5話 魔法
1月最後の木曜日、鈴鹿は自室で頭を抱えていた。
「……勝てない。勝てないぽよ」
漫画のイメトレを始めてからすでに丸7日間猿猴と戦っているが、漫画の再現どころか未だに猿猴へ有効打すら与えられていなかった。
「漫画がダメなんてことは絶対にないはずっぴ……。大切なことは全部漫画に教わってきたんだっぴ」
もはや壊れておかしくなっているが、猿猴に毎度毎度タコ殴りにされて何度も何度も脳みそぐちゃぐちゃにされているので、気がおかしくなるのもしょうがない。ユニークスキルである『聖神の信条』であっても、気狂いまでは治してくれないようだ。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙、あ゙のエテ公をボコボコにしたいなりぃぃいいい」
呻くように呪詛を唱えるが、効果は発揮してくれない。当然だ。逆にそんなので死なれたら鈴鹿とてやるせない。
猿猴へ有効打は与えられていないものの、スキルは順調に成長していた。すでに体術のスキルレベルも7から8に上がっており、動きのキレも段違いに洗練されている。
状態異常耐性も7まで上がっているので、猿猴が本気で吐き出す毒以外は効くことすらなくなっていた。他にも、4区5区のモンスターに出くわさないよう気配遮断を使って慎重に行動していることで、気配遮断のスキルレベルも上がっている。
スキルの成長という意味では充実しており、鈴鹿の読み通りレベル52でレベル120の猿猴と戦うのはかなりのリスクを取っているとみなされるようだ。というか、それだけスキルを成長させないと倍以上あるレベル差は覆すことができず、死なないからこそできる無謀なスキルレベリングであった。
成長はできている。確実に強くはなっている。だが、このままではそのうち頭打ちする気配を鈴鹿は感じていた。
いずれスキルも成長しなくなり、結果レベルを上げてステータスを盛らなければ倒せないのではという雰囲気が、ひしひしと漂っているのだ。
「……それだけは嫌だぴ。絶対あいつはこの状態で倒すぴ。レベル52に倒されるクソ雑魚モンチッチとして煽り散らして勝つんだっぴ」
そんなしょうもない野望を掲げる鈴鹿は、どうにか倒す策はないかと改めて考える。
「不死の能力を使ったゾンビアタックは絶対強いと思うんだけどなぁ。そのゾンビが今弱い状態だからどうしようもないんだよな」
年末の時の様に、一週間近く戦い続けても猿猴はバテることがなかった。ゾンビアタックをし続けてガス欠を狙うというのは難しいだろう。
「となるとやっぱり俺自身強くなるしかないんだよなぁ。……そりゃそうか」
と、考えが堂々巡りしてしまい、いい案が出てこない。
「体術が9になればいけるかなぁ。攻撃は通りそうな予感はあるよな」
体術が10になれば言うことは無いが、9でもダメージは与えられそうな手ごたえはある。8でもかなり猿猴の攻撃を躱せるようになり、ダメージは入らないが攻撃は加えられるようになっているのだ。
あと少し。
だが、その少しが遠い。
「『聖神の信条』で拳強化してもいいんだけどなぁ。それすると他のスキルの成長阻害しそうだし、手ぇ出したくないんだよなぁ」
『聖神の信条』は不死を得られるだけでなく、聖魔法の神髄を会得することもできるスキルだ。聖神であるルノアが築いた聖魔法の妙技を行使すれば、今の鈴鹿でも猿猴を倒すことができるだろう。
だが、それをしてしまうと他のスキルの成長に繋がらない。猿猴を倒したい思いと、せっかく成長することができる機会を手放したくない思いがせめぎ合っていた。
「拳が柔らかいのが問題なんだよ。武器持てないのがきつすぎる」
体術スキルを極め、己の身体で戦いを挑む探索者もいる。彼らは小手やナックルの様に、腕全体を強化する武器を装着していた。鈴鹿もそれに倣いたいのだが、『聖神の信条』のデメリットである武器を持てないせいで、装備することができない。レベルが上がって身体自体が頑丈になれば話は変わってくるが、存在進化すらまだできていない鈴鹿では、格上に挑むにはまだまだ身体が柔すぎる。
「魔法使いなら別に武器持たなくてもいいんだろうけどさぁ、近接職にはきついよなぁこのデメリット」
魔法使いであっても武器が持てないのは厳しい。実際魔法をメインとする探索者でも、武器を握ってダンジョンを探索している。それは護身用という訳ではなく、しっかりと武器として活用してモンスターと戦うためにだ。
八王子探索者高校に通うzooのメンバーも、希凛は水魔法を使えるが槍を使っているし、回復魔法と毒魔法が使える猫屋敷も片手剣に盾を装備している。大規模パーティでもない限り、魔法使いであろうとも自分の身はある程度護れる必要があるのだ。
それに、魔法使いであろうともステータスは総じて上昇するため、レベルの低い近接職なんかよりも全然強かったりもする。
魔法職も無手は厳しいが、強力な魔法が扱えるのならば無手の近接職よりは火力が出せるだろう。それは鈴鹿にとって貴重な攻撃力のはずだ。
「そうだよなぁ、魔法使えればなぁ……ん? 俺魔法使えるよね?」
ガバリと起き上がり、自身のステータスを確認する。そこにはスキルレベル1ではあるが、毒魔法と書いてある。
「すっかり忘れてた。直接殴り倒したかったから選択肢として外してたよ……」
脳筋鈴鹿にとって、武器が持てない!?なら魔法で頑張ろう!よりも、素手で戦う!?やってやらぁ!の方がしっくりきてしまったのだ。
それに、鈴鹿が扱える魔法が毒魔法だけというのも、選択肢として上がってこなかった要因だ。鈴鹿が扱える毒魔法は、スキルレベルが低いため武器に毒の効果を付与することしかできない。毒魔法のスキルレベルを上げる『双毒の指輪』を使用しても、毒の霧を発生させることしかできない。
この程度の魔法で格上のモンスターを倒すというのは難しく、鈴鹿も無意識に選択肢から省いて戦っていた。だが、それはスキルレベルが低いからの話である。スキルレベルが上がれば毒魔法でも猿猴に有効な毒を創り出すこともできるだろうし、確実にダメージを負わせることができるはずだ。
実は最初から毒魔法に活路を見出していれば、今頃毒で倒せていたかもしれない。毒魔法のスキルレベルが体術と同じ8まで上げることができていれば、それも可能な気がする。
「いや、いやいやいや。今更素手で戦う選択肢を捨てることはできないよ。あくまでメインはステゴロだ、ステゴロ」
何のために体術のスキルレベルを8まで上げたと思ってるんだ。あと一歩なんだ。ここだけは譲れない。
「そうだ。大丈夫、落ち着け。俺は間違ってない。嘘も貫き通せば本当になるんだ。素手で戦うのは間違ってないんだ」
大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせる鈴鹿。
「……でもあれだよな。毒使ってるエテ公を毒でじわじわ追い詰めるのも楽しそうだよな」
歪んだ性癖の持ち主である鈴鹿。毒魔法は毒魔法で楽しそうだなと思いなおす。
「早速明日使ってみるか? というか、使わない手はないよな。せっかく覚えてるスキルだし。てか、なんで今まで使わなかったんだよ。馬鹿かよ」
殴り倒すことで頭がいっぱいになっていた鈴鹿。せっかく覚えている唯一の魔法を失念するなんて、とんだ大失態だ。
今まで使っていた『凪の小太刀』のように水刃を出せるような攻撃魔法が使えれば派手なので忘れなかったのだが、毒魔法は今まで積極的に使う様にしていたが、補助的な役割が多くあまり強さを実感していなかったためだろう。毒状態にしてもすぐ倒してしまうからあまり意味はないし、麻痺状態にしてもすぐ倒すから痺れていてもそこまで嬉しくない。
スキルレベル1ではやれることもそんなにないので、効果が実感できず忘れてしまっていたのもしょうがないだろう。うん。しょうがないのだ。
「そうと分かれば、毒のイメージが湧く漫画読むぞ! まってろよ猿猴。お前が毒で苦しんでコヒューコヒュー言いながら地面に這いつくばってる横で、優雅に焚火してお茶飲みながらゆっくりと死ぬのを見届けてやるよ!!」
眼がガンギマリしているサイコパス鈴鹿は、明日の猿猴戦に備えてイメトレをするのであった。




