12話 試練
時系列がわかりにくい展開となっており申し訳ございません。
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↑前話でのこの横棒以降の話(巨大な猿の話)は、少し先の未来の話となります。
こちらの12話では、前話で横棒前に正体不明を追いかけた続きの話となります。
そのため、巨大な猿や鈴鹿が倒されているシーンはもう少し先の話となります。
鈴鹿はダンジョンの中を走り続けていた。
視線の先には突如現れた正体不明のモンスター。昨日見た東京ダンジョンに出現するモンスターの資料には、あんなモンスターは記載されていなかった。
子供の様であり獣の様であり蟲の様であり妖精の様であり鬼の様であり悪魔の様であり天使の様である。二足歩行であり四足歩行であり空中を飛んでおり地中を潜ってもいる。不規則に不定形に不確かに。一度たりとも原型をとどめず様変わる謎のモンスター。
視界に収めるだけで悪寒と憎悪と恐怖と歓喜と狂気が綯い交ぜになり、正気を保つことすら難しい。情報が脳みそを圧迫し今にもふらついて倒れそうになる程だ。
それでも、鈴鹿は魅了されたようにそのモンスターから眼を離さない。まるで少しでも眼を離して見失うことを恐れる様に。狂気に染まった鈴鹿はそのモンスターを捉え続ける。
頭では危険だと警鐘が鳴り続けるが、直感がこれを逃してはならないと叫んでいる。
謎のモンスターは木々を縫うように駆けてゆく。木々が乱立し足元にはうねる様な根っこや絡みつく草が生い茂るが、ステータスで底上げされた鈴鹿はその全てを踏み付け超えてゆく。レベル50を超え強化された鈴鹿をもってしても、一向に距離が縮まらないモンスター。
速いわけではないのに追いつけない。まるでにんじんをぶら下げられた馬の様に、埋まらない距離を埋めるために全力で鈴鹿は駆けていた。
だが、ここはダンジョン。それも他のエリアよりもより強いモンスターが生息している4区だ。
鈴鹿が気配遮断のスキルを発動していようと、そこに住まうモンスターは易々と探知してくる。
斑蜘蛛が5匹巣を張って待ち構える下を、正体不明は潜るように抜けてゆく。当然鈴鹿も後を追うが、行手を阻むように斑蜘蛛は火炎を纏う糸を鈴鹿に向けて撃ってくる。
だが鈴鹿は止まらない。止まってしまえば正体不明との距離は開いてしまう。
握りしめる『凪の小太刀』から水刃を生み出し、燃ゆる糸へと放つ。高温の糸に水が触れたことであたり一面に水蒸気が発生するが、鈴鹿は気にもとめずその中を進んでゆく。
高温の蒸気の中を進むため燃えるような熱さを感じるが、鈴鹿の表情が苦痛で歪むこともない。
ただ。
ただひたすらに。
正体不明だけを捉え続ける。
例え手脚がもがれようとも鈴鹿は止まりそうにない気迫と狂気に満ちていた。まるで狂乱蛇擬の様に、鈴鹿は狂った様に正体不明を追いかけ続ける。
だが、鈴鹿の行手を阻むのは斑蜘蛛だけではない。3匹の薄刃蟷螂が羽音を響かせながら鈴鹿に迫りゆく。
今では2匹を相手にしても捌ける様になったが、3匹の相手はしたことがない。それに加え、今は薄刃蟷螂を視ることすらしていない。
薄刃蟷螂は鈴鹿に並走する様に飛ぶと、灰色に染まる両の鎌で斬りかかる。防刃製のジャージを着ているとはいえ、容易に切り裂かれそうな鋭利な鎌を視もせず、見切りのスキルに頼って避けてゆく。避け切れず切り傷が増えようとも、鈴鹿は決して止まらない。
正体不明はなおも逃げ続ける。その距離は縮まらない。
目の前には巨大な百足のモンスターがとぐろを巻いて待ち構えている。正体不明はモンスターだからか襲われないが、鈴鹿は当然標的にされてしまう。
壁の様に立ちはだかる百足を正体不明は地面に潜って通り抜けてゆく。鈴鹿も後に続こうとするが、百足は鈴鹿を阻むように溶解液を吐き出した。地面に落ちたそばから異臭と草が溶ける様を横目に、身体強化に魔力を注ぎ残像すら見えるほどの速度で躱した。
百足もそれでは終わらない。百の足が鈴鹿に襲いかかるが、少しの緩急をつけるだけで雨の様に降り注ぐ脚を躱して進む。躱した先には巨大な蟻が5匹、顎をギチギチ鳴らしながら待ち構えているが、一足跳びに頭上を通り抜ける。
次から次へと群がるモンスター達。数が増えれば増えるほど躱すのに時間を取られ、正体不明との距離が開いて行く。
正体不明との距離が開けば開くほど鈴鹿の集中力は増してゆく。感覚は上限無しに鋭さが増していた。正体不明によって掻き乱される思考の中、正体不明以外の全てを思考から削ぎ落とすことでなんとか引き離されず喰らいつく。
真っ赤に燃える様な真紅の蟷螂の攻撃を致命傷にならない程度に避ける。攻撃自体は当たるため肩口を斬り裂かれるが、鎌は高温に熱せられていたのか斬られた側から傷口が焼き塞がれ、出血はほとんどしなかった。
戦闘機の様なけたたましい羽音で立ち塞がる蜂の攻撃は、さらに身体強化に魔力を流し込むことで無理やり突破する。無理に強化したためか身体に激痛が走るが、鈴鹿の顔は痛痒に歪むどころか狂気に染まり笑みすらたたえていた。
目の前を硬質な蜘蛛の糸で塞がれようとも、今までの何倍も鋭い水刃が尽くを切り裂いて道を切り開く。
気づけば凄まじい規模のモンスタートレインとなっているが、そんなことに気を割く余裕はない。
ただただ、鈴鹿は正体不明を追い詰めるために走り続けるだけ。追い詰めた後のことなど考える必要もない。全てのリソースを割かなければ、決して追い詰めることなど出来やしないのだから。
少しずつ少しずつ、離された距離が縮まって行く。前からも横からも後ろからも上からも相変わらずモンスターは攻撃をしてくるが、傷を増やしながらも鈴鹿は止まらない。
ウォンーーー
何か膜を通り抜けた様な不思議な感覚。それと同時に降りかかる強烈なプレッシャー。
まるで立ち入る資格がないとでも言わんばかりに、周囲の圧力が劇的に増した。
そこは1層5区。最大レベル100のモンスターが出現する1層の深奥であった。
◇
1層5区に出現するモンスターのレベルは最低でもレベル70。対する鈴鹿はレベル52。5区で最も弱いモンスター相手でも勝てるかどうかのラインだ。
それが最低ライン。最も強いモンスターはレベル100であり、エリアボスにいたってはレベル120。鈴鹿の倍近いレベルのモンスターが跋扈するエリア、それが1層の深部だ。
鈴鹿は他の探索者に比べステータスはかなり高い。それこそ探索者たちの頂点である特級探索者を狙えるレベルのステータスとなっている。
だが、4区5区のモンスターはそんなステータスを盛っている探索者が適性と感じるほど、一体一体が強い。4区5区はステータスが盛られていることが前提。ここではどれだけステータスが高かろうとも、適性モンスターは同じレベルのモンスターになる。
鉄面猪:レベル83
鉄面猪:レベル85
奇猿:レベル76
奇猿:レベル71
煽猿:レベル82
冠角鹿:レベル79
雷鹿:レベル92
臥熊:レベル90
目の前には、鋼鉄な装甲に覆われた猪が眼で捉えるのすら困難なほどの速度で突進を繰り出し、見る者を不快にさせる醜悪に歪んだ笑みを浮かべる猿の大群は、縄張りに迷い込んだ獲物を嘲笑うように頭上の樹々を跳び移り、暴風を纏う立派な角を持った鹿が風の刃を避ける隙間もないほど放ち、樹々を薙ぎ倒し地響きを起こしながら巨大な熊が迫ってくる。
誰が見ても絶望的な光景。もはや抵抗する気力すら湧いてこないレベル。生き残れるか賭ければ、生き残れない方のオッズは1.0で賭けが成立しないだろう。
だが鈴鹿は違う。
そもそも、そんな光景すら視界に入っていない。
鈴鹿のレベルでは5区に足を踏み入れて5分も生きていれば賞賛ものだ。だと言うのに、鈴鹿は大量のモンスターを引き連れてなお生きていた。
全身至るところに大小さまざまな傷を負い、防具であるジャージは切り裂かれ焼けこげ鈴鹿の血を吸い、綺麗な場所を探すことの方が難しいほどボロボロだ。
それでも鈴鹿は生きていた。
正体不明を倒すために。
生きて、走り続けていた。
身体に流す魔力は加速度的に洗練され最大効率で身体を巡り、駆ける速さは衰えるどころか目に見えて疾くなっている。
鈴鹿の求めにスキルが応え、スキルが求める技量に鈴鹿は成長してゆく。結果、ステータス以上の疾さで正体不明を追い詰めてゆく。
雨霰の様に降り注ぐ攻撃を置き去りに、鈴鹿は加速する。
壁の様に立ち塞がるモンスターも、頭上から降りかかる暴威も、背後から迫り来る脅威も。全てを置き去りに鈴鹿は駆け抜ける。
あと少し。
あと少し。あと少し。
あと少し。あと少し。あと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少しあと少し。
ただただひたすらに。
何が来ようとも。どんな攻撃が来ようとも。
ただひたすらに駆け続ける。
正体不明が目と鼻の先。
背後には夥しいモンスターの数。地響きが起きるほどの踏み鳴らす音と、空気を揺らすほどのけたたましい鳴き声。
常人であれば恐怖とパニックで錯乱していてもおかしくない。しかし、そんな絶望の音も鈴鹿には届かない。極限まで正体不明に集中しているために、周囲の雑多な音など入る余地がない。
あと少し。
もう少し!!
5区は4区よりも樹々の密度が濃い森のエリア。樹海の様に深い森林は、頭上に幾重にも重なる枝葉が陽を遮るために、足元には草が生い茂ることはない。代わりにうねる木の根や大小様々な岩に苔がむし、湿った大地は足がとられやすくなっている。
その中を、正体不明と鈴鹿は駆け抜ける。樹々の間を縫うように、根を越え岩を越え、土も根も苔も踏みつけ駆け抜ける。
『うわぁぁあぁああああああ!!』
『止めて! 嫌ッ!! 助けて!!!』
『なんで!? どうして!? 嫌ぁあああああ!!』
一歩分距離が縮まると、絶望に染まった悲痛な叫び声が直接脳に響き渡る。胸を搔きむしられるような切なる助けを求める声は、身体を鈍らせ歩みを止めたくなるほどの力を持っていた。
しかし、鈴鹿は止まらない。
今の鈴鹿にとって、優先順位は正体不明を倒すこと。正体不明を倒すべきだという直感に従い、自己の生命よりも優先して正体不明を追いかけている。
そんな鈴鹿に対し他人の悲痛な叫びなど、直接脳に響かせようが表面を滑り落ちて消えゆくのみ。
もう一歩、正体不明との距離が縮まる。
『殺す!!! 絶対にお前を殺してやる!!』
『なぜこんな惨たらしいことができるんだ!!』
『許さない……許ざな゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙!!!!』
脳に響く声が恐怖に染まった声から怨嗟に満ちた声に変わる。
それでも鈴鹿は止まらない。
『やった! やったぞ!!! ついに……ついに認められた!!!』
『あぁ……■■■様! アナタ様のおかげで私たちは希望を持つことができました!!』
『ありがとう……。ありがとうございます……!』
怨嗟はやがて歓喜に変わり、高揚で浮足立つような気持ちにさせられる。
それでも鈴鹿は止まらない。
『俺たちを虐げた報いを奴らにも受けさせろッ!!!』
『アッハッハッハ!! どうだ!? どんな気分だッ!?』
『■■■様■■■様■■■様■■■様■■■様■■■様■■■様■■■様■■■様』
正気とは思えない怖気が走るほどの穢れなき狂気の声が、脳を揺さぶるように鳴り続ける。
それでも鈴鹿は止まらない。
一歩。また一歩。
正体不明との距離が縮まる。
絶え間なく姿が変わり続ける正体不明。子供の様であり獣の様であり蟲の様であり妖精の様であり鬼の様であり悪魔の様であり天使の様であるモンスター。
どれだけ追いかけたのかわからない。背後にいるモンスターたちはあまりの数に地鳴りすら起きている。
だが、それももう終わる。
正体不明との距離はもうほとんどない。
モンスターたちの攻撃によって千切れかけた腕に力を込める。人体の神秘か、スキルによる摩訶不思議な力故か、そんな状態の腕であっても『凪の小太刀』を握ることができた。
最後の抵抗とばかりに濁流のように押し寄せる様々な感情。脳の処理以上に押しつけられる情報によって目、耳、鼻、いたるところから血が流れ出る。
だが、それでも鈴鹿は止まらない。
止まる訳がない。
こんなことで止まるなら、初めから追いかけることなどしなかっただろう。
魔力で煌々と輝く『凪の小太刀』が、逃げ続ける正体不明の背中を捉える。あとは鞘から抜刀するだけ。
だが、その刀が振り抜かれることはなかった。
もはや無意識での行動だった。
脳では『凪の小太刀』を振りぬけと指令が出されているのに、その手は柄から離れ正体不明へと伸ばされた。
どぷりっ
そんな感触とともに正体不明に沈み込んだ手が、何かを掴み取った。
それを力任せに引き抜いた直後、世界が暗転する。




