閑話 能代つかさ
秋田の寒村。そこで私は生まれた。
人口減少に歯止めが利かず、小学校は廃校。中学に上がるタイミングで、県内の少しだけ栄えた町へと越してきた。
日照時間も短いこの陰気な町は、常に曇天が町の空を覆う、寂れた場所。名産品と言えば閉塞感くらいだろうか。ろくなものはなかった。
だからだろうか。やることのない暇を持て余した子供たちは、スポーツに打ち込むことも、勉学に励むこともせず、盛ることか他人をイジメることに精を出す者しかいなかった。
そんな陰鬱な町で、能代つかさは今日も部屋でダンチューブを見ていた。
くだらない理由で学校でいじめを受けたつかさは、中一の終わりには学校へ通わなくなっていた。暇を持て余していたつかさの暇つぶしは、専らパソコンでネットサーフィンをするくらいだ。学校に通わなくなったつかさを見かねた両親が、これからはパソコンに強い奴がいい企業に就職できるのだと、何のテレビの影響か知らないがつかさにパソコンを買い与えてくれたのだ。
おかげでつかさはパソコンで多くの偏った知識を得ることができた。その中でも興味を惹かれたのがダンジョンについてであった。ダンジョンではモンスターを倒せばレベルが上がり、一般人よりもはるかに強くなれるという。
特につかさの心を惹きつけたのが、いじめへの復讐に対する社会的問題だ。毎年いじめへの復讐を誓ってダンジョンに入り、病院送りになる中学生や高校生が後を絶たないという。しかし、稀に探索に成功し、レベル上げを行った人物もいる。数年に一人程度の割合だが、成功例は確かにいるのだ。その結果、その人物たちは復讐を遂げ、無事刑罰に処されているが、それでも彼らはやり遂げたのだ。
そこに、つかさはカタルシスを感じた。彼らの勇気に憧憬すら抱いた。
それと同時に、自分自身の置かれた状況に嫌気もさした。自分は逃げ出し、両親の庇護のもと、殻に引きこもり続けている自分を、激しく嫌悪した。
それでも、つかさは家から出ることができなかった。ちょっとずつ、ちょっとずつでいいから出ようと思っても、身体は言うことを聞かない。胸が締め付けられ呼吸は浅くなり、胃は握りしめられたように苦しくなる。
つかさを見るクラスメイト達の視線、女子はつかさと喋るといじめの標的にされると思いつかさを遠ざけ、男子はきめぇきめぇとつかさに暴言を吐きながらも下心が透けて見える下劣な視線を向け、つかさをいじめたグループは視界に入るたびに囲まれ全てを否定してくる。
上靴は無くなり、トイレでは上から水をかけられ、移動教室の度に私物が無くなり荷物は床に散らばっていた。教師に相談しようにもイジメの主犯格たちは教師と仲が良く、相談する前からその道が閉ざされているように感じた。
ついにつかさは家から出れなくなり、そこから今も薄暗い部屋で一人パソコンをいじっている。
そんなつかさは、何度も何度も見返した映像を、今日も見る。
それはある一人のダンチューバーの映像。狂鬼と呼ばれたダンチューバーは、他のダンチューバーとは一線を画す異彩を放つダンチューバーだった。
つかさが狂鬼を見つけたのは必然だった。
いつかあのイジメの加害者たちに復讐してやろうと、つかさはダンチューブを見るようになった。どうすれば一人でもダンジョンでレベル上げを行えるか必死に学び取るように、つかさはダンジョン関係の動画を片っ端から見ていた。皮肉なことに学校に行かないことで時間はあったので、多くの動画を見ることができた。
そんな時、変な動画を見つけたのだ。それは狂鬼が初めて配信した動画。背中ばかり映ってて、たまに宝箱を開ける、そんなよくわからない動画。つかさも宝箱の存在は知っているが、そんなバンバン出てくる物ではない。だから気になって掲示板なども見ながら、その探索者を見ていた。
そこからどんどん狂鬼に惹かれていった。なぜここまで惹かれたのかは簡単だ。狂鬼が一人で探索をしていたからだ。つかさも15歳を超えたらあいつらに復讐してやるためにダンジョンに一人で行こうと思っていた。だから、一人で探索する狂鬼に自分を重ねていたのだ。
狂鬼が撮影するモンスターたちは狂暴の一言で、つかさなど見ただけで腰を抜かしそうなオーラをまとっている。それなのに、狂鬼は朗らかにモンスターを解説しながら、時には一撃で煙へと変えた。その強さに、つかさはよりはまっていく。
歳も一つしか離れていないというのにつかさが見てきたどのダンチューバーよりも強くて、それでいて威張り散らしもせずコメントにも優しく答えてくれる。つかさが相談したときも、他のコメントに怒ってまでつかさを応援してくれた。
だからつかさは応えなくてはならない。狂鬼の期待に。狂鬼に恥じぬように。
「行ってきます、狂鬼様」
そして今日。つかさは15歳を迎えた。4月の上旬と早い誕生日のおかげで、つかさは学年でも上位の早さでダンジョンに入ることができる。
東北では仙台に低層ダンジョンがある。あの剣神も探索したという箔があるダンジョンだ。秋田と仙台は遠く離れているため、高速バスを利用していく必要がある。中学生のつかさにとって安くない金額だが、しょうがない。引きこもっていたことで使い道のなかったお小遣いたちの出番である。
両親は仕事に行っているため誰もいないリビングに、つかさは書置きを残す。ダンジョンで頑張って生きていきますとシンプルなものだ。しかし、つかさはハタと手を止める。両親には迷惑ばかりをかけてきた。こんな引き籠りになったつかさを怒ることもせず温かく見守ってくれた。それなのにこれはあんまりだろうと。
しかし、つかさの決意は変わらない。狂鬼という光に追いつくためにも、つかさはダンジョンに行く必要があるのだ。
だから、書置きの文言だけを変える。『今までありがとう。ダンジョンで自分を鍛えなおします。何があっても半年後には帰ってきます』と。あまり変わっていないかもしれないが、半年後まで生きて両親に会いに戻ると文面で誓う。
全然履いていないというのにホコリすら被っていない靴に両親への愛を感じながら、つかさは一歩踏み出した。あれだけ足に根が張ったように外に出れなかったはずなのに、あの兎が怒ったようなお面を着けた狂鬼を思えば苦も無く外に踏み出せた。そのことに、つかさは狂鬼への感謝をさらに深めた。
つかさは一人では何もできない。けれど、狂鬼がいると思えれば、つかさは何だってできる気がした。
外に出られたつかさは、大きな荷物を背負い込み移動する。行き先は高速バス乗り場ではなかった。たどり着いたところはスポーツ用品店。一通り物色し、お財布と相談した結果、つかさは一本のバットを購入した。白地に黄緑の装飾が施された派手なバットは、ソフトボール用の細長いタイプのバットだ。これなら自分でも振れるかもしれないと、気に入ったデザインのものにした。
その足でつかさは通わなくなった中学校へ向かった。ドキドキだった。心臓は早鐘のように打ち付け、暑くもないのに脂汗はしたたり、胃液がせりあがりうずくまりたくなる。
それでも、先ほど買ったバットを大事に抱え込み、つかさは進み続ける。バットを握りしめていると、狂鬼から勇気を貰えるような気がした。
誰かに呼び止められるんじゃないか。そう怯えながらも、つかさは校舎の中へと入ってゆく。時刻は16時過ぎ。部活をしている生徒はいるが、教室までの道のりに他の生徒は見られなかった。学校のジャージを着てきたため、歩いていてもわざわざつかさに寄ってくる者はいなかった。
つかさは3年1組の教室へと入る。懐かしさのかけらもない、思い入れどころか嫌悪さえする記憶しかない教室。つかさは思わずバットを握りしめる。別にバットを振りまわして暴れるつもりはない。せっかく敬愛する狂鬼と同じバットを買ったのだ。そんなことに使うためではない。ただ、バットを握りしめればすくむ足が動いてくれるから。そのために、つかさはバットを握りしめる。
そのまま教室の中へと進み、つかさは黒板に決意表明を書く。
『私は探索者になる。せいぜい今を楽しめ。能代』
それはつかさが今できる精一杯の復讐。つかさにとって、こんな狭く陰鬱な町で蹴落とし合うようなクラスメイト達など、もはや眼中になかった。こびりついたイジメの残滓が身体をこわばらすが、バットを握りしめればそれも和らぐ。つかさは狂鬼にイジメへの復讐を肯定されて、逆にイジメへの復讐をやめることに決めた。
気づいたのだ。私の人生は私のモノだと。あんなちっぽけな奴らに費やしてやる時間なんてないのだと。狂鬼様に追いつく。そして受けた恩を少しでも返せるように尽くす。そのために私の人生はあるのだと。
心臓がバクバク言っていた。学校を出て高速バス乗り場まで向かう足取りは軽く、衝動のままに駆け出していた。生まれて初めて味わう、多大な達成感。その感情の爆発が、つかさの情緒をかき乱す。
ただ学校に侵入し、誰もいない教室で大見得を切っただけ。肝心のイジメた奴らはどこにもいないというのに、つかさの復讐したいという気持ちは昇華された。
こんなダンジョンもない田舎町であろうとも、イジメられた者がダンジョンでレベル上げをして復讐するなんてことは当たり前に知られている。ただ、イジメてた奴らはつかさがそんなことしないだろうと思っていることだろう。運動部でもなければ、つかさ自身にそんな度胸は無いだろうとも高を括っているはずだ。
だが、あのメッセージを見れば嫌でも意識するはずだ。あの時イジメた奴が復讐しに戻ってくるって。もうイジメていたことなど奴らの記憶の彼方に消えているだろうが、あれで思い出すはずだ。イジメは終わっていないのだと。そしていつまでも怯えて過ごすがいい。いつか背後を襲われると。
そんなに上手くいくかはわからない。本人たちは自分たちに対するメッセージとも受け取らないかもしれない。でももうどうでもよかった。つかさは為したのだ。復讐を。それはちっぽけで小さな嫌がらせかもしれないが、あの暗い部屋から這い出て復讐を遂げたのだ。ならばもうやり残すことはない。
「アッハッハッハ!! 狂鬼様!! 私はやりました!! やれたんです! 出来たんです!! ならダンジョンでだってやっていけます!! なんだって今ならできます!! 待っていてください!! あなたの光に少しでも近づけるために!! いつの日か、私はあなたの手足となってみせますからッ!!」
つかさの瞳は輝いていた。爛々と。まるで熱に浮かされる様に。
強い思い込みは時に大きな力となる。脳のリミッターを解除し、普段とはかけ離れた力を出すこともあるだろう。何よりつかさがこれから挑むのは摩訶不思議な力が働くダンジョンである。様々な常識が覆される魑魅魍魎溢れるダンジョンで、狂鬼という異端児を狂信するつかさがその思い込みと盲目さを持って挑むのだ。何が起こるかはダンジョンのみぞ知る。
高速バスに揺られながら、自分自身を護ってくれるお守りの様に金属バットを抱き寄せ、能代つかさはダンジョンを目指すのであった。




