閑話 定禅寺菅生
俺の弟はおかしいのかもしれない。
定禅寺菅生は、思わず天を仰ぎ見た。
「おい! よそ見すると死ぬぞ! 前見ろ!」
弟である鈴鹿が菅生を叱咤する。
わかってる。お兄ちゃんわかってるのそんなこと。ダンジョンでよそ見したら死んじゃうなんて当たりまえだから。
視線を戻せば3匹の酩酊羊が迫り来ており、少し離れた位置では土瓶亀が水球を生み出していた。
お兄ちゃんが言いたいのはね、そんなよそ見したら死んじゃうような状況を用意した愚弟の所業に、思わず天を仰いだんだよ。
「やってやらぁあああああ!!」
逃げ出しても首根っこ引っ掴まれてモンスターの前に投げ飛ばされることを何度も体験している菅生は、鈴鹿への恨みを力と勇気に変えて迫りくるモンスターに挑みに行った。
なんでこんなことになったのか。事の発端は自身の成績の伸び悩みから始まった。
毎日毎日頭がおかしくなりそうなほど勉強して、夏休みだっていうのに休んだ記憶もないほど根を詰めて受験勉強に励んだ。進学校と呼ばれる高校に通っていたため、周りも同じ境遇だったのでこれについて不満は無い。
夏は受験の天王山と呼ばれるだけあり、夏休み期間は自分なりに追い込んで走り抜けた。それは自信に繋がり、第一志望だってもしかしたら上げれるかもしれないという淡い期待まで抱いた。
しかし結果は無情。夏休み終わりに実施した模試の結果では、第一志望の大学の判定はC。前回のB判定よりも下がった結果になった。
この結果は菅生に衝撃をもたらした。自分の夏休みの頑張りが全否定された気持ちになった。学校では第一志望上げたとか推薦取れそうとか上手くいっている話ばかりが耳につき、塾では夏が終われば受験まであっという間だと掛けられた発破が菅生を追い込んだ。
その焦りが苛立ちに変わり、つい鈴鹿に当たってしまった。
俺の弟は変わっていた。いや、ダンジョンに行き始めてから変わったと言った方が正確か。
今までは菅生と似ていて、よく周りの大人からも兄弟で似ていると言われていた。それがダンジョンに行くようになってから大きく変わった。
見た目なんて血がつながっているとは思えないくらい美形になっていた。ようやく慣れてきたが、最初は弟相手にドギマギすることもあったくらいだ。変わったのは見た目だけじゃなく、ダンジョンで自信を付けたからか考え方が俺よりも大人びていた。
あれだけ容姿が整っていたら、さぞやダンジョン活動が上手くいっているのだろう。あれだけ支援が厚いと言われている探索者高校でさえ毎年死亡する生徒がいるというのに、鈴鹿は独学でダンジョンを探索している。
片や天才、片や志望校C判定。鈴鹿を見るたびに現実を突きつけられている様な気分にさせられ、鈴鹿が悪くないのはわかっているが辛く当たってしまうのだ。
そしたら怒るどころか、ダンジョンでレベル上げをしようなんて斜め上の提案をされた。一考の余地があると判断し提案を受け入れたが、やはり俺の弟は変わっていると再認識した。
しかし、最近はその評価も変わってきていた。
俺の弟は変わっているのではない。
俺の弟は狂っていた。
武道の心得もない、受験のせいで運動不足気味の兄上を連れてダンジョンに来たと思ったら、一人でモンスターと戦えと宣ったのだ。本気で鈴鹿の頭を心配してしまった。
育成所の内容は知っていたため、それに近い内容だと思っていた。育成所は高額なくせに得られるステータスは最低値だ。それでも恩恵は大きいが、鈴鹿の顔を見てしまうと少しでもステータスを上げたいという気持ちがあった。
だからこそ、もしかしたらよりステータスを上げるために鈴鹿がモンスターのタゲを取り、後ろから攻撃させてくれるかもと期待もした。ダンジョン探索が上手くいってそうだから、凄いアイテムを貸してくれれば俺でも戦えるかもと思っていたのだ。
ところが、ふたを開けてみたらちょっとしたバフの装備と剣を渡されて一人で戦えときた。俺がまだ見ぬ美女のために頑張れる男だったから良かったものの、下手したらあの時点で俺のレベリングは終わっていたかもしれなかった。
そんなスパルタを超えたサディストな鈴鹿に鞭打たれ、菅生は上々のステータスを手に入れていた。受験生にとって何よりも貴重な土日の時間をダンジョン探索に充てるというリスクを取ったが、恩恵は目に見えて発揮されていた。
記憶力が上がり、勉強の内容に対する理解度が格段に上昇していた。今まで頭の中で定着せずに抜け落ちてしまった公式たちが、しっかりと脳にしがみ付きすらすらと出てくるのだ。リスクに見合ったリターンを、菅生は実感していた。
それに容姿も大きく変わった。ダンジョンに行くたびにイケメンに変わっていく自分に菅生は浮かれ、モンスターと戦う足が軽く……はならなかった。
「だぁかぁらぁ!! 一人で戦うモンスターじゃないだろ!! 1対4だぞ!! どう考えてもおかしい! お兄ちゃんが怪我したらどうすんだよ!!」
「大丈夫大丈夫。むしろ周りに自慢できるぞ。そんな武勇伝語ってたら美女が放っておかないぞ」
「……確かにそうかもしれん」
「これを乗り越えれば、探索者サークルでモンスターにビビってる奴らを置き去りにしてアピールできるぞ」
「それはいいな! 俺の華麗な剣技見せつけたらハーレムパーティできちゃうよ!!」
大学には探索者サークルなんてものがあるらしいからな。今のうちに予行練習しておくのも悪くないかもしれない。
それに今は鈴鹿がいる。なんだかんだ言ってピンチだったら助けてくれるだろう。たまに数の多いモンスターを間引いてくれるが、動きが速すぎて気持ち悪いくらいだし。
「なぁ鈴鹿。もう俺レベル8だし、こんなもんでいいんじゃないか?」
「いや、ダメだ。レベル10まで上げると決めて始めたんだから、レベル10まで上げる」
受験にはもう十分な気もするが、鈴鹿は一度決めたことはなかなか変えてくれない。昔から頑固なところがあるが、今も変わらずなようだ。レベル上げに付き合ってくれるというのなら、ありがたく付き合ってもらうとしよう。
「なんだ鈴鹿。お兄様のレベル上げそんなにしたいのか」
「ああ。下手なレベルだと受験失敗しそうだからね」
「おい! 受験生になんて縁起の悪いことを言うんだ!」
「それは確かに。ごめんごめん」
探索を切り上げ軽口を叩きながら地上に戻り、いつものように戦利品を売却するため買取所に向かう。肉は鈴鹿が買い取ってくれるため、それ以外を売りに出す。数千円にしかならないが、高校生にとって数千円はでかい。
学力は上がり容姿も整いお金ももらえる。……俺も探索者になるべきか?
「定禅寺さん!」
菅生が真剣に将来を悩んでいると、名前を呼ばれた。振り返ると、知らない男たちがいた。歳は近そうだが、菅生に面識はない。
誰だ? もしかしてナンパか!? イケメンになりすぎて男から声がかかるようになってしまったのか!!??
恐らく声をかけてきたのは、真ん中にいる男だろう。ラグビー部にでも所属していそうなたくましい身体をした益荒男だ。容姿も整っている。それはつまり探索者として優秀だということだ。そんな男に抑え込まれたら、たかがレベル8の菅生ではなす術もなく薔薇色の展開に発展してしまう。
これはまずい。早々に断らなければならない。でなければ俺の貞操がやばい!!
「俺はノンケ―――」
「あれ、陵南さん。文化祭ぶりだね」
ナンパ野郎をお断りしようとした菅生だが、鈴鹿が返事を返す。
「ん? なんか言った菅生」
「いや、なんでもない。鈴鹿の知り合い?」
「そう。こちらは兄の菅生。で、こちらが探索者高校に通うParksの皆さん。あ、みんな高3だね。同い年」
同い年とは言われるが、整った容姿に自信に満ちた立ち振る舞いは、とても同い年には見えない。大学生かと思った。
Parksの面々は誰が見ても実力者の集まりだ。探索者は容姿によって強さがある程度わかるが、メンバー全ての容姿が整っており、揃った防具を着込む彼らはプロの探索者の風格があった。
菅生が衝撃を受けたのは、そんな実力者のParksの面々が、まるでスターにでもあったかのように鈴鹿に群がり敬っていたことだ。鈴鹿はため口で、明らかに格上そうなParksが敬語。ちぐはぐ感が否めない。
「お兄さんは定禅寺さんと一緒に探索するんですか?」
ポカンとしている菅生に、Parksのメンバーである上柚木が話しかけてきた。
「え、ああ、違いますよ。受験のためにステータス上げるの手伝ってもらってるんです」
「え! 定禅寺さんにマンツーマンで!? めっちゃ羨ましい!」
これは学校でも予備校でも言われたセリフだ。例え身内であっても、探索者の多くは育成所の真似事をしない。そもそも身内にプロの探索者がいることも少ないし、ギルドに依頼するとなると育成所よりも高額な報酬が必要になる。
だから周りの友人が羨むのもわかる。だが、同じ探索者の上柚木が喜ぶ理由がわからない。目の前の優秀そうな探索者から見ても、鈴鹿はすごいということだろうか。
「皆さんって鈴鹿と一緒にダンジョンに行ったりしてるんですか? あいつ強がってか一人で探索してるとしか教えてくれなくて」
そこでふと菅生は質問してみた。
鈴鹿は初めは友達のヤスとダンジョンに行っていたはずだが、ヤスは受験勉強でダンジョンに通っていないという。じゃあ、鈴鹿は今誰とパーティを組んでいるのか疑問が湧く。
鈴鹿式ブートキャンプが始まってから質問してみたのだが、『一人』としか回答が返ってこない。
変な奴らとつるんでる感じもしないし隠す必要はないと思うのだが、教えてくれない。女関係かと思ったが、デートしてる様子も夜な夜な電話してる感じでもないしよくわからなかった。
「まさか! 僕らじゃ釣り合わないですよ。僕が知る限り、定禅寺さんは一人で探索してるはずですよ」
「え、本当に? いや、それよりも釣り合わないってどういうことですか? まさか鈴鹿の方が深くダンジョン探索してるんですか?」
どこ探索してるのか聞いても、『1層』しか教えてくれない。昔はあんなに素直だったのに……いや、昔は昔で生意気だった。特に変わってないかもしれない。
「どこまで探索してるかはわからないけど、定禅寺さんの方が僕らより圧倒的に強いですよ。6人全員で挑んでも勝てないくらいには」
「え?」
いたって真面目に、上柚木は理解できないことを口にした。
「上柚木さんもおめでとう~。凄いね、準一級探索者ギルドに就職なんて」
「ありがとうございます! 今は存在進化を目指して頑張ってます!」
「わかる! 存在進化楽しみだよね! あ、菅生放っといてごめん。じゃ、そろそろ行くね。なんかあったら気軽に声かけて」
上柚木に疑問を投げかける前に、鈴鹿が切り上げてしまった。
そのせいで、疑問が解消されずにわだかまる。
「準一級探索者ギルドに就職できるような探索者が、束になっても勝てない?」
強いとは思っていた。危険で何が起きても自己責任のダンジョンに、まるで散歩にでも行くように出かけていて頭がおかしいとも思っていた。
でもまさかそこまで強いなんて考えてもみなかった。
この見た目だけは可愛らしく変化した弟は、一体全体どれだけ強いのか。菅生では想像もできなかった。
その夜。菅生は夕飯の後に両親に呼ばれた。
「勉強してたのに悪いわね。鈴鹿のことで聞きたいことあって」
「鈴鹿とのレベル上げは順調みたいだけど、危なくないか?」
危ないです。あいつはサディストです。何度も死にかけてます。とはさすがに菅生も言わない。両親が心配するし、鈴鹿を止めに入るだろうからだ。
「まぁ、ボチボチ。鈴鹿がポーション持ってるから、怪我しても大丈夫だよ」
「そうか。まぁ菅生もかなり男前になったからな。ステータスは順調に伸びてるんだろう。ただ、怪我して受験出来ませんなんて本末転倒だからな。無理せずにな」
わかる。俺も鈴鹿に何度もそう言った。でもあいつは聞きやしない。それでステータス低かったら何のためにダンジョン来てるかわからないだろ、なんて屁理屈こねて危険なモンスター連れてくる。やっぱり一度両親から叱ってもらった方がいいかもしれん。
「それで、鈴鹿って実際どうなの? ダンジョンで寝泊まりするなんて危なくないかしら」
元々鈴鹿が菅生のレベル上げを手伝っているのは、献身的な弟だからでは決してなく、ダンジョンで泊まりこんで探索するという目的のためだった。
泊まり込みが必要なほど深いエリアを探索しているのかと最初は思ったが、今日の話を聞いたら本当にそうなのかもしれないと納得できた。だから菅生は鈴鹿の背中を押す。
「鈴鹿はめっちゃ強いよ。それこそ一級探索者に成れるんじゃないかってくらい。だからダンジョンで寝泊まりさせてもいいと思う。ダンジョン探索続けるなら遅かれ早かれ寝泊まりすることになるんだし」
お兄ちゃんはお前を応援するよ。だから頼む。次からはもう少し弱いモンスターと戦わせておくれ。
その翌週。菅生の願いは鈴鹿にはかけらも届かず、探索者にとって絶対タブーとされているモンスタートレイン並みのモンスターを鈴鹿は笑顔で引き連れ、菅生は10匹以上のモンスター相手にたった一人で戦わされるのであった。




