23話 化け物2
zooのリーダーである希凛が水刃鼬と鈴鹿の戦いを見た感想は、化け物だとは思っていたけれどまさかそれを超えてくるとはね、というものだった。
猫屋敷が土壇場で毒魔法をあんな使い方するとは、希凛の想定を超えていた。ゾーンに入っていた猫屋敷を信用して正解だった。
水刃鼬が麻痺になった兆候が見られた瞬間、希凛は後退を開始していた。未だに周囲にモンスターが蔓延っているが、どうやらParksが多くを引き連れてくれたようで、モンスタートレインを抜け出すのも難しくなさそうだ。
私たちが逃げることに気づいて道を開けてくれたのかな。ありがたい。素直に厚意に甘えるとしよう。
襲い掛かってくるモンスターは倒す必要が無いため、いなしながら進んでゆく。3区上位種たちは近づかれる前に水魔法で牽制しながら進めば、モンスターの輪の外はもうすぐそこだった。
その時だ。首筋に刃物を突きつけられたような濃厚な殺意を感じ、振り向けば怒り狂った水刃鼬がいた。
宙を舞う犬落瀬。殿である犬落瀬がいなくなれば、次に標的にされるのは猫屋敷だ。
希凛と小鳥が踵を返すよりも早く、水刃鼬はその鋭い手の鎌を横薙ぎに振るった。防御もろくに取れていなかった猫屋敷は、まるで風に吹かれて地面を転がる落ち葉のように地面を転がってゆく。
飛び散る鮮血。倒れた猫屋敷の腕から血が流れているが、エリアボスの一撃をもろに喰らいはしたが輪切りされることはなかった。疾風兎の装備を揃えた甲斐があったようだ。
まだ生きている。だが、水刃鼬は止めを刺すために猫屋敷へ迫っていた。
そうはさせまいと小鳥と共に水刃鼬に迫るが、水刃鼬から水の刃がいくつも放たれ、尾っぽの刃が荒れ狂いとても近づくことができない。小鳥が懸命に水の刃を避けながら近づくが、尻尾が蛇のように動き執拗に小鳥を追いかけて距離を詰められない。
「にゃあ子!! 立て! 立ってくれ!! 逃げろッ!!」
立ち上がろうとしている猫屋敷に希凛が叫ぶが、猫屋敷が即座に動けるようにはならない。焦る気持ちが手元を狂わせ、水の刃に弾かれ水刃鼬から離されてしまう。希凛も必死に水魔法を使うが、全て水刃鼬の水魔法で相殺されてしまう。
時間が引き延ばされたように、周りの景色がスローになる。だが、その世界では希凛もゆっくりにしか動けず、ただただ水刃鼬が鎌を振り下ろすのを見ることしかできなかった。
ガギィィイン
金属同士が激突したような甲高い音が響くと、水刃鼬が振り下ろした手を巻き戻したように振り上げていた。
何だ? 誰かいる……?
猫屋敷と水刃鼬の間に突如現れた人物。何者だと考えるよりも先に、水刃鼬が尾っぽの刃を使って高速で引いたため、答えが現れた。
「鈴鹿ちゃん!?」
そこにいたのは、八王子ダンジョンで“魔鉄パイプの姫”と呼ばれている有名人だった。
希凛も一度出会ったことがあり、その時に疾風兎の防具を交換してくれたのは良い思い出だ。たしかその時に3区の探索を始めると言っていたが、まさか近くにいたなんて。
「いや、違うんだ。違うっていうのもまた違うんだけど、そうじゃない。希凛たちの邪魔をしに来た訳じゃないんだよ。本当に。なんかピンチそうだなぁって思ったから割って入ったんだけど、邪魔ならすぐ帰ります。もう帰った方がいいですかね? お邪魔でした?」
何故か悪いことが見つかって怒られる前の言い訳の様にまくしたてる鈴鹿。モンスタートレインによってモンスターが溢れているだけでなく、エリアボスまでいる戦場に来て、邪魔と言われれば本当に帰りそうな雰囲気があった。というかもう帰ろうとしている。
つまり、鈴鹿にとってこの場から離脱することなど造作もないことなのだろう。
「いや、助かったよ。率直に聞くけど、鈴鹿ちゃんは水刃鼬と戦える?」
これは千載一遇のチャンスだ。少しだけだが、話した時に鈴鹿の人となりは掴めていた。
彼女は他人にさして興味がなく、このモンスタートレインもきっとスルーするだろう。だが、一度知り合ってしまえばその情を大事にするように感じた。兎鬼鉄皮と戦うと告げれば、自分が戦った時の情報を惜しげもなく話してくれたことが何よりの証拠だろう。
だからこそ、彼女を帰らすわけにはいかない。希凛達が生き残るには、何を報酬にしても彼女に希凛達と共闘してもらうしかなかった。
そう思いを込めて、戦えるか聞いてみた。整った容姿からそのステータスの高さは言わずもがなだが、水刃鼬と戦えるレベルなのかどうかは確認する必要があるからだ。
「え、もちろん」
さも当然の様に、鈴鹿は水刃鼬と戦えると頷く。エリアボスである水刃鼬がすぐそばにいるというのに、何も気負った様子がない。
水刃鼬の前に姿を現せるということは、鈴鹿はまだ水刃鼬の適正レベルということだ。適正レベルを超えていれば、そもそもこの場に辿り着くことすらできないはずだ。つまり、あの凶刃をもろに受ければ死ぬ可能性が十分あるレベル帯ということでもある。だというのにこの余裕。
これは、既に戦ったことがあるのか?
鈴鹿がソロで活動しているのは知っていた。兎鬼鉄皮ですらソロで倒したと本人が言っていた。
話は聞いていた。だが、希凛はちゃんと理解していなかったのかもしれない。頭の中で、まるでテレビの話のように現実と分けて考えていたのだろうか。
目の前の美しい女性は、既に水刃鼬ともソロで戦ったのか?
頭が理解を拒むように、その内容を否定する。だからこそ、希凛は共闘の申し出をした。
「さすがだね。無理を承知でお願いしたいんだけど、加勢してくれないかな?」
「え! 戦っていいの!? まじ? まさか譲ってくれるなんて希凛いい奴だな! いやぁ、ラッキーラッキー!!」
何故か嬉しそうに、鈴鹿は共闘の申し出を快諾してくれた。
いや、待って。今、譲ると言った?
その言葉に疑問を浮かべると、鈴鹿はマントを外して収納に納めた。
あれは『擬態のマント』。気配遮断で近くにいたから急に現れたように見えたのか。
先ほど急に現れたカラクリを理解した希凛は、直後理解できない出来事が起きる。
「ほら、水刃鼬。選手交代だよ」
思わず武器を構えそうになるほど凶悪なプレッシャーが鈴鹿から放たれたと思えば、姿が掻き消えた。気配遮断じゃない。なんとか目で終えた先では、水刃鼬と鈴鹿が戦っていた。
「はっ?」
本当に一人で戦いに行った。ここには探索者が大勢いるというのに共闘の素振りなく、他のモンスターも大勢いるというのに眼中にないとばかりに。
そして、たった一人で水刃鼬と渡り合っている。逃げ惑う水刃鼬。追いかける鈴鹿。途中にいるモンスターなど鎧袖一触とばかりに煙へと変えていく。
その非現実な光景に、希凛は眼が離せなかった。
「に、にゃあちゃん! だ、大丈夫ですか!!」
しかし、小鳥の声に我に返る。
「にゃあ子! 大丈夫か!?」
小鳥が背中を支えながらなんとか上半身を持ち上げる猫屋敷。痛々しく切り裂かれた腕からは、とめどなく血が溢れていた。
即座に収納から体力の下級ポーションを取り出し猫屋敷に食べさせる。猫屋敷は回復魔法が使えるが、今の今まで使っていないということはまだ魔力が回復していないのだろう。
下級ポーションによってみるみるうちに塞がっていく傷。辛うじて塞がっている程度だが、安静にすれば傷が開くことは無いはずだ。
「な……んなの、あいつは」
下級ポーションでは骨折は治らないため、折れた腕はそのままだ。だが、そんなことどうでもいいとばかりに、血を失いただでさえ白い顔を青白くさせながら、猫屋敷は鈴鹿を見る。
「あれが、鉄パイプの姫?」
吹き飛ばされていた犬落瀬も、土汚れをはたきながら寄ってくる。水刃鼬の攻撃はしっかりと盾で受けていたため、怪我はしていなそうだ。
「あ、あの人も曲芸師が、は、発現してるんですか?」
小鳥の言葉ももっともだ。迫りくる雑多なモンスターの中、水刃鼬がモンスターたちの間を縫うように鈴鹿に攻撃をしている。
尾っぽの刃はリーチの長さを活かして様々な方向から襲い掛かり、降り注ぐ水の刃は休む暇すら与えない。それでも、鈴鹿はすべての攻撃を弾き、避け、逆に攻撃している。
水刃鼬が鈴鹿の前に姿を現し両手の鎌による連撃を放つが、鈴鹿の鎌を弾く力が強すぎて水刃鼬は思う様に次の攻撃につなげられず、たまらず後ろへ下がってしまう。
「おいおいおい! 前はこんなもんじゃなかったろ!? お腹でも調子悪いのかよ!! ぽんぽんさすってやるからこっち来いよッ!!」
鈴鹿に強敵と死闘を繰り広げているような様子はない。相手はエリアボスだというのに、まるで遊んでいるかのように戦いを楽しんでいた。
相手の攻撃に合わせ臨機応変するのではなく、自分から動き続け相手に主導権を渡さない。鈴鹿の戦い方はそんな強引な強者の戦い方だった。
「あれは、毒魔法……」
猫屋敷が言う通り、鈴鹿の周囲からは毒の霧が溢れていた。まだ慣れていないのか効果的な霧を出せていないが、鈴鹿は毒魔法を行使していた。
「何でもありかよ」
犬落瀬の言葉に、希凛も同意する。
犬落瀬の様に迫りくる全ての攻撃から身を護り、小鳥の様にどんな攻撃も避けてみせ、猫屋敷のように毒魔法を操り、希凛のように自分のペースを相手に押し付けることができ、zooの誰よりも強力な攻撃を持っている。
めちゃくちゃだ。強いとは思っていた。だが、ここまで常識外れな強さだとは思っていなかった。
あそこまで強くならなければ特級探索者にはなれないと言うのだろうか。
いつもは他人は他人と割り切り影響を受けない犬落瀬と小鳥も、鈴鹿の戦闘を見て思うところがあるのだろう、悔しいような焦がれるような複雑な顔をしている。
自分がもっと素早く動けていれば猫屋敷は怪我をしなかったかもしれない。タンク役の自分が水刃鼬を抑え込めれば、猫屋敷は命の危険にさらされることは無かったかもしれない。そう思うだけに、その力を持っている鈴鹿に、羨望と嫉妬が混じる。
猫屋敷はいわずもがなだ。特に毒魔法を鈴鹿が使っていることに衝撃を受けているようだ。毒魔法は魔法の中でもレアなスキルのため覚えている者が少ないだけに、猫屋敷は毒魔法に特別思い入れがあった。
毒魔法があったから兎鬼鉄皮を倒すことができたし、毒魔法があるから堅牢で名高い3区のエリアボスである十両蛙にも挑むことができる。その特別が奪われた様に感じている猫屋敷は、救ってもらった恩を感じながらも激しい嫉妬に駆られていた。
そして希凛も例外ではない。今回猫屋敷が死にかけた。鈴鹿というイレギュラーな存在がいなければ確実に死んでいただろう。
パーティメンバーの命の危険はすべてリーダーの責任である。
鈴鹿ちゃんと会っても探索スケジュールを変えるつもりはなかった。今のやり方でも十分通用するし、鈴鹿ちゃんのやり方はいずれ行き詰るか途中で命を落とすやり方だったからだ。
しかし、目の前の鈴鹿の戦いを見て認識を改める。鈴鹿が行き詰るビジョンが全く見えない。恐らく彼女はあのまま突き進み、一人というリスクを抱えながら、最大限の成長を続けていくのだろう。
それなら、私たちも続かないといけないね。私たちが目指すのは圧倒的な最強の探索者。その先に鈴鹿ちゃんがいるのなら、彼女すら超えて見せないと最強ではないのだから。
鈴鹿の話を聞いた時、希凛は純粋に頭がおかしいと思った。そして、その常識の無さからくる行動は、希凛が知っている最強たる特級探索者たちにも共通するところだった。
だが、現実問題希凛は凡人で、姉の歌凛も一級探索者の両親も凡人だった。自身を含め周りには凡人しかいないがために、参考にするべき人物がいなかった。だからこそ、希凛はこれでもかとリスクを上げた探索プランを練っていたつもりだった。
そのせいで本物の狂人と出会ったというのに、凡人の尺度で測ってしまった。あれではいずれ死ぬだろうと。私たちは私たちの探索をするべきだと。
「なんとまぁ、無知蒙昧だったことか。恥ずかしい限りだよ」
己の驕った考えに羞恥で悶えたくなる。だからこそ、自身の恥ずべき記憶を呼び覚ます鈴鹿から眼を背けたくなるが、それを気づかせてくれた恩人である鈴鹿から眼を逸らさない。
「あっはっはっは!! 愉しいねぇ!! 愉しいよなぁ! イタチちゃんッ!!」
時折聞こえる鈴鹿の声は狂気に染まっており、聞く者の心を逆なで心胆が凍えるような気持ちにさせる。
あれも何かのスキルなのかな。狂乱蛇擬の恐慌に近しいものを感じるよ。
恐らくレベル40を超えているだろう鈴鹿は、レベル以上の速さがあるように感じられる。あの敏捷に振っている水刃鼬と並走できるなど、本来のステータスを超えた動きに他ならないだろう。
可能性としては、水刃鼬からドロップする『水刃鼬の加護』や『疾風兎の加護』など、敏捷を上げるアイテムを装備しているのだろう。それで言えば、毒魔法も恐らく『双毒の指輪』によるものだ。少なくとも以前会った時は毒魔法は発現していなかったため、3区で使えるようになるにはそれくらいしか思いつかない。
しかし、この禍々しいプレッシャーと高ステータスであるzooのメンバーすら怯えさせる狂気を誘発させるようなアイテムは、1層3区までのエリアボス含めても存在しない。宝箱も出現しないエリアのため、アイテムの線は薄いだろう。
ならばスキルしかない。当然ユニークスキルの類だろう。
恐らく、自身を狂乱状態に近い状態異常にする代わりに能力値が底上げされるようなスキルではないだろうか。デメリットがある分、得られる力も大きそうだ。
そのスキルのせいで、彼女はソロで活動せざるを得ない。今戦っている彼女を見れば、あれと肩を並べて戦うことのリスクは計り知れない。狂乱蛇擬のような狂気じみた戦闘スタイルだからだ。
以前は二人で活動していたと噂でも流れていたため、コンビを解散した理由がスキルというのは辻褄が合う。
今も一人で戦っているのは、恐らくそれが原因なのだろう。だが、それでもエリアボス相手に一人で戦えるほどの強さを得ている。探索者ならばそこに憧憬の念を抱かずにはいられない。
「みんな、よく見ておこう。あれが私たちが超えるべき探索者だよ」
今のzooはまだレベル25、6。まだまだ、探索者のレベルからしたら序盤も序盤だ。これから先、少しでも鈴鹿に近づけるように、いや超えていけるようにステータスを伸ばしスキルを強化していく必要がある。
気づけば周りには水刃鼬以外のモンスターはいなくなっていた。最後に残った水刃鼬は狂ったように鈴鹿に攻撃を浴びせてゆく。水の刃だけでなく、両手の鎌や尾っぽの刃にも水の刃を纏わせ、時にはリーチを伸ばし時にはそのまま鎌から水の刃を飛ばし多彩な攻撃を行っている。
だが、鈴鹿はことごとくを防いでゆく。当たっているのではと思うほどの近さで攻撃を避け、攻撃を弾けば水刃鼬が仰け反るほどの威力を持っている。
どれだけの身体強化を施しているのか、女性としては大き目な鈴鹿だが、見た目からは想像もできないほどの膂力の高さだ。
まるで水刃鼬を練習相手にしているように、鈴鹿はその状態を維持していた。小鳥のように避けるだけで精一杯で、攻撃に移れないのではないだろう。剣術レベルをあげたいと吠えていたので、恐らく稽古かなんかだと思っているのかもしれない。
「かぁ!! 弱すぎてスキル上がんねぇじゃねぇかッッ!! ギア上げてこねぇと殺っちまうぞ!?」
鈴鹿が発破をかけるが、水刃鼬は変わらない。いや、変えられないのだ。水刃鼬はとうに限界までギアを上げて攻撃しており、できることなら目の前の探索者を細切れにしたいと刃を振り回しているのだから。
変化の無い水刃鼬に痺れを切らしたのか、とうとう鈴鹿が前に出る。振り下ろされた煌々と輝る魔鉄パイプが、水刃鼬の顔面を殴打した。
地面にめり込むように叩きつけられた水刃鼬に鈴鹿が追撃をかける。水刃鼬も尻尾を地面に刺してトリッキーな動きで逃げようとするが、鈴鹿はそれを許さない。
逃げる水刃鼬を追っては殴る鈴鹿。それが数回も続けば水刃鼬の動きも鈍り、鈴鹿の攻撃が加速度的に増してゆく。
そして、恐怖の権化であった水刃鼬は、なんともあっけなく煙へと姿を変えていった。




