10話 前乗り
12月24日。世間がクリスマスに浮かれる中、鈴鹿は電車に揺られていた。目指すは東京都心にある深層ダンジョン。通称試練のダンジョンだ。
鈴鹿の中学では明日から冬休みで、今日は午前中まで学校であった。東京ダンジョンは自宅からも通える距離ではあるが、電車で1時間はかかる。そのため昼食を済ませた後に現地入りし、今日はホテルに泊まって明日朝からダンジョンアタックを行うつもりだ。
でも、1週間も泊まり込みでダンジョン探索していいなんて、最近母さん緩くなったよな。菅生のレベル上げが終わってダンジョンで寝泊まりOKになってから、自立が認められた気がするよ。
冬休みは二週間近くあるが、今回の遠征は1週間だけだ。母親に冬休み泊まり込みでダンジョン探索すると伝えたところ、元旦には帰ってくるならいいとお許しが出たのだ。三が日には祖父母の家にも行くため、冬休み前半の1週間しか遠征できない。しかし、できるだけで最高だ。
東京ダンジョンは皇居のすぐそばにあるため、目的地は東京駅だ。東京駅は中央線で一本で行けるためアクセスも良くて助かる。
電車に揺られること1時間。東京駅についた。1週間の長丁場だが、荷物はこの前買ったバックパックとサコッシュのみ。ダンジョンで何度も寝泊まりすることで、荷物が大分洗練されるようになっていた。今ではただただ嵩張る薪は持ち運んでいない。
「とりあえずホテル行って荷物預けるか」
東京駅に降りて丸の内方面の改札を出れば、ホテルはすぐ近くだ。駅とダンジョンの間にあるホテルを借りた。時期もクリスマスイブだし立地もいいことから、ホテルの値段はなかなか高かった。
「うん。高いだけあるね。ちょっと引くほどいいところだわ」
ラウンジはラグジュアリーという言葉が似合う豪華絢爛でありながら、見事に調和のとれた落ち着きがあるフロアで、ホテルスタッフ一人ひとりの教育が行き届いているためプロとしての矜持が感じられた。併設されているレストランも、お見合いや結婚の顔合わせとかで使われていそうな格式と敷居の高さを感じられる。
「どうりで高いわけだよ。ここ普通に高級ホテルだったわ」
一番安い部屋のはずだがゆとりのある客室にバッグを置き、ため息をつく。明日からはダンジョンで寝泊まりする予定だから、ホテルに泊まるのは今日一日だけ。4区の稼ぎがえぐくて高くてもいいやと予約したが、中学生一人で泊まるにはもったいないクラスのホテルだ。
「逆に、子供だから多少場違い感あっても何とかなるだろ」
ドレスコードとか求められそうなホテルのため、ホテルを歩き回るのは気後れしてしまう。だが、鈴鹿は自分の容姿を客観的に見れていない。ステータスのおかげで顔面が国宝級になった鈴鹿であればどんな服でも完璧に着こなして見え、ドレスコードなど自分が今着ている服こそがドレスだと周囲に納得させることができる。
それに、鈴鹿の圧倒的な容姿を前に、ほとんどの人間、特に日本人は敬意を持って接する。ここまで容姿が整っている者は相当高位な探索者であり、今はまだ年齢も低い鈴鹿であっても、その将来は約束されたようなものだ。
昨今の探索者の犯罪によって探索者の地位が下がりつつある中、それでも一級や特級探索者に対する畏敬の念が強い日本。戦後の日本の立場を確固たるものにし、命を賭けて国力を底上げし、周辺国家に対する抑止力でもあるトップ探索者たちに、日本国民は感謝しているのだ。
故に、まだ子供である鈴鹿が高級ホテルに泊まろうともラフな服装で歩いていようとも、スタッフはおろか周囲の宿泊者から怪訝な顔をされることもない。そこにあるのは感謝の気持ちであり、その歳からダンジョンに身を置き成果を収めていることへの尊敬だ。
だが、そんな心の醸成は鈴鹿にはない。まだこの世界にタイムリープしてから半年かそこらしか経っていないのだ。前の世界とはダンジョン以外一緒なため、余計ダンジョンによって起きた変化に対して敏感に反応できておらず、常識が欠けているような状態だ。
そんな鈴鹿は、高級ホテルに肩身の狭い思いをしながらもなんとか部屋を抜けてホテルから出る。今日の目的はホテルに泊まることではない。明日の本番前に、事前に東京ダンジョンの下見をしておきたいのだ。
鈴鹿は八王子ダンジョンしか行ったことがないため、他の地域のダンジョンや探索者協会の作りを見ておきたかった。明日からダンジョン探索するのだが、その時着替えが入っているバックパックは協会のロッカーに預けておく予定だ。
鈴鹿の予定は、基本ダンジョンで寝泊まりし、2日間隔で協会に戻ってシャワーを浴びて服を着替えてすぐにダンジョンへ戻るというもの。こうすれば荷物はロッカーに預けておけるし、シャワーを浴びてすっきりすることもできる。それに、戻った時に物資も補充すれば良いので、協会内にあるコンビニもチェックしておきたい。
「寝るのはリクライニングできる椅子で十分だしな。この計画なら1週間ダンジョン漬けできるし、充実すること間違いなしだ」
るんるん気分で東京ダンジョンを目指す。遠征ということでいつもと場所が違うこともあり、鈴鹿のテンションは高かった。
ホテルから出て少し歩くと、周囲の様子ががらりと変わった。東京の一等地だというのに、広大な草原に等間隔で植えられている松の木。どうやら皇居外苑に入ったようだ。
「なんか厳かな雰囲気だな。身が締まるわ」
実は鈴鹿は皇居に行ったことが無く、今回が初めてであった。鈴鹿にとって都心はスペースに余裕がなく、所せましと建物があるイメージを持っている。しかし、ここは広々とした庭園のように贅沢に土地が使われており、外界から切り離されたような印象を受けた。
皇居はこの世界でも観光地のようで、周囲には探索者と思われる人以外も多くの観光客がいた。
「おおっ! これが東京ダンジョンか。めっちゃかっこいいな!」
思わずテンションが上がる鈴鹿の目の前には、巨大な木造建築があった。階数にして3階はあるだろう。皇居前広場に位置する場所にこんな建造物建てていいのかという思いもあるが、ダンジョンからの被害を抑える役割もあるためやむを得ないのだろう。
見た目は長野駅に似ていた。巨大な木の柱が横一列に並び天井を支えており、柱にはこれまた巨大な提灯が掲げられ和の雰囲気が感じられる。全体的に木材をふんだんに使われている建物は、重厚感もあってか見事にこの場に調和した美しい建物であった。
東京ダンジョンの建屋を写真に撮っている観光客の合間を縫って、中へと入る。フロアマップがあったので見てみると、建屋の半分はダンジョンに割かれていた。ダンジョンゲート自体はそこまでスペースを必要としないが、ダンジョンブレイクが発生した際の対策のためだろう。八王子ダンジョンも同じように大きく囲われていた。
「あ、こっちもちゃんとロッカーとか風呂はあるんだな。これで安心して泊まれるわ」
八王子ダンジョンもそうだが、シャワーだけでなく大浴場があるのもポイントが高い。やっぱり湯船につかったほうが疲れも取れるので、利用させてもらおう。
「あとは資料室はどこかなぁって、なんか小っちゃいな」
資料室にはダンジョンに関する文献の他、東京ダンジョンについて特徴や各エリアで出現するモンスターなどを確認することができる。東京ダンジョンということもあってかなり充実しているのかと思ったが、マップで見る限り八王子ダンジョンよりも小さそうだ。
「そういえば、協会にしては小さいよなここ。コンパクトな感じだわ」
鈴鹿の感じた印象通り、東京ダンジョンに併設されている探索者協会は支部であり、本部は少し離れたオフィス街にある。八王子ダンジョンのようにひとまとめに協会を設立してしまうと、建屋がどうしても巨大になってしまうため分けられているのだ。
ダンジョンゲートが皇居前に出現しており移動することができないため、仕方なく皇居外苑に位置するこの場所に、管理するための建物を建造したのだ。最低限の機能をコンパクトに設計された建物のため、ここで活動する探索者に対する設備のみに留められているのだ。
当時はダンジョンゲートのみを覆う建物しか建造しなくて良いといった声も上がったようだが、ダンジョンブレイクを起こさせないために中でモンスターを狩り、貴重なアイテムを持ち帰ってくる探索者への敬意を持てという声が大きく、今の形に落ち着いている。
小さいからこそ探し回る手間も減る。資料室も東京ダンジョンに関する資料は置いてあったため、求めていた内容は十分知ることができた。
「おい、不撓不屈が戻ってきたぞ!」
「まじかよ! 見に行こうぜ!」
購買を物色していた鈴鹿の耳に、他の客の声が聞こえた。急に辺りがざわつきだし、店を出ていく者が多い。
「不撓不屈って言ってたな。特級探索者ギルドの。俺も見てみよ」
不撓不屈は東京ダンジョンで活動する特級探索者ギルドだ。特級探索者ギルドとは言え、所属している探索者すべてが特級探索者という訳ではない。一級探索者パーティもいれば、二級探索者止まりの者もいるだろう。大概、二級で止まった者は下部組織の探索者ギルドに移籍することが多いのだが。
ギルドというのは探索者パーティを有する組織―――会社のため、メイン攻略部隊である特級探索者パーティ以外も所属している。開発者しかいない企業など存在しないように、ドロップ品の精査や仕分けを行う者、マネージャーの様に各パーティの管理をする者、事務仕事もあれば他のギルドとの調整を行う者など、多くの役割を持った人員で構成されているのが、今の探索者ギルドというあり方だ。
探索者ギルドの分け方は明瞭で、特級探索者が所属していれば特級探索者ギルドになり、三級探索者しかいなければ三級探索者ギルドということになる。特級探索者ギルドでも、唯一の特級探索者が引退してしまえば特級探索者ギルドではなくなってしまうし、所属している探索者すべてが一級探索者の大ギルドだったとしても、特級探索者がいなければ一級探索者ギルドということになる。
そういう背景もあるため、不撓不屈=特級探索者とは限らないが、それでも一級探索者である可能性は高い。八王子ダンジョンは低層ダンジョンということもあって、探索者は三級探索者までしか活動していない。
一級に至った探索者とはどのレベルなのか、見れるならばそれだけで価値があるだろう。
さすが特級探索者ギルドだ。周囲にいた観光客も探索者も、ほぼ全員がセキュリティゲートの方に群がっている。
鈴鹿はステータスアップのおかげで視力もかなりいいのだが、残念ながら透視はできないのでぴょんこぴょんこと跳んで一目見ようと頑張っていた。
「おい! あれ一級探索者のレイジじゃん!」
「ほんとだ!! レイジ様超カッコいい!!」
「ケイカさんもいる!! 相変わらず美しすぎる!!」
みんなキャーキャー盛り上がっているが、鈴鹿は上手く見られない。チラッとだけ見えたが、全員美男美女の集まりだ。同じ人間か?と思う程度には顔が整っているし、スタイルもいい。それでいて容姿が整っている分強いのだから人気が出るのも当然だろう。
あれが一級探索者か。確かに強いな。あれは勝てないわ。
纏っているオーラが違う。比喩ではなく、圧を感じる凄味があった。
三級探索者は八王子ダンジョンで見ることは多いが、勝てないとは思わない。そこまでの実力の開きがあるとは思わないし、事実ステータス的にはそこまで差は無いだろう。
だが、一級探索者はさすがと言うべきか、そんな自信過剰な鈴鹿であっても勝てないと思わせる何かがあった。
「くっそぉ、全然見えん」
人垣が多すぎて少ししか見えない。装備とかも見れるなら見てみたかったのに。
「―――君、強いね」
こうなったら人垣をかき分けるしかないと前に出ようとしたとき、声をかけられた。だが、鈴鹿は振り向けない。
鈴鹿の真後ろから声をかけられているし、声のする方向からも自分に対して声をかけたというのはわかっている。だが、振り向くことはできない。
なぜか。
簡単だ。
振り向くのが恐ろしいからだ。
まるで腹を空かせたヒグマの檻に入れられたように。身動き一つで簡単に死んでしまう恐怖があった。
ダンジョンに一人で潜り続けている鈴鹿でさえ恐怖する存在。一級探索者など歯牙にもかけないほどの圧。勝てるとか勝てないとかの次元ではなく、確定した死しか想像できない。
「名前は何て言うのかな」
問いかけられるが、言葉は出てこない。喉がひりつき、返事はおろか悲鳴すら上げられない。
「ああ、このままじゃ話しにくいかな。どれ……」
後ろの人物が何かしたのがわかる。だが、速すぎるのか身体を動かす必要がないのかわからないが、少なくとも動いたことは知覚できなかった。
だが、効果は劇的だった。
唐突に後ろの人物に対する緊張が解けた。
いや、なんだこれ。圧は変わらない。恐怖も変わらない。なのに俺自身がそういったことを考えるのが億劫になったような、思考停止したような……なんだこれは。
相変わらず脅威は何も変わらないのに、先ほどのように身構えることに思考を割けない。まるで緊張の糸が切れたように思考がまとまらない。
何をした? 何をされたんだ?
わからない。だからこそ、答えを求めるように鈴鹿は不用意に後ろを向いてしまう。先ほどまでは動くことすらできなかったというのに。
「うん、上手く切れたみたいだ」
そう言った人物は、格が違う生き物だった。少なくとも人という分類からは逸脱しているだろう。
先ほど感じた勝つ負けるとかの次元ではない。このレベルまで人がたどり着けるのかと恐怖する一方で、鈴鹿の中にはここまで人は強くなれるのかと歓喜する自分がいた。
「やっぱり、君は強いね。まだ100レベルにも満たないだろうに、僕との差を測れるんだ」
測れるも何も、途方もない先にいるということしかわからないのだが。
「え、剣神様?」
「剣神様だ……」
「剣神様だよ……!」
周囲の人たちもこの人物に気づいたのか、ざわつきはじめた。だが、先ほどのような歓声ではなく、静かにざわめいている。
この人物の発するオーラによるものか。鈴鹿同様気圧されているのか。観光客らしき人たちよりも、探索者らしき人たちは鈴鹿同様後ずさっているので、感じ方が人それぞれなのだろう。
静かにはしゃいでいる観光客たちの言葉に、鈴鹿は聞き覚えがあった。日本の探索者について調べれば、確実に最初にヒットするであろう人物。
剣神。
特級探索者の一人にして、超越者と呼ばれる者。探索者の枠組みの一番上が特級しかないために、特級に収まっているような人物だ。
日本の探索者で最強はと聞かれれば、必ず名前が挙がる人物。剣神がいるから他国は日本に攻めてこれないとまで言わしめる人物。世界含めても指折りの実力者。
それが鈴鹿が知る剣神だ。
「それで、名前は……僕が名乗ってなかったね。僕は天童。不撓不屈のギルドマスターだ」
探索者ギルドのギルドマスターは、基本的にそのギルドで最強の者が座る席だ。力こそが最も貴ばれる探索者らしい考えであり、実力を示すにはこの上ない口上だ。
剣神もとい天童は、ステータスの高さが伺える美しく整った顔立ちをしている。銀髪を短く刈り揃え、武士のような着流しを身に纏っていた。普段から着ているのか和服に違和感がなく、むしろ高貴さを感じられる。
特に目を引くのはその瞳だ。冷徹さを感じさせるような鋭い瞳は、紅かった。カラコンをしている訳ではない。その血に染まったような瞳から眼を逸らすことができない。
「それで、君の名前は?」
「じょ、定禅寺です」
何とか答える。周囲はざわついているが、天童の声は妙に通って聞こえてくる。
「定禅寺君か。君のパーティメンバーは近くにはいないみたいだね」
天童が軽く辺りを見回して呟く。だが、鈴鹿にはそもそもパーティメンバーがいないので、探しても一生出てこないだろう。
「君は所属するギルドは決まっているのかな?」
「い、いえ、決まってないです」
「そうか。ならば不撓不屈も候補に入れてほしい。強くなりたければ、うちに来るといいよ」
脅しか?と思う程圧が強く圧倒される鈴鹿だが、天童はまるで悟りを開いた仏のように穏やかな表情を浮かべている。これで断ったらいきなり般若になったら、それだけで鈴鹿は死んでしまうかもしれない。
だが、今の鈴鹿は上手く思考できず、思ったことを口にすることしかできない。
「え、遠慮しときます」
「振られてしまったか。残念だ」
思わず断ってしまったが、特に意に介することもなさそうだ。よかった。これで死んだらやるせない。
「天童さーん。帰りますよー」
福音とはこのことか。人垣の向こうで、不撓不屈の他のメンバーだろう探索者が天童を呼んでいる。
「呼ばれてしまったか。どのギルドに所属するかはわからないが、もし特級に上がれたのなら一度うちに来てほしい。悪いようにはしないから」
「はぁ」
気の抜けた返事をしてしまったが、許してほしい。思考がまとまらず、上手く答えられないのだ。
「あ、そうだ。このダンジョンに入るなら、試練が訪れたら……いや、野暮か。何でもない。忘れてくれ」
そう言ってかぶりを振ると忽然と姿が消えた。
眼で追えなかった。動き出しも何もかも。本当にあれは人類の到達できる境地なのか。
後ろの声を聴く限り、天童は他の探索者に合流したのだろう。だが、鈴鹿は茫然と、先ほどまで天童がいた場所を見つめることしかできなかった。




