1話 元日
1月1日、元日。忙しない日本人が、1年で一番のんびりする日である。
「「明けましておめでとうございます」」
定禅寺家も例にもれず、元日は昼間からリビングで駅伝を見てのんびり過ごしていた。リビングに集まって挨拶を済ますと、おせちとお雑煮をつつく。ザ・日本の家庭である。
「もう、鈴鹿遅いわよ。元日までには帰ってきなさいって言ってたでしょ」
「ごめんごめん。ちょっと盛り上がっちゃって、遅くなっちゃった」
鈴鹿が家に帰ったのは11時。すでに全員起きてリビングに揃っていた。
鈴鹿もダンジョンから出た時には帰る時間の目安をメールしていたとはいえ、それまでの1週間連絡もつかなかったことに対する不満もあるのだろう。
「鈴鹿なら大丈夫って言ったじゃん。母さんは心配し過ぎだって」
「そうは言ってもだな、連絡もつかないと父さんも心配したぞ。1週間ダンジョンに入りっぱなしという訳じゃないんだから、次からは出てきたらちゃんと連絡するようにな」
1週間ダンジョンの奥地に籠ってましたなんて言ったら余計心配するだろうから、黙ってお雑煮を頂く。
「母さんお雑煮お替りある?」
「いっぱいあるわよ。おもちチンしてきなさい」
眩暈がしそうなほど腹が減っているため、できるだけ平静を装いながら大量に餅を消費してゆく。
「あんた昔っからお餅好きね。明日おじいちゃん家行ってもいっぱい出てくるわよ」
定禅寺家は明日からおじいちゃん、おばあちゃん家へ挨拶回りに行く予定だ。
「菅生受験大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。レベル上がってからめっちゃ成績伸びたしね。息抜きも大事大事」
センター試験を控える兄の菅生も、新年の挨拶周りに付いてくるらしい。試験までそう日も無いため心配する鈴鹿だが、当の本人は余裕そうだ。
秋頃は成績が伸び悩んでピリピリしていたのが嘘のようだ。やはりレベル上げによるステータスの上昇は、恩恵がでかいらしい。
ステータスの知力が上がることで脳の処理速度が上がり、暗記や内容の理解度が上がるだけでなく、問題に対する思考速度が上がることで1問1問にかける時間も短くなるため余裕ができる。いくら知力が上がっても素の学力が向上することはないため、勉強もせずに大学受験が余裕になる訳ではない。それでも、受験にはかなり有利に働くだろう。
「それもこれも鈴鹿のおかげだからな。お年玉くれてもいいんだぞ」
「なんで俺があげるんだよ」
「バイトもしてないお兄ちゃんに恵んであげようという気持ちは無いのかね!?」
そんな心優しい気持ちは微塵もないため、鈴鹿は無視して伊達巻を食べる。
「あ、鈴鹿お年玉。お父さんとお母さんから」
そう言って母親がポチ袋を鈴鹿に手渡した。ダンジョンで稼いでいるとはいえ、それはそれ、これはこれだ。
「使わない分は貯金しとくから渡してね」
「じゃあ全部貯金でお願い」
欲しいゲームも漫画も今は思いつかないため、そのまま母親に返す。金はあるので揃えたかった漫画も買いたい気持ちはあるが、置く場所も限られているし今はそちらに気を取られたくない。
漫画が大好きな鈴鹿は、一度読み始めると止まらなくなってしまう。今はダンジョンに傾倒していたいため、漫画読みたい欲もない今無理に刺激するつもりはなかった。
「ご馳走様。夜ご飯まで寝てると思うから、時間になったら起こして」
お腹が膨れたら今度は急激な眠気が襲ってきた。床でもいいから今すぐ寝たいくらいの睡魔だ。
「ガ〇使録画しといたよ」
「ああ、ありがと。今度見るわ」
そう言って、鈴鹿は食器を下げると自室へと入っていった。
◇
仮眠も取り、夕飯も食べ、お風呂も済ませたことでなんとか頭もスッキリしてきた。この程度で体調を戻すことができるのは、紛れもなく文字化けしていたスキルのおかげだろう。
正月の特番は見ずに部屋へ戻った鈴鹿は、今回の遠征先である東京ダンジョンで起きたことを振り返っていた。
「色々なことがあったからなぁ。まずは剣神と会ったことか」
東京ダンジョンを探索する前日、ダンジョンの下見に行ったら特級探索者に話しかけられた。考えるまでもなく、特級探索者に直接ギルドに誘われるなんて、探索者にとって望外の喜びだろう。
だが、鈴鹿の答えはNO。ギルドに所属するつもりが無いので断ったのだが、剣神は特に気にすることなく去っていった。
「勧誘のせいで周りからの注目凄かったからなぁ。やっぱ特級ともなると注目度が違うよな」
あいつは一体誰なんだと周囲が凄いざわついたので、鈴鹿は逃げるようにホテルへ戻っていった。
「それにしても、剣神は凄まじかったな。存在進化を2回すればあそこまで別格な力を手に入れられるのか」
探索者の最高峰、特級探索者。特級探索者に至る条件はレベル200以上、存在進化を2回成し遂げねば至ることはできない。
あのレベルを超えた先には何が待っているのだろうか。今から楽しみだ。
「まぁ、なんにせよ、上を見れてよかったな。自分はまだまだだと痛感できた」
八王子ダンジョンは低層ダンジョンなので、そこで活動している探索者たちもそこまでレベルが高くない。存在進化を迎えるレベル100を超えた探索者は、中層ダンジョンで活動しているためだ。その点、深層ダンジョンである東京ダンジョンでは剣神を筆頭に、存在進化越えの探索者がゴロゴロいるためいい刺激を受けた。
鈴鹿のステータスは依然として高く、レベルも50を超えたことで大幅に飛躍している。そのせいで、最近ではどこか他の探索者に対する緊張感が薄れていたような気がした。調子に乗って活動していれば、格上の探索者に囲まれて一方的にやられてしまう。まだまだ自分は探索者に片足を突っ込んだ程度のレベルで、鈴鹿より強い探索者が大勢いることを再認識できたのは大きい収穫だ。
そして、剣神と会った次の日、東京ダンジョン探索初日にアイツに遭遇した。
「正体不明。あいつ何だったんだろうな」
ダンジョンに出現するモンスターは、凝視すれば名前とレベルが表示される。だが、正体不明は一切情報を視ることができなかった。正体不明という名前は、鈴鹿が適当につけた仮称だ。
正体不明を見つけた時、鈴鹿の脳裏には剣神が最後に言った言葉がよぎっていた。
「『試練』……か。やっぱあれは試練に該当するんだよな」
『試練』について調べてみたところ、全てのダンジョンにおいて“ダンジョンの試練”というものは存在するらしい。東京ダンジョン含む深層ダンジョンは別名試練のダンジョンと呼ばれており、他のダンジョンよりも試練が起きやすいという特徴があった。
罠ではなく試練と呼ばれているのは、それを乗り越えた先に強力なアイテムやスキルを手に入れることができるからだ。
現在までに試練として定義されているのは二つ。モンスタートレインと特殊個体だ。
モンスタートレインは今回鈴鹿が行ったように、モンスターを倒さずに逃げることで発生する。モンスターが探索者の後を追いかけ、それが雪だるま式に増えていくことでモンスターの大群となるのだ。
これが通常のモンスタートレイン。だが試練のモンスタートレインは違う。いきなりモンスターの大群が前触れもなくやってくるのだ。
モンスタートレインを作った探索者が死んでしまい、そのままモンスタートレインが継続して他の探索者を巻き込んでいるという説もあった。しかし、事前に端末へ登録する探索予定を照らし合わせても該当する探索者は見つけることができず、世界全てのダンジョンで同様の事象が確認されたため、人為的なものという線は否定されていた。
ちなみに、試練は逃げ出すこともできる。モンスタートレインの相手が無理だと思えば、逃げてしまえばよい。しかし、それでは試練が起きた探索者がモンスタートレインを作ったと思われてしまう。
試練によるモンスタートレインと自発的に作ってしまったモンスタートレイン、これを見分けるためにも探索者たちは記録用ドローンを常にダンジョン内で起動しておくのだ。
そして、もう一つの試練が、特殊個体。恐らく鈴鹿が遭遇した正体不明は特殊個体という位置づけになるのだろう。
特殊個体は、通常そのエリアで出現するモンスター以外のモンスターのことを差す。大概が通常モンスターの強化種のようなモンスターで、エリアボス並みの強さを持つことが多いと言われていた。
だが、今回鈴鹿が遭遇した正体不明は、戦闘能力は皆無であった。素早さは鈴鹿の全力でも追いつけないほどだったため、エリアボス並みと言われれば納得するがそれ以外が弱すぎた。何の抵抗もなく鈴鹿の手は正体不明に入り込んでゆき、一切の抵抗も攻撃もしてこなかった。
考えられるのは、1層5区へとおびき寄せる特殊な試練。それか、正体不明に追いつけるかどうかの試練だろうか。
これについては現状調べてもピンとくるものは無く、特殊個体による試練だろうと仮定することしかできない。
「ま、正体不明はどうだっていいか。問題はその後、聖職者―――ルノアについてだな」
正体不明を倒した直後に発生した謎の空間。そして、その場にいた謎の男。あの場では名前など聞き取れないことも多かったが、その後で見た円卓の間ではルノアと呼ばれていた。恐らくそれが名前だろう。
「ルノアについても、考えて答えが出るような感じしないよなぁ。意味わかんないし。別の世界の人間?」
鈴鹿がルノアに会ったのは2回。正体不明を倒した時と、猿猴にボコされた時だ。
1回目はルノアも鈴鹿を認識していた。そのせいもあってルノアが発するプレッシャーが直接鈴鹿に向けられたため、その圧に耐えられず聞きたいことが全然聞けなかった。
「いや、あれはしょうがなかったよな。圧が半端なかったんだよ。圧が。それなのに変なところでテンション高くなるわ、会話は要所要所ノイズが乗って聞き取れないわ、すぐにいなくなっちゃうわで、あそこから十分情報を得られるなんて俺のコミュ力じゃ無理無理」
ルノアが纏う神々しいオーラ。あれは見る人が見れば神様だと勘違いして拝み始めてもおかしくない。敵意がないのは何となくわかったが、それでも内包する力が大きすぎてただただ恐ろしかった。
腹いっぱいのライオンがいる檻に一緒にいるようなものだ。腹が満たされているから襲われないと言われても、いつ癇癪を起して襲ってくるかわからない恐怖は相当なものだ。
1回目に会った時に知りえた情報は二つ。一つはスキルの効果で聖魔法が扱えるほか、武器が持てない代わりに自動回復してくれること。もう一つはまだスキルが身体に馴染んでいないから、スキル名は文字化けしているし聖魔法も使えないこと。
「スキルが馴染まないって意味わからんけどな。まぁ、ルノアが言うならそうなんだろう。少なくとも俺よりは詳しそうだったし」
そして、猿猴の毒に侵されて身体が崩壊していった時、2回目の邂逅を果たした。その時に知りえた情報も二つ。一つはルノアほどの実力者が複数いて、そんなメンツですら死んでしまう何かが存在していること。
まぁ、この情報はあまり有益ではない。どこの国かも、下手したら世界も違うかもしれない者たちの話なのだ。ルノアという探索者も調べて見た限りでは出てこなかった。あれほどの実力者で世間に知られていないなんてことは無いだろうし、陛下とか教皇様とか言っていたから本当に別の世界かもしれない。
これについては、ただ鈴鹿が衝撃を受けたというだけ。緩んでいた気が引き締まるという意味では、悪くない情報だった。
重要なのはもう一つ。聖職者の名前、ルノアという情報だ。たかが名前ではあるのだが、その名前を聞いた瞬間、鈴鹿の中で何かが形になった気がした。名前を聞いた瞬間、今までピントがずれたようにボケて見えたルノアの顔が見えるようになったのも、名前を知ったからなのだろう。
「ルノア……ルノア……聞いたことも心当たりもないな。ただ顔が見えるようになっただけの変化な訳ないしなぁ……あ、スキル? スキルが馴染んだとか?」
そういえば、スキルが馴染むって言われていたがいつ馴染むかは聞いていなかった。ルノアの名前を聞いた時に何かがハマった感覚を受けたが、もしかしたらスキルが馴染んだ感覚なのかもしれない。
そう思いスキルを確認するためにステータスを開いた。
「あ、文字化け直ってそう……え?」
ステータスのスキル欄。そこには鈴鹿の想定外の事が起きていた。




