15話 1層5区のエリアボス
戦闘描写により血などが大量に出るシーンがございます。
苦手な方はご注意ください。
エリアボスとは、そのエリアで最も強いモンスターである。各区にそれぞれエリアボスは存在し、5区では5匹のエリアボスが探索者の挑戦を待ち受けていた。
狡妖猿猴:レベル120
今鈴鹿の目の前にいる巨大な猿が、1層5区のエリアボスの一柱であった。
太く長い猿臂は6本も生え、身体は硬質な毛で覆われていてもわかるほど筋骨隆々だ。腕の数に合わす様に3つの顔がついている。前面の顔は全てに飽いた様な顔を、右の顔は奇人の様に狂気に染まった顔を、左の顔は相手を見下す煽るような顔をしていた。
2本であっても到底回避できないだろう相手に、腕が6本生えている。あれを縦横無尽に動かされたらなす術もないだろう。
じりじりと後ずさり距離を取る鈴鹿。そんな鈴鹿にゆっくりと近づいてくる猿猴。体格差が大きいために、少し動くだけでみるみる距離が詰まってゆく。
手をついて歩いているというのに、見上げるほどでかい。起き上がって2本足で立てば5メートルはありそうなほどだ。
大きさは強さに結び付く。質量が大きければ、それだけ一撃の重みも増してゆく。鈴鹿の胴体よりも太い腕から繰り出される攻撃を、鈴鹿は受け止めることもできないだろう。
威圧感が凄まじい。剣神や聖職者とは質が異なる圧だ。あの二人は鈴鹿に敵意を持っていなかった。ただただ人外というだけで、オーラの矛先がこちらに向いていなかった。
だが、猿猴は違う。鈴鹿を明確に敵として認識している。
いや、敵というのはおこがましい。おもちゃとして認識しているだろう。
そのために猿猴から向けられるプレッシャーは尋常なものではない。呼吸をすることすら難しく、立っている脚すら震えそうになる。
猿猴は鈴鹿に不用意に近づいてゆく。どうせ何もできないだろうと。何かしたところで大したこともないだろうと。
つまらなそうに感情のこもっていない顔が目の前に迫る。巨大な猿の顔はそれだけでも背筋が震えるような不気味さがあるが、それに加えこいつは桁外れの強さを内包している。
5区に出現する他のモンスター相手でさえ、ついさっきボロ雑巾のようにめちゃくちゃにされたばかりだ。文字化けしたスキルの自動回復が無ければ何度死んだことだろうか。武器を持てないデメリットはあるが、武器を持っていようが持っていなかろうが関係なかった。
こいつは、そんな5区のモンスターたちですら逃げ出すレベルのモンスターだ。あれだけ強かった5区のモンスターも、こいつと比べたら数段劣る。
鈴鹿の勝利条件はここから逃げのびることだ。レベル52の鈴鹿がエリアボスでありレベル120の狡妖猿猴に勝つことなど、逆立ちしたって無理だろう。逃げることすらできれば奇跡と言ってよいレベルだ。
とても逃がしてはくれなそうな猿猴が、絶望に染まる鈴鹿を愉しむように見下ろしている。だが、鈴鹿は顔を伏せっているため猿猴は見ることができない。追い詰められた人間がどんな愉快な顔をしているのか、猿猴は愉し気に顔を鈴鹿に近づけた。
だが、猿猴はわかっていない。
目の前にいるのは『ほぼどんな傷も瞬時に治してくれる』スキルを手に入れた存在。
武器が持てないからと言って、素手でモンスターに殴りかかる狂人。
治るとはいえ痛みは感じる。先ほどまで何度も死ぬような攻撃を受け、ショック死しそうなほどの痛みを何度も味わったというのに。
今鈴鹿を支配している感情は、猿猴に対する怯えでも、痛みに対する恐怖でも、これから受けるだろう扱いに対する絶望でもない。
「……こうが」
ぼそりと鈴鹿が呟いた。恐怖の悲鳴かとニタニタ嗤いだした猿猴の目に映った鈴鹿の顔は、赫怒に染まった顔だった。
「エテ公風情が見下ろしてんじゃねぇぞゴラァアア!!!!」
近づいた猿猴の顔面に渾身の拳を叩き込む。身体強化にありったけの魔力を込めた一撃は、体術(1)であろうともかなりの威力が内包されている。
辺りに響き渡る衝撃音。だが、猿猴はピクリとも動いてはいなかった。先ほどまでの退屈そうだった前面の顔が、狂気的な笑みに変わっている。
鈴鹿の全力の一撃を受けたというのに、怪我どころか何のダメージも受けていないと言わんばかりの顔。むしろ、ここに来て攻勢に出た鈴鹿を見て、最高のおもちゃを手に入れたような顔をしている。
ダメージすら受けなかった猿猴とは逆に、鈴鹿は堅すぎる猿猴の表皮に負け、攻撃した側の鈴鹿の拳が砕ける始末。拳は即座に回復するが、追撃を許すほど猿猴は甘くはなかった。
鈴鹿でも目で追えない速度で振るわれた拳が直撃し、恐ろしい速度で吹き飛ばされる。勢いが落ちることなく凄まじい速度で吹き飛び続け、壁にぶつかった。あまりの衝撃にクレーターすらできた壁にめり込んでいる。
トマトの様に潰れた身体から血が放射上に飛び散り壁を汚す。ボコボコと身体が修復されることで、めり込んでいた壁から吐き出されるように這い出た。
「おぼぇぇぇええ!!」
内臓が潰れたことで逆流した血が噴水の様に口から吐き出される。とっくに致死量分の血は流れ出ているのに、貧血すらならない。あるのは口の中に残る血が不快なだけだ。
何とか立ち上がるものの、もうすでに目の前には猿猴が立っていた。音もなく気配もなく、鈴鹿でさえ察知できないレベルで接近されていた。その事実だけで彼我の差を見せつけられたようだ。
猿猴の興味は鈴鹿に向けられている。それだけで空間が歪んでいると錯覚するほどに圧を受け、錯乱しそうになってしまう。
ケタケタと見下ろす猿猴を睨み付ける鈴鹿だが、猿猴の攻撃を視認することすら満足にできない現状では、逃げることすら難しい。
不意に手足が痺れ痙攣しだす。一瞬恐怖による震えかとも思ったが、そんなレベルの震えではなかった。
何をされたかわからないが、これは明確な攻撃だ。そう直感するも、理解した時にはすでに痙攣が全身に伝播し満足に動くことすらできなかった。まるで電気を流されたかのように勝手に震えだし、立つことすら危ういほどだ。
何の攻撃だ? そう思った時、ちらりと見えた手のひらには、水膨れのような無数の水疱ができていた。それを自覚した瞬間、全身を襲う猛烈な痒み。衣服とこすれるだけで発狂しそうになるほどの痒みだ。
痙攣で震えるのも気にせず、衝動を抑えきれず引っ搔きむしれば、水疱が破裂する。破裂した箇所から爛れる様に皮膚が腐り、腐った肌からまた水疱がぼつぼつと湧きだしてくる。
「がぁぁぁああ!! 痒い痒い痒いぃぃぃいい!!!!」
爛れた肌が全身に至り、針山に転がっているかのような鋭い痛みが襲い掛かる。痛いのに痒く、搔けば激痛とともに肌が爛れ腐ってゆく。鈴鹿は自分自身で身体を搔きむしり、全身を血で染めてゆく。
猿猴による攻撃、恐らく毒か何かだと思われるが、対処しようがない鈴鹿は成す術なく奇怪な踊りを踊るようにその場をのたうち回る。
その様子を愉しそうに眺める猿猴は、手を叩きながら嗤っている。
爛れた皮膚もスキルの影響か回復してゆく。しかし、回復よりも爛れが広がる方が早い。
いつそれに気づいただろうか。
痒くて痒くてたまらなく、少しでも和らげるために掻いていたというのに、いくら掻こうとしても掻けなくなっていた。見れば腕は手首から先が溶けてなくなり、すぐに肘に肩にと崩壊が進んでゆく。
両足も砕け、視界は失い、じわりじわりと、だが確実に毒は身体を蝕んでゆく。
「ァソ……」
声帯もやられたのか声すら満足に出せなくなる。
まだ溶けずに残っている片方の眼球には、煮えたぎる程の嚇怒が燃え盛っている。だが、手足を失い蟲の様に地面を這うことしかできない鈴鹿には、目の前のモンスターに攻撃する手段は残されていない。
もぞもぞと動き続けていたのもやがて収まり、最後の眼球も失った頃、鈴鹿の命は呆気なく終わりを迎えた。
◇
視界が闇に覆われ、瞬きをするようにゆっくりと眼を開くと、目の前には円卓があった。
円卓の席は5つ。すでに4人座っている。それぞれの後ろには一人ずつ従者の様な者が立っており、鈴鹿を除いてこの場には8人いた。席は五芒星のように等間隔で分けられており、空いている席は鈴鹿から見て五芒星の上に位置する席。鈴鹿はその空白の席に向かい合う様に、円卓の反対に立っていた。
現状がのみ込めない鈴鹿だが、一つだけわかることはある。
それは、この場の中で最も弱い者が鈴鹿ということ。
多くの者の見た目は普通のヒトではない。羽が生え角が生え、鱗に覆われ、毛に覆われ。それは存在進化を得た証左であろう身体への変化を持つ者たちだった。だが、それはレベル100で起きる存在進化ではないのだろう。
円卓に座る4人。全てが剣神を超える圧力を内包している。まるであの聖職者の様に、人という領域を軽く超えている者たちだ。視線を向けられただけで呼吸困難になりそうなほど、超越した力を持っている。
それは座っている者だけではない。後ろに控える者もだ。座っている者たちが別格過ぎて霞んでしまうが、後ろに控える者も剣神並みに強い。
この場にいる者たちだけで、どんな国も容易に攻め滅ぼせるだろう戦力が終結していた。
ガチャリ。ドアが開く音とともに、二人が新たに入室してきた。
「ごめんごめん、待たせてしまったね」
そう言って新たに入ってきた人物は、鈴鹿も知る人物、聖職者であった。聖職者は今日もフードを目深に被り、謝罪と共に空いている席に座った。今回もフードの中はピントが合わないようにぼやけて、その顔を見ることができない。他の人物は顔を見ることができるため、聖職者の能力か、はたまた鈴鹿だけ見ることが適わないのか、答えはわからない。
あの席が鈴鹿のための席でなくてよかったと心底ほっとしながらも、明らかに異分子である鈴鹿を一瞥すらしない聖職者の様子から、この場にいる誰にも鈴鹿が認識されていないということが分かった。
ってことは、ここは聖職者の記憶の中とか? 力を継承するとかなんとか言ってたし、その影響かな?
「教会のお偉いさんともなると忙しそうだな」
席に座る獣の男が文句を言う。いや、口調的にからかっているのだろう。それを受けた聖職者も愚痴を返すだけで不快に思っていなそうだ。どうやら彼らの仲は悪くはなさそうだ。
よかった。こいつらが睨み合うだけでも余波で死んじゃう自信あるぞ。
「さて、早速だけど本題に移らせてもらうね」
王子様。そんな言葉がぴったりな見た目の、天使の様な羽が生えた男が切り出す。
「楽しい話じゃないからいきなり結論から言うけど、我々はセピアローグ級は目指さない。アザンホルス級。これを以て探索を終了とする」
「えっ」
王子の言葉に動揺を見せたのは、聖職者のみだった。他の三人は話の内容を予測していたのか、それとも同じ考えだったのか。
「どうして? 僕らならセピアローグ級に至ることもできるはずだ」
「……そうだな。我々の誰かは、至れるだろう」
そう言って王子は二本の指を上げ、ピースの形を作った。
「諦める理由は二つある。一つは、陛下からの要望だ。どうやら、国は英雄を欲しても超越者は求めていないらしい」
国。ここは地球なのだろうか。場の雰囲気や各々の服装は地球とは異なるように感じるが、なまじダンジョンができたことで、見た目も服装も全て『ダンジョンだから』で片付いてしまうので判断が難しい。
「アザンホルス級は達成するだけで偉業となる。周辺国家を見ても、アザンホルス級はおろか、カトレナ級すら荷が重いだろう」
「帝国では最近、カトレナ級に達成した者が現れただろう」
「君も知っているだろう。帝国の彼ではそこが限界だ。断言しよう。我々が死ぬまでにアザンホルス級に手が届く者はいない」
その言葉に、聖職者は押し黙る。王子の言葉が正しいのだろう。
「そんなアザンホルス級の我々が、危険を冒してまでセピアローグ級に至る必要はない。我々がいればこの国は安泰だ。セピアローグ級に挑むことで下手に失うことを恐れているのだろう。陛下、それに教皇様からの要望でもある」
固有名詞が多く前提知識を持たない鈴鹿は理解しにくかったが、要するに『すでに十分強いのでこれ以上強くなる必要はない』と国王に言われた、ということだろうか。どうやら彼らがいるおかげで、彼らの国は平和が保たれているらしい。核保有による抑止力のようなものだろう。こんな化け物たちのいる国に攻めようなどと考える馬鹿はいないということだ。
「だが、それは外の意見だろ。陛下であっても教皇様であっても、僕らが従わないといけない理由は無い」
「そうだな。我々が只人の意見に左右される謂れは無い。あくまで、陛下も要望だ」
王子は中指を畳み、次なる理由を述べる。
「理由の二つ目、それはセピアローグ級に挑む場合、この場の半数以上が確実に死ぬことになるからだ」
その言葉に衝撃を受けたのは鈴鹿だけであった。そして、鈴鹿以外それを事実として受け入れていることに、さらなる衝撃を受ける。
こんな超越者たちですら死ぬ!? 一体何と戦うつもりなんだ? そんなモノが存在するのか? していいのか?
セピアローグ級が何を意味しているのか分からないが、少なくともこの場にいる者たちと同格以上の存在がいるのだろう。その事実に鈴鹿は衝撃を受けた。
「僕の魔法があるだろう」
「『愚者の奇跡』の事か?」
その言葉に、空気が変わったのがわかった。緊張、何か触れたくない後ろめたさ、そんな空気が場に流れる。
「アザンホルス級の時は助かった。あの魔法を僕に使う決断をしてくれた君に、心から感謝している。愚者などと卑下せず、聖者の奇跡と名前を変えてほしいと願う程にね」
王子が真剣に聖職者を見る。
「だが、このパーティのリーダーとして君に命令する。あの魔法はもう二度と使うな。いつまでもコインの表が出続ける訳じゃないんだ」
その言葉は命令というよりも、願望であった。
「それに、君が生き残るとも限らないだろ? アザンホルス級の時とは違う。セピアローグ級では確実に半数は死ぬ。リーダーとして、死ぬことが確定している戦いは許可できない」
死ぬかもしれない戦いと、死ぬことが確定している戦い。どうしようもない状況ならいざ知らず、自分たちに選択肢があるのであれば、あえて死ぬ道を選ぶことはない。
この意見を覆すのは難しい。告げた王子本人でさえ、断腸の思いという意思がありありと透けて見えた。葛藤の末の決断なのだろう。パーティメンバーであれば、より一層彼の苦悩も理解できるはずだ。
「……愚者の奇跡、か。僕が不死だったら挑めたのに」
ポツリと聖職者は告げた。
小さな声であったが、静まり返っていた円卓の間では十分聞き取ることができた。
それがおもしろかったのだろう。円卓に座る者たちは一様に笑っている。王子でさえ、苦笑いを浮かべていた。気づけば先ほどまでの陰鬱な空気は無くなっていた。
「はぁ~~、ほんと、武器も持たない攻撃魔法も使わない支援一筋で温厚な聖職者のあんたが、一番狂ってるわよね―――ルノア」
聖職者の名前。そう理解した時、聖職者―――ルノアと眼が合った。顔にかかっていた靄が晴れ、全容が姿を現す。恐ろしく整った顔、額からは二本の角が生えていた。印象的だったのは輝くように光る黄金の瞳。その瞳は完全に鈴鹿を捉えていた。
「君は―――」
ルノアが何か言いかけた時、世界が白く染まった
◇
「っは!?」
視界に映るのは円卓ではなく、鬱蒼と生い茂る樹々。気が付けば鈴鹿はダンジョンに戻っていた。
「はぁ、はぁ、何だったんださっきのは」
とても理解が追い付かない現象に、さっきから鈴鹿は置いて行かれている。まずは状況を確認しようとすると、すぐさま自分の身体の異常に気が付いた。正常という異常に。
「え、治ってる? 手も生えてるし……これもスキルの効果?」
薄れゆく視界の中、最後に見たのは手も足も崩れてなくなってしまう様子だった。だが、今は手も足も生えている。自動回復してくれていたスキルの効果だろうか。欠損すら治すとなると、いよいよ破格のスキルになってくる。
「そうだ、あの猿は―――」
鈴鹿は1層5区のエリアボスと戦っていた。いや、嬲られていた。そいつはどこにいるのか。そう思い振り向けば、猿猴は目の前にいた。
「ッッッ!!」
すぐさまその場を跳び退るが、猿猴は動かない。じっと鈴鹿を見るだけ。観察するようなその視線は、ひどく不気味に映る。
いけるか!? 今なら逃げれるか!?
即行動に移す鈴鹿。猿猴から遠ざかるように全力で疾走した。だが、数メートルも進めば猿猴にぶん殴られ、壁に新たな血の華を咲かせるだけだった。
観察タイムは終わってしまったのか、それとも鈴鹿が逃げ出したことに腹を立てたのか、猿猴は鈴鹿を殺すための攻撃を行う。
倒れた鈴鹿に猿猴が息を吹きかければ、今度は内側が腐っているのか強烈な痛みと吐血が止まらない。猿猴の息を散らさない限り、スキルの効果で治っても即座に毒の状態異常に陥り、血を吐き続ける。鈴鹿の状態異常耐性のスキルレベルでは、猿猴の毒を到底無効化することはできない。
どれくらい続いたのかわからない。血を吐き身体を搔きむしり、逃げては殴られ壁に染みを作ってゆく。
猿猴もそれを見ているだけではない。死なない鈴鹿に疑問を持ったのか、もがき続ける鈴鹿に更なる毒を吹きかけたり、六本の腕で殴り続けたり、引き千切ろうと引っ張ったりと、壊れないおもちゃを全力で壊そうとしていた。
それが丸一日続いた。
もはや痛みなど感じる機能は麻痺し、死の恐怖すら鈍化していた。文字化けしたスキルによって常に全快することで、猿猴からもたらされる痛みは常に新鮮な痛みとなって鈴鹿を襲い続けた。
猿猴が全力で鈴鹿を引きちぎろうと引っ張っても、千切れた傍から回復していくため、永遠に筋肉や皮膚が千切れ続ける痛みだけが鈴鹿を襲い続けた。雑巾の様に絞られたときは、背骨がねじ切れる音が頭蓋骨に響き渡り、血や体液がこれでもかと大地を濡らした。
それが夜を迎え朝日を拝み、再度夕日が差すまで続いた。
眠ることも何かを食べることもできない。それでも身体はスキルのおかげで動き続けるし、猿猴はいくら攻撃しても死なない鈴鹿に攻撃し続けた。
だが、それももう終わる。
どちゃり。
壁に叩きつけられた鈴鹿が、まるで人形の様に受け身も取らず落下して地面に落ちる。壁は汚れていないところを探す方が難しいほど鈴鹿の血で汚れていた。
鈴鹿が横たわる地面もそうだ。死なないが血は出続ける鈴鹿の血液によって、地面の一部がぬかるむ程血で染まっている。
鈴鹿を殺すために猿猴が暴れたためか、周囲の地形は変わっていた。樹々は折れ地面は陥没し、岩は砕け毒で汚染された植物が枯れている。それだけの戦場は、二人が戦った痕ではない。猿猴の攻撃を一身に受け続け、次第に死なない鈴鹿に苛立ちを抑えられなくなった猿猴による癇癪が、地形を変えるほどの攻撃を鈴鹿に浴びせていたのだ。
鈴鹿はその間、何度も何度も逃げ出そうとしたが、数メートルも進めたのが最高記録だった。鈴鹿の全力の逃走も、エリアボスである猿猴からしたら、よちよち歩き程度にしか映っていないのだろう。
幾度となく阻まれるように殴りつけられ、より強い毒を浴びせられ、それでも逃げれば壊れないおもちゃにイラつく猿猴の癇癪を一身に浴びせられた。
死への恐怖も薄れ、痛みが感じなくなるにつれ、鈴鹿の感情も薄れていった。もはやどんな攻撃を受けてもくぐもったうめき声しか出てこず、まるで本当のおもちゃの様に、立ち上がる気力すらも残っていなかった。
汚い地面に横たわる鈴鹿。それをつまらなそうに眺める猿猴。猿猴の苛立ちも鈴鹿への興味も、陽が沈むと共に収まっていった。
「ブゥルゥルルル……」
まるでため息を吐くような猿猴の声。今までの猛り狂った声とも、嘲るような煽る声とも、狂人のような何かにとりかれたような狂ったモノの声でもない。
あるのは落胆、呆れ、哀れみ。総じて関心を失ったモノの声。
その声に反応するように鈴鹿は猿猴を視る。動かなかった鈴鹿が動いたというのに、猿猴は一瞥するだけ。そこに興味はなく、路傍の石を見るかのようだった。
猿猴はすぐに視線を逸らせば、自分の巣にでも戻るのか歩き出した。まだ鈴鹿は死んでいないというのに。
1層5区のエリアボスである狡妖猿猴による執拗なまでに続いた責め苦は、猿猴が飽きたことで唐突に終わりを告げた。それを、感情がなくなった瞳で、鈴鹿はただただ見つめていた。




