10話 宝珠
狡妖猿猴との2ヶ月にわたる戦いに終止符を打った翌週、鈴鹿は八王子ダンジョンにいた。
そのまま東京ダンジョンの1層5区のエリアボスを制覇することも考えたが、八王子に戻ることを決めた。東京ダンジョンも八王子ダンジョンもお互い近い位置にあるダンジョンということもあって、出現するモンスターに差が無いと言われている。1層5区のエリアボスの情報は探索者協会の資料室に記載がないため断言できないが、恐らく八王子ダンジョンにも猿猴は出現するのだろう。
それでも東京ダンジョンに通い続けたのは、鈴鹿が倒せなかった個体の猿猴がいるからだ。その猿猴を倒した今、片道1時間もかけて東京ダンジョンに行く気力は無い。八王子ダンジョンと出現するモンスターが変わらないのであれば、なおさらだ。
他のエリアボスに挑むなら八王子ダンジョンでもよく、今日からは猿猴以外の1層5区のエリアボスに順次挑んでいく予定だ。
「4区はエリアボスどころか全部のモンスターと戦ってもいないんだけど……ま、しょうがないよな、あんなドロップアイテム見ちゃえばな」
4区探索中に正体不明と遭遇して猿猴に出会ったため、鈴鹿は4区のエリアボスはおろか全てのモンスターと戦ってもいない。それで言えば、5区の通常モンスターとも戦っていない。すべてを吹っ飛ばして猿猴を倒し、その勢いのまま他のエリアボスを攻略するつもりのようだ。
その理由は猿猴からのドロップ品にある。鈴鹿は1層5区の奥地を目指しながら、猿猴を倒した日のことを思い出していた。
◇
猿猴を倒したのは朝日が昇りだした早朝のことだった。2か月に及ぶ猿猴との戦いで慣れたとはいえ、飲まず食わず眠りもせずの戦いは疲労が凄まじい。
身体の不調さえ『聖神の信条』によって回復するが、精神的な疲れはどうしたって残る。その体調のまま『さぁ、次のエリアボスへ!』とはならず、鈴鹿は大人しくまっすぐ家へと帰った。
ぐっすり昼寝をして夕飯を済ました後、鈴鹿は猿猴との戦いを振り返っていた。
「いやー、やってみるもんだね。倒せたよ、あのお猿さん」
レベル52でレベル120のエリアボスを倒す。他の探索者が聞けば絶対に信じることはないだろうが、鈴鹿はやってのけた。『聖神の信条』の不死というチート級のスキルによるところが大きいが、挑み続けるという鈴鹿の狂気じみた意地があってこその偉業だ。
レベル52で倒せたから何か報酬が追加されるような嬉しい仕様は無い。ゲームの様にトロフィーや称号が貰える訳ではなく、レベルをコツコツ上げて、100を超えて存在進化してから倒しても報酬は変わらない。
だが、絶望的なレベル差の中戦い続けたことで、鈴鹿は今までとは比較にならないほどスキルを強化することができた。それが何よりの報酬であり、今後の探索者人生において大変貴重な期間であった。
「さて、レベルはどれくらい上がってるかなぁ」
この2ヶ月、レベルを上げないために徹底して他のモンスターと戦ってこなかった。その結果、猿猴と初めて遭遇した時と同じレベル52を維持することができた。猿猴を倒したことで莫大な経験値が入ったので、いったいどれだけレベルが上がったのか。
鈴鹿は逸る気持ちのままステータスを開いた。
名前:定禅寺鈴鹿
レベル:52⇒72
体力:491⇒623
魔力:488⇒655
攻撃:495⇒687
防御:490⇒648
敏捷:490⇒677
器用:491⇒638
知力:481⇒608
収納:205⇒285
能力:剣術(5)、体術(8⇒9)、身体操作(8)、身体強化(8⇒9)、魔力操作(7)、見切り(7)、強奪、聖神の信条、毒魔法(7)、思考加速(6)、魔力感知(2)、気配察知(5)、気配遮断(6)、状態異常耐性(7⇒8)、精神耐性(7)、自己再生(8)、痛覚鈍化、暗視、マップ
「おおぉぉぉ……お? あんまりレベル上がってないな。まだ72かぁ。90くらいまで上がるかと思ったのに」
格上も格上のモンスターを倒したので景気よくレベルが上がったかと思ったが、比べてみると20しかレベルが上がっていない。それでもこの上がり幅は鈴鹿にとって初めての経験なのだが、もうひと声欲しかったのが正直なところだ。
「やっぱレベル50超えるとしょっぱくなるってのは本当なんだな。ステータスもなんか差が出てきたし」
もともと4区探索を始めた時から、鈴鹿のレベルが上がるスピードはかなり落ちていた。4区のモンスターが手強く倒せる数が減っていたというのも関係しているが、もう一つレベル50を超えたからというものもある。
レベル50はヒト種としての強化が行われるタイミングだ。その強化が行われると、レベルやステータスにも影響を受け始める。
単純に今までよりもレベルが上がりにくくなり、レベルアップに必要な経験値が増えているのだ。それに、ステータスにも上がりやすいステータスと上がりにくいステータスが出始める。
例えば、鈴鹿の場合レベルが20上がったことで攻撃のステータスが192上がっているが、知力では127しか上がっていない。レベル50までは項目に関わらず一律で上がっていたのに対し、レベル50を超えると徐々に勾配が表れ、レベル100の存在進化を経るとそれがより顕著になる。
ステータスの増減は、それまでにダンジョンで築いた戦闘スタイルが反映されている。鈴鹿の場合、相手の攻撃を避けながらひたすら魔鉄パイプでぶん殴っていたため、攻撃や敏捷の項目が高いのだろう。一方、魔法はあまり使っていなかったため、魔法に影響を与える知力の項目が上がりにくくなっていた。
盾役の重戦士であれば体力や防御が上昇し、後衛の魔法使いは魔力や知力が上昇する。このように、探索者の戦闘スタイルによって振り分けられるステータスが変化していくということだ。
「知力が低いのは痛いよなぁ。毒魔法はもう必須の魔法だから、この先もバンバン使っていくって言うのに」
知力が低い反面、魔力は攻撃、敏捷に続いて3番目に高い。身体強化にも魔力は使うため、常に魔力を使い続けていたのが大きいのだろう。
「レベルはしょっぱいけど、スキルがまた3つも成長してる。しかもレベル9! それも二つ!!」
体術と身体強化のレベルが9まで成長していた。9と言えばスキルのほぼ最高地点。下手なユニークスキルよりも何倍も価値のあるスキルだ。それだけスキルが成長したからこそレベル差を覆して勝つことができたのだが、逆にいえばレベル差が無ければこんな異常なスキルレベルまで成長することはなかっただろう。
蠱毒の翁でさえ、毒魔法のスキルレベルは8だった。あれだけ毒魔法に傾倒していた探索者でもだ。それをたった2ヶ月で別のスキルとは言え追い抜いた。
それだけ過酷で濃密な2ヶ月だったのだが、驚異的な成長速度だ。猿猴との戦いは本当に実りある戦いだった。
「ここまで来たら是が非でも体術はスキルレベル10まで上げたいよな。『聖神の信条』と体術10によるゾンビアタックができれば、負けることないだろ。そもそも死なないし」
今回の猿猴も、鈴鹿の中では負けていないと思っている。渋々時間の関係で撤退したが、時間が許せば年末から今までぶっ通しで戦い続けても良かったのだ。その絶対に折れない意地と、絶対に死なないスキルが合わされば、鈴鹿が負けるより先に相手が根負けするだろう。
「じゃ、次は猿猴のドロップ品でも見ましょうかね」
年末以来モンスターを倒していないため、鈴鹿の収入は2010年になってからゼロである。実際は宝箱をいくつか見つけているので、アイテムを売れば多少は稼ぎになるが多くはないだろう。
それでも鈴鹿が余裕でいられるのは、実家暮らしであり普段からあまりお金を必要としていないこともあるが、それまでに稼いだ貯金があるからだ。
鈴鹿は去年の秋から4区の探索を行っており、4区の素材はその希少性から高値で買い取ってもらえた。その結果、鈴鹿の貯金は1000万円を超えており、『聖神の信条』のデメリットによって武器を必要としない今、必要な高額アイテムは防具くらいしかない。それも、どうせ猿猴との戦いでボロボロになるからと、毎回ユニ〇ロのジャージを購入して使い潰す生活をしていたため、出費も多くなかった。
これだけ貯金はあるものの、『双毒の指輪』をはじめとした強力な装飾品を購入しようと思えば、1000万円では心もとない金額だ。だが、今すぐに欲しいと思うアイテムもなく、命に直結するポーション類も今は必要ない。そのため、鈴鹿はお金について悩む必要がない状態だった。なんと幸せなことだろうか。
だからこそ、簡単に倒せない猿猴に固執することもできたし、モンスターを倒してアイテムを集める必要もなかった。
そんな鈴鹿の収納に、猿猴のアイテムが格納されていた。
「おお! 思ったよりドロップしてる! 5区のエリアボスだしドロップ率良いのかな?」
収納には全部で6個のアイテムと魔石が格納されていた。武器が二種類、防具が一つ、猿猴の素材が二種類、アイテムが一つ、そして中魔石。
魔石はレベル50から小魔石、レベル100から中魔石が確率でドロップする。今回レベル120のモンスターを倒したため、中魔石がドロップしたようだ。
収納から取り出し、鈴鹿は中魔石をしげしげと眺める。探索者協会にはさらに大きい大魔石まで展示してあったので、見たことはあった。だが、中魔石は個人が使用するような魔石ではないため、こうやって手に取って見たのは始めてだ。
大きさが違うだけで同じ魔石だが、内包している魔力は桁が変わる。これ一つで定禅寺家の半年分のエネルギーを賄うことができるだろう。
「そして武器二つかぁ。しかもこれは……ワンチャン装備できないかな?」
続いて取り出したのは、棍棒とナックルだ。どちらも等級は秘宝で、デザインもカッコいい。
棍棒はゴブリンやオークが握っているようなものではなく、見た目は孫悟空が持っている如意棒だ。猿繋がりだからだろうか。残念ながら伸び縮みすることはないようだが、込めた魔力に応じて重さが変わるという面白い性能の棍棒だった。
ナックルは鈴鹿が今最も欲しい武器であり、『聖神の信条』のせいで装備できない悲しい武器でもあった。メリケンサックのようなシンプルなものではなく、手から肘までを覆う形をしている。ボクシングのグローブのように柔らかな素材で相手に怪我をさせないものではなく、殴って相手を壊すための武器だ。
手首から肘にかけては硬質な毛で覆われ、骨のような硬い素材で守られている。まるで手甲のような作りのため、鋭い爪や剣の攻撃も簡単に防ぐことできそうだ。拳の部分は深い紫色に染まっており、毒々しい見た目をしている。武器の効果が魔力を流すと殴った相手を毒状態にするという、まんま毒手と同じ効果の武器である。猿猴も追い詰めたら毒手を使っていたので、あの攻撃を再現できるのだろうか。
もうすでにその答えに行きついているため今更必要ではないが、体術を極めるならばこういったナックルの一つや二つ装備して戦ってみたかったという思いもある。何より、カッコいい。
物は試しとナックルをはめてみる。装着自体は問題ない。手をぐーぱーしても大丈夫。だが、拳を握り少しでも攻撃の意思を見せた途端、手からすぽーんと音がしそうな勢いで飛んで行った。まるでロケットパンチである。
やはり『聖神の信条』の能力は健在で、スキルとして発現している以上、今後鈴鹿は武器を持って戦うことはできないのだろう。こういったカッコいい武器をゲットしても、眺めることしかできないのはなんとも歯がゆい。
猿猴を倒したことでレベルも上がり、各種スキルも大幅にレベルが上がっている。存在進化もまだではあるが、よほどのことが無ければ重傷を負うことはないだろう。いい装備に身を包めばなおさらだ。
そのうち『聖神の信条』の不死の能力も必要なくなるかもしれない。だが、『聖神の信条』があったからこそ鈴鹿は生きていられるのだし、『聖神の信条』があったからこそここまでスキルを鍛えることができた。
恩恵を受けるだけ受けて、要らなくなったら疎むなんてそんな不義理なことはしたくない。そもそも、『聖神の信条』の不死の効果はおまけであり、本質的な能力は聖魔法の神髄を得られることなのだ。どこまでいっても有用なスキルであり、不要になることはないだろう。
「やっぱ装備できないよなぁ。いっそ、格ゲーのキャラみたいに拳に包帯でも巻こうかしら」
少しは見栄えが良くなるだろうかと本気で考える。包帯なんぞ巻いたところで、鈴鹿の拳を護れるわけがない。人相手に殴り合いをするのとは訳が違うのだ。鋼鉄よりも堅い敵を相手に全力で殴り合うには、包帯ではあってもなくても変わらないだろう。
だが鈴鹿にとって無手はもはや問題ではなく、いかにカッコよくなれるかが重要であった。
「使わないとはいえ、これは売れないなぁ。とりあえず収納だな」
お金に困っていないので、泣く泣く売る必要もない。武器二つを収納に戻した後、猿猴の防具を取り出した。
「ん? なにこれ」
出てきたのは金属っぽい材質の丸い輪っか。名前は『狡妖猿猴の防具』とあるため防具だと思ったのだが、腕輪のように見える。
なんだこれ?と一瞬悩んだものの、すぐにピンと来て丸い輪っかを腕に通し、魔力を流した。すると、即座に装備が換装され、猿猴の防具に身を包まれていた。
『狡妖猿猴の防具』は一式防具であった。一式防具の特徴は普段は装飾品の形となっており、魔力を流すことで即座に防具に着替えることができる。常に防具を持ち歩くことができ即座に戦闘態勢に入れる一式防具は、その利便性から探索者が喉から手が出るほど求めているアイテムの一つでもある。
一式防具は猿猴のようなエリアボスや強力なモンスターからドロップするだけでなく、宝箱からも稀にゲットすることができる。持っている探索者は複数持っていたりするが、三級程度の探索者では生涯で一度も得られないことも多いアイテムである。
猿猴の防具の見た目は、防具というにはややラフな印象を受ける。動きやすさを重視された防具で、胸当てなどの硬い防具は使われていない。布だけでできている防具だった。頑丈な造りには見えないが、ダンジョンの防具は見た目とは裏腹に、魔力を流すことで攻撃の威力を減衰してくれる摩訶不思議な防具となっている。
金属でもないこの防具でも、魔力を流せば銃弾だろうが痛みを伴わずに無効化することができる。この手の防具は魔力を伴った攻撃でなければ防御力を貫通することができず、たとえミサイルを撃ち込まれても着用者は傷一つ負うことはない。
この装備ならば、鈴鹿がレベル100を超えれば猿猴の攻撃だろうと正面から受け止めることもできただろう。
そんな利便性もあり性能も兼ね備えた、レベル120のエリアボスからドロップした一式防具。売れば軽く1000万は超えるだろう。下手したら億も超えるかもしれない。
一式防具は宝箱から稀にドロップしたり、エリアボスや一部のモンスターでしかゲットすることができないため、市場にも滅多に流れない代物だ。仮にオークションにでも出品すれば、大目玉の商品になることは間違いない。
探索者は基本的にギルドに所属しているため、こういった防具はドロップしてもギルドの資産になるケースがほとんどだ。もちろんドロップした探索者へは十分な金銭が支払われ、現役中はその防具を使うこともできるだろう。だが、引退した後はギルドへ渡し、代々ギルドで運用される貴重なアイテムとなる。
こういった貴重なアイテムをどれだけ保有しているかで、そのギルドへの加入希望者の数が変わってくるのだ。『ダンチューバーの〇〇が使っていた武器を俺も使えるかも!』、『××ギルドの一式防具憧れるなぁ』、『△△ギルドは保有している武器の質が高いから、安定した探索が出来そう』などなど、数多あるギルドから選ぶための判断材料となる。企業であれば給料や福利厚生で魅力をアピールするが、探索者ギルドでは蓄えているアイテムと長年積み上げたダンジョンの情報量でアピールするのだ。
「一式防具かぁ……最高かよ。これだよこれ! 俺が求めてたアイテムはこれだったんだ!!」
部屋に鏡を置いていないため全身を確認することができないが、デザインもカッコいい。黒を基調としたズボンはダボっとしており、締め付け感がなく着心地が良い。上は白を基調としており、首元まで覆われたデザインだが、過度な装飾が無いシンプルな作りは鈴鹿の趣味に合っている。何より柔らかな素材だけで構成されているのでとても動きやすい。レベル120のエリアボスからのドロップ品であれば、性能も保証されているようなものだ。
それに一式防具は瞬時に換装することができるため、どんな服装でダンジョンに入っても大丈夫だ。
「猿猴との戦いでは何着の服が犠牲になったことか……。その補填だと思ってありがたく使わせてもらおう」
猿猴戦では、ダンジョン探索用に購入した鳴鶴製のジャージだけでなく、毎回ユ〇クロで購入した服をボロボロにさせられた。戦闘が終わって帰るときに、毎回木陰で服を着替えて帰る必要があったのだ。
レベル100超えのモンスターと戦う用の防具はすこぶる高く、ジャージの様に動きやすさを重視するものは滅多にない。そもそも、鈴鹿が鳴鶴製のジャージを購入したシーカーズショップで取り扱っている製品は、三級探索者までを対象としている。三級探索者とはレベル100以下の探索者。つまり、レベル120のエリアボスと戦うに足る防具は置いていない。
そんな防具を購入しようとすれば、探索者協会が開催しているオークションに参加したり、伝手を頼りにギルドや探索者に直接交渉するしかない。そんな伝手はないし、価格は4区で荒稼ぎした鈴鹿の稼ぎを持っても足りることは無いため、渋々毎回服をダメにしていたのだ。
この防具があれば、服がダメになることは無く、いちいち木陰で着替えて帰る必要もない。まさに鈴鹿が望んでいたアイテムであった。
ホクホク顔で一式防具を装備し、次なるドロップ品を確認していく。
「毛皮とか骨は素材系だから出さなくていっか。場所とりそうだし。この辺もそのうち売りたいよなぁ。貴重なアイテムだろうし、収納の肥やしにしておくのはもったいないよな」
有能なアイテムは正しく使ってこそだ。だが、それを今すぐ行うことはしない。まだ鈴鹿はレベル100にも満たない、駆け出しに毛が生えた様なレベルだ。そんな状態でエリアボスのアイテムを売れば、大いに注目される。注目されるだけならいいが、大手ギルドや企業から絡まれる可能性があった。
いつの世も権力を持つ者に目を付けられていいことはない。優しさにあふれる企業ならいいが、グレーゾーンを行き来するような連中に標的にされてはたまったものではない。このまま1層5区を完全制覇し、レベル100を超えてから素材を売るかどうかは考えればいいだろう。
「それで、これが最後のアイテムか」
そう言って取り出したのは、手のひらに収まるサイズの水晶のようなもの。ガラスのような透明で硬い素材で、中には煙のようなものが渦巻いている。
名前:狡妖猿猴の宝珠
等級:秘宝
詳細:階層主を倒した者に贈られる宝珠。使用すると階層主の力の片鱗を取り込むことができる。力の重複はせず、一柱につき一つの能力のみ得られる。
「力の片鱗?」
詳細を読んでもよくわからない。使用するとあるので、魔力を流せばいいのだろうか。
「もしかして毒ガスとか出たりしないよな? いや、取り込むってあるからそれは大丈夫、かな?」
宝珠を見れば、毒々しい紫色をした煙のようなものが渦巻いている。毒ガスと言われればそう見えるだけに、使用するのに躊躇してしまう。
「力の片鱗を取り込めて能力を得られるって、ステータスとかスキル増加系かな? そんなアイテム聞いたことないけど」
聞いたことは無いが、鈴鹿はダンジョンについてまだまだ全然知ってもいない。鈴鹿が知らないだけで、一部のギルドは知っているかもしれない。そして、そんな凄まじい効果のアイテムの情報は、秘匿されていても不思議ではない。
「まじかよ。本当か? ……確かめてみるか」
わからないなら試せばいい。
そう思った鈴鹿は、家を出た。何が起きるかわからないアイテムを家の中で使うのはリスクが高すぎる。そのため、鈴鹿は近くの公園にやってきた。
時刻は20時を過ぎているため、公園に人の気配はない。そこそこ大きな公園のため、広さも申し分ない……はずだ。
誰かに見られても厄介なので、気配遮断のスキルを発動して『狡妖猿猴の宝珠』を取り出した。
魔力を宝珠へ流してゆく。すると、宝珠は深い紫色に昏く耀ると、外側のガラスのような素材が空中に溶けるようになくなり、中に入っていた煙がまるでモンスターを倒した時の煙の様に鈴鹿へと吸い込まれていった。
ダメージを負った様子はない。たとえ毒だとしても、状態異常耐性のスキルレベルが8もある鈴鹿であれば、大抵は無効化してしまうだろうが。だが、それを踏まえても悪いものではなさそうだ。
「ダンジョンの外で煙を吸い込むのは新鮮だな。それで、これで何か変わったのかな?」
別に力が湧いてくるようなこともないため、半信半疑になりながらもステータスを表示した。
名前:定禅寺鈴鹿
レベル:72
体力:623
魔力:655
攻撃:687
防御:648
敏捷:677
器用:638
知力:608
収納:285
能力:剣術(5)、体術(9)、身体操作(8)、身体強化(9)、魔力操作(7)、見切り(7)、強奪、聖神の信条、毒魔法(7)、見えざる手(1)、思考加速(6)、魔力感知(2)、気配察知(5)、気配遮断(6)、状態異常耐性(8)、精神耐性(7)、自己再生(8)、痛覚鈍化、暗視、マップ
「……まじかよ、なんかスキル増えてるぞ」
家でステータスを確認した時にはなかったスキルが新しく発現していた。
名前:見えざる手
詳細:不可視の手を出現させ、意のままに操ることができる。スキルレベルに応じて扱える手の本数と、使用者のステータスが反映される割合が変化する。
「見えざる手……。あれか? 猿猴は腕が6本あったから、それに近づけてくれたってことか?」
猿猴は6本の腕と3つの顔を持つ三面六臂のような見た目をしていた。宝珠の説明には『階層主の力の片鱗を取り込むことができる』とあったため、このスキルで手を6本まで増やせと言うことだろうか。
「そう考えると、自分の身体から新しい手が生えてくるスキルじゃなくて良かった……いや、本当に」
探索者は存在進化の影響で見た目が人間を逸脱することはよくあるが、腕が6本になるのは望むところではない。
「それにこれ、かなり有能なスキルだよな。そこまで射程は長くないけど、慣れれば縦横無尽に攻撃できるんじゃね」
正面から殴りながら背後から『見えざる手』で相手を殴るなんてこともできるかもしれない。今はまだスキルに慣れていないため操るのに必死だが、思考加速のスキルもある鈴鹿ならば、そのうち慣れて自分の手の延長の様に使える日もそう遠くないかもしれない。
「いや、待て待て。それじゃない。スキルが凄いのはそうなんだけど、それよりも宝珠の方だろ。スキルを覚えることができる宝珠だって? そんなのありかよ」
スキルオーブなんて言葉は、前の世界ではラノベや漫画でよく耳にする言葉だった。スキルを得ることができるアイテムで、主人公なんかはよくチート級のスキルを授かっていた。
だが、この世界では聞いたことがない。ダンジョン七不思議など、噂レベルの情報を探せばあるかもしれないが、少なくとも公にはなっていない。
スキルを得られるぶっとんだ性能のアイテムを、自分だけが見つけることができた。そんな可能性はあり得ないだろう。
この1年でダンジョンが出現したのならそれもあったかもしれない。だが、ダンジョンができて50年以上経っているのだ。5区のボスからのドロップ品のため難易度が高いのはわかるが、自分だけとは思えない。
となれば、考えられるのは情報の秘匿。そもそも4区5区の情報は不自然なほど少なく、危険だから避けるべきと言われているエリアだ。
実際4区5区のモンスターは強く、この注意喚起があるからこそ探索者の死傷者は減っているのかもしれない。国からしたら探索者には安定的に魔石やアイテムを調達してほしいだろうし、この対策は当然だろう。
しかし、探索者は資源を持ち帰ることだけが役割ではない。他国に対する牽制の意味合いもかなり強い存在だ。
特級探索者がいるかいないかで国際的な立場は大きく変わってくる。だからこそ、戦後探索者の活躍が著しかった日本は、国際的に良いポジションを獲得できたのだ。
そんな日本が、探索者を確実に強化できるスキルを得られるアイテムを秘匿している。何故か。
「……ああ、秘匿じゃなくて制限してるとか?」
日本政府からすれば、安定した資源の供給と、他国へのけん制となる強力な探索者を欲している。であれば、一般的な探索者がスキルを得られるアイテムの存在など知る必要は無く、むしろ知ることで身の丈に合わない探索をして死ぬことを避けたいはずだ。
一方、特級探索者ギルドに入れるような将来有望な探索者には積極的に情報を開示することで、探索者の強化を図る。
これならつじつまが合う。
「つまり、特級探索者ギルドに所属すればこの情報も開示されているって考えた方が良さそうだな」
憶測の域だが、そう的外れではないだろう。下手に冒険心を持たせて4区5区を探索されれば探索者の死傷者数も増え、人が寄り付かなくなってしまう。ギルドに所属するのは探索者高校を卒業するタイミングだし、その時点では5区のエリアボスを倒すなんて生徒はまずいないだろう。であれば、一部のギルドのみ情報を持っていれば、必要な探索者に情報が行き渡る。
つまり、この情報は口外しない方がいいだろう。
「絶対剣神あたりは知ってるだろうな。あの強さの一端を知った気分だよ」
次に宝珠の入手方法についてだ。今の鈴鹿のレベルならば、まだまだ猿猴に挑むことはできる。レベルが上がって猿猴が表れなくなるまで宝珠を乱獲することもできるかもしれない。
だが、宝珠の説明にはこう書いてあった。
『階層主を倒した者に贈られる宝珠。使用すると階層主の力の片鱗を取り込むことができる。力の重複はせず、一柱につき一つの能力のみ得られる』
一柱につき一つの能力。つまり、猿猴を何度倒しても、宝珠で能力を得られる可能性は限りなく低い。それに、そもそも宝珠が何度もゲットできるかもわからない。ならば、確実に能力が得られるだろう別のエリアボスに挑むべきだ。
階層主というのが5区のエリアボスを指すのか、はたまた1層で最も強いモンスターを指すのかはわからない。仮に猿猴が1層の最強のモンスターであり、猿猴しか宝珠をドロップしないのならば、その時は2層に進めばいい。
「要するに、残りのエリアボスを倒せばいいってことだな」
ならば、ちょうどいい。どうせ4区を飛ばして5区のエリアボスを倒す予定だったのだ。その理由が一つ増えただけ。
見えざる手を発動させながらこれからのエリアボスに期待を弾ませ、鈴鹿は家路へとつくのであった。




