は解かれ、相手に認識されてしまう。これによって迅夜虎豹は鈴鹿の前に姿を現し、また気配遮断を使用して消えたのだろう。
気配遮断を利用することでほとんどの場合不意打ちが成功する。鈴鹿が迅夜虎豹の初撃を避けられたのは、猿猴という格上との戦いによる経験と、高レベルの各種スキルによる賜物だ。
「気配遮断って一度見破られると二回目使うの難しいのに……。レベル差か特化したモンスターだからかな。面白いな」
鈴鹿がモンスターとの戦闘中に気配遮断を再度しようとするならば、相手が認識できない速度で動いて死角に回り込むことで、ようやく再発動できる。だが、迅夜虎豹は目の前で姿を消した。迅夜虎豹とのレベル差が50近く離れているためか、それとも気配遮断のスキルレベルが高いからか、迅夜虎豹は好きなタイミングで消えることができるようだ。
静寂。樹々がさざめく音のみが聞こえ、迅夜虎豹がすぐそばにいるのか、はたまたどこかへ行ってしまったのかもわからない。
「うおッ!!」
気づけば目の前に迅夜虎豹がいた。腕を振り下ろそうとしており、その手には鋭利な爪が伸びている。
瞬間移動でもしたかのように目の前に現れた迅夜虎豹に驚く鈴鹿だが、その身体は流れるように迎撃の態勢を整えていた。
迅夜虎豹の爪と鈴鹿の拳。激しい衝突音と鮮血が舞い散った。鮮血の出どころは鈴鹿の拳。硬質化した拳が切り裂かれたが、『聖神の信条』と自己再生のスキルによって即座に回復される。
一方、迅夜虎豹は鈴鹿の攻撃によって手を弾かれていた。その状態から二撃目を放つことは無く、即座に闇に溶けるように姿を消す。獣の様にただただ攻撃するのではなく、気配を消して仕留めに来る。その様子から淡々と確実に息の根を止めるような、自身の得意を相手に押し付ける知能が感じられる。
「おいおいおい。まさかまさかの出血かよ! これでもまだ硬さ足りないって? 嫌になっちゃうじゃんか」
言葉とは裏腹に、鈴鹿の顔は喜色に染まる。
猿猴とすら正面から殴り合えるほど鍛えた拳が、迅夜虎豹の一撃で切り裂かれた。切断されるほど深くはないが、それでも傷を負った。
これは由々しき事態だ。
なんてったって、鈴鹿は剣だろうと爪だろうと何だろうと拳で真っ向から跳ね返せるイメージを固めて、毒手を創り出している。それなのに、鋭利な爪の攻撃を受けて出血してしまった。
つまり、鈴鹿の創り出す毒は未だ完璧には程遠いということ。
あれだけ鍛錬したというのに傷つけられたことに対する驚愕と、まだまだ高みを目指せる余地があることに対する愉悦が入り混じる。迅夜虎豹の攻撃を真っ向からはじき返せれば、鈴鹿の毒手はまた一段階上に行けるはずだ。
そして、鈴鹿の冷静な部分が迅夜虎豹というエリアボスを引き当てたことに歓喜していた。猿猴に似たエリアボスであれば、レベルが上がった今ならば、高レベルのスキルを駆使して倒すこともできるはずだ。
だが、迅夜虎豹は猿猴とは毛色が違うエリアボスだ。まるで暗殺者のように、淡々と気配を消してヒットアンドアウェイに徹している。今の鈴鹿では、気配を察知することすら困難なほど、気配遮断に優れているモンスター。
つまり、気配察知のスキルを上げなければ満足に戦うことも難しいということ。
「まるでダンジョンが成長しろって言ってくれてるみたいじゃねぇか!? なぁ!! お前はどう思うよタマちゃん!!」
吠える鈴鹿に、今度は側面から切りかかる迅夜虎豹。鈴鹿が迅夜虎豹を知覚できるのは、迅夜虎豹が攻撃モーションに入ってからだ。そのわずかな時間に、鈴鹿は即座に迅夜虎豹へ向き爪に合わせて拳を振るった。武器を持たない代わり、小回りが利く体術だからこその反応速度だ。
先ほどの焼き増しの様に、鈴鹿の拳は切り裂かれ、迅夜虎豹の爪は弾かれた。違うのは、霞の様に消える迅夜虎豹に合わせ、鈴鹿も気配遮断を発動して姿を消したことだ。
観戦者がいれば、どちらも姿が消えた様に映ったことだろう。だが、鈴鹿の気配遮断など意味がないと言わんばかりに、迅夜虎豹は正確に鈴鹿に爪を振り下ろす。
気配遮断に意識を割きすぎたせいか、迅夜虎豹の攻撃に反応するのが遅れ、なんとか地面に転がるようにして攻撃を回避した。
「クソがッ!! ちょっと汚れちゃったじゃねぇかよ!! どうしてくれんだ!!」
鈴鹿が起き上がったときには、迅夜虎豹の姿はなかった。しかし、鈴鹿は虚空に向かってキレ散らかす。
今の鈴鹿は狡妖猿猴の防具をまとっている。せっかく手に入った一式防具が、先ほど地面を転がったせいで少し汚れていた。それに対し鈴鹿は憤慨する。
一式防具は自己修復機能があるため、多少の傷であれば収納時に修復してくれる。だが、一定ラインを超えると修復されず、ただのボロイ服になってしまう。ただの汚れであれば何も問題ないはずだが、買ったばかりの物を傷つけられたような怒りが鈴鹿に湧いてくる。
特に、鈴鹿も気配遮断を使ったというのに、鼻で笑うかのように攻撃してくる迅夜虎豹に、トサカに来た。
「絶対許さねぇ。気配遮断で俺の事見失わせてやる。消えるのがお前の専売特許だと思うなよ畜生風情が」
こうして、傍から見れば消えては衝撃音と血が舞い、また消えては別の場所で衝撃音と血が舞う、観戦のし甲斐がない戦いが幕を開いた。




