14話 蹂躙
戦闘描写により血などが大量に出るシーンがございます。
苦手な方はご注意ください。
崩れ行く世界の中、鈴鹿は全快した身体に魔力を流し、身体強化を行ってゆく。
身体強化の巡りは良い。ここに来るまでに負った傷は全快し、傷跡一つ残ってはいない。まるで傷を負っていたこと自体が嘘のように思えるが、身にまとうジャージに沁み込んだ血が嘘ではないと教えてくれる。
正体不明を倒したことで、鈴鹿に一つのスキルが発現した。そのスキルは『聖■の■■』。文字化けしているこのスキルは、一人の男の力を継承したスキルだという。
その男―――聖職者曰く、スキルが文字化けしている理由は、まだ鈴鹿に馴染んでいないからと言っていた。
このスキル、もともとの内容は聖魔法を使えるようになるというスキルだったようだ。だが、何が起きたかスキルの内容が変化したらしく、その影響で肝心の聖魔法が使えなくなっていた。聖職者は馴染めば直ると言っていたので、そのうち使えるようにはなるのだろう。
ただ新しいスキルが使えないだけ。それだけならばよかった。だが、残念なことにこのスキルの能力はそれだけではなかった。
スキルの内容が変化したことで、鈴鹿は武器を装備することができなくなってしまった。武器として認識して持とうとすると、手から弾かれてしまうのだ。
これは由々しき事態である。正体不明をがむしゃらに追いかけた結果、鈴鹿は1層の奥地、5区まで来てしまっていた。ただでさえ5区に踏み入るにはまだまだレベル不足で絶体絶命のピンチだというのに、それに加え武器が持てない丸腰となるともはや笑えてくる。
一応武器が持てない代わりに自動回復的な能力があるそうだが、スキルが文字化けしてしまっているので詳細を見ることができなかった。聖職者が教えてくれていたが、声にノイズが入って聞き取れず、なんか怖くて聞き返せなかったので詳細は分からない。
怪我した瞬間から治してくれるのか、発動した後クールタイムが発生するのか、使用回数が決まっているのか、どの程度の怪我まで治せるのか。それらが全く分からない状態のため、この自動回復に頼るのは危険だ。被害は最小限にこの場を切り抜けることを念頭に置くべきだろう。
正体不明によってもたらされた世界に、ヒビが広がってゆく。亀裂から夥しい数のモンスターが見え、そのけたたましい鳴き声がこちらにも伝わってくる。
そんな中、鈴鹿は覚悟を決めた。やるしかないならば、やるしかない。
「ステゴロだ」
その言葉とともに世界は砕け散り、東京ダンジョン1層5区。樹海が広がるダンジョンの奥地へと戻ってきた。
全周囲をモンスターに囲まれていた。
音も聞こえていたし亀裂から様子も見ていたので、モンスターに囲まれていることは知っていた。だが、実際に見ると思わず腰が引けてしまうほど絶望的な状況だと、改めて理解させられる。
全てのモンスターが鈴鹿よりも高レベル。倍近いレベル差のモンスターもいるだろう。そしてここは5区。一体一体が強力なモンスターが跋扈するエリア。ステータスが高い鈴鹿であろうとも、適正モンスターのレベルは自分のレベルと同じ。レベル52の鈴鹿にとって周囲にいるのは格上のモンスター、それも複数通り越して大多数を相手にできるほど鈴鹿の強さは絶対的なものではなかった。
それでも、鈴鹿は生き残るために拳を握る。倒す必要はない。ここから生きて帰れれば鈴鹿の勝ち。
スキルのマップで現在位置を確認する。
「あぁ、これはまた、遠いねぇ……」
何も考えず正体不明を追いかけた結果、鈴鹿は1層5区の中でもより奥深い最深部付近まで来てしまっていた。まっすぐ4区へ抜けようとしても、かなり時間がかかりそうだ。
だが、そんな簡単にモンスターたちは道を譲ってくれはしない。
「ヴゥヴォォォオォオオオオオオオオオ!!!!」
山のように巨大な熊が大気を揺らすほどの大音量で吠えた。それを皮切りに、モンスターたちが動き出す。
黒鉄で覆われたような金属質の鎧に覆われた猪が、視認するのもギリギリな速度で突進を繰り出してくる。何とか横に転がって回避するものの、顔を上げると猿に囲まれていた。猿というにはでかく、ゴリラよりも大きいのではないだろうか。
醜悪な顔に無理やり笑みを張り付けたような悍ましい黄色の毛並みを持つ猿たちが、ケタケタと嗤いながら見下してくる。即座に立ち上がり手前にいた猿に殴りかかるが、体術(1)の鈴鹿の攻撃では掠ることすらできず避けられてしまう。
その直後、脳が快楽で支配された。
「ア……アヒャッ。イはヒひひぃヒイァいい」
あ、やばい。
警鐘を鳴らすその思考は、脳汁の濁流によって呆気なく押し流された。
薄暗い樹海の中だというのに、目の前で星々が爆発しているようにキラキラと輝いている。溢れ出る多幸感。降り注ぐ全能感。湧き上がる万能感。ふわふわと浮いているような気持ち。目の前が歪み重力から解き放たれ、まるで空に浮かんでいるように心地良い。快楽が脳を突き破り、全身を愛撫されているみたいだ。
この時間が永久に続きますように。どこまでも純粋な気持ちで祈ることができる。
「「「アキョキャッキャッキャキキィイイ!!」」」
気づけば周囲には家族やヤス、それにzooのみんなもいた。
なんだよみんな。俺が戦うところ見たいって? しょうがないなぁ。いいか、ちゃんと見とけよ? 酩酊羊なんてワンパンよ、ワンパン。
馬鹿の一つ覚えの様に突っ込んでくる酩酊羊に合わせ、鈴鹿は手を振り下ろした。
ドンッッッ
人間がトラックに跳ね飛ばされたような、重い重い音が樹海に鳴り響く。
先ほど鈴鹿の横を通り過ぎた黒鉄で覆われた猪が、猿たちの合間を縫い鈴鹿の腹めがけて突っ込んできたのだ。錐もみ回転しながら、ものすごい勢いで飛んで行く鈴鹿。何本もの樹々をへし折り、岩に衝突してようやく動きを止めることができた。
「ぼぉぉおえええぇええ!! ハァハァ」
内臓がめちゃくちゃになり大量の血が逆流して吐血する。血とともに身体の毒素も抜けたのか、先ほどまで浸っていた夢から目が醒めた。
悍ましいのに抗いにくく、甘美なのに身体が拒絶し、まやかしなのに心が求める。
麻薬だ。それも特級の。レベル50を超えヒト種としての強化を終えた鈴鹿にすら作用する劇物。
サウナにでも入ったかのような大量の発汗。視野が狭く焦点が定まらない。脳みそに直接棒を突っ込まれて混ぜ込まれているほどの頭痛。それらから逃げ出すために身体が勝手に猿の方へ足を向けるほどの依存性。
自制するとか心を強く持つとかそんなことは関係ない。身体が勝手に求めているのだ。そこに鈴鹿の意思は介在せず、破滅に向かう身体を止める術はない。
が、唐突に禁断症状が治まった。視界もクリアになり、思考も鮮明だ。思考加速によって即座に現状を把握する。
恐ろしい勢いで吹き飛ばされたというのに、身体の痛みは気づけば引いていた。あれほどの攻撃であれば、骨も内臓もボロボロになり身を起こすことすらできるかどうかの怪我を負うはずだ。だが、口に残る血の味が不快なだけで、身体は問題なく動く。
自動回復。これにより身体だけでなく、麻薬による精神汚染すら取り払われたようだ。
やばい。あの猿はやばすぎる。
初めて直面した強烈な精神汚染と呼ぶべき攻撃に、即座にこの場を離れるべきだと走り出す。目指すのは4区との境界。とにかく早くここから離脱する必要がある。
5区のモンスターは格上だと理解していたが、あの攻撃は骨身に沁みた。絶対に今のレベルで戦うべきではない。4区でレベル上げをし、段階を経て挑むべき場所だ。
走りだす鈴鹿。だが、簡単に逃がしてくれるほど5区のモンスターは甘くはない。駆ける鈴鹿を押さえつけるように暴風が吹き降り、鈴鹿をその場に縫い付ける。
「くっそ! 動けねぇ!!」
身体強化に魔力をいくら流そうとも、辺りの地形が陥没するほどの暴風からは逃れられない。一歩、二歩進んだところで、風の刃が降りかかる。
「ぐぅぅううううう!!」
身体を深々と切り裂かれるが、瞬時に治癒されてゆく。治されはするが、腕も脚も深々と切り裂かれ立つことすらままならず、風に押さえつけられるままに地面に這いつくばるしかできなかった。
一方的な攻撃。避けることもできない状態での攻撃は風に加え雷まで混じりだし、斬られては治され感電させられては治され、永遠ともいえる苦痛が鈴鹿を蝕み続けた。
風が止めば、地面には流れ出た血で水たまりができていた。出血死をしてもおかしくないほどの量が出ているが、鈴鹿は死んでいない。失った血はどのようにして補完されているのかは謎だが、貧血にすらならず立ち上がることができるなら、今考える必要はない。
確実に何度も死んでいるような攻撃を受けたにも関わらず、身体に不調は無い。痛みだけが鈍く残っているが、その痛みも余韻として残っているだけですぐに引いてゆく。
自分の中の怪我に対する常識とかけ離れた現象に、脳がまだ付いてこない。そのために幻肢痛のように怪我がないのに痛みを覚えているのだろう。しかし、そんなことを悠長に考えている時間も、鈴鹿には残されていなかった。
暴風が止んだ後、鈴鹿はすぐに動き出せなかった。身体は全快しているはずだが、精神が摩耗しているためだ。
休んでいる暇はない。少しでも4区へ行かなくては。
そう思い顔を上げると、壁が迫っていた。
―――ドォォゥゥォゥォォン
防御も何も間に合わず、凄まじい勢いで吹き飛ばされる。余りの衝撃と痛みで意識が飛ぶが、樹々に衝突した痛みで覚醒する。
吹き飛ばされた方を見れば、山のように大きな熊が手を振りぬいていた。あれだけ膂力があるモンスターからの一撃を防御もせず受けたというのに、鈴鹿はまだ生きていた。レベル差もあるため即死でもおかしくないだろうが、鈴鹿は口に溜まった血を吐き出すだけで身体は元に戻っていた。
『自動回復? そんなちゃちなものじゃないよ!』
聖職者が言っていた言葉だ。たしかに、自動回復なんてスキルがあったとしてもここまでの性能は無いだろう。怪我したそばから修復される。こんな破格な能力がいつまで発動してくれるのか不安でしかない。この効果が切れる前に、早く4区まで行かなくては。
しかし、回復するからといってモンスターたちの猛攻を防げるわけではない。むしろなかなか死なないことで、モンスターたちのギアも上がり攻撃が増してゆく。
逃げる鈴鹿を巨大な猿が掴み、まるで子供が癇癪を起して人形を叩きつけるように地面へ打ち付ける。視界が揺れて受け身もろくに取れずに地面に叩きつけられるが、鈴鹿は死なない。打ち付けられるたびに顔面が潰れ脳がリセットし、水風船を叩きつけたように辺りに血をまき散らす。それでも、鈴鹿は死ななかった。
何回、いや何十回叩きつけられたのか分からないが、猿は鈴鹿を思いっきり地面に叩きつけ手を離した。
地面にバウンドしながら転がってゆく鈴鹿。そこに地面から岩の槍が何本も突き出し、鈴鹿を串刺しにする。顔から槍に突っ込んだ鈴鹿は、顔も腹も胸も脚も槍に突き刺さるが、槍を押し出すように回復してゆく。
岩の槍を作り出した黒鉄の猪がさらに魔法で追撃を行う。魔力感知によって足元に魔力が集まっていることを知覚した鈴鹿は慌てて跳び退るが、それよりも早く地面が動き、両側から隆起した岩に挟み込まれてしまう。
「ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙!!!」
まるでサンドイッチの具にでもなったような格好だが、アイアンメイデンの様に両側の壁には数百の棘が生えており鈴鹿を圧殺せんと力が込められ続ける。身体に食い込んでは回復され棘を追い返し、また棘が身体に食い込み回復される。
回復するからこそ、無限に続く痛み。
眼がひっくり返りそうなほど見開き、喉が枯れるほど叫び続けるがそれすらも回復されてゆく。モンスターによって与えられる無限に続く痛みは、しかしモンスターによって解放された。
巨大な熊が鈴鹿を圧迫していた岩ごと破壊し、さらなる痛みを与えてくる。
巨大な熊は吹き飛ばされた鈴鹿を爪で切り裂くも、切り裂いた手応えはあっても鈴鹿は無傷で地面に倒れたままだ。何度殴りつけても、ヨタヨタと起き上がってくる。
業を煮やした巨大な熊は鈴鹿を持ち上げると、牙が生え揃う口へと持って行った。
「止めろッ!! クセェ!!! 死ね!!!」
バタバタと暴れるのを無視して噛み付く。どんなものでも砕いてきた自慢の口であっても、驚くことに嚙み切ることができない。
「あががががああああぁあががああぁああああぁあ!!!!」
どれだけ力を込めても噛み切ることができなかった。堅い訳ではないのに噛み切れない不思議な感覚。絶叫が響き渡るだけで、何度噛んでも噛み切れない。
どうしたものかと熊が思案した時、嫌な気配を感じた。その気配がなんであるのか理解している熊は、即座に手に持っていた鈴鹿を嫌な気配がする方にぶん投げると逃げ出した。
「クソッ……くせぇ。最悪だ」
放り投げられた鈴鹿は、フラフラになりながらも立ち上がる。怪我は全快しているため動けるが、何度も繰り返される痛みに気が狂いそうだ。
「……ハァ、ハァ。モンスターがいなくなった?」
周囲を見回すと、先ほどまでうようよいたモンスターたちがいなくなっていた。
なんでいなくなったのかはわからない。死なない鈴鹿に嫌気がさしたのかもしれない。理由はわからないが、逃げるなら今しかない。
逃げるために一歩足を踏み出した時、周りにモンスターがいなくなった理由が分かった。
背後から凄まじいプレッシャーが鈴鹿の足を止めた。先ほどまでのモンスターとは格が違う存在感。そのモンスターの興味を引いていることを自覚したとたん、呼吸すらままならなくなるほどの圧。
すぐに攻撃されることはなかった。鈴鹿は逃げ出すことを止め、その存在へと向き合った。
狡妖猿猴:レベル120
エリアボス。そこにいたのは、1層5区における最強の存在であった。




