17話 狂天童子3
鈴鹿が今まで見ていた景色とは異なる景色が眼前に広がる。いや、見え方だけではない。狂鬼の複数の声が重なり合うような不可思議な声はそれぞれの波長ごとに分かれて聞こえ、身体は重力も空気の抵抗も関節という可動域という縛りすらも解き放たれたように自由に動く。
ちかちかと光が爆ぜ、眼や鼻から溢れ出す血で顔面を赤く染めながらも、鈴鹿は最高にハイになっていた。
人体実験が如く過剰に強化された脳が、狂鬼の攻撃に対する鈴鹿の対応を何通りも示してくる。鈴鹿はその中で一番ギリギリで、リスクが高く、コンマ1秒でも遅れようものなら狂鬼の拳が顔面に突き刺さるだろう選択肢を採用する。
それが一番面白そうだから。
それが一番達成したときに気持ちよさそうだから。
それが一番成長できる道だと思えるから。
「アヒッハッヒャッハッハッハッハ!!! 狂鬼ぃぃいいいいい!!! まだまだ足りねぇぞ!!」
鈴鹿は狂鬼に要求する。まだだと。もっと行けるだろと。
「お前の飢えはその程度だったのかぁぁあああ!!?? まだ上がるだろッ!!! 一緒に行くぞ狂鬼ぃいいい!!」
鈴鹿が自身の身体に掛かる負荷を度外視した強化をすることで、狂鬼もまた鈴鹿に合わせる様に動きのキレが増してゆく。お互いがお互いを高め合う様に、強制的にステージを上昇させられる。上昇できなければ待っているのは死。そのチキンレースを楽しむように、二人は笑顔で手を取り合い、高みへと至る。
片や滅却の権能を持つ破壊の権化。
片や不死の権能を持つ不死身の異端者。
混ぜるな危険の薬品のように、二人は危険なまでにお互いの力を引き出してゆく。狂鬼は永い間さび付いた身体を目覚めさせ、鈴鹿はイカれた思考で無理やりにスキルを強化する。
『面白い!! 面白いぞ鈴鹿ッ!! 我はこれを求めておったのだ!! 死の淵に片足を入れてこそ戦いと呼ぶのだ!! 我の命を取って見せよ鈴鹿!! 出来ねば我が貴様を破壊するだけだッッ!!!』
「やれるものならぁあああああ!! やってみろよ狂鬼ィイイイイイ!! そんな攻撃じゃ一生無理だろうけどなァァ゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!」
狂鬼は心の底から鈴鹿との戦いを楽しんでいた。
狂鬼が求めていた戦いはこれだったのだ。ずっと待ち望んでいた全てを賭した戦い。
狂鬼が持てる力を解放しても簡単に死なず、気を抜けば逆に飲み込まれ自分の命すら奪われかねない戦い。喉元に牙を突き立てられたような、死が隣にいる感覚。こんなこと、狂鬼が最後に感じたのは何時のことだろうか。
狂鬼は深魔界の外れでその生を受けた。物心つく頃には一人であった。親はおらず、不毛な大地が広がるのみの深魔界で生きてきた。
獣に襲われれば殺して喰らい。凶悪な魔物が襲い掛かれば殺して喰らい。魔人共が襲い掛かって来れば殺して喰らってきた。
だから狂鬼にとって生きることは殺す事であり、生きることは奪うことであった。
狂鬼という一匹の鬼は、深魔界という怪物ひしめく魔境の地であっても異質な強さを持っていた。その噂は深魔界に存在する街や都市でも噂となり、倒して名を揚げようとする者が現れるほどに。
その結果、狂鬼は深魔界を跋扈するモンスターたちを喰らうだけでなく、挑みに来る獣人や魔人、時には鬼人とも戦うこととなった。しかし、狂鬼にとってそれらは弱かった。殺して喰らう以外の感情すら湧かぬような、取るに足らない食材であった。
狂鬼はただそこにいるだけで、餌がやってくる。たまに倒すのに苦労する者もいたが、それもすぐに狂鬼の餌となり果てた。
狂鬼の額にある第三の眼。その眼を通して世界を見れば、どこを攻撃すれば相手が壊れるのかが手に取るように理解することができた。その眼の力を使った狂鬼に勝てる者など、たとえ魔界の中でも最奥の地である深魔界といえども存在しない。
それを証明するように、深魔界を統べる魔王が狂鬼のもとへとやってきた。
狂鬼に挑む者が後を絶たず、狂鬼を滅しようとした魔王直轄の精鋭が返り討ちにあったことで、魔王自らが狂鬼のもとへとやってきたのだ。
二人の間に言葉は無く、既に臨戦態勢の狂鬼は魔王へと襲い掛かった。まるで獣の様な攻撃方法。狂鬼は卓越した戦闘センスと直感を武器に、全ての敵を喰らいつくしてきた。しかし、魔王は他の雑兵とは訳が違った。
狂鬼の攻撃が当たらないのだ。不可思議な術でも使っているのかと思ってしまう程、魔王は狂鬼の攻撃を回避し、狂鬼の攻撃は空を切り続ける。
魔王も余裕があるわけではなかった。狂鬼の持つ滅却という圧倒的な力と、ここまで生き抜いてきた狂鬼の天性の戦闘センスが魔王に攻撃の手を奪い、防御に専念させていた。
特に狂鬼の滅却の権能が厄介であった。下手に武器で受ければ、武器ごと破壊されかねない力が狂鬼には宿っていた。だからこそ、魔王は回避に専念し、決定的な機会まで耐え凌いでいた。
狂鬼が魔王に順応するのが先か、魔王が狂鬼に一太刀入れるのが先か。どちらに軍配が上がるともわからない拮抗した勝負であった。
この時、狂鬼は生まれて初めて相手に向き合って戦っていた。生死をかけた戦い。思考し、工夫し、学ばなければ喰らえぬ相手。いつ自分の首が落とされるかという緊迫した戦い。
生まれて初めて味わう真剣勝負。狂鬼はこの時、初めて生を実感し、生まれてきた意味を知った。
目の前の魔王を喰らい、今よりも強くなる。まだ見ぬ魔王の様な者と出会い、喰らい続ける。それこそが、狂鬼が生きるべき世界であり、求めた世界であった。
この二人の戦いはそう長引くことなく決することとなった。狂鬼の綻びを待った魔王は倒れ伏し、上半身と下半身が泣き別れしていた。
相手が狂鬼でなければ魔王の選択は正しかっただろう。狂鬼の荒々しい攻撃はその分粗も多く、付け入る隙は必ず表れたはずだ。しかし、狂鬼は今日、ようやく目覚めたのだ。狂鬼の粗がでるよりも、目覚めた狂鬼が高みへと駆け上がる速度の方が、圧倒的に早かった。
『我が……負けるとはな』
散り行く命の瀬戸際で、魔王が狂鬼へ語る。
『これから……我の部下が来るだろう。我を倒したお前は……深魔界の王となる……』
『王? 王になると何があるのだ?』
『この深魔界の王になろうとする……貴様のように強き者と戦うのだ』
王の仕事は数あるが、魔王は狂鬼に必要な情報だけを告げる。
『捨てるも、その座を譲るも、王となり戦いに明け暮れるも、貴様の自由だ』
狂鬼の滅却の力により、魔王の崩壊が進んでゆく。
『貴様の……名は何だ』
『名とはなんだ?』
『名すらないか』
狂鬼は生まれてこの方、向かってきた者を殺し喰らうだけの生活をしていた。名などなく、意味すら理解していなかった。
『ならば我が贈ろう……。天すら狂わす力を持つ鬼なれば……今日から貴様は狂天童子、狂天童子と名乗るが良い』
その言葉を遺し、魔王は消滅していった。魔王の言う通り、すぐに魔王の部下を名乗る者が狂鬼の下へ尋ね、狂鬼は深魔界の王となった。血が滾る、生か死かの戦いに明け暮れるために。
しかし狂鬼は強すぎた。時折魔王の様な強さの者もいたが、大概は狂鬼よりもひどく劣る存在達だった。その者たちと互角に戦えるよう、滅却の力を抑えるために第三の眼を封印しても、あくびが出るほどの差があった。
それでも、戦うことに生を見出した狂鬼は、些細なことでも吸収していった。己が強くなるために。敵の血肉を一つ残らず無駄にすることなく。それが余計周りとの差を生み、自身の力を縛っては吸収し強くなり、また縛る。そうして、狂鬼は深魔界の絶対の王として君臨し続けた。
その生活が何十年続いたことだろうか。狂鬼の転機となる報告が配下からもたらされる。
『狂鬼様。魔都の近郊に突如出現した穴蔵ですが、中は異界へと繋がっておりました』
『そうか。強き者はいたか?』
『はい。中は不可思議な空間でございましたが、深魔界に住まう魔物のように強力な生物がおりました』
『ほう。ならば我が行こう』
そうして、狂鬼は魔都に出現した穴蔵へと単身入っていった。その先で、狂鬼は未知なる環境を進み、未知なる魔物を殺し、未知なる現象を体感していった。
狂鬼が見た探索の結果は、狂鬼しか知りえない。
しかし、狂鬼が穴蔵に願った内容は叶えられた。
血沸き肉踊り、生と死の狭間で拳を交わすような、一寸先もわからぬ戦いを所望した。狂鬼に並び立つ相手を寄こせという願いは、今叶えられた。
『当たらぬ!! 良く躱しよるな鈴鹿ッ!!!』
「そんなちんけな攻撃が当たるわけねぇだろ馬鹿がぁぁあああ!! ハッアハッヒッヒハッハアアッハ!! もっともっとギア上げろぉォおおオ!! でなきゃ置いてくぞ狂鬼ィイイイイイ!!!」
鈴鹿の天井知らずの要求に、狂鬼も応える。強さを求め続けた狂鬼が、今まで得た技術を集結させる。ただでさえ鈴鹿を凌駕する戦闘センスは、一手ごとに鈴鹿を追い詰めるほど洗練されていた。その戦闘センスに、確かな技術が加わる。
明確に、鈴鹿を殺すために、狂鬼が戦闘を構築してゆく。
生命の防衛措置たる脳のリミッターを取っ払った鈴鹿の猟奇的な強化魔法は、人が踏み入ってはならない領域へと鈴鹿を押し上げている。
だというのに、鈴鹿は狂鬼へと一手届かない。狂鬼の卓越した戦闘センスと、積み重ねた戦闘による経験が鈴鹿の攻撃を阻んでいた。
ならば狂鬼の想定を超えればいい。そうすれば奴に鈴鹿の拳が届くはず。
鈴鹿の動きを狭めるように繰り出される狂鬼の攻撃。見切りによって避けることはできるが、避けるごとに鈴鹿が追い詰められてゆく。狂鬼は鈴鹿が避けることを考慮し、絶対に避けられないように徐々に徐々に鈴鹿の体勢を崩すように攻撃を組み立てる。
それを防ぐ方法。狂鬼が鈴鹿の動きを予見できなければ追い詰められることもない。
狂鬼の認識を阻害する。それが鈴鹿にはできるはずだ。なぜならばスキルがあるから。気配遮断という相手の認識を阻害するのにうってつけなスキルが。
ならば気配遮断を今よりも上に押し上げるしかない。そうすれば、狂鬼まで鈴鹿の拳が届くのだから。
気配遮断とは読んで字のごとく、自身の気配を消し相手に認識されないよう潜む事ができるスキルである。それを紐解けば、相手に認識されない能力を抽出することもできるはずだ。
認識されない拳。まるで空手の虚実入り混じる攻撃の様な事が、気配遮断でもできるのではないだろうか。相手から隠れ潜むだけでなく、気配を遮断したり解除したりを使い分けることで相手の認識を惑わせる。それこそが気配遮断の一つの到達点ではなかろうか。
過剰な強化によって廃人一歩手前の鈴鹿の脳みそが、気配遮断の可能性を押し広げる。本来『気配を隠し見つからないようにする』ためのスキルが、鈴鹿の壊れかけた脳みそによって『相手の認識を阻害する』スキルへと改変される。
気配遮断を全力で攻撃に展開しようとする鈴鹿のイカれた思考がスキルの新たな可能性へ辿り着き、それを叶えるためにスキルが昇華する。
気配遮断レベル10。身体強化、魔力操作、見切りに続き、4つ目のスキルがレベル10へと至った。
『ハッ!! 鈴鹿何をしたッ!? 見えるのに見えぬぞ!!』
「哲学ですかぁああ??? 三つも眼がついてんだ!! どれか一つくらい見えるだろッ!!」
狂鬼は驚愕する。鈴鹿の姿が朧となり、上手く認識できなくなったのだ。そこにいるのにそこにいない。眼を一瞬でも離せば鈴鹿の姿は掻き消え、だというのに、そこにいることは見えている。
狐につままれたような感覚に、狂鬼の対応が遅れる。天性の戦闘センスすらもかき乱す昇華された気配遮断。
鈴鹿は攻撃していないのに攻撃しているように感じ、攻撃しているのに回避に専念しているように感じ、鈴鹿を追い詰めるべく緻密に練り上げた攻撃は、明後日の場所を殴りつける。
狂鬼の攻撃は見切りにより全てを躱され、躱せぬよう追い詰めようと積み上げた狂鬼の策は気配遮断によって無に帰した。
ここからは鈴鹿のターンである。
認識を歪められ鈴鹿を捉えられない狂鬼を一方的に殴りつける。見えざる手も組み合わせた鈴鹿の拳は、極夜となりて狂鬼を攻め立てる。
『ぬぅうッ!!??』
「まだまだ行くぞッ!! 死ぬまで行くぞッ!! 気合入れねぇとすぐに死んじまうぞ狂鬼ッッ!!!」
鈴鹿の拳が烈火の如く狂鬼を殴打する。さすがというべきか、狂鬼は鈴鹿をろくに認識できない状況にもかかわらず、致命傷に繋がる攻撃は全て防いで見せた。
このまま押し切る。強化をさらに強め、鈴鹿は狂鬼へたたみかけた。
『我をここまで追い詰めるかッ!!』
「いつまで余裕ぶってんだぁぁあああ!!?? お前は狩られる側なんだよ!! 潔く命乞いすれば楽にしてやんぞッッ!!??」
『フハハハハハッ!! 戯けが!! 我は天をも狂わす鬼なるぞッ!? 我は狩る側……そこが変わることなどないわ!!!』
狂鬼から神気が溢れ出す。そんな凶悪な面をしてなんて神々しい力を出すのだと文句を言いたくなるが、鈴鹿にそんな余裕はない。
神気を纏った狂鬼の第三の眼が、鈴鹿を正確に捉えだす。
『見えぬが、どこを殴れば壊れるかはわかっておるのだ!! ならば貴様の姿が見えずとも、貴様の位置は感じ取れよう!!』
神気を纏う狂鬼の第三の眼が、鈴鹿を捉え続ける。気配遮断により存在が曖昧にぼかされ朧となった鈴鹿を、狂鬼は認識することができていない。だというのに、第三の眼がどこを攻撃すれば鈴鹿を壊せるかは教えてくれる。
それはつまり鈴鹿の位置を教えるものであり、位置が分かれば曖昧な輪郭であろうとも狂鬼にとっては関係ない。狂鬼の天性のセンスと、磨き上げられた技術が鈴鹿の位置から詳細な輪郭までを浮き彫りにする。気配遮断の影響を受けながらも、狂鬼は気配遮断を無効化して見せた。
溢れ出る神気が狂鬼を高めてゆく。本来のステータスよりも大きく弱体化されている狂鬼だが、ステータスが低いからこそ技のキレ、精度、閃きが冴えわたる。鈴鹿が狂鬼に引っ張られるように、狂鬼もまた鈴鹿に引っ張られ次の段階へと進化する。
狂鬼に気配遮断を無効化されたことで、再度鈴鹿は追い詰められつつあった。気配遮断によって狂鬼へ攻撃が通るようになったものの、決定打は打ち込めていない。一方で、鈴鹿を認識しだした狂鬼は見切りにより回避し続ける鈴鹿が回避できぬよう追い詰めてゆく。
狂鬼による詰将棋のような攻撃が、一手ごとに鈴鹿を追い込み死へのカウントダウンを刻み出した。




