9話 狂鬼への反応
長かったので分割しました。残りは明日投稿します。
本日(9話)、明日(10話)、明後日(11話)
横浜ギルドの顔役でもある一級ギルド、國造。代表である日吉は、つい最近まで幽鬼かと見まごう程の様相であった。頬はコケ、眼は落ちくぼみ、クマもひどければ無精ひげすらまばらで元気がない。そんな様子。
だが、今は違う。ひげは剃られ、僅かではあるが顔色も良くなった。少しずつ、改善していることが見てわかる。
理由は蜥蜴という怨敵がこの世から消滅したためだ。比喩でも何でもない。本当に、蜥蜴という組織、そして関わっていた構成員は皆殺しにされていた。
一級ギルド、それも東の特級ギルドとすら懇意にしている老舗ギルドの代表だ。アクセスできる情報も、その正確性も担保されている。その日吉が全力で調べ上げた情報が、蜥蜴が消滅したと何度確認しても教えてくれた。
川崎のテロに関わっていた人員は全て殺され、怪しいと踏んでいた者も、そうでない者すら証拠と共に死体の山が築かれた。探索者法では殺害にまで踏み切れない者も、探索者でもないヤクザのために捕まえても懲役数年で済みそうな人間も、ことごとくが死体をさらした。
日吉はその死体を見ている。何体も何体も、死体を。その死体全てに言えることは、この世の終わりのような、壮絶な死に顔であったこと。皆が眉根を寄せるその顔を見て、日吉だけは恍惚とした笑みを浮かべたものだ。
ランドタイガーを強制捜査すれば、死者が身辺整理でもするかのようにアイテム類や証拠となる証言を事細かにまとめたリストが置かれていた。丁寧に、殺害された者たちと、殺害するほどではないが関わっていた者たちと分けられていたくらいだ。
殺害された者たちの罪状を見ても、法律では死刑とならない者も多くいた。殺人幇助などいい例だろう。先の川崎では、実際に手を動かしたのは探索者崩れたちだ。唆し、何重にも追跡できないように間を挟んでいた者たち。それらは一様に殺害リスト入りをしていた。
当然、そのリストには横浜の各ギルドを脅して回った人間も含まれている。ただ、そんな人間たちは先の他殺死体とは訳が違った。まるで日吉がやられたことをそっくりそのまま返す様に。彼らは皆自分の友人や家族を手にかけた後に死んでいた。それも目を覆いたくなるほどの凄惨な殺し方で。
殺されていたのは彼らの身内だ。死刑どころか犯罪すら犯していない善良な市民たち。そんな人たちを、彼らは手ずから殺していた。まるで自分たちがやった行いがどれほど醜悪極まりないか確かめるかのように。彼らが胸に抱いた気持ちは、押収された携帯のメールから読むことができた。一様に、心の底から死にたいと願うような慟哭が綴られたメール。
それはまさに、日吉が抱え続けている闇の部分を吐き出したかのような文面であった。
当然、それらは横浜を中心に起きただけでは止まらない。蜥蜴の本拠地とされる広島を中心に、大阪や名古屋など各地に根を張っていた蜥蜴たちが皆、死体で発見された。それはまさに、蜥蜴という組織が物理的に消滅したことを意味していた。
日吉は蜥蜴を自分の手で殺したかった。その後に探索者法によって自分が殺されようとも受け入れる気持であった。手ずから復讐を為したい。だが、それは末端を殺したかったわけではない。諸悪の根源そのものを殺してやりたかった。日本に地獄を呼び起こした報いを受けさせるために。しかし、冷静な頭がそんなの無理だろと日吉を冷めた目で見ていたことも事実であった。
蜥蜴の代表は特級であり格上、幹部たちは全て一級であり、対人戦等も十八番だろう。搦め手を使われれば、川崎の件からも日吉では対処できないことは目に見えている。東京と協力して蜥蜴を潰しに行ったところで、皆殺しなんてありえない。殺すことが許可されている指名手配犯共は殺せるが、悠長に残って待っているとも思えない。結局、下っ端だけが残った拠点を一斉検挙で証拠集めの差し押さえが関の山。それすらも令状をどの証拠をもって発行するかで揉めるレベルだろう。
そして、そんな相手が悠長に証拠を残しておくとは思えない。結果、西の地に東が根を張って行動を阻害するように監視網を強めることが関の山だろう。警察や協会を使って動いてはいるものの、いまだに上がってこないと言うのはもみ消されているからに他ならない。協会や警察組織を自浄したところで、どこまで効果があるかもわからないと言うのに。
そんな、日吉が求めている結果と比べると目糞鼻糞レベルの成果しか、きっと得られなかった。日吉を含む東が蜥蜴を潰そうと動いたところで。だからこそ、日吉はその場で蜥蜴の幹部を殺害しようと考えていたのだ。それが大義も何も無い行動だと理解していても、そうしようと思っていた。
だが、それらは全て叶えられた。日吉が理想としていた復讐。その何倍もはるか上をいくほどの徹底ぶりで。
日吉は蜥蜴に強い恨みを抱いていた。手足を切り刻み、皮を剥ぎ、茹った油に突き落としたいほどの強い恨みが。だが、今回蜥蜴の構成員が行わされた内容は、日吉では絶対に指示できないだろう鬼畜の所業。だからこそ、他人の手であろうともあそこまで徹底的に蜥蜴を潰しきった者に日吉は崇拝に近い感謝を捧げていた。
「失礼します。準一級ギルド『星雲』所属の陵南と申します」
「わざわざ来てもらってすまないね。國造の日吉だ。座ってくれ」
向かいに座るのは、4月に横浜のギルドに所属したばかりの八王子探索者高校の出身者だ。話を聞きたく、星雲の代表に取り次いで来てもらった。
ギルドには慣れたかな、横浜はどうだい。そんな世間話をする。日吉はなんてこともない会話ができるほどに、心にゆとりを持てていた。
「さて、早速で悪いけど、聞きたいことがあって君を呼んだ。その顔は察しがついてるね。定禅寺鈴鹿さん。彼について知っていることを教えてほしい」
「私は友人を売るつもりはありません」
陵南が毅然と告げる。高校を卒業したばかりだと言うのに、肝が据わってる。だが、彼は勘違いしている。それはお互いにとって不幸な勘違いだ。
「安心してほしい。悪いようにはしない。と言っても、信じるには情報が少なすぎるね。しっかりと説明しよう」
川崎掃討戦で起きたこと。蜥蜴と言うヤクザ組織の証拠は握れず攻勢に出ようにも横浜は荒れ政府が介入、時間が経てば経つほどやつらの証拠は消えていき焦燥で頭がおかしくなりかけた時に、狂鬼事変と呼ばれる事件が起きた。胸の中に積もり積もった澱が吹き飛ばされたほどの衝撃を受けた。どこまで狂鬼が関与したかはわからない。だが、確実に彼がトリガーを引いたことだけはわかる。その決断をしてくれた彼に、日吉を始めとした横浜のギルドは深く深く感謝しており、彼の力になりたいと切に思っている。
「今回狂鬼さんが絡んでいることは明白だ。動画もあるしね。ただ、それだけではどこまで関与しているかはわからない。わかっていることは蜥蜴の代表を殺していることだけ。無論これは探索者法的にも問題の無い行為だよ。大久野は指名手配されていた探索者だからね。けど、警察は狂鬼さんが蜥蜴の構成員の大量死に深く関与していると捜査を進めている」
多くの蜥蜴の構成員が、家族や友人を殺害し自殺する前に、狂鬼に関わるなという趣旨のメールを送信している。これが非常に面倒くさいことになってしまっている。殺人幇助に狂鬼が関与しているのではないか。それが例え蜥蜴と言うヤクザ組織であろうとも、死刑とまで行かない者たちを殺す行為を野放しにはできない。蜥蜴という組織が崩壊し余ってしまった警察組織のリソースが、狂鬼に割かれようとしていた。
「これについて、國造を始めとした横浜のギルドが猛反発している。星雲もだね。証拠はメールとされているけど、どこにも狂鬼さんに脅されたとは記載が無いんだ。全部関わるなだけ。これを証拠に狂鬼さんを捕まえると言うのならば、もっと前に西にメスを入れられただろと、抗議しているところさ」
警察側は『洗脳』というスキルによるものではと検証を進めている。だが、そんなスキルはこれまで確認されておらず、洗脳のスキルだったとしてスキルは本人にしか確認することができない。シュレーディンガーの猫の様に、そもそも狂鬼を起訴することはできないだろう。
それなのに警察が動いているのは、狂鬼に首輪をはめようと画策しているからに他ならない。何がどうしてああなったのかはわからないが、狂鬼一人で百人以上もの人間が殺されている可能性がある。今回はたまたま犯罪者だった。しかし、その力が善良な民に向かないとも限らない。それを恐れているのだ。
実際、狂鬼が暴れれば抑え込むことは不可能に近い。剣神という国家防衛の要を切らざるを得ないが、下手したら剣神すら危うい。超越者とは、そう言う存在なのだ。あのアメリカでさえ、たった一人の超越者に国が頭を垂れた過去がある。
「だから横浜が狂鬼さんの防波堤になるよう動いているんだ。ただ、もちろん狂鬼さんがこれから先蜥蜴のような蛮行に及ぶならば我々も非難する。ただ、今回の蜥蜴の一件。これに関してだけは、無条件で狂鬼さんを国から守る。その覚悟が我々にはある」
たしかに蜥蜴の構成員の手によって罪なき一般人も被害にあっている。だが、川崎の件でも一般人の被害者は大量に出ていた。日吉を始めとしたギルドの身内だって殺されているのだ。それなのに政府が黒幕であろう蜥蜴への攻勢に待ったをかけたのだ。今回も待ったをかけない理由はないはずだ。悪しき前例を作った政府への憤りも含め、横浜は狂鬼への捜査という名の首輪を全力で防いでいる。
無論、そんなことをして狂鬼が暴れた場合の責任を国は取れないので、首輪をはめるなど実際は行えないだろう。仮に狂鬼が暴れた場合、鎮圧に特級探索者は必須。参加者の9割9分死ぬだろう。超越者である2名の剣神ならば殺せるかもしれないが、超越者に並び立つ若者をいらぬ国の保身のために多大な被害を負って害するリスクなど取る必要もないはずだが。
それに、横浜のギルドでは警察への抗議だけでなく、現在定禅寺家周囲の巡回警備も持ち回りで行われていた。定禅寺家を名指しで指定してしまうと情報が拡散される恐れがあるため、その周囲一帯のエリアをギルド員を動員して巡視を行っている。選ばれたギルド員たちは日吉と同じく狂鬼の行動に救われた者たちだ。
彼らが所属しているのは横浜のギルドである。横浜にほど近い川崎が地元だった探索者だって数多くいた。であれば、彼らの友人知人が被害に遭った者も多い。その者たちは、日吉に負けず劣らずの恨みを抱えていたのだ。そんな彼らの願いを成就してくれた狂鬼の力になることに、彼らは手間を惜しまない。
今回狂鬼が行った蜥蜴への制裁は、川崎の市民や横浜のギルドからすれば胸のすく思いであった。自分たちの復讐を代行してくれたと思った者も多くいるし、まるで悪を打ち砕くヒーローのように感じられもする。しかし、今回の狂鬼事変の結果、蜥蜴による無理心中が発生し少なくない一般市民にも犠牲が出ている。
そこで生まれた犠牲は、狂鬼が動いたから生まれた犠牲とも捉えることができる。その結果、狂鬼に対して恨みを募らせる者が出てくる恐れもあった。特に狂鬼が洗脳したなんて話もネットには出ている。それは日吉も同様の考えで、洗脳というスキルを使ったのかと思いもしたが、証拠はない。しかし、復讐をする者にとって証拠など別に必要ないのだ。それを日吉は知っている。
だからこそ、定禅寺家を含めた警備に力を入れていた。これを提案したのが自分ではないことに日吉は業腹であったが、狂鬼の身内の安全を優先し警備に人員を割いてあたっていた。
「定禅寺さんの個人情報については、恐らく君よりも詳しい立場にあるからね。彼の不利となるような情報を望んで、君を呼んだわけではない。陵南君には狂鬼さん、定禅寺さんの性格について聞きたいんだ。彼の人となりを知り、意向に沿った対応ができる様に」
「……話はわかりました。ただ、私は彼との関りはそこまでないので、詳しいことは話せないですよ」
「構わない。今は何でも知りたいんだ。すまないが、彼のために動けるように、我々に力を貸してほしい」
そう言って、日吉は頭を下げた。その行動に慌てて陵南は頭を上げるように言い、彼が知っている狂鬼の性格を日吉へと伝えることにした。個人情報でもないただの人となりなら、問題ないだろうと判断したことも理由である。
ただ、この時、日吉は陵南に一つ嘘をついた。
『もちろん狂鬼さんがこれから先蜥蜴のような蛮行に及ぶならば我々も非難する』
これは嘘である。日吉を始めとした蜥蜴に強すぎる怨念を抱えた者たちは、如何なる理由であろうとも狂鬼を支持する。彼らが血反吐を吐く思いで諦めた願いを成就させてくれた神の如き存在に、彼らは忠誠を捧げている。その様はまさに教祖を信奉する狂信者。彼らは狂鬼に魅入り、敬虔なる教徒となったのだ。
陵南に向ける日吉の目の奥には、狂気が渦巻いていた。
◇
愛知県と静岡県の県境に近い場所に、その老人はいた。
「豊橋さん、お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだな」
老人の自宅には、精悍な顔つきの男が来訪していた。身体つきもしっかりしており、強者の風格がある。
そんな男にお茶を出しながら、老人は問う。
「こんな老いぼれの家にわざわざ来て、どうしたんだ?」
「毒魔法について興味深い映像を入手いたしました。是非、豊橋さんに見て頂きたいと思い、訪ねてきた次第です」
精悍な男は老人に頭が上がらないのか、丁寧な態度でカバンからパソコンを取り出し説明する。
「豊橋さんは狂鬼という探索者をご存じでしょうか」
「知らんな」
「ダンチューバーなのですが、笑ってしまうほど恐ろしく強いんですよ」
5区をソロで探索する異常者。初見のエリアボスと渡り合うどころか圧倒するほどの隔絶した強さ。スキル上げの方法は狂気の沙汰。強さを求めるために容易に人間性すら捨て去ってみせる狂人。
老人が現役を引退した後に、どうやら凄まじい人材が出てきたようだ。まるで神童と謳われた剣神天童を思い出す。
「その狂鬼という者が毒魔法を使うと?」
「いえ、狂鬼は毒魔法を使いません。覚えている魔法は雷魔法と水魔法ですね。それも普段は使用していないため、魔法使いや魔剣士のような魔法を軸に据えたタイプの探索者でもありません」
探索者はレベル50以降から始まるステータスの勾配により、自ずと適正となる戦い方が決まってくる。魔法を攻撃の軸とする魔法使いや、近接戦闘をこなしながらも魔法による幅広い戦い方を行う魔法剣士は、魔力や知力のステータスが伸びやすい。一方で、狂鬼のようにゴリゴリの近接職は攻撃や敏捷の値が上がりやすくなる。
もちろん魔力や知力もそれなりに高いだろうが、本職と比べたら劣るだろう。だからこそ、普段から雷魔法を使っていないのではないだろうか。狂鬼が雷魔法を強化したのはレベル100を超えてからである。であれば、そこから魔力や知力が上がるようなステータス上昇は起こらないだろうと推測される。
あとは、単純に使い慣れていないという点も考えられる。使わなくてもモンスターを倒せてしまえば、わざわざそのスキルを使う機会が無くなってしまう。贅沢な話であるが、狂鬼ほど強ければそうなるのも無理もない。
「毒魔法を使うのは狂鬼が戦闘した男です。西に構えるヤクザの元締めの様で、特級とのことでした」
「ほう。西と言えば蜥蜴か? だが毒魔法を使うなど聞いたことは無かったが……」
老人は蜥蜴という組織を知っていたようだが、その記憶では毒魔法を使えるとは聞いたことがなかった。
「恐らく本人は使えないのでしょう。ご覧ください。盾の取り回しがうまいため、恐らくタンク職だったのではないでしょうか」
男が見せる映像では、一方的に蜥蜴に姿を変えた男が殴られていた。とても特級と言われた者との戦いの様子とは思えない。蜥蜴男が長いことダンジョン探索を行っていなかったということもあるのだろうが、それにしてもここまで一方的に嬲れるのは狂鬼の強さがわかるというものだ。
「ここです。このガスマスクのような面を着けてから、毒魔法を多用します」
「ほう。これは……なぜこの小僧は死なんのだ」
老人はガスマスクが操る毒を理解した。理解し、その上で疑問に思う。何故これほどの毒を浴びて生きているのかと。画面には無色透明の毒が蔓延している。それは狂鬼の臓腑を腐らせ全身を侵していることだろう。吐血している様子からも、毒無効のようなでたらめな力は持っていないことがわかる。
「透明化しているとはいえ、このレベルの毒は特級であろうとも無視できぬはずだぞ」
「ああ、この狂鬼という男はでたらめな存在なので、気にしたらキリがないです。何でもありの存在ですので」
そう男がフォローするが、老人には理解できなかった。狂鬼は視認できるレベルの猛毒の結界へ何のためらいもなく足を踏み入れている。効いていないはずはない。顔からの出血が毒の効果を物語っている。それでも、そんなレベルで済んでいるのがそもそも異常であった。
高すぎる状態異常耐性。恐らくレベル7はあるはずだ。そうでなければ、これほどの毒を受けてあそこまで身体を動かせている説明にならない。
「ポーションは飲んでおらんな。回復魔法か、聖魔法か」
「狂鬼は自己再生というスキルが発現しております。恐らくそれが作用しているのではないかと言われておりました」
殺すために練り上げられた毒を味わう様に肺一杯に吸い込む狂鬼。状態異常下で能力が上がるユニークスキルでも発現しているのだろうか。
狂鬼が異常すぎるあまり、ガスマスクが行使する毒魔法に目が向かない。毒魔法が発現した者としてガスマスクに興味が尽きないが、それ以上に毒を無効化し続ける狂鬼という異質な存在に魅せられる。
「状態異常耐性のスキルが上がるか。これほど毒を浴び続ければその結果は当然か」
麻痺毒を浴び動きを停止した狂鬼が、錆びついたロボットのように動き出せば、すぐさま完全に毒を無効化して見せた。状態異常耐性のレベルアップ。それも当然だと頷けるが、それほどの毒を浴びながらも生きていることに対する違和感が凄まじい。
「ここからです。恐らく豊橋さんの毒に近いのではないかという毒を、ガスマスクが創り出します」
男の言う通り、一度は外れかけたガスマスクが蜥蜴男へと更に深く取りつくと、空間が歪むほどの毒の領域を創り出した。
それは老人が編み出した毒と同系統の毒。しかし、そこに込められている洗練された毒性は、老人よりもはるか先をいっていた。それは頂の毒。老人が探求し続け、それでも手に入れることができなかった御業の境地。
その毒が画面上で展開されていた。老人は瞬きすらできず、画面を食い入るように見る。
視線の先は絶死の世界を創り出すガスマスクではない。その毒を受け止め、それでも生きて動いている一匹の鬼に注がれていた。
次の瞬間、絶死の世界が消え去った。ことごとく、末端まで余すことなく浸食されたかのように跡形もなく消えた。
「これは……」
仮説を検証するかのように、老人は何度も何度も同じ場面を繰り返し見続ける。その顔はまさに研究にとりつかれた学者のそれ。その顔を懐かしげに見ながら、精悍な男はぽつりと呟いた。
「やはり、あなたにはその顔が似合っていますよ。蠱毒の翁」
少し冷めた茶をすすりながら、男は老人が納得するまでただ待つのであった。
◇
香川県。言わずと知れた圧倒的うどんのおいしさを誇るこの県に、一つの企業があった。名を鳴鶴。社名の由来となった鶴の一声のように、業界に鳴鶴あり、鳴鶴の製品がその業界の解となる、そんな強気な社名を掲げている。
メインは探索者向けのアイテムを製作するメーカーで、探索者クオリティのアウトドア用品も手掛けるブランドだ。職人手ずから作り上げた製品はどれも一級品であり、その品質の高さから国内外で高い評価を受けている。
そんな鳴鶴の技術者は、実験室で失意の顔を浮かべていた。
「ダメだ。やはり普及魔材じゃ限界がある。希少魔材の魔力特性がどうしたって必要だよ」
「わかってる。そんなのはわかってるけど、この製品をまかなう量となるとさすがに必要数量が多すぎる」
「製品上問題ないかを検証するためにも、実験段階は希少魔材を使用するべきだって!」
「俺たちがやっているのは製品開発だぞ? 基礎研究じゃない。希少魔材で物が出来ようとも、数が作れないんじゃ話にならない。数台作って終わりの製品じゃないんだ。量産化できない製品を評価する意味もない。それではコンセプトがブレる」
お互いがお互いのモノづくりに対する目線があり、考えがある。ただ良いモノを作りたい。世の中をより良くしたい。その思いだけは共通している。
「そうは言っても、出来ることを確認しておくのも意味があるだろ。希少魔材は貴重だけど、今は狂鬼のおかげで流通もするようになったんだし」
「それでもまだまだ希少なのはわかってるだろ。それにうちじゃ狂鬼が持ってきた素材を買えないのはわかってるだろ」
希少魔材とは、4~5区で得られる素材系アイテムの総称だ。魔力効率も良く魅力的な素材であるが、4~5区は通常よりも危険なエリアとされており、探索者が探索しなくなって久しい。その結果、希少魔材は常に高騰しており、企業がトップギルドに依頼してアイテムを取得してきてもらうのが当たり前になっていた。
かく言う鳴鶴もそれを依頼してきた実績がある。希少魔材も在庫はあり、評価することはできる。だが、無駄な評価に希少なアイテムを使えるほど潤沢には無い。希少魔材は鳴鶴が作成するハイエンドモデルにのみ使われる素材だ。使用するにも多くの上司のサインが求められる。
今は狂鬼というイカれた探索者が一人で4~5区の探索をし、アイテムを持ってきてくれるため市場に流通するようになった。しかし、狂鬼はあまり通常モンスターを倒すことは無く、エリアボスのアイテムも放出しない。協会に売られたアイテムは他の大手企業が根こそぎ持って行ってしまうため、残念ながら彼らの元までは運ばれてこなかった。
「身体強化の特性もまだうまく再現できてないんだ。電気魔法に通づる魔力の行使。これを安定的に発現するには、やはり希少魔材の特性が不可欠だと思うんだよ」
「それはわかる。普及魔材じゃどうしたってロスが大きすぎるんだ。強化魔法は維持し続ける必要があるからな。すぐにダメになっちまう」
二人の前には焼けこげた布が置いてあった。他にも、魔石がはめ込まれたアームカバーのような物など、多くの試作品が転がっている。
「プロテクターに刻み込むにも限度がある。絶対に布でも回路を刻まないといけないんだ。考えるしかない」
「わかってる。これが出来れば川崎の悲劇なんて起きないようにできるはずなんだ。俺たちが一歩遅かったからあの惨状は起きた。もう二度と起こさせないためにもやるぞ」
「ああ。俺たちが日本の平和を守る。探索者の時代をひっくり返すぞ!」
彼らのいる実験室の壁際、そこには1体のマネキンが置かれていた。マネキンに取り付ける用に貼り付けられているのは外骨格のような物。パワードスーツであった。マネキンの頭上に掲げられているのは『プロト1』。
彼らの開発は、まだ始まったばかりである。




