閑話 斎藤穂香
(はぁ、最っ悪。お母さんに頼んで塾変えてもらおうかな)
斎藤穂香は周りに聞こえないようにため息をつきながら、心の中で悪態をつく。
「ねぇねぇヤス君! 今度のお休み何するの?」
「あ! 私も気になる!」
「私も私も!」
先ほど終わった授業の内容を反復していると聞こえてくる黄色い声。キャッキャッキャッキャッと湧いているのは穂香と同じクラスの女子生徒。そんな女子生徒に囲まれているのが、周りからヤスと呼ばれている安藤泰則という男子だ。
安藤はそこらの男子がジャガイモかと錯覚させるくらいのイケメンで、なおかつ高身長だ。面が良いことに鼻を伸ばして態度が悪いこともなく、むしろ物腰柔らかで女子だけでなくクラスの男子からも慕われていた。
穂香も最初見たときは思わず芸能人かと勘違いしたほどだし、イケメンのオーラに圧倒されて緊張もした。
安藤と直接話してはいないが、穂香の友人たちの話から情報だけはよく入ってくるため、穂香も安藤についてはそれなりに知っていた。
「休み? まだ何するか決めてないんだよなぁ」
「え! じゃ、じゃあさじゃあさ! 一緒に映画観に行かない!? サマー〇ォーズ!」
「おお、いいねそれ。俺もちょうど観たかったんだよね」
女子生徒は安藤を誘えたことで感極まったのか、甲高い声が1オクターブ上がってやかましさが増した。
いや、受験生だろ。勉強しろよ。そう思いはするものの、休みの日は何をするのも自由だし、穂香だって映画は観たい。だが思わず顔を顰めてしまう。
理由は彼女たちが勉強に集中していないからでも、キャーキャーうるさいからでもない。安藤という男が狂人だとわかっていて誘っているのか?という哀れみや嫌悪からくるものだった。
この安藤という男。何をとち狂っているのか、中学3年の夏休み前にダンジョン探索を行ってレベル上げを行ったらしい。それもレベル2や3ではなく、レベル10まで上げ切ったというのだ。
ダンジョンに入ってレベル上げを行うには、一般的には育成所に通ってレベル上げを行う。だが、ほとんどの育成所は大学生以上でないと入れない。高校生から受け入れているところもあるが、かなり高額だと聞く。
テレビに出ているようなアイドルやお金持ちは、15歳になった瞬間に高額な報酬で探索者を雇いレベル上げを行うらしいが、そんなの別の世界の話だ。
つまり、この安藤という男は探索者高校でもないただの中学3年生にもかかわらず、自らダンジョンに入って自力でレベルを上げたというのだ。
狂っている。自殺願望でもあったのではないかと、穂香は本気で思っていた。
学校が違うため元の顔は知らないが、あれだけイケメンになれたのだからレベル上げを行った価値はあっただろう。けれど、一歩間違えれば死んでしまうというのになぜダンジョンになど入るのだろうか。穂香には理解できない。
仮に探索者になりたいというのであれば探索者高校があるのだ。装備も充実していてしっかりしたパーティーも組めて、成績が良ければ上位のギルドにだって入ることができる高校があるのにだ。
そんな至れり尽くせりの高校に行きもせずダンジョン探索を行う。これを狂人と言わず誰を狂人と言うのか。
そんな探索者高校でさえ、毎年死亡事故が起きているような場所がダンジョンなのだ。それなのに、中学3年という時期にダンジョンに入る。それも聞いた話ではたった二人だけでダンジョンに潜っていたというのだ。
二人で探索するなど意味がわからない。呆れを通り越して恐怖すら感じる。
探索者高校では最低でも4人以上のパーティーで探索を行うことを推奨しているというのに、2人。もはやそれは探索ではなく、自殺未遂と言った方が適切だろう。
いくらカッコいいからと言って、そんな狂人を祭りたてるのはいかがなものかと穂香は思っていた。
それに、穂香は探索者という者たちを軽蔑していた。穂香を可愛がってくれていた従姉のお姉ちゃんが、探索者にレイプされたと聞いてから。
当時はまだ小学生ということもあって詳しく知ることはなかったが、聡明で綺麗だったお姉ちゃんが常に何かにおびえ憔悴していた様子は、子供ながらに鮮明に覚えていた。
気づけば親戚の集まりにも姿を見せなくなり、引き籠って大学も辞めてしまったのだと後になってお母さんから聞いた。
そして、極めつけはお姉ちゃんをレイプした探索者は特段の罪に問われなかったということだ。
探索者によって復興を遂げた日本は、探索者を優遇するための法律、いわゆる探索者法と呼ばれる法律が施行されている。探索者や探索者ギルドへの税制優遇だけでなく、刑罰も一般の人間とは異なる法が適用されるのだ。
探索者という力の強い存在をおとなしく収監することができる施設も、それを監視するための職員も、それを維持するための莫大なコストもない。そのため、ある程度の犯罪であれば罰金やギルドへのペナルティなどで終わり、懲役などは存在しないのだ。
一方で、ラインを踏み越えた犯罪の場合は懲役もなく死刑一択というのが、探索者に対する刑罰であった。
ダンジョンが出現した当時から、一般人とは隔絶した力を持つ探索者たちは問題視され、その対策として過去の英雄たちは探索者高校というものを設立し、徹底的に倫理教育を施すことで探索者自身の良心の育成に尽力してきた。
その甲斐あって、日本における探索者は立派な人が多いが、悲しいことに探索者全てがそうとは限らない。最近ではそういったチンピラのような探索者も増えつつあり、社会的な問題として取り上げられることも少なくないのだ。
そんな過去もあって穂香は探索者という者が嫌いだったし、探索者まがいの安藤がちやほやされているこの雰囲気も嫌いだった。
◇
「よーし、ここまでにするか。夜はこの続きから始めるから、遅れないようにな」
そう言って、英語を教えてくれる大学生の講師が教室から出て行った。午後の授業が終わって休憩の時間だ。
相変わらず安藤は休憩の時間の度に女子に囲まれて騒がしい。
「えー! 今日は一緒に帰れないの!?」
「ごめん! なんか友人が来るみたいで、そいつと一緒に帰ることにしたんだ」
わーわーと聞こえる声を後ろに、穂香はさっさと荷物をまとめて教室から出ていく。彼女たちが帰る速度は遅く、さっさと家に帰りたい穂香にとっては邪魔でしかないからだ。前を塞がれる前に帰るに限る。
教室を出ると夏の熱気が襲ってくる。夕方ということもあって日中の日差しはないものの、うだるような暑さの中まだ明るい夕暮れ時を穂香は歩いてゆく。
駅前ということでセミの鳴き声は聞こえてこないが、変わりに夜の喧騒が広がっていた。八王子ダンジョンが近いということもあって駅前には大きな歓楽街もあり、このあたりも活気に満ちている。
がやがやした喧噪が嫌いな穂香は、まだ明るいので問題ないだろうと人通りの少ない静かな帰路を選んだ。カバンから音楽プレーヤーを取り出し、好きな曲を聴きながら帰る。受験生である穂香のささやかな楽しみだ。
「ああ? んだよブス! お高くとまってんじゃねぇよ!」
いつもは静かな通りに、汚い罵声が聞こえてきた。
声のする方を見れば、二人組の男が女性に文句を言っている。恐らくナンパして失敗でもしたのだろう。そそくさと逃げるような女性に向かってブスだのなんだの負け惜しみをキャンキャン吠えていた。
その様子を冷めた目で見ていた穂香の視線が、さらに一段階冷ややかなものへと変わる。その理由は男たちが探索者高校のジャージを着ていたからだ。
ただでさえ嫌いな探索者が、自分の面を棚に置いてひと様にブスだの何だの喚く心まで貧相な様子に、穂香の視線が氷点下を下回った。そんな視線が、男の一人と交差した。
「おい! 何見てんだよコラッ!」
失敗した。穂香は思わず向けていた視線を下げ、無視して通り過ぎようと歩く速度を上げた。
「はい、通しませ~ん」
「な、何ですか……」
邪魔だコラそこどけクソがと心の中では強く言えるのだが、出てくる言葉は弱弱しいものだった。その様子に、二人の男の顔は嗜虐的に歪んだ。
「いや~なんかすごい顔で俺たちのこと見てたからさぁ、声かけてほしいのかなと思って」
「そ、そんなこと」
「そんなことあるって? ラッキーだったね君! ちょうど俺たち遊ぶ相手探しててさ」
どんどん距離が詰められる。拒絶したいのだが声は上手く出てこないし、逃げ出したいのに足が震えていうことを聞かない。
「じゃ早速ホテル行こっか」
「早すぎお前ww」
「うるせぇよ。お前はあっちが早いだろうがw」
「はぁ!? それ言うんじゃねーよ!」
男たちが気色悪い顔をしてニヤニヤ話しているが、会話は全然頭に入ってこない。同じ人間が話しているとも思えず、まるで悪い夢でも見てるんじゃないかと思えてきた。
「ほら、行くぞ」
「嫌ッ!」
手を捕まれ引っ張られた。思わず手を振り払うが、先ほどまでのにやけ面が怒りを含んだ恐ろしい形相へと変化していた。
「お前さぁ。優しく言ってやってるうちに言うこと聞いとけよ」
「そこの路地でヤるよりベッドの方がお前もいいだろ?」
冗談ではない。こんな男たちに抱かれるくらいなら死んだ方がましだ。本気でそう思うのに、腰が引けて逃げ出せない。
誰かに助けを求めるように周囲を見ても、ここは人通りの少ない路地だ。それでも人はいるが、みな顔を背け穂香たちに関わらないように足早に過ぎ去ってゆく。相手は探索者なのだ。関わっても損するだけ。
誰も助けてくれない事実に穂香の血の気が引いていく。
「オラッ! さっさと行くぞ!」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと気持ちよくさせるから」
そんな気持ち悪いことを言いながら、穂香の手を強く握り直しホテルへ連れて行こうとする男たち。
抗いたいのに抗うことのできない理不尽な現実。穂香の脳裏には、あの優しく笑っていた従姉のお姉ちゃんの姿が浮かんでいた。
「る~らっら~、る~らっら~」
その時、変な鼻歌が聞こえた。この場の雰囲気に似つかない、陽気な鼻歌。
「楽しそうなことしてるじゃん。俺も混ぜてよ。何してるの?」
「あん?」
鼻歌の主が声をかけてきた。その声に、穂香も男たちも振り返る。
そこにいたのは美であった。
14年と数か月しか生きていない私の語彙力では表すことができないほど、彼女はただただ美しかった。顔の造形はまるで美術彫刻のような完成された美しさを持ち、陶磁のような肌の白さも、絹をも超える艶やかな髪も、その目で睨まれたら息すらできなくなってしまうだろう心の清廉さを表わしているような力強い眼差しも。
全てが美しかった。
同じ塾のクラスのイケメンである安藤を見て耐性ができている穂香でさえ、彼女には見とれてしまうほどだった。
まるで時が止まったような静寂。許可なく発言することが憚られるようなオーラを彼女は纏っていた。
穂香は心を奪われ息をのみ、男二人は脂汗を流しながらどう動くべきかお互いの顔を見合わせていた。
ここまで顔が整っている人間など、確実に探索者だ。それも生半可なステータスの盛り方ではない。そして、最近探索者高校のクラス内で騒がれていた人物の容姿と一致している。ならば、まだ勝てる可能性はあるはずだ。
二人の意識が目の前の乱入者を倒す方向で決定する。探索者が探索者に絡んできたのだ。その先に言い訳などなく、話し合いで解決するような結末などない。
「お? なに急に。やる気?」
二人は収納に仕舞っていた木製の武器を取り出した。
収納に仕舞うことができる武器はダンジョン産の武器か、特殊な製造をした超高級品のみだ。1層で活動するような者たちは、皆木製小鬼や木製鬼がドロップする武器を有事の際のために収納に仕舞っている。
乱入者も二人に合わせ、収納から武器を取り出した。しかし、取り出した武器は木製の武器ではない。金属でできたパイプのような丸い棒であった。
「クソッ! やっぱこいつ鉄パイプの姫だぞ!」
「大丈夫だ! 鉄パイプの姫も同じ2区の探索者だ! 二人なら倒せるぞ!!」
「鉄パイプの姫? 何それ。だっさ」
乱入者は相手が二人だというのに、ビビるどころか何も気にしないように立っていた。
「おい! こいつ怪我してるぞ!」
「ほんとだ! チャンスじゃん! こいつもホテル連れてって姦してやろうぜ!!」
男たちの言う通り、夕陽に染まりわかりにくいが、よく見てみれば体には痛々しい切り傷が無数にあり、着ている服も赤く血で汚れている。そんな状態なのに、私を助けようとしてくれた。
その事実に、穂香の心が張り裂けそうになった。
「逃げてください! 私は大丈夫だから! あなただけでも!」
あれだけ怯えて声が出せなかったのに、本当に必要な時にはちゃんと声が出てくれた。
「うるせぇぞブス! お前も後で犯すんだから黙ってそこにいろ!!」
男たちが罵声を浴びせてくるが、彼女を護れるならばどうだっていいと思えた。
「うっわぁ、きっつ。顔も下品なら知性も下品なのか? まぁでも、ダンジョン入ってレベル上げてその顔じゃあ……ねぇ?」
だが、穂香の言葉に乱入者は素直に従ってくれなかった。むしろ煽るように男たちを馬鹿にする。
その言葉に男たちの先ほどまであった乱入者に対する警戒がなくなり、代わりに怒りが増幅したのが感じられた。
「ああ、あと君も気にしなくていいよ。俺はただ人殴れそうなチャンスがあったから絡んだだけだから」
穂香が気にしないようにあえてふざけたことを言ってくれたのだろう。だけどあまりにもあんまりな内容に、思わず狂人なのではと思ってしまった。
だが、その考えは当たっていたのかもしれない。そう言うや否や、乱入者の顔が獰猛な猛禽類を思わせる顔へと変わったのだから。
「来るぞッ!?」
男たちも武器を構え身構える。が、そんな行為は呆気なく無意味と化した。
本当に一瞬だった。
流れるような速さで右の男の武器に向かって鉄パイプを振り下ろせば、何の抵抗もなく真っ二つに破壊された。それでもなお動けていない男の頭を横一閃で鉄パイプで打ちつければ、それだけで一人は壁に激突し戦闘不能になった。
まるで早送りの映像を見ている様だった。
「は?」
そんな気の抜けた声を上げた男に対しても、乱入者は一人目と同様に武器を破壊し側頭部を叩きつけ戦闘不能にさせていた。
本当にあっという間の出来事だった。
「かぁーー、弱すぎんだろこいつら。よくこんな弱くてあんなにイキれたな。こっちが恥ずかしいわ」
息一つ乱さずに、乱入者は二人を打ちのめしていた。その様子は武器が武器だからか荒々しく見えたが、穂香にはその姿が果てしなく美しく見えた。
「おいおい、どうしたのこれ? 死んでないよな?」
聞き覚えのある声に振り向けば、安藤がいた。走ってきたのか、軽く汗をかき息も乱れている。
「あん? ヤスじゃん。塾で待つってメールしてなかった?」
「ああ、何かやばそうなのに斎藤さんが絡まれてるって聞いたから来たんだけど、終わったみたいだね」
安藤が穂香へ視線を向ける。どうやら穂香を助けるために来てくれたようだ。
全然話したこともなかったのに探索者から助けてくれようとしたなんて、安藤は心もイケメンの様だった。
「ああ、確かに。なんか絡まれてたね。大丈夫?」
「絡まれてたって、鈴鹿が助けたんじゃねぇの?」
「あ~、何かきっしょい奴がイキって吠えてたから殴りたくなって絡んだんだけど、まぁ結果オーライだな」
どうやら彼女は穂香を助けたことが照れ臭いのか、さっき言っていた狂人じみた言い訳を安藤にもしていた。
「それより、お前もメールの通り怪我ひどいな。回復魔法使うよ」
「ああ、頼むわ。血は止まってるんだけど、さすがにこの状態だと母さんに心配かけるし」
安藤は回復魔法を使えるようで、彼女の傷を癒してゆく。
「助かったわ」
「仰せのままに鈴鹿姫」
「おい、それ止めろマジで。お前のせいで教室居づらくなったんだからな」
二人は仲が良いのか楽しげに会話している。穂香は完全に蚊帳の外だが、彼女──鈴鹿を眺めているだけで幸せだった。
「それよりこれどうすんの?」
安藤が転がっている男を指差して問う。強引に穂香のことをホテルへ連れ込もうとしたが、未遂で終わっている。警察は探索者にはおよび腰で使えないから、警察に引き渡したところで何も起きないだろう。
「決まってんだろ。裸にひん剥いて学生証と一緒に写真撮んだよ」
なんとも楽しそうに凄まじいことを鈴鹿が言った。
「……まじかよお前」
「当たり前だろ? 馬鹿にはお灸を据えないと繰り返すからな。次俺らの視界に映ったら写真ばらまくからなってさ。あ、君も見てく?」
「だ、大丈夫です……」
会話の内容はひどいのだが、鈴鹿に話しかけられたことに穂香は舞い上がった。
「おけー。じゃ、気をつけて帰んなね。ほら、ヤスはそっちのやつ持て」
「まじでやんのかよ。俺男の裸なんて見たくないよ……。斎藤さんまた後でね」
そう言って、二人はノびている二人を引きずりながら、狭い路地へと消えていく。
「鈴鹿……お姉様……」
後に残された穂香は、熱に浮かされた様に鈴鹿の名前を呟くのであった。




