4話 再戦
冬休み明けの金曜日、学校が終わるや否や鈴鹿は中央線に乗り込んだ。
身を包むのは何の変哲もないジャージ。特殊な素材も魔力を通しやすい素材も使われていない。当然防刃機能も何もない、ただ着心地が良いジャージだ。
夏休みに購入したお気に入りのジャージは、前回の探索でボロボロにされてしまった。二着買っていたためもう一着あるが、今回の探索でもボロボロになる可能性があるため、壊れる前提で市販のジャージを着ていくことにした。
目指すは東京ダンジョン。1層5区のエリアボスである狡妖猿猴を倒すために。
今回のダンジョン探索は、成人の日で祝日の月曜日の夕方まで行う。当然両親には事前に許可をもらっている。いつも通り夜ごはんに間に合うように帰ればいいのだが、八王子ダンジョンと違って東京ダンジョンは遠いため、いつもより早めに出なくてはならない。
東京ダンジョンも八王子ダンジョンも、1層に出てくるモンスターに違いはない。八王子ダンジョンの1層5区でも、エリアボスである猿猴は出現するだろう。であれば、近い八王子ダンジョンに行った方が効率的だ。
だが、鈴鹿はただ猿猴を倒したいのではない。鈴鹿が倒せず逃げなければならなかった、あの猿猴を倒したいのだ。
これが通常モンスターであれば鈴鹿も諦めたかもしれないが、幸いエリアボスなら常に同じ場所にいるため見つけるのは簡単だ。それに5区であれば探索する者も滅多にいないため、猿猴が倒されている可能性も低い。
完璧とは言えないが、鈴鹿もここ数日で素手で戦うシミュレーションはしてきた。今日その成果が明らかになる日だ。
「ふっふっふ。この三日間で5区のエリアボス制覇してくれるわ」
暗黒微笑を浮かべながら、鈴鹿は電車に揺られ東京ダンジョンを目指した。
◇
東京ダンジョン1層3区。丘陵地帯の3区にいる鈴鹿の目の前には、林が広がっていた。ここから先は1層4区のエリアだ。
気負うことなく鈴鹿は4区へ足を踏み入れる。森林エリアの4区を、鈴鹿は特に苦労せず走り抜けてゆく。レベル50を超えたことによる強化と、身体操作のスキルレベルが7になったことで、全ての動きが流れる様に滑らかにつながっている。
途中宝箱を見つけたら中身を回収してゆく。東京ダンジョンでも4区5区は探索する者が少ないのか、宝箱はちらほらと見つけられた。ぱっと見ではわかりにくいところに置かれているため見落としもあるだろうが、宝箱が目的ではないので探しはせずに進んでゆく。
途中モンスターも見かけるが、すべてスルー。ばれないように気配遮断のスキルをフル稼働させる。イメージがスキルに影響するという理論を提唱している鈴鹿は、気配遮断によって鈴鹿の存在がかき消されたイメージをしながら進んでゆく。
気配遮断のスキルも4まで上がっていたが、できればもっとレベルを上げたい。鈴鹿は悪党に絡まれた際、気配遮断のスキルで姿を消し、探し回る悪党の首筋にナイフを当て『ここだ』と言いたいのだ。そんなカッコいいムーブをするためには、気配遮断のスキルレベルを上げておく必要がある。『聖神の信条』のせいでナイフ持てないけど。
そんな鈴鹿のよくわからない野望にも必要だが、それ以外にも気配遮断のスキルレベルを早急に上げる必要があった。理由は4区5区のモンスターは下手な気配遮断では看破されてしまうためだ。
鈴鹿の現在のレベルは52。このレベルで猿猴と戦い、勝てなかったため尻尾を巻いて逃げ出した。だからこそ、その雪辱を晴らすためにはレベル52の状態で猿猴に勝つ必要があった。あのまま続けていれば倒せたんだぞという実績を積むために。
他のモンスターに見つかって戦闘になれば、レベルが上がってしまう可能性がある。5区のモンスターは最低でもレベル70であり、倒せば確実にレベルが上がるだろう。
逃げ出した時の状態で猿猴に勝つ。これは鈴鹿が定めた不合理な縛りだが、その縛りで勝つからこそ成長できるとも思っている。
『聖神の信条』によって不死となった鈴鹿は、ダンジョンにおけるリスクが減ってしまったと考えている。リスクとは命の危険度であり、不死とは最もリスクがない状態と鈴鹿は思っていた。リスクを取らなければスキルも成長しないしステータスも盛れない。
だが、少なくともレベル52の状態でレベル120かつエリアボスの猿猴と戦うことは、リスクが高いとダンジョンが判断しているようなので、その関係を維持したいという思惑もあった。
徐々に足元の草も少なくなり、樹々が鬱蒼としてきた。既に日も沈んで辺りも暗いのだが、星明りさえ遮るように枝葉が重なり合っているためより一層暗い。
だが、暗視のスキルが発現している鈴鹿は暗闇の影響を受けない。昼夜問わず戦い続けていたためいつの間にか発現していたスキルなのだが、かなり役に立つスキルだ。
「お、5区との境界線超えたな。気合い入れてくぞ」
エリアの境界を越えた感触に5区へと踏み入れたことを確認する。4区では他のモンスターに見つかることなく切り抜けることができた。この調子で猿猴の下まで行きたい。
闇に隠れる様に、けれども移動速度はできるだけ変えずに進み続ける鈴鹿。
気づけば、前回猿猴と戦っていた壁の場所まで辿り着いた。他のモンスターもいたのだが、気配遮断のスキルレベル4が効いたのか、はたまた鈴鹿のイメージによる補正が効いたのか見つかることなく移動できた。
「確かあっちに行こうとしてたよな」
鈴鹿が動かなくなったことで去ろうとしていた猿猴が歩いて行った方向へ、鈴鹿も進んでゆく。徐々に禍々しい気配が漂いだし、強者特有のオーラが感じられた。
「まぁ、さすがに気づくよな。不意打ちなんてするつもりなかったからいいけど」
狡妖猿猴:レベル120
鈴鹿の視線の先には、1層最強の一柱である猿猴が鎮座していた。大きな岩の上に座る猿猴の周囲にモンスターはいない。猿猴は他のモンスターと連携して戦うタイプではないようだ。
太く長い猿臂は6本も生えており、腕の数と対になるように顔も3つ付いている。まるで三面六臂の仏像のような風貌の猿猴は、かなり大きい。座っているだけでも3メートルは優に超えている。二本足で立てば5メートルはありそうだ。
そんな猿猴は、鈴鹿を見てもすぐに襲い掛かってはこない。前面の顔はこの世に飽きた様なつまらなそうな顔をしているため、そこから感情を読み取ることは難しい。
だが、鈴鹿は目の前の猿猴がこの前戦っていた猿猴だと確信を持てていた。鈴鹿の本能が、目の前の猿を倒して汚名を雪げと喚いていた。
「よぉ、久しぶりだなお山の大将……って、周りに子分もいないじゃねぇか。どうした? そのクセェ毒のせいで友達もいないのか?」
軽口をたたきながら全身に魔力を迸らす。身体強化の準備は万全だ。体術のスキルのイメージは、この数日でかなり補強した。まだ剣を拳で打ち砕くイメージは固まっていないが、妄想の中でなら何度も猿猴をぶちのめしてきた。
「前回の借り返し―――」
言い終わる前に目の前に猿猴の拳が迫っていた。巨大なその拳は、鈴鹿の上半身ほどのサイズがある。
まるで瞬間移動したみたいな速度に焦りながらも、なんとかバックステップで拳を躱す。が、猿猴の腕は6本ある。一本躱したところで、追撃の拳はすぐ迫っていた。
「ぐはッ!!」
一発目の拳に隠れる様に、少し遅れて振り下ろされた拳が鈴鹿を正面から捉える。何とか反応して防御するものの、たかがレベル52の防御がレベル120のエリアボスの一撃を耐えられるわけがない。
拳は防御を押しつぶし、顔にめり込み鼻を潰し歯を砕き、地面に叩きつけると鈴鹿は面白いようにバウンドしながらぶっ飛んで行った。だが、猿猴の攻撃はこれで終わりではない。鈴鹿が態勢を整えるよりも先に、猿猴が攻撃を仕掛ける。
手刀で鈴鹿の背中を打ち付ければ、背骨が耐えきれず逆に折れ曲がってしまう。即座に『聖神の信条』によって修復されるが、体勢を整えようにも神経系が一瞬でもやられたことで動きが鈍くなる。それを許す猿猴ではなかった。
鈴鹿の状態異常耐性すら貫通する毒を生成し、さらに鈴鹿の動きを阻害させる。毒で皮膚は爛れ内臓はドロドロに溶け、『聖神の信条』によって修復されるとはいえ耐えがたい痛みに苛まれるものの、鈴鹿は痛覚鈍化のスキルによってか、痛みなど感じないかのように猿猴へと反撃する。
猿猴の嵐のような攻撃を掻い潜り、ようやく入れた一撃。しかし、ダメージを負ったのは鈴鹿の拳の方であった。猿猴の防御を砕くことはできず、鈴鹿の拳の骨が砕け即座に修復された。
鉄板すらぶち抜くイメージをしていたというのに、結果は猿猴の腹にすら傷一つ付けられない始末。猿猴は6つの腕に加え尻尾を器用に使い、さらに毒による搦め手も交えながら鈴鹿に主導権を渡してくれない。
たまらず鈴鹿が引こうとしても、体格差もあって距離を開けることはできない。距離を詰めてインファイトをしようにも、素手の猿猴はインファイトもお手の物で、鷲掴みにされ全身の骨を握りつぶされた挙句、メンコの様に思いっきり地面に叩きつけられた。
地面でバウンドする鈴鹿に対し、猿猴は両手をハンマーの様に握り何度も振り下ろし鈴鹿を殺さんと攻撃してくる。だが、攻撃されても回復し続けるため、らちが明かない。猿猴が捕まえて引きちぎろうと手を伸ばした隙に鈴鹿は下がり、ようやく猿猴の猛攻から抜け出した。
「はぁ、はぁ。……オーケーオーケー。わかった、わかったよ」
あれだけの攻撃を喰らったというのに、鈴鹿は無傷だ。だが、新調したはずのボロボロのジャージが、先ほどまでの猿猴から受けた攻撃が幻ではないことを教えてくれる。たった一度の攻防だというのに、何の変哲もないジャージは見るも無残な姿になり、鈴鹿の血と土で元の色がわからないほど汚れていた。
「俺もな、うすうすは感じてたよ。漫画読んだだけで強くなれるなら、今頃俺はサ〇ヤ人になってるよな」
身体の調子を確認するように腕や肩を回す。妄想では今頃猿猴は鈴鹿に殴られてヒーヒー言っていたはずなのだが、妄想は所詮妄想か。
漫画で培ったイメトレは、体術のスキルレベルを上げることも猿猴に有効打を与えることもできなかった。しかし、鈴鹿は諦めない。
イメージがスキルに大きく作用する。この考え方は間違っていないと感じるのだ。ならば、想像力が養われる読書をして、イメージを具体化しやすい漫画を読むのは効果的なはずだ。
「まっ、まだ初回だしな。練習の成果を試す相手は事欠かないし、付き合ってくれよ」
「ヴォォォオオオオオ!!!」
鈴鹿の提案を拒絶するように猛る猿猴に向かって、鈴鹿はダル絡みでもするかのように何度も何度も何度も何度も突っ込んでゆくのであった。




