12話 2区での成果
1層2区のエリアボスである兎鬼鉄皮は、爆発するように煙へと変わると鈴鹿へと吸い込まれていった。
その様子に鈴鹿の表情は何も変わらない。強大なエリアボスを倒した喜びも、死闘を生き残った感動もない。疲労困憊ですといった顔はピクリとも動かなかった。
確実にレベルもスキルも成長しているだろうが、ステータスすら見る気も起きないし、ドロップアイテムのチェックすら億劫でできない。勝利の余韻すら満足に感じられぬほど、兎鬼との戦闘は疲弊した。
とりあえず休憩が必要だ。水が欲しい……。
「喉が渇いたっぴ……死にそうだっぴ……」
長時間全力で動き続けた鈴鹿は、声すら出すのも難しかった。汗をびっしょりとかいたため、脱水症状を起こしていた。喉が焼け着くように痛く、肺が呼吸を求めて浅い呼吸を繰り返す。痰のように粘つく唾液しか出てこず、喉に絡んで不快極まりない。
戦闘が終わったことでアドレナリンも落ち着いたのか、頭が割れるほどの頭痛もし始めてコンディションは最悪だった。今すぐ浴びるように水を飲みシャワーで汗を流したくてたまらない。
新緑大狼戦の様に怪我こそしていないが、疲労度でいえば断然今回の方がきつい。座ってしまったら起き上がることもままならないくらいには、ボロボロだ。小鹿のように震えそうになる足にむち打ち、水筒が入っているリュックの下へと向かった。
しかし、辺りにリュックが見当たらない。おかしい。確実にこの辺りに置いたはずだ。
ダンジョンを探索するようになって方向感覚はかなり身についていた。まだマップのスキルは覚えられていないが、この感じならそのうち覚えることもできるだろうと思えるほどだ。
そんな鈴鹿が、リュックを置いた位置を間違うはずがない。戦闘だってこの辺りでしていないため、吹き飛ばされることもないはずだ。
再度辺りを探し、一つの最悪の結論へと至る。1層2区には鬼がいる。いたずら好きで人の物を好んで盗む鬼がいるのだ。
周囲には鈴鹿のリュックも鬼もいない。あれだけ長時間兎鬼と戦っていたのだ。盗むチャンスはいくらでもあったし、大狼と違って1対1での戦いだったため周囲に気も配っていなかった。
やられた。
その事実に、疲労とは別に肩が震えだす。額には青筋が浮かび上がり、まるで兎鬼のような般若がそこにいた。
「……ゴロ゙ズ。絶対に゙ぶっ殺ずがら゙な゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」
水分不足でまともに喋れぬ鈴鹿の掠れた魂の叫びが、誰もいない草原に虚しく響き渡っていった。
◇
鈴鹿は命も喉もカラカラの状態で何とか帰還することができた。
本当に限界に近かったため急いで買取所に向かっていくつか買い取りをしてもらい、探索者協会内にある自販機でスポドリを購入し何とか命を繋ぐことができた。それでも1時間くらいはベンチでぐったりしていたので、相当きつかった。
ちなみに売り払ったものは『木製の武器』3つ。締めて300円である。
死に体だった鈴鹿だが、あまりの苛立ちに怒りが収まらず帰り際に見つけた小鬼の集団を鎧袖一触に全滅させたのだ。そのせいで水分不足で本当に死にかけたのだが、それはそれだ。
あまりにも疲労困憊でフラフラだったため、本日の成果を木製の武器以外換金することすらできなかった。まぁ収納に入れていればかさばることもないし、今度協会に行った時に売ればよいだろう。
さて、エリアボスを連戦したことで1層2区で戦うべきモンスターはいなくなった。レベルもスキルも上がったためもう一度エリアボスと戦ったとしても、今日のような苦戦はしないだろう。ならば次からは3区の探索をするべきだ。
夏休みも残すところ後23日。明日は休息日にする予定だし、3区攻略中も休むことはあるだろう。今回は2区攻略に10日間探索しっぱなしだったが、それほどきつくもなかった。なら10日に一度休むことにすれば、ちょうど探索に20日間充てることができる。
この夏休みの目標は2層へのゲートを見つけること。ゲートは3区にあるため、20日間もあれば見つけることはできるだろう。だが、それだけでは足りない。
3区はレベル40までのモンスターが出現するため、鈴鹿のレベルも40までは上げてしまいたい。なので2区同様、3区のエリアボス3種を討伐し3区の完全制覇をする。それが夏休みの目標だ。
残り20日あるので行けるとは思うが、割とギリギリになりそうな日程だ。
「さてさて、2区の攻略でどれくらい強くなったかなぁ」
2区での成果を確認するために、自室でステータスを表示する。1区終了時は切りよくレベル10であった。終始ソロ探索を行ってきた結果、どこまで成長したか確認してみた。
名前:定禅寺鈴鹿
レベル:10⇒23
体力:86⇒213
魔力:88⇒210
攻撃:93⇒218
防御:86⇒211
敏捷:94⇒219
器用:92⇒217
知力:87⇒208
収納:37⇒89
能力:剣術(1⇒3)、身体操作(2⇒3)、身体強化(3)、魔力操作(2)、見切り(1)、強奪、思考加速(1)、魔力感知(1)、気配察知(1)
兎鬼戦で増えたスキルは見切りと魔力感知。それから剣術のレベルが1アップしていた。
途中から兎鬼の攻撃をギリギリで避けれるようになったのは、見切りのスキルのおかげだろう。そして、兎鬼を倒すことができたのは、魔力感知による身体強化魔法の魔力ムラを捉えることができたからに他ならない。
魔力感知は魔力の大きさや魔法の強さなどを確認することができるスキルであり、兎鬼が使っていた身体強化も魔力によるもののため感知することができたのだ。そのおかげで、強化が強いところと弱いところを見分けることができ、的確にダメージを蓄積させることができた。
「こうしてみるとかなり強くなったな。下手にヤスとか叩いたら怪我させちゃいそうだな」
ステータスの伸びは相変わらずほぼ最高値を記録し続け、この10日ほどで2.5倍もステータスが上昇した。
一般的な探索者のステータスの上昇率は5だと言われている。一方鈴鹿の場合、平均で9を超えていた。およそ倍近く一般的な探索者よりもステータスを伸ばすことができている。
これだけ高いステータスがあるからこそソロで活動することができているし、ソロで活動するからこそステータスの上昇値も高いのだと思われる。
ヤスと探索していた時、一度だけ上昇値が低かったことがあった。だが、今回は常に平均9以上のステータスを得られていた。ソロで活動するというリスクを背負うことで、その分得られるモノも大きい様だ。
「けど、こんだけ強くてもエリアボスはギリギリだったんだよなぁ」
新緑大狼には手傷を負わされ、危うく緑黄狼に喰われるところであった。兎鬼鉄皮には攻撃が全然効かず、魔力感知のスキルが発現しなければ負けていた可能性が高い。どちらのエリアボスもギリギリの戦いで勝利を掴むことができた。
エリアボスのレベルが高いこともあるが、それにしても他のモンスターとは強さが全然異なるように感じられた。探索者高校がエリアボスと戦うなと言うのが納得できる強さである。
「もしかして、エリアボスって俺みたいな奴用のモンスターなのかな?」
これは鈴鹿が驕った考えでの言葉ではなく、純粋にそう感じるのだ。
ステータスの上昇が5の一般的な探索者は、鈴鹿ほどステータスが高くないだけでなく、スキルも多く目覚めることはない。そんな探索者が数人集まったパーティで挑んだところで、エリアボスには勝てるとは思えない強さだった。鈴鹿が単調だと飽き始めた通常のモンスターと、いい勝負をするのが関の山ではないだろうか。
だが、鈴鹿の他にもステータスを爆盛している者たちもいる。そういった者たちからすれば、逆に通常のモンスターでは手応えがない。ステータスで圧倒できているため、レベルマージンを設けずとも余裕をもって対応できるからだ。
そんな者たちが苦戦してちゃんとした戦いができるのが、エリアボスなのではないか。エリアボスを倒すには高ステータスが必要で、高ステータスを維持するにはエリアボス討伐が必須。そういったサイクルがあるのかと、鈴鹿は感じられた。
「ま、なんだっていいけど。どうせ3区でもエリアボスは倒すつもりだしね」
エリアボスとは、普通の探索者たちからすれば倒すこともできない相手。レベルを上げて余裕で倒せるようになって挑もうとすれば、忽然と姿を消し戦うことすらできなくなる。適正レベルの内にリスクを取って戦うしかない存在。エリアボスとはそんな存在だ。
そんな存在のアイテムが安いわけがなかった。
「こんなのでも10万はするんだもんな。これなんて100万だし」
鈴鹿の前には3つのアイテムが置いてあった。
親分狐のドロップアイテムである、『親分の腹巻』。新緑大狼のドロップアイテムである、『新緑大狼の毛皮』、『新緑大狼の牙』。
腹巻の値段は10万円。毛皮が100万円に牙は50万円の売価がついている。
これだけ高いのはアイテムとしての質よりも希少性によるところが大きい。
滅多に倒されることのないエリアボスのアイテムなのだ。1層2区とはいえ、その価値はかなり高い。
更に討伐した探索者は記念として自分で保管することが多く、売りに出されることはほとんどない。先ほど挙げた値段は協会での買取価格であって、オークションに出せばもっと値がつくだろう。
鈴鹿ももう二度と手に入らないかもしれないと思い、金に困っているわけではないので売却せずに記念に取っておくことに決めていた。
大狼からはもう一つ『萌ゆる眼』というアイテムもドロップしたのだが、どのような状態で収納から出てくるかわからないため収納に死蔵することにした。
「これを売らなくてもこんだけ稼げてるからなぁ。ダンジョンって凄いよな」
机の上にはこの10日間で稼いだお金が置いてある。総額42万8600円。疾風兎や緑黄狼の防具を抜いてこの額だ。さらに今日の分はまだ鈴鹿の収納に大量にアイテムが残っているため、プラス7万は行くだろう。
そうなれば一日あたり5万円の収益となる。うっはうはである。ソロでの探索のため、収益全てが鈴鹿の懐に収まるのが嬉しい。
「さすがに口座作らないとな。明日作りに行くか」
遅かれ早かれ必要になるため、口座は作っておくほうが良いだろう。
「これだけ金もあれば良さそうな防具買えるかなぁ」
明日は休息日として買い物をしに行くつもりだ。その際、探索に必要なモノの値段など確認しようと思っている。
50万もあるのだから何か自分にご褒美でも買いたいところだが、いかんせん欲しいものがない。鈴鹿はもともと時計も車も服にも興味がなかった。
FXにのめりこむ前はゲームと漫画が趣味なくらいで、金の使いどころなどたまに行っていた風俗くらいのものだった。過去に戻ったことでゲームも漫画も既知の物のためそそられず、風俗は性欲旺盛な中学生ということもあり行きたいところだが、さすがに中三では門前払いされるだろう。
「まぁ、まずは探索道具を揃えるのが先だよな」
エリアボスのアイテムを売れば大体の物は買えそうだが、防具以外は特に困っていないので焦る必要はないだろう。
「それにこんなのも手に入れたしな。いやー、死ぬ思いで討伐してよかったよ! これはまじで嬉しいわ!」
収納から二つのアイテムを取り出した。どちらも兎鬼鉄皮からのドロップアイテムで、『兎鬼鉄皮の硬皮』と『兎の鬼面』だ。
硬皮の方は大狼のアイテム同様押し入れにでもしまっておくアイテムだ。嬉しいアイテムはもう一つの方。『兎の鬼面』だ。
兎鬼の顔を模したような兎が憤怒したようなその面は、兎鬼がドロップする装飾系のアイテムである。
名前:兎の鬼面
等級:希少
詳細:全ての兎の怒りが濃縮されたお面。装着者にはまるで鉄皮を纏ったかのような効果が得られる。装備者の体力を10%、防御を15%上昇させる。
効果的には鈴鹿の戦闘スタイルとはあまり合っていないのだが、そんなことはどうでもよくなるくらいカッコいい。その1点だけでほくほくする。
「めっちゃカッコいいよなぁ、これ。使いたいなぁ。これ付けてソロとかめっちゃカッコいいよなぁ」
ダンジョンという存在のおかげで、コスプレ感が強い装備をしていても何も問題がないのがこの世界だ。素晴らしい。だからこそ、このお面を付けて全身疾風兎装備でダンジョン探索する自分を想像すると、カッコいいよなぁと鈴鹿はニヤニヤする。
特にソロと顔を隠すお面という組み合わせが鈴鹿の厨二心をくすぐってくる。どこかミステリアスな雰囲気も出せ、八王子ダンジョンの隠れた実力者ムーブをかませそうだ。
「使いたい。使いたいんだけど、どうすっかなぁ」
カッコいいのでぜひとも使いたいのだが、ここでもやはり目立つという問題があった。
お面はダンジョンのアイテムとしては割とポピュラーなため、お面自体は別に問題ではない。エリアボスである兎鬼のお面だということが問題なのだ。
鈴鹿がエリアボスのアイテムを売らないのは、何も記念のためという理由だけではない。一番の理由は目をつけられるかもしれないから売らないのだ。
何をそこまで気にしているのかというと、他の探索者からのやっかみだ。
鈴鹿が探索者高校の生徒だったならまだいいだろう。探索者高校という日本全国にある巨大な組織が後ろ盾にいるようなものだ。だが、ソロの鈴鹿は誰も護ってくれる存在がいない。
日本のダンジョンは世界的に稀なくらい治安が良い。戦後活躍した英雄たちが尽力したおかげである。だが、それでも何も問題が起きないかと言うと断じてそんな事はない。
ダンジョン内では人が死ぬのは珍しくもなく、死んだ人間は時間が経てばダンジョンに吸収され死体すら残らない。そのため、人に殺されたとしても証拠が残らないのだ。
探索者は大金が絡むことも多いため、盗みや殺人は日本であっても割と起きていると言うし、国外などモンスターよりも探索者に殺されることの方が多いような場所もあると言われている。
今は探索者高校の生徒や育成所の人間もいるような低層のため危険も少ないが、2層以上になれば探索者ランクも四級に上がり自己責任という名の無法地帯へ踏み出すことになる。
そんな中に自衛の術も護ってくれる後ろ盾もいない状態で、高価なエリアボスのアイテムを身に着け探索するなど自殺行為だ。
この世界は元の世界に似ているが、ダンジョンでステータスが上昇していることで人の危険性が全然違っている。特に探索者は日常的にモンスターを殺しているため、暴力に対するハードルが圧倒的に低い。
連日流れてくる探索者絡みのニュースを見ていれば、嫌でもそれが実感させられる。元の世界とのギャップがあるためか、鈴鹿はより一層探索者たちに危機感を持っていた。
結局、安全を取るならばユニークスキル同様レベル100を超えるまでは秘匿するべきだろう。
鈴鹿はダンジョンの探索にはリスクを取るべきだと思うが、人間相手にリスクを取る必要はないと思っている。人間は姑息だし、理解できない行動を取ることも多い。そんな奴らの食い物にされるなど、はらわたが煮えくり返り兎鬼のような顔になってしまうというものだ。
「ま、エリアボスはこれからも倒すし、そのうちもっとレア度の高いアイテムも出てくるだろ。今は我慢の時だな」
そうして、広げたエリアボスのアイテムたちを押し入れへと仕舞い、明日に備えて眠りにつくのであった。




