閑話 銀杏かえで、安藤泰則
4月上旬。桜が咲き誇るこの時期に、銀杏かえではどたばたと準備を進めていた。
「洗濯物ありがとママ!」
「かえちゃん今日もダンジョン行くの? 明日入学式なのよ?」
「うん! 今日でレベル10になる予定なんだ! 見てよこの顔!! 頑張ったでしょ!!」
かえでは母親にニッコリ笑顔を向ける。ステータスが上昇したおかげで、かえでの雰囲気は残したまま可愛さを最大限上昇させたような愛らしい顔へと変わっていた。かえでの顔が元から綺麗な顔をしていたため、鈴鹿やヤス程『誰お前感』はないものの、それでも仲のいい友人でも他人だと判断する程度には容姿が変化していた。
髪の色も魔力の影響を受けて桃色に変わっており、肩口で切り揃えられたボブカットの髪先がかえでの動きに合わせて楽し気に揺れ動いている。
「ほんと、かえちゃんびっっっくりするほど綺麗になったわよね! もともと可愛かったのにびっくりよ!」
「自分でも驚きだよ。ほんっと頑張ってよかった!!」
鏡に向かっていろんなポーズをとるかえで。いい方向に変わったことも大きいが、素がよかったかえではレベルが上がった今も自分の雰囲気を感じ取ることができるため、顔に違和感をそこまで抱かずに素直に受け入れることができた。
「ほら、かえちゃんダンジョン行くんでしょ?」
「あ! そうだった! 行かなきゃ!」
鈴鹿に買ってもらったダンジョン探索用の高級ジャージを手に取り、玄関へ向かうかえで。
「気を付けてね。それと、ヤス君とプロの探索者の方にも今度ご挨拶させてね。ここまでお世話になってるんだから、絶対よ?」
「あ~、ヤス君はいいけど、鈴鹿君はどうかなぁ。ヤス君に聞いてみるね!」
「せめて菓子折りくらいはお渡ししないと! その防具だっていただいたんでしょ?」
「うん! ちゃんと聞いてみる! じゃ、行ってくるねママ!」
みんなとの集合時間に間に合う様に、かえではあわただしく家を後にするのであった。
◇
ハルバードの中ほどを握るかえでは、舎弟狐が振り下ろす鉄パイプを柄を使って器用に捌く。痺れを切らし強打した舎弟狐の鉄パイプを石突付近で受ければ、強打の威力に合わせてハルバードを回転させ斧の部分で舎弟狐の頭部に攻撃を入れることに成功する。
怯んだ舎弟狐の足元をハルバードの鉤爪で絡め取りそのまま力強く引き寄せれば、脚を取られ体勢を崩した舎弟狐がその場で横転した。無防備の胴体に高々と掲げたハルバードを振り下ろせば、舎弟狐は黒い煙となりかえでに吸い込まれてゆく。
舎弟狐を倒したことに安堵せず、二匹を受け持ってくれている陣馬の援護に向かうかえで。しかし、陣馬もすでに一体は煙へ変えており、かえでよりも一足先に舎弟狐を倒した斎藤が陣馬のフォローに駆けつけていた。かえでが着くころには、二人で楽々と最後の一匹を仕留め終えていた。
「お疲れ~! 陣馬大丈夫だった?」
「おう! 二匹なら正面で見れるから問題なかったぞ!」
「舎弟狐もちょっと物足りなくなってきましたね。そろそろ次に進みませんか?」
三人でこれからの予定を話し合う。そうしてるとすぐに遠くで見守ってくれていたヤスが3人に水筒を持ってきてくれた。
1区までは3人でレベル上げをすることにしているため、すでにレベル10のヤスは3人からそこそこ離れた距離にいる。あまりに近いとすぐにヤスが援護できるため、ステータスに影響することを嫌って距離を空けているのだ。
ヤスは回復魔法を使えるし、ヤス含め4人分の水筒や食事をバッグに入れて持ち運んでくれている。それに遠くで俯瞰してみることで全体の動きや個人の戦い方のフィードバックをしてくれるため、とても助かっていた。
「みんなお疲れ! 陣馬さすがだな。二匹相手でも安定してるし、強打のタイミング完璧だったぞ!」
「ありがとう安藤! 定禅寺に言われた通り、金棒は一撃入魂が肝だな!」
ぶんぶんと軽々と金棒を振り回す陣馬は、ステータスが上がったことで好青年へと容姿が変わっていた。もともと体格のよかった陣馬の肉体は密度を増す様に引き締まり、服の上からでも見て取れるほどごつごつした巌のような身体を手に入れていた。受験勉強が忙しくて切っていなかった長髪は、魔力の影響を受けて灰色に染まっており、今は乱雑に頭の後ろで結ばれている。
「斎藤さんは完全に舎弟狐翻弄してたね。鈴鹿も戦う時は囲まれないようにずっと動いてたし、近距離だから同じように意識してていい感じだった!」
「ありがとう。鈴鹿様と同じ武器をいただきましたからね。武器に恥じぬ戦いを意識してます」
丁寧にそう返す齋藤は、深窓のご令嬢かと思わせるほど品のある落ち着いた淑女のような容姿となっていた。もともと綺麗な顔をしていたのだが、長い髪と大きな眼鏡で隠していたため周りには気づかれていなかった。今も長い黒髪に大きな伊達メガネをしているのだが、その程度では齋藤の美貌を隠すことは出来なくなっていた。
ステータスの影響で視力は回復しているはずだが、落ち着かないと言って伊達メガネをしている齋藤。未だにヤスや陣馬には敬語であるが、言葉遣いだけで口調は柔らかく、そこからは親しみを十分感じ取ることができた。
「かえでちゃんはハルバードの扱いかなり慣れてきたね! さっきも舎弟狐何もできてなかったし、終始余裕を感じたよ」
「でしょでしょ! ハルバードって色んな戦い方できるから、使っててめっちゃ楽しいの!!」
ハルバードは槍のように穂先で突くことも、戦斧のように強打を撃ち出すことも、鉤爪を使って翻弄することも、柄や石突を使って殴打をすることだってできる。使い方によって多種多様な使い方ができるのが、ハルバードの魅力だ。
最初は槍のように突くことばかりしていたかえでだったが、ダンチューブを見たり自分なりに使い方を模索することで、徐々にハルバードを使いこなせるようになってきていた。
それもこれも槍術のスキルが発現したことが大きい。スキルがかえでの閃きを補助してくれるおかげで、素人の動きを戦闘で使えるレベルに昇華してくれるのだ。
今となってはハルバードの魅力にどっぷり浸かっているかえでは、こんな素敵な武器をくれた鈴鹿にひたすら感謝している。
探索者高校の生徒以外でダンジョンに入る場合、まず躓くのが武器だ。レンタル武器は毎回レンタルするには割高で、買うとなるともっと厳しい。1層2区で出現する鬼からドロップされる木製の武器は手が届く値段だが、消耗が激しく定期的に買い替える必要があるためコスパが悪い。
そんな中、かえでたちは全員が好きな武器を鈴鹿から支給されている。それも収納に仕舞うことができる高級品をだ。あとからヤスに聞いたが、かえでが持っているハルバードは買えば何十万円もするような物らしい。陣馬の金棒に至っては何百万クラスと聞いて、さすがの陣馬もそんな価格の武器を振り回していいのか悩んでいたくらいだ。
それに防具だってそうだ。探索者高校の生徒は支給される高級ジャージだが、自分たちで買うとなると1着何十万円もする。鈴鹿はそんな防具を人数分買ってくれたのだ。自分の分も買い足すかと何着か追加で購入した時のレジの値段は、生涯見ることもなさそうなほどゼロが並んだ金額であった。
かえで達が鈴鹿からもらった物の総額は、凄まじい額になっている。さらに貰っているのは物だけではない。ダンジョン探索初日には一緒に探索に付き合ってくれ、探索の方針や戦い方を教えてくれた。
それに、目に見えない鈴鹿の加護がかえで達には付いている。
かえでもダンジョンに入るようになって色々調べたのだが、ダンジョンに入る一般人をやっかむ勢力というのはどこにでもいるそうだ。1層の1区は育成所も利用しているが、1層2区や3区は基本的に探索者高校の生徒にしか利用されていない。稀に大学の探索者サークルが使っているくらいだろうか。
そのため1層で活動していると、探索者高校の生徒から絡まれるなんてことも日常茶飯事らしい。探索者高校に繋がりのある者や、昔からそこで活動している大学のサークルなどは問題ないが、かえで達のように繋がりもなければ探索者高校に通わずに装備も整っている者などいい的だろう。
しかし、かえで達に絡んでくる探索者高校の生徒は誰一人いない。その理由が鈴鹿にある。
直接聞いた訳ではないが、かえでは何度か探索者高校の生徒たちがかえで達を見て『鉄パイプの姫の友人』という会話を耳にしていた。鉄パイプの姫とは鈴鹿のことである。その名前は八王子探索者高校で知らぬ者はおらず、手を出せばどうなるかくらい容易に想像できる。
すでに四級探索者試験に合格している、八王子探高で最強パーティであるzooの友人、ソロでエリアボスすら倒す異常者、噂では存在進化すらすでに終えている、日本最強探索者ギルド不撓不屈からスカウトされている。探索者高校の生徒たちの間では様々な噂が飛び交い、絶対に手を出すべきではないという不文律が出来ている。
それにかえで達を見つけた希凛達zooが、探索者協会のロビーでかえで達と会話してくれている。ヤスが顔見知りということで声をかけてくれたのだが、探索者高校の生徒たちからはかえで達がzooの知り合いとして認識されることになり、より手を出される心配がなくなった。
その時も希凛たちからはひっきりなしに鈴鹿の名前が出ていて、鈴鹿がその場にいなくともかえで達を護ってくれているのだということが感じられた。
そんな鈴鹿に恩を返すために、かえでと斎藤と陣馬は話し合い、強くなることを誓った。鈴鹿が面倒を見てくれたかえで達が強くなることが何よりも恩返しになると考え、この春休み期間、真剣にダンジョンを探索し続けたのだ。
「それじゃ、もういい時間だし行っちゃいますか!」
「うん。私は大丈夫」
「行くぞ! 親分狐戦だ!!」
「とうとうか。3人なら絶対勝てる! 頑張って!!」
3人のレベルは9。ヤスもレベル9の時に親分狐と戦ってレベル10になったと言っていた。
鈴鹿やヤスの背中を追いかけている三人も、それに続くためにこのタイミングでエリアボスに挑むことを決めていた。
明日は高尾山高校の入学式。4人揃ってレベル10で出席したい。その思いを胸に、ここまでダンジョン探索でレベル上げを頑張ったのだ。
やる気に満ち溢れる三人は、10匹もの舎弟狐に囲まれているエリアボスに向かって、臆することなく走り出した。
その様子をハラハラしながらヤスはみていた。エリアボスも含め11匹のモンスターに3人で挑むため、圧倒的に数で不利な状態だ。始めは舎弟狐の数を減らそうと動いた三人だったが、4倍近い数の差は簡単には覆せない。
陣馬が同じ金棒を持つ親分狐のヘイトを買いながら戦うが、周囲の舎弟狐から魔鉄パイプで殴られうまく戦えていない。かえでもハルバードを巧みに扱うが、いかんせん数が多いため囲まれてしまいうまくハルバードを活かすことが出来ていなかった。斎藤は何とか足を使って囲われないよう立ち回るが、なかなか攻撃に転ずることができないでいる。
しかし、その状況を打開するために3人は声をかけ続け、3人が背中を合わせてそれぞれの正面を対処する動きを見せたことで改善してゆく。
陣馬が正面から親分狐の攻撃を受け止め、その隙に魔鉄パイプで殴ろうとする舎弟狐をかえでと斎藤が牽制しダメージを蓄積させてゆく。
その間も3人は魔鉄パイプで殴られダメージを負っているが、ステータスが高い3人は致命傷にならず耐えることができていた。唯一大ダメージを与えられる可能性がある親分狐は陣馬がしっかり抑え込むことで、残りの二人は安心して動くことができている。
時間が経つにつれ3人の動きは洗練されてゆき、そのたびに舎弟狐は1匹1匹と煙に変わっていく。数が減ればより3人は動きやすくなり、舎弟狐が加速度的にその数を減らしていった。
その様子にヤスは安堵しながら、よく二人だけで挑んだなと自分の時を振り返っていた。ヤスには鈴鹿がいた。回復魔法や魔力操作のスキルが発現していたヤスと違い、剣術や身体操作のスキルを覚えていた鈴鹿が中心となって親分狐と戦ったのだ。
ヤスのスキル構成は後衛寄りのため、親分狐のヘイトは鈴鹿が買って出てくれた。だからヤスは必死に舎弟狐の数を減らすためにシャベルを振り続けた。最後の舎弟狐を倒す頃には、鈴鹿がすでに親分狐を倒していたくらいだ。
かえで達は前衛が3人の組み合わせだ。それなのに、親分狐との戦いはかなり苦戦を強いられていた。片や鈴鹿とヤスでは、鈴鹿がメインの構成であった。それでも、ヤスは舎弟狐に囲まれることもなく2~3匹と常に戦っているようなレベルであった。その時はそれでもきつかったし必死だったが、今の三人の様子を見ていると鈴鹿が随分多くのモンスターを受け持ってくれていたのだなと理解できる。
3人はヤスに追いつくために頑張って探索を進めているが、ヤスは大した人間じゃない。ただ鈴鹿に置いてかれまいと必死にくらいついていただけだ。今のヤスがあるのは、鈴鹿のおこぼれでしかない。
だけど、それでもヤスはあの鈴鹿にくらいつき、生き残ったのだ。今度は鈴鹿がヤスにしてくれたように、ヤスが3人を護ってみせる。
ヤスが決意を固めた時、ちょうど親分狐が巨大な煙となって3人に吸い込まれていった。




